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勘違いしないでください。私に選ばれた人が王様になるんですよ。

 豪華なシャンデリアが眩しい王宮のパーティー会場。

 美しいドレスに身を包んだ女性を、上質な生地で仕立てられたスーツを着た男性がエスコートして次々と会場入りしている。


 賓客が揃ってしばらくすると本日の主役である王妃と国王、そして二人の息子である王子たちが入場した。

 今日は王家主催による王妃の誕生日パーティーだ。


 国王が王妃をエスコートして会場の中央まで進み出た。曲が始まると二人だけのファーストダンスが始まる。美しく威厳に溢れた王妃と、強さと優しさを備えた逞しい体躯の国王のダンスに、人々はうっとりとしながら溜息を洩らした。


 二人のダンスが始まると、エリオット第一王子はアンネリーナの元へと向かった。


「アンネリーナ嬢、私にあなたとファーストダンスを踊る栄誉を頂けませんか?」

「もちろんですわ」


 そう言ってアンネリーナの手を取ると、中央まで進み二曲目のダンスに加わった。そしてそれに倣うように次々と貴族達がダンスに加わり、美しいドレスの華が咲き乱れた。


 国王と王妃が二曲を踊り終え玉座に戻ると、それを見計らって次々とお祝いの挨拶をするために貴族たちがやってきた。


 エリオットとアンネリーナはファーストダンスを終えると、そっと壁際に寄りドリンクを受けとって喉を潤した。二人が二曲続けて踊ることはない。


「ドレス、思った通りとても似合っているよ」


 アンネリーナはエリオットの言葉に僅かに目を見張った。


「……ありがとうございます。エリオット様も、とても素敵ですわ」

「ありがとう」


 微笑んだエリオットは、金糸の刺繍が美しいエメラルドグリーンのスーツに、オレンジというよりは赤に近い色のブローチを付けている。アンネリーナの瞳はオレンジで、髪の毛はプラチナブロンドだ。


 アンネリーナは王子の髪の毛と同じ空色の、デコルテラインの開いたエンパイアドレス。腰の部分から幾重にも柔らかなレースを重ねていて、落ち着いた雰囲気と華やかさが混在したドレスだ。腰の部分には大きなバラを模したようなレースの花が付いていて、背伸びをしていない絶妙なバランスと美しさに他の令嬢から溜息が聞こえるほどだ。


 首に輝く大きなゴールデントパーズのネックレスは王子の瞳の色である。が、その色はエリオットの瞳より黄色く、きらきらと光りを受けて微妙に色合いを変える珍しいカットをしている。


 エリオットはグラスを片手に、辺りをキョロキョロと見回して誰かを捜している。そして、ピタッと動きを止めると蕩ける笑顔になった。お目当ての相手が見つかったようだ。


「エリオット様、どうぞ私のことはお気になさらず、ご友人の所に行ってください」

「え、良いのかい?」

「ええ、ファーストダンスは踊っていただきましたし」

「でも一人で大丈夫かい?」

「えぇ、お気になさらず。私も友人に挨拶をしようと思いますので」

「そうか。では私は少し外させてもらうよ」

「はい」


 そう言うと、エリオットはお目当ての相手に向かって歩き出した。自分に向かってくるエリオットに可愛らしい笑顔を向け急ぎ足で近づいていくのは、カンディアル男爵の養女キャロル。小柄で黄色に近い金髪に、オレンジより赤に近い瞳の可愛らしい令嬢だ。


 アンネリーナは口元を扇で隠して、溜息を吐いた。


(本当に仕方のない人)


「何が一人で大丈夫かい、でしょうか。普通は仮とは言え婚約者を一人にして、他の女性の元にいそいそと行ったりはしないのよ。しかもこんな場所で」


 アンネリーナから言い出したことだから文句は言えないが、そんなに嬉しそうに離れなくてもいいのではないかと思う。こんな日くらい、アンネリーナを優先しても、と。


 今日は歴史ある貴族から新興貴族まで一堂に集まった、一年に数回しかない国内最大のパーティーだ。そのような場所で何らかの問題を起こせば、たちまち噂は広がり大問題へと発展する。


 今のように仮とはいえ婚約者であるアンネリーナを放っておいて、他の女性と楽しそうに話をしていれば、噂好きの貴族たちは絶対に見逃さないだろう。しかも、いろいろな人と話をするならともかく、特定の令嬢となれば噂話の格好のマトだ。王子の不貞とも捉えられかねない。


(本当に残念な人だわ)


 アンネリーナは再び大きく溜息を吐いた。


「そんな大きな溜息を吐いていると幸せが逃げてしまうよ」


 振り返るとそこにジェイル第二王子がいた。手にはアンネリーナの大好きなピスタチオ味とレモン味のマカロン。


「ジェイ」

「今日のマカロンは最高傑作だそうだ。パティシエ長がぜひアンネにって」

「まぁ、今度お礼を言いに行かないといけないわ」


 アンネリーナは皿を受けとると、嬉しそうにレモン味のマカロンをかじった。


「ん、私好みの酸味だわ。ふふふ」


 アンネリーナの綻ぶ顔を見ると、ジェイルも優しい笑顔になる。


「兄上は、また例の令嬢と一緒かい?」

「そうですわ。何を考えていらっしゃるのか」

「まぁ、いいじゃないか。いまさらそんなこと」

「ふふふ、そうね。……やっとよ」

「あぁ、やっとだ」



~・~・~・~



 アンネリーナがエリオットの婚約者候補となったのは五歳とき。正確にはエリオットとジェイルの二人の婚約者候補。


 その昔、この国は女王が統べる国だった。しかし、必ず女の子が生まれるわけではない。そのため、王女が生まれなかったときは、女王が貴族の中から時代の女王となる令嬢を選んできた。


 しかしそれも時代の流れとともにその構図が変わり、現在では男性、つまり国王が国を統べる者となった。


 とはいえ、女王が治めていた時代の名残もある。それは、王妃が王子の婚約者候補、つまり次期王妃となる令嬢を選び、選ばれた令嬢が自分の逑となる王子を選び、選ばれた王子が王位を継ぐというもの。


 そのため、次期王妃となる令嬢は確かな家柄であることは当然として、性格や家庭環境を調査され、厳しい王妃教育を受けて堪えることができた令嬢でなければならなかった。


 アンネリーナは五歳の時三人の婚約者候補の一人として選ばれ、十二歳の時に次期王妃に選ばれた。つまり二人の王子の仮の婚約者に決まったのだ。


 はっきり言えば、五歳で初めて参加した王妃主催のお茶会で、なぜアンネリーナが婚約者候補に選ばれたのかはいまだに本人も理解できていない。


 王妃はクスクス笑って「可愛かったからよ」というが、幼いアンネリーナには女の子らしい可愛さなどなかったのだけど。





 アンネリーナが五歳の時に初めて招待をされた、次期王妃を決めるためのお茶会には、王子と歳の近い令嬢が十数人ほど集められた。


 しかし、自分の娘をよく見せることに必死な親たちがほとんどの中、アンネリーナの父親であるヘーゼル伯爵は、とにかく候補からいち早く抜けることを考えていた。


「いいかい、アンネ。今日はお城でお前と同じくらいの歳の令嬢たちが集まって、お菓子を食べて遊ぶ日なのだよ。だからいっぱい食べて元気に遊んでおいで」

「まぁ、お父様。私、お菓子を沢山食べていいの?」

「あぁ、今日は特別だよ。お城で出されるお菓子だからとても美味しいだろう。沢山食べてきていいよ」

「沢山なんて、マリアに怒られないかしら?」

「大丈夫だよ。今日だけは特別だから、マリアにもちゃんと私から伝えておくよ」

「うれしい!」


 健康と虫歯を考えて間食は少しだけと決められているアンネリーナは、一日一回の間食にクッキーを二枚までしか食べたことがなかった。だから、たくさんお菓子を食べていいなんて言われるとびっくりしてしまう。


「楽しんでおいで。それから、もしその場にきれいに着飾った男の子がいたら、失礼のないように離れること。一切関わってはいけないよ」

「分かったわ。でも、もし離れられなかったら?」

「その時は仕方がないから、泣かさない程度に一緒に遊んでおいで」


 アンネリーナは、少々お転婆で他の令嬢よりちょっと元気がいい。


 普段は使用人の連れてくる子ども達と庭を駆けまわり、カエルを捕まえたり虫を箱いっぱいに集めたり、木に登ったりして遊んでいる。


 とても貴族の令嬢のすることではないが、母親を早くに亡くしたため、寂しい思いをしないようにと使用人に子どもを連れてこさせ、自由に過ごさせたら、予想以上に自由を満喫しまくってしまったのだ。


 アンネリーナの母親もかなり快活な女性だった。乗馬をこよなく愛し、弓を使って猟をするほど男勝り。しかし、ヘーゼル伯爵はそんな彼女を愛していたから、アンネリーナにも無理に令嬢らしくあらんとする必要を感じていなかったのだ。


 それにヘーゼル伯爵の子どもは女の子が二人。順当にいけば、長女のアンネリーナが家を継ぐことになるのだから、大人しい女の子より少しお転婆なくらいの方がいいだろうと思っていたのだ。


 とはいえ、アンネリーナが頭にカエルを乗せて喜んでいるほどお転婆であると知っていたら、さすがにもうちょっとお淑やかにしなさいと言ったかもしれない。


 そんなアンネリーナだったから、婚約者候補になど選ばれるはずもないが、予想外の事態が起こらないとも限らないと思い、王子には近づかないように念を押したのだ。


 アンネリーナはとても可愛らしい容姿をしている。母親によく似ているから、将来は間違いなく美しい女性へと成長するだろう。


 自分の娘が世界で一番可愛いと思っている伯爵は、王子がアンネリーナをひと目見れば、その可愛らしさに心を奪われることは間違いないと心配しているのだ。


 万が一、婚約者候補にでも選ばれれば、王宮通いが始まり、庭を駆けかけっていたアンネリーナを見ることはできなくなってしまう。あらゆることを詰めこみ、自由を奪うような教育などアンネリーナには必要ないのだ。だからこそ、僅かにでも可能性は潰していかなくてはならない。


 まぁ、別に選ばれたわけでもないのに、今からオロオロと心配をしているのはどうなのだと思わなくもないが。


 そう思っていたのだが。




 迎えた王妃主催のお茶会。


 王宮の中庭には、四歳から十歳までの十数人の令嬢たちと王妃がテーブルを囲んでいる。


 両親に、王妃や王子たちの機嫌を損ねず気に入られてこい、と言われているのだろう。笑顔を張りつけて王妃の質問に一生懸命答えているのに、緊張のせいで僅かに涙目だ。


 そんな中アンネリーナは、初めて見るマカロンを一口で口に放り込み、リスのような頬で一所懸命食べている。


 レモン味で微かな酸味と甘みがバランスよくとても美味しい。それから、ピスタチオ味のマカロンをまたもや一口でパクリ。少し塩味があってマカロンの甘みが更に強く感じられてこれも美味しい。そしてリスのような大きな頬でもぐもぐもぐもぐ。次はピンクのイチゴ味のマカロンをパクリ。よく味わってみた、がこれはそんなに好きな味ではなかった。


 そうして次々と見たことも食べたこともないお菓子を口に放りこんでは瞳を輝かせ、喉が渇くと目の前に置かれたミルクをごくごくと飲む。このミルクがまた美味しい。それに、ミルクで甘さが中和されてお菓子がいくらでも食べられそうだ。


 アンネリーナは口の周りにできたミルクの髭をナフキンで拭いて、今度はマドレーヌに手を伸ばした。


 王妃は順番に令嬢たちに質問をしていて、アンネリーナの番が来るまでにはまだ時間がかかりそうだった。


(まだ、ここにいないとだめかしら? もう、お腹がいっぱいでお菓子が食べられないのに)


 それにさっきから少し離れた所に見える池がとても気になっている。見たことのない大きな白い花が池に浮いていて、気になって仕方がないのだ。


 テーブルの端に座っていたアンネリーナは、体が小さいこともあって王妃からは見えにくい。ちょっと首を伸ばして王妃のほうを見てみたが、王妃は話をしている令嬢のほうを見ているし、ほかの令嬢たちは真剣な顔をして王妃のほうを見ている。


 使用人たちは数人いるが、さっきまで横に立っていた使用人がいつの間にかなくなっていて、アンネリーナのほうを見ている人は誰もいなかった。


(ちょっと遊ぶくらい大丈夫ね)


 そうっと席を離れると、花に隠れるように小さく屈んで進み、背の低い花の横を通るときは膝を地面に突いて進む。ちょっと探検している気分でウキウキしているアンネリーナ。ドレスが汚れても全然気にならない。


(王宮のお庭は広いしお菓子は美味しいし、ここで過ごす時間は悪くないわ。お話の時間が長いのだけは問題だけど)


 ニコニコしながら、落ちていた大きな葉で池の水をかき回したり、花で羽を休めている美しい蝶にそっと近づいて捕まえようとしたり、楽しいことがいっぱいでどんどんお茶会の席から離れていくアンネリーナ。


 ふと王妃が池の近くで遊んでいるアンネリーナに気がついた。


 黄緑色のドレスを着て、美しいプラチナブロンドの髪が地面につくことを気にもしないで、とても楽しそうにパタパタとあちらへこちらへと行ったり来たりしている。


 王妃は側近に、危険のないように警護を付けるように指示をした。


「可愛らしい令嬢だわ。ふふふ」


 やがて数人の令嬢を残して王妃とのお茶会はお開きとなった。その残った令嬢たちの中に、なぜか、一人庭で遊んでいたアンネリーナも入っていた。


 次に、令嬢たちは王宮の一室へと連れていかれた。その部屋には子どもたちの興味を引きそうな玩具、人形、本、紙などが置かれており、自由に使っていいと言われた。


 その部屋ではすでに四人の男の子が遊んでいた。四人の男の髪は空色だが、二人の男の子は艶やかなシルクで作られた白いシャツと、上質な布で仕立てられた黒いズボンとベストを着ていて、もう二人の男のはシャツとズボンという質素な服を着ていた。


 あの綺麗な洋服を着た男の子たちが王子様だわ。


 令嬢たちの胸が高鳴る。


 すぐさま、上質な服を着た男の子たちの周りに令嬢たちが侍り、一生懸命話しかけ始めた。上質な服を着た男の子たちは驚いていたが、とても楽しそうに令嬢たちと話をしたり、遊んだりし始めた。


 そんな様子を見ながらアンネリーナは一人、落ちている玩具の剣を拾い、揺れる木馬に跨った。


 いつかは亡くなった母のように、馬で遠乗りをするのが夢だ。でも今は、とりあえずこの木馬を激しく揺らすことに専念したい。


 体を前後に揺らすと、それに合わせて木馬が揺れだした。木馬はこれまで体験したことがないほど大きく揺れる。揺らしすぎて後ろに倒れてしまうのではないかドキドキしながらも、揺らすことを止められないアンネリーナは、ますます重心を前後に移動して木馬を揺らした。


(最高だわ! この木馬は私の人生の中で最高の揺れよ!)


 すると、質素な服を着た二人の男の子が、夢中になって木馬を揺らしているアンネリーナに声をかけてきた。


「君、すごいね!」


 アンネリーナは木馬を止めてジッと二人の男の子を見る。


(この子たちは綺麗な洋服は着ていない……)


 アンネリーナは父親との約束を忘れていなかった。だから、綺麗に着飾っている男の子とは遊ぶ気はないけど。


(この子たちは平民みたいだから遊んでも大丈夫ね)


 そのことに気がついたアンネリーナはぱっと顔を輝かせた。


「私、こんな大きな木馬は持っていないの。それに、すごく揺れるし! 本当にこの木馬は最高よ!」


 アンネリーナは興奮気味に答える。

 二人の男の子のうち、背の高い男の子も興奮したようにうなずいた。


「僕もこの木馬をこんなに揺らしたことないよ。君はすごいなぁ」


 二人は兄弟で、兄がリオ五歳、弟はジェイで三歳だという。


 それから三人でたくさん遊んだ。一番楽しかったのは王様ごっこで、なぜかアンネリーナが王様だった。それに付きしたがう二人の男の子達も立派な勇者となって、三人で悪者をたくさん倒した。


 最初は置いてある人形を悪者に見立てて戦っていたが、簡単にやっつけてしまった。三人は徐々に、周りで警護をしている騎士や使用人を相手に戦いはじめた。しかも使用人たちもそれにちゃんと付きあってくれる。


 お茶お茶魔女役の使用人は、「お、のれー!」と言いながらバタンと倒れた。お菓子盗賊の親分役の使用人は、目の前で三枚もクッキーを食べて、アンネリーナたちを挑発したので、リオが勇者の魔法で倒した。お菓子盗賊は「お菓子は食べ過ぎたらだめだよー」と言いながら倒れた。


「フー、なかなかしぶとい相手だったわ」


 アンネリーナは満足そうに言うと、リオもジェイもニコニコしながらうなずいた。


 しかし、最後の敵で、扉の前に立っている二人の黒騎士ワルイゾーマは剣の達人で魔法は効かず、なかなか手ごわい。


「リオは右から、ジェイは左から同時に攻めるのよ」


 三人は顔を寄せあって、黒騎士ワルイゾーマを倒す作戦を立てていた。リオとジェイはアンネリーナの作戦にうなずく。


「黒騎士ワルイゾーマを倒せば世界は救われるわ」

「分かった!」

「わった!」


 その様子を面白そうに眺めていたのは王妃。


「あの子たちは何をしているの?」

「はい。今は悪者を倒して世界の平和を守ろうとしていらっしゃいます」


 この部屋の責任者が説明をした。


「誰がリーダーかしら?」

「はい。ヘーゼル伯爵家のご令嬢アンネリーナ様が王となって、勇者のお二人に指示を出しています」

「あら」


 王妃はますます興味深げに三人の様子を見ている。


「アンネリーナ様の作戦はなかなか愉快なものでした。しかし、その相手の本質を見ているような気がします。設定はご都合主義ですが」


 お茶お茶魔女はお茶を飲まないと魔法が使えないらしい。なので、二人で魔女を相手している間に一人がお茶を奪いとるという作戦を決行し、成功していた。


 お菓子盗賊は、実は甘いチョコレートだけは苦手らしく、お菓子盗賊のお腹を擽って笑わせ、開いた口にチョコレートを放り込んで弱っている間に、お菓子を全部奪ってやっつけた。


 そして今、扉の前で警護をしている二人の黒騎士ワルイゾーマに三人は立ち向かっているのだ。


「楽しそうね」


 子どものおままごとだ。別にたいしたことではない。しかし、五歳にして作戦を立て指示を出し決行する能力はなかなかのものだ。しかも、いつの間にか二人の男の子もアンネリーナの指示を理解して無駄なく動いている。


「面白いわ」


 黒騎士ワルイゾーマに立ちむかっている三人は、同時に一人を攻撃する作戦にしたようだ。黒騎士ワルイゾーマは片手に玩具の剣を持ち、簡単に剣を弾きかえす。そのとき、ジェイがバランスを崩して倒れてしまい、慌てて二人の黒騎士ワルイゾーマはジェイに駆けよった。その隙をついて黒騎士ワルイゾーマを倒したのはアンネリーナだった。


「どんな状況でも隙を見つけたら容赦なく討つ! 命を懸けた戦いには、非情な心も必要よ」


 アンネリーナは鼻息を荒くして、胸を張る。


 その状況を見ていた周りの子どもたちは驚いていたが、黒騎士ワルイゾーマが立ちあがり「参りました」と頭を下げるとホッとしたようだ。


 すると、上質な服を着た男の子たちも、キラキラと瞳を輝かせながら仲間にしてほしいと手を上げた。やられ役をしなくてはならない使用人たちは顔を青くしたのは言うまでもない。


 そろそろ帰りの時間が近づいてきたころ、王妃がアンネリーナに話しかけた。


「王様に必要なものって何だと思う?」


 その言葉にアンネリーナは何も考えることなく答えた。


「守り抜く力」


 それを聞いた王妃はニコッとしてアンネリーナの頭をなでた。

 アンネリーナは心ゆくまで王宮を満喫して、沢山のお菓子を貰って帰っていった。


 綺麗な服を着た男の子とも遊んでしまったが、それは仕方がない。リオとジェイはいつも王宮にいるから、また遊びに来て、と言っていた。二人は使用人の子どもだろうか? 


(次にリオとジェイと遊ぶときは、お庭に行こうって言ってみよう)


 アンネリーナはそんなことを考えてクスクスと笑った。


 アンネリーナに王子たちの婚約者候補の打診が来たのは、王宮でのお茶会から二日後のことだった。


 ヘーゼル伯爵が卒倒したのは言うまでもない。


 しかし残念ながら伯爵には断る力もなく、この打診を受け入れる以外に道はなかった。





 婚約者候補の打診を受けてからすぐに王太子妃教育が始まり、元気に庭を駆けまわっていたアンネリーナの姿は一切見られなくなった。


 他の二人の候補の内、一人はブライス侯爵家のマリアンヌ、もう一人はザイオン侯爵家のプリシラ。共に当時七歳で、アンネリーナより進んだ教育を受けていたこともあって、順調に王太子妃教育を熟していた。

 それに王子たちとの月に二回のお茶会では、手本のような素晴らしいマナーと話術で周りの大人たちを感心させた。


 対してアンネリーナは、今までのように気ままに外で遊ぶことを禁止され、毎日のように王宮に通い勉強ばかりで、ストレスが溜まっては逃げだしていたため教師からよく怒られていた。


 そして一ヵ月もしない内に王太子妃教育を辞めたいと父親に泣きついた。


 王宮に行く唯一の楽しみなんて、王子たちとのお茶会で食べるマカロンだけ。走ってはいけない、大きな声を出してはいけない、あれはいけない、これはいけない、いけないことだらけ。こんなつまらない生活を続けていたら病気になってしまう。


 アンネリーナはすっかり元気をなくしてしまった。


 物怖じしない元気なアンネリーナを気に入っていた王妃はアンネリーナに、早期に王妃教育を修了したら、王家自慢の名馬を一頭プレゼントすると約束をした。それに、勉強を終えたあとなら、王宮の庭を冒険してもいいし、剣の稽古も授業に入れると言ってくれた。餌で釣る作戦だ。


 もちろん、ほかの二人の令嬢にも同様に、早期に王妃教育を修了することができれば、マリアンヌには大きな粒が三つ並んだエメラルドのネックレスを、プリシラには三つのエメラルドに負けないくらい大きなルビーのネックレスをプレゼントすると約束をした。


 二人の令嬢は、思いがけない贈り物を得られるとあって、ますます勉強に力を入れるようになった。


 アンネリーナの成長もすさまじかった。剣術に興味のあったアンネリーナは、体を思いきり動かすことでストレスを発散し、授業に積極的に取りくむようになったのだ。頑張ればマカロンをご褒美に貰えることもアンネリーナのやる気に繋がったようだが。


 今までどれだけやる気がなかったのかと、王太子妃教育をしていた先生たちが呆れるほどの吸収力でどんどん授業をこなし、本来十年をかけて学ぶ教育を、七年で終わらせてしまったアンネリーナは、貴族学園に入学する十二歳の頃には、王太子妃教育を修了してしまったのだ。


 対してマリアンヌとプリシラは、詰めこまれる量の多さについて行くのに必死で、ついには根を上げてしまった。


 結果、アンネリーナが次期王妃に選ばれたのだが、実際には王妃に求められる資質がアンネリーナにあることが一番の理由だった。





 学園に入ってからも、アンネリーナは常に優秀な成績を維持していた。


 もともと運動神経に優れていたため、乗馬クラブに入部し大会に出て好成績を収めたし、男の子に混ざって剣技の授業も受けていたので、力でこそ男の子には敵わなくても、技と素早さでそれなりに戦えるほどの力も身に付けて行った。


 学園のクラス分けは成績順なので、エリオットとは常にクラスが一緒で、席は隣同士だった。よく二人で話をしたり勉強をしたり、昼食も一緒に取るなど学園でも変わらずに良好な関係を築いていた。


 エリオットは読書などを好んでいたので、よく学園の中庭のベンチに座り、本を読んでい。


 そんなエリオットの周りにはいつも女子生徒の姿があった。


 実は、結婚をしても三年以内にアンネリーナに子ができなければ、側室を娶ることができるのだ。


 実際、過去に何人もの国王がそういった理由で側室を迎えている。つまり、アンネリーナと結婚をしても側室になれる可能性があるということ。それに、第二王子であるジェイルが王太子になれば、エリオットは新たに婚約者を選ぶことになる。


 エリオットが臣籍降下すれば公爵の爵位を与えられるし、婿入りしたとしても王家とのつながりができるわけだから、まだまだチャンスはあるというわけだ。


 そんな下心を抱いた令嬢たち。最初こそアンネリーナの視線を気にしていたが、今ではまったく気にならないのか毎日のようにエリオットにアピールしている。

 

 では、アンネリーナはというと、常に女子生徒に囲まれているエリオットを見ても、特に気にはしなかった。むしろ彼の人柄が人を惹きつけるのだろう、と好ましく思っていたほど。


 ただ少し気になるのは、女子生徒だけではなく、男子生徒とも交流するべきではということだ。


 それについて、何度かエリオットに話してみたことはあったが「そうだね、そうするよ」と笑顔で答えるだけで、あまり積極的に人と交流をしようとしないエリオット。


 将来、国を統べる立場になったとき、エリオットを支えてくれる信の置ける友人。エリオットにつき従い、ときに忠言してくれる勇気のある臣下。そんな忠義のある人材を見つけるために、人と積極的にかかわっていかなくてはならないのに、エリオットはそれについて真剣に考えている様子が見うけられないのだ。


 このままではまずいと思ったアンネリーナは、エリオットに宰相の息子であるアランドロを紹介した。アランドロは実直で、誰にでも分け隔てなく接することができる男だ。交友関係も広く、男子生徒からも人気がある。そんなアランドロがエリオットに侍ることになれば、きっと良い影響を与えてくれるだろう、とアンネリーナは期待をした。




 アンネリーナとエリオットの学園生活三年目に、第二王子のジェイルが入学してきた。


 エリオットとアンネリーナの関係が変わりだしたのは、ジェイルが入学してきて二ヵ月が過ぎたころ。その理由は、エリオットが特定の女子生徒と過ごすようになったから。女子生徒の名前はカンディアル男爵の令嬢キャロル。


 教室ではアンネリーナと隣同士の席ということもあって、これまでと同じように話もするし、王宮で定期的に開かれるエリオットとのお茶会も続いていたが、学園で昼食を一緒に取ることがだんだんに減っていき、いつの間にかまったく一緒に取らなくなっていたのだ。


 というのも、アンネリーナとエリオット、そしてジェイルの三人で食事をしていると、なぜかキャロルがやってきて、ジェイルに同学年だと声をかけ、次いでエリオットに話しかけ、当然のように同じテーブルに着き、持ってきたサンドウィッチをひろげ出すのだ。


 アンネリーナたちが座っている席は、王族と上位貴族だけが使う特別な席。常に人々の視線を集める王族や上位貴族たちが少しでも落ち着いて食事ができるようにと、代々受け継がれてきた特別な空間なのだ。そんな特別な席に、男爵家の令嬢が呼ばれたわけでもないのにやってきて、許可されてもいないのに同席する。


 本来であれば席を立たせるべきだ。それなのにエリオットが「知らなかったんだからいいじゃないか」と愛想のいい顔をしてキャロルが同席することを許してしまう。エリオットが許可をしたのに、アンネリーナとジェイルがそれに意見をすればエリオットの立場が亡くなってしまうため、二人は渋々でも受けいれるしかなかった。


 そしてそんなことが五回、十回と続くと、静観を決めこんでいたアンネリーナも我慢がならず「弁えなさい」と注意をしが、キャロルはアンネリーナの言葉が理解できないのか、キョトンとしてヘラヘラと笑っているだけ。


(なぜ、この程度の常識もマナーも身に付いていないのに、放置されているのかしら?)


 アンネリーナにはキャロルの行動が理解できないし、平然と受けいれているエリオットのことも理解できなくなっていく。


  アンネリーナとジェイルはこの状況に耐えきれず別の場所で食事をするようになり、限られた人しか使えない特別席に座っているのは、エリオットとキャロルの二人になった。


 さらに、アンネリーナと一緒に勉強していた席にキャロルも同席するようになった。


 しかし、キャロルが同席した勉強会は、不快で迷惑以外のなにものでもない。ここが分からないとエリオットに肩ぴったりと寄せて質問して、ちょっと説明されるとキャッキャ言いながら「すごーい」と手を叩く。

「静かになさい」とアンネリーナが注意をすれば、「アンネリーナ様、こわーい」とエリオットにしがみつき、エリオットは「そんな怖い顔をしない」でとアンネリーナを宥める。するとアンネリーナを見ながら「エリオット様って本当に優しい」キャロルは得意げな顔をした。


 五回目にキャロルが図書室に同席した時、我慢できずにアンネリーナは席を立った。


「アンネ、どこに行くんだい?」

「私はジェイル殿下と勉強をしてきます。お二人はどうぞごゆっくり」


 そう言ってアンネリーナはその場を去っていった。


「ふふふ、アンネリーナ様は私達に気を遣ってくれたんですね」

「あ、あぁ、そ、そうかな」

「さ、エリオット様お勉強をしましょ」


 エリオットはアンネリーナが席を立ったことに、驚き戸惑いを感じた。しかし、キャロルには勉強を教えるだけでやましい気持ちなどない。だから、アンネリーナが席を立った理由がわからない。


 実は、キャロルはカンディアル男爵の養女でもとは平民のため、貴族のマナーやが身に付いていない。そんなキャロルとかかわりを持とうとする令嬢などいるはずもなく、誰も相手にしてくれないと涙ながらに相談された時、自分が力になってあげなくてはいけないと思ったのだ。


 だから昼食も一緒に取ったし、勉強の席に同席したいと言うキャロルの言葉も聞き入れた。アンネリーナと仲良くなれば、きっとキャロルを見る周りの目も変わるだろうと思ったからだ。

 しかし、アンネリーナが席を立った日以来、一緒に勉強をすることはなくなった。その代わり、中庭のベンチでジェイルと勉強をしたり昼食を取ったり、何やら楽しそうに話をしている姿を度々目撃するようになった。

 だからといってエリオットとアンネリーナが不仲になったわけではなかった。クラスでは変わらず他愛のない話をするし、王宮でのお茶会も続いている。ただ、アンネリーナがエリオットに、キャロルとのつきあい方について注意されたことは何度かあった。


 あまり特定の異性と特別な交流をするべきではない。もっと、周りを見て行動すべきだ。男子生徒ともっと積極的に交流してほしいなど。


 しかし、最初はニコニコしながら聞いていた話も、何度も言われると腹が立ってくる。


「そんなことを君に言われたくはない。私はちゃんと考えて行動している!」


 そのときだった。


 エリオットの言葉に驚いて目を見ひらいたアンネリーナの顔が、エリオットの心の底に棲みついていたアンネリーナに対する劣等感が優越感に変わったのは。


 自分より成績優秀で、男勝りの剣技に乗馬、明るく友達の多いアンネリーナに抱いた劣等感を、エリオットは必死に隠してきた。だが、今のアンネリーナの顔を見れば、自分の態度次第で彼女のことなどどうにでもなるような気がする。自分は国王になる立場だ。アンネリーナに好きなように言われて、黙っている必要はない。


 次第にエリオットはアンネリーナを気にしなくなった。隠す様子もなくキャロルと過ごし、お茶会には二回に一回しか来なくなった。アンネリーナの忠言を聞いても空返事で、時には威圧的な態度で反論することもあった。

 かといって、アンネリーナのことが嫌いになったわけでもないし、いつも邪険にするわけでもない。婚約者として誕生日にプレゼントを贈り、パーティーのためにドレスを贈りエスコートもした。

 ただ、気に入らないことがあると声を荒らげることがある、というだけのことだ。

 それは学園を卒業するつい最近まで続いたのだ。



~・~・~・~



 ようやく仮婚約が終わる。卒業をしていよいよ婚約者を決め、二人の王子のどちらかが王太子となるのだ。


「アンネリーナ様」


 ふいに声がしたほうを見ると、エリオットの側近のアランドロがこちらに向かって来ていた。


「まぁ、アランドロ様」


 アンネリーナとジェイルに挨拶をしたアランドロは、少しアンネリーナと話がしたいと申しでた。それを快諾すると、ジェイルは二人から離れて友人たちの所に向かった。


「それで、お話とは?」

「あの……お贈りしたドレスはお気に召しませんでしたでしょうか?」

「あら、アランドロ様が私にドレスをプレゼントしてくださったの?」

「い、いいえ、違います」


 アンネリーナは扇で口元を隠してクスクスと笑う。


「冗談ですわ。エリオット様がプレゼントしてくださったドレスでございますね」

「は、はい」


 エリオットが適当に選んだドレスを、アランドロがオーダーし配送を手配したのであろう。


「アランドロ様は、私があのドレスを着るとお思いになりましたか?」


 優しい口調とは裏腹に棘のある質問だ。


「……私は……」

「ふふふ、意地悪だったかしら?」

「いえ、決してそのような!」

「心配しないでください、別に怒っているわけではないので」

「はい、正直に言えば……私は、今アンネリーナ様がお召しになっているドレスのほうが、ずっとお似合いだと思っております」

「まぁ、嬉しいわ。このドレスはジェイル殿下がデザインして下さった特別なドレスなの」

「な、なんと」


 アランドロの顔は蒼白になり言葉を失った。それは、決まったということだ。


 アランドロはがっくりと肩を落とし、小さく息を吐いてから顔を上げる。


「……私はエリオット殿下に、何度もあのドレスで本当にいいのかと確認をしたのです。アンネリーナ様には、あのようにスカートが大きく広がったドレスは似合わないのではないかと」

「……」

「しかし、エリオット様は聞きいれてくださいませんでした。……あのドレスが似合うのは別の方です」

「そうですね。私もそう思いますわ」


 あの夢見がちな男爵令嬢。彼女にはあのひらひらと広がったドレスが似合うだろう。


「申し訳ございません。私の力が及ばず、エリオット様をお諫めすることができませんでした」

「いいのですよ。それより、このパーティーが終わったら私の所に来ませんか?」


 アンネリーナの言葉に驚いて俯いた顔を勢いよく上げたアランドロの表情を見て、アンネリーナはクスクスと笑う。驚いて見ひらいたアランドロの目が、いつもの二倍はありそうだ。


「なんとおっしゃいましたか?」

「ふふふ、私の元に来ないかと打診しているのです。私はあなたの能力を高く買っていますのよ」

「いえ。しかし私はエリオット殿下の側近。あなた様の元に参るなどできようはずもございません」

「えぇ、そうね。あなたは忠義者ですしね。だからこそよ。無理にとは言わないわ。パーティーが終わってからゆっくり考えて、もし私に力を貸そうと思ったらいつでも来てちょうだい」


 アランドロの目に涙が浮かんでいる。


「なんと、身に余るお言葉」


 アランドロが言葉を詰まらせ下を向いて顔を隠した。


「お待ちしていますわ」


 そう言うとアンネリーナはジェイルの元へ向かった。


「ジェイ」

「アンネ」


 ジェイルは友人との歓談の場から離れアンネリーナの手を取った。


「もういいのかい?」

「ええ。そろそろ、ご挨拶に行きましょう」

「あぁ、そうだな」


 アンネリーナがジェイルの腕に自分の手をかけると、二人は国王と王妃の元へ向かった。


「父上、母上」

「おお、ジェイにアンネ」


 ジェイルとアンネリーナは両陛下に挨拶をした。


「それで、決めたのだな?」

「はい」


 アンネリーナがうなずいた。


「そうか」

「おめでとう、二人共」

「ありがとうございます」


 ジェイルとアンネリーナは見つめあって微笑んだ。


「では、行こうか」

「はい」


 国王と王妃が椅子から立ちあがり前へ進みでる。アンネリーナとジェイルは国王夫妻より一歩後ろに控えた。


「皆の者!」


 国王の声が会場に響いた。一斉に振りかえる貴族たち。


「な!!」


 玉座に気がついたエリオットがギョッとした。自分以外の王家の者とアンネリーナが玉座の壇上にいたのだ。


 慌てて玉座に向かおうとするエリオットを国王が鋭い声で制した。


「止まれ! エリオット!」

「え?」


 エリオットの横にはキャロルがいて、エリオットのジャケットの裾を掴んでいる。


「陛下よりご報告がある。聞いてもらいたい」


 王妃の口調はとても穏やかなのに、何も言わせない凄味がある。王妃の言葉にエリオットは動けずにいる。

 国王は全体を見まわしてから、エリオットに目を遣り、口を開いた。


「今日は皆に嬉しい報告ができることと相成った」


 人々は静かに国王の言葉を待つ。ほとんどの者が次の言葉を予想できている。というより、この状況で予想できない方がおかしいのだ。


「我が息子第二王子ジェイルと、ヘーゼル伯爵家が令嬢アンネリーナの婚約が成立した。それに伴い第二王子ジェイルを王太子とすることをここに宣言する」

「何をおっしゃっているのですか!!」


 国王の言葉が終わるか終わらないかの内にエリオットが声を上げた。周りはエリオットを冷めた目で見ている。本来ならお祝いの言葉が上がるはずのこの時に、不敬にも程がある、と。


「お前こそ何を言っている、エリオット。お前はまず先陣を切って祝いの言葉を述べる立場ではないのか?」

「なぜ私がそのようなことをしなくてはならないのですか?」


 真っ赤な顔をしたエリオットからは、普段の穏やかな様子は少しも見られない。


「私はアンネの婚約者です。何がどうしてこんなことになっているのですか!」

「まさかそれも分からないとは情けない奴だな」

「なんですって」

「何もわかっていないエリオットのために、恥を忍んで説明してやろう。この機会に我が王国の国法を知らぬ無知な者もしっかりと心に刻むがよい」


 そう言って国王が見やったその先にはキャロルがいた。


「我がサンドビーク王国がギガン帝国から独立を果たす際に、国民を率いた英雄こそ初代女王エザリス。独立を果たしたのちも、我が王国は女王が統治してきた。しかし、何代も王女が生まれない時代が続き、次第に男児が国王となって国を治めるようになり、女王の時代はいつしか終わってしまった。しかし、構図が変わっても変わらない国法がある。女王の器を持つ令嬢を王妃に迎えること。そして、王妃が選んだ逑となるものがこの国の国王となる、ということだ」

「そんなこと知っております。ですから、私がその逑となり国王となるのではないですか」

「……」


 国王は大きな嘆息を吐く。


「女王の逑となる者は、女王に認められた者だけだ。初代女王は少々夢見がちでな。能力のある美丈夫と愛し愛される関係を築きたいと言った。その後に選ばれる女王たちの逑も、女王を心から愛し女王も心から愛する者のみが選ばれてきた。女王と王配の間に王女が生まれなければ、女王が他家の貴族令嬢の中から女王にふさわしい者を選び、その選ばれた令嬢が王子の中から逑を選ぶ。もちろん貴族令嬢が女王になることはない。しかし、その器がある者を王妃に選んできたのだ。それがずっと守られている国法だ」

「それで、なぜ私ではないのですか!私はアンネと十三年間婚約関係にありました。それをなかったことにするおつもりですか!」

「勘違いするなエリオット。お前とアンネリーナ令嬢とは仮婚約だ。同時にジェイルも仮の婚約者であることを忘れたか!」

「しかし、ジェイルは仮の婚約者という立場を辞したはずです」


 確かにジェイルは三年前、エリオットに臣下として支えるつもりだと言った。しかし――。

 エリオットの言葉を聞いて大きく溜息を吐いたジェイルが一歩歩み出た。


「父上、よろしいでしょうか?」

「……許す」


 ジェイルが玉座のある壇上からエリオットを見おろす。エリオットはジェイルを睨みつけた。


「兄上、私が言ったことを覚えておいででしょうか?」

「何のことだ」

「私は、兄上に申し上げたはずです。兄上が、アンネリーナに尽くしこの国の発展のために身を尽くすと約束してくださるのなら、仮の婚約者を辞するつもりです、と」

「そうだ、お前はそう言った」

「兄上、勘違いをしないでいただきたい。私は、つもり、といいましたが、その時点では辞してはいませんでした」

「は?」

「当然です。私はアンネリーナを愛しています。愛する女性を託すのですから、兄上がアンネリーナに誠意をもって接していることを見とどけなくては、諦めることなどできませんから」

「では、なぜ辞すると言ったのだ!」

「それは、兄上が国王に相応しいと思っていたからです。兄上が国王となりアンネリーナが王妃となる。そして臣下としてお二人を支えることが私の務めと思っていたからです。しかし、実際にはどうでしょうか? 兄上がアンネリーナを愛していると誰が思うでしょうか? それどころか、次期国王としての責任さえ放棄しているではありませんか。これでは婚約者を辞することなどできません」

「なんだと」

「学園は小さな社交場です。信の置ける者を作り、優れた人材との人脈を広げる場です。兄上はその貴重な場をどのように過ごされたのか」

「なっ、それは」

「あなたの腕にしがみ付いている令嬢、カンディアル男爵令嬢でしたか。彼女との親睦はとても深まったようですが」

「口を慎め、ジェイル! 何を意味深長に品のない言いがかりをつけようとするのだ」

「言いがかり? 果たしてそうでしょうか? 学園は小さな社交場であると同時に、下世話な噂が簡単に広まる場所でもあるのですよ? 一体どれだけの人間があなた方の関係に不貞を疑っているか」

「な?」


 エリオットは蒼い顔をして辺りを見まわす。ようやく自分が醜聞の主人公になっていることに気がついたようだ。


「まさかカンディアル男爵令嬢を側近に置くわけでもございますまい」

「でも!」


 今まで、エリオットの腕にしがみ付いて身を隠していたキャロルが一歩前に出て声を上げた。


「リオ様は」


(リオ様。彼女はリオ様と呼んでいるのね)


 扇で口元を隠しているアンネリーナの口角が上がる。リオとは家族など極々親しい間柄の者だけが呼ぶことを許されたエリオットの愛称だ。


「リオ様は、私を唯一の癒しだと言ってくださいました」

「何を! キャロ――」

「リオ様は苦しんでいるんです。アンネリーナ様と一緒にいると、息苦しいと!」

「キャロル! 止めるんだ!」

「リオ様、言わなくてはダメです。心の中に溜め込んでしまっては誰もわかってくれません」

「黙って! 余計なことを言わないでくれ」


 エリオットの顔が蒼くなる。しかし、キャロルは止まらない。

 以前「キャロルは思ったことを素直に話してくれるから嬉しいよ」と言ったことがある。好きな物を好き、嫌なことを嫌と言えるのは心が素直で美しいからだと褒めたのだ。あの時の自分は大馬鹿者だった。今ならそれがわかる。


「それに、いつか私を王宮に呼んでくれるって言ってくれました」

「ほう、何のために」


 国王が聞く。エリオットは大きく舌打ちをして、キャロルがしがみ付いている腕を後ろに振り、キャロルを無理やり自分の後ろにやる。それでもキャロルの口は塞がれたわけではない。身を乗りだして声を張りあげた。


「私を側室として迎えいれるためです!」


 キャロルの言葉を聞いて、貴族たちはざわつき始めた。なぜ、既に側室の話が出ているのだ?


「なんとまぁ」


 アンネリーナは呟いた。国王は片手で両目を覆い、王妃は持っていた扇を床に叩きつける。ジェイルは首を振り呆れ顔だ。


「なに? なによぉ! リオ様は第一王子よ。王太子になって国王になるの。その王子が私と約束をしたんだから、何もおかしなことないじゃない!」


 キャロルは顔を真っ赤にして喚きちらす。エリオットは真っ赤な顔をしてキャロルを睨みつけ、しがみ付いていた腕を振りはらった。


「キャ!」


 勢いよく尻もちをついてしまったキャロルは、蒼褪めてエリオットを見あげる。


「リオ様……なに?」

「黙れと言っているのに、余計なことを」


 今まで見たことのないエリオットの鋭い視線と、地を這うような低い声にキャロルは身を震わせる。


「兄上、暴力はいけません」


 ジェイルの言葉にエリオットは睨みつけることしかできない。


「父上これは何かの間違いです。カンディアル男爵令嬢は妄想が激しく、ときどきわけの分からないことを言いだすのです」

「ひどぉい…」


 床に座り込んだままキャロルは泣きだした。


「カンディアル男爵令嬢、少し黙っていてくれないか」


 もはや優しいエリオットはどこにもいない。再び壇上を見あげたエリオットは、普段の優しい顔に戻って優しくアンネリーナに話しかける。


「アンネ、私は君を愛している。なのになぜこんな酷い仕打ちをするんだい」

「まぁ、私がエリオット殿下に酷いことを?」

「エリオット殿下などと言わずいつものようにリオと呼んでくれ」

「まぁ、そうでしたわね。以前はそのようにお呼びしていましたね。でもそれも昔のことですわ」

「アンネ!」


 顔を蒼くしたエリオットは言葉を失った。


「アンネ、そんな酷いことを言わないでくれ、私は君を愛しているんだ」


(なんと白々しい。この人はいつからこんな三文芝居ができるようになったのかしら? そういえば私とは行ったことのない演劇鑑賞に、キャロルさんと行かれたとか。ふふ、そこでお勉強されたのかしら?)


「お前は何を言っているのだ。お前はアンネリーナを愛しているのか」


 国王の強く握りしめた手の平には爪が食いこんでいる。


「もちろん愛しています」

「では、アンネリーナに聞こう。そなたはエリオットを愛しているか」

「……いいえ、まったく」

「な、何を言っているのだ、アンネ!」

「黙れ、エリオット!」


 国王の怒号のような鋭い声にエリオットのみならず、会場の貴族たちが震えた。


「お前の愚行は全て私達の耳に入っている。そんな白々しい言葉など聞くに堪えん。折角の祝いの席を台無しにしおって」

「父上は私が憎いのですか」

「なんだと?」

「このような場でそんな心無いお言葉を浴びせるなど、それしか考えられません」

「馬鹿馬鹿しい」


 国王は言葉を吐きすてた。まさか自分の息子がここまで愚かであったとは知らなかった。エリオットの愚行を注意してもまったく改める気配がなく、アンネリーナには頭を下げて謝ったこともある。なのにこの愚息は言うに事欠いて憎んでいるだと。

 すると、アンネリーナが前に進み国王へ発言の許可を求めた。


「エリオット殿下」

「アンネ……」


 アンネリーナの瞳には慈愛さえ宿っている。


「エリオット殿下、このドレス素敵でしょう?」

「え? あ、あぁ、とても似合っている」

「ジェイル殿下がプレゼントしてくださいましたの」

「は?」

「このドレスはジェイル殿下がデザインしてくださった、特別なドレスです。とても素敵で私のお気に入りですのよ」

「ジェイルが……なんで……」

「エリオット殿下がプレゼントしてくださったドレスは、ドレッサーにしまってありますわ」

「なぜ? なぜジェイルのプレゼントなんて」

「あらやだ、エリオット殿下。今も、そしてダンスをしたあとも、とても似合っていると褒めてくださったのに」

「それは私が贈ったドレスだと思ったから…」

「そう、エリオット殿下は私にどんなドレスを贈ったのかさえ、覚えてはいらっしゃらなかった」

「……っ!」


 周りの貴族からヒソヒソと声を潜めながらも、時折「やはり」だの「最低」だの聞こえてくる。


「殿下が贈ってくださったドレスは、カンディアル男爵令嬢によくお似合いだと思いますの」


 エリオットの真っ蒼な顔が一変真っ赤になる。


「それから、このネックレス、とても素敵でしょ?」

「……」


 もはやエリオットには出てくる言葉もない。


「ジェイル殿下が私にプレゼントしてくれた、ゴールデントパーズですの。ジェイル殿下の瞳のお色ですわ」


 その言葉に辺りは大きくざわついた。ゴールデントパーズと言えば大変貴重で、アンネリーナの首に輝く石のサイズなどこれまで見たこともない。


「そ、そんな高価な物を、なぜジェイルが……」


 まさか自分の瞳の色だと思っていたものがジェイルの色だったとは。そういえば自分の瞳より少し明るくジェイルと同じ色だ。


「兄上、私は少し事業を興しましてね。その際に鉱山を手に入れたのです。まぁ、ヘーゼル伯爵から助力をいただきましたが、ようやく軌道に乗りはじめまして。その鉱山で見つけたのがこのゴールデントパーズなのですよ」


 ジェイルが説明すると、貴族の間で悲鳴にも似た溜息が聞こえる。正確にはご婦人方や令嬢からだ。


「……なんなのだ、それは」


(一体何が起こっているのだ? 自分がのんびりしていたのか? いや、私はしっかりと次期国王として学び準備をしてきた。それなのに、ジェイルは起業し、財産を作っていただと?)


「ふん、私腹を肥やすことに執着したにすぎないお前に、国王になる資格などあるはずがない」

「別に私は私腹を肥やそうとしたわけではありません。ヘーゼル領で最近賊が人々を襲っているという相談を受け、ヘーゼル領の土地の細かな地図を作成し、賊のアジトを探しだし壊滅し、ついでに手を付けていなかった道を舗装する事業を立ちあげたのです。それが功を奏しまして他の領からも、道の舗装などの依頼が入るようになりまして。今まで領主がそれぞれ行っていた事業を引きうけることで、領の負担も減りとても喜ばれているのですよ。そして、ヘーゼル領内の地図を作る際に鉱山を見つけましてね。問題を解決してくれたお礼にと、ヘーゼル伯爵が私に格安で売っくださったのです」


 ジェイルが、遠くで壇上を眺めていたヘーゼル伯爵に小さく頭を下げて会釈をした。ヘーゼル伯爵もニッと笑って会釈をした。

 エリオットは体を震わせてギリギリと歯噛みしている。


「エリオット殿下。私とあなた様との間にあった出来事について、今ここで語ることは致しません。そんな恥の上塗りをすることが良いこととは思えませんもの。私はジェイル殿下を心から愛しています。私に寄りそい、私を支えてくれたのはジェイル殿下であってあなた様ではないのです。まさか、この期に及んで私を愛しているなどとはおっしゃいませんでしょう?」

「くっ……!」


 エリオットには既に語る言葉もない。いつまでもこの場に居られるほど、図太い神経もしていない。


「私はここで失礼します」


 エリオットは貴族たちをかき分けて会場を出て行った。


「リオ様!」


 誰にも助けられることなくその場に座りこんでいたキャロルは呆然としていた。


「誰か、カンディアル男爵令嬢を外へ連れだせ」


 国王の言葉にカンディアル男爵の子息が駆けより、キャロルを立たせ深々と頭を下げ、逃げるように出ていった。が、一緒に出て行こうとするカンディアル男爵を呼びとめる声。


「カンディアル男爵」


 肩をビクンと跳ねさせおそるおそる振りかえると、アンネリーナが微笑んでいた。こちらへ来いと言っているのだ。人々が二人の一挙手一投足をじっと見守る中、アンネリーナは壇上から降りて男爵に近づくとニコリと笑顔を見せた。


「キャロルさんに社交界は早すぎましたね。ところで、この責任どのように取るおつもり?」

「ひっ!」


 ガタガタと震える男爵の顔が先程よりさらに青褪めている。


「は、はい、娘は修道院に送ります! それと! それと、私は爵位を息子に譲り領地へ下がらせていたきます」

「そう、それはいい考えね。……でも、あなたの事業はどうなるのかしら? こんな不祥事を起こした家にまだ信用はあるのかしら?」

「そ、それは…」


 男爵の冷汗は止まらない。


「私が、力を貸してあげてもよろしくてよ」

「は……?」

「まともな教育も施せなかった令嬢が、王妃殿下の誕生パーティーで数々の失言。私への侮辱は延いては王家への侮辱。ねぇ? あなたと取引をしたいと思う方はまだいるかしら? 噂って本当に怖いのよ? 王家に睨まれたカンディアル男爵の名ではいずれ事業が立ち行かなくなるわ。そう思わなくて? だから、私が手を貸してあげると言っているのです」


 それは、カンディアル男爵の事業をアンネリーナの名で継続する。つまり事業をアンネリーナに譲るということだ。

 がっくりと肩を落とした男爵は力なく答えた。


「すべてあなた様のお言葉に従います」


 アンネリーナは満足そうにうなずく。


「よく決断なさいました。このままで、爵位の没収は逃れられませんでしたからね」


 アンネリーナの言葉に男爵はますます青い顔をする。


「まぁ、そんなに心配なさらないで。私は意外とやり手なのですよ」


 アンネリーナの美しい笑顔には有無を言わせない凄味があった。


 ジェイルの元へ向かうアンネリーナの背中を見ながら、男爵はキャロルを引きとったことを後悔した。


 娼婦との間にできたキャロルを養女として引きとる時には、適当な高位貴族の家に嫁がせることを考えていた。キャロルの見た目は悪くない。後妻や愛妾を欲しがるような年が離れた相手にでも上手く押しつけてしまえば、何かしらの旨味があるだろうと思っていた。


 そんな下心だけで引きとったが、キャロルが学園に入学して半年も過ぎたころから、誰からか贈り物が届くようになった。送り主を見れば名前は伏せてあるものの、ドレスは王宮専属の一流店からだ。


 まさか、王族が? 第一王子のエリオットか? それとも、婚約者が決まっていないと言われている第二王子のジェイルか? いや、べつにどちらでもかまわない。


 想像以上の大物を引っかけてきたと知ったときは、引きとった甲斐があったとほくそ笑んだのに。うまくいけば今日あたり、王家から婚約の打診くらいあるかもしれないと思っていたのに。

 まさかこんなことになるなんて。




 翌日エリオットの処分が決まった。王家を除籍され一代限りの伯爵を賜った。ずいぶんと甘い処分だとジェイルはぶつぶつ文句を言っている。


「ジェイ、そんなこと言わないで」

「だってアンネ。兄上は結婚したら三年間避妊薬を飲んで、あの男爵令嬢を側室に迎えるつもりだったんだよ? そんなバカな話ないよ」

「本気でそんなことができると思っていたのかしらね」


 アンネリーナはクスリと笑った。

 この国は女王を国の頂点に据える本質を変えてはいない。表向きは国王が統べる国としているが、重要な物事に対する決定権は王妃にある。もちろんそれを知る者は王族とごく一部の上位貴族のみ。


 サンドビーク王国は建国以来、女王が国を統べることで平穏が保たれてきた。


 しかし何代か王女が産まれない時代があった。その度に国は重大な問題を抱えて人々を苦しめることになった。二百年程前、当代の女王が病気で急死し、王配も女王を失うと無気力になり、表に立つことができなくなった。女王の子は王子が一人だけ。そこで、やむなく若い王子を即位させ、国を統治することになった。すると、それまで続いた平穏が音を立てて崩れて始め、隣国との小競り合いや災害、それに伴う飢饉や疫病、あらゆる問題に頭を抱えることになったのだ。


 そんな中、人々を混乱から救ったのは一人の貴族令嬢だった。若い国王を支え、人々の先頭に立ち家門の財と権力を使って周りを動かし、復興に力を入れた。そして、次第に令嬢を王妃にと言う声が上がった。国王は未熟でその周りを固める臣下は無能扱い。国王に対する国民の支持が急下降している中、高まる令嬢の求心力は喉が出るほど欲しいものだった。若い国王は令嬢に求婚をし、令嬢がそれを受けいれ二人は結ばれた。


 その時に交わされた条件は、令嬢を国政に参加させるなら、結婚をしてもいい、というものだった。物言いは上から。へりくだることもなく国王を見つめる令嬢に怒りを露わにする老臣を横目に、若い国王は「いいだろう。私が傀儡の王となってあなたの役に立とう」、そう言って笑ったと言う。


 それ以来、サンドビーク王国では、女王が誕生しなかった場合、国王には傀儡となれる者、王妃には国を統べることのできる者が選ばれてきた。もちろんのアンネリーナもその素質を持った者。

 そして、エリオットは傀儡の王に相応しい男のはずだった。もっとはっきり言えば、傀儡の王のフリができる男だと思っていた。

 決して情熱的に愛しあう二人ではなかったが、友人のように兄弟のように過ごしてきた関係だし、静かに愛を育むことができると思っていたのだ。


「少し読み違いをしてしまったのね」


 まさか、このような結果になるなんて。


「あんなに愚かな方だとは思わなかったわ」


 全てを理解していると思っていた。しかし、そうではなかった。国王は国を統べるものとエリオットは至極単純に理解していた。誰も傀儡になれと教えはしない。それを理解するだけの能力がなければ国王は務まらない。


 エリオットを国王に選ぼうとしていたもう一つの理由はもちろんジェイルだ。エリオットより優秀なジェイルを国王にするより、臣下としてエリオットとアンネリーナを支える方が有用だと国王夫妻とアンネリーナは理解していた。

 だから、アンネリーナを諦めてほしい。そう言ってジェイルに頭を下げたのは王妃だった。ジェイルは拳を握りしめて無言でうなずいた。


 しかし、ジェイルが学園に入学してしばらくすると、エリオットがキャロルに入れこみ始めた。ジェイルがどれだけ止めても、国王がどれだけ注意しても聞く耳を持たないエリオットが、そのとき何を考えていたのかは誰にもわからない。だが、誰もが幼稚な反抗心か、と冷めた目で見ていたのは確かだ。

 エリオットは傀儡になれる器ではない。

 そう言葉にしなくても皆の心では呟かれていた。





「リオはちょっと自分にとって都合のいいことを考えてしまったのね。私も悪かったの。彼の気持ちをもっと理解していれば、あんなことにはならなかったわ」

「君は悪くない、兄上の心が弱すぎたんだ」

「そうね、彼は弱かったかもしれない。現実から逃げてしまったから。でも、きっと立ちなおると思うの」

「アンネは優しすぎるよ、僕は伯爵の爵位を賜ったことだって寛大な処置だと思っているのに」

「私はたった一度の失敗にしては重過ぎる罰だと思っているわ」


 アンネリーナと二人きりだと、ジェイルはひどく幼い口調になる時がある。そんな弟気質もアンネリーナには可愛くて愛おしい。


「私は別に、リオに苦しんで欲しいわけではないのよ。腹が立つこともあったけど、それより長い時間を一緒に楽しく過ごしてきたし、あなたがいたから辛いと思ったこともないし。むしろいろんな人間模様が見られて楽しかったわ」


 アンネリーナは心からそう思っている。元来さっぱりした性格だし、正直に言えばエリオットに恋をしていたわけではないし、常に弟の成長を見守るような気持ちだった。


「私が恋をして、これからもずっと一緒にいたいと思うのはジェイだけなんだから、ほかの人のことなんて正直どうでもいいわ」

「え? あ? うん…」


 そんなことをサラッと言われるとジェイルは顔を赤くしてはにかんだ。普段は男らしく振舞うジェイルだが、不意に言われる愛の言葉にはめっぽう弱くたじろいでしまいがちだ。そんなジェイルの様子を見るのも好きなアンネリーナは、ときどき意地悪な愛の告白をする。


「僕は一生アンネには敵わないね」


 そう言ってアンネリーナを抱き寄せたジェイルは、優しくアンネリーナに口づけをした。





 それから十数年の後に国王位を継いだジェイルとアンネリーナは、国王政に尽力し後世に名君と謳われる素晴らしい国王と王妃となった。










最後まで読んでくださりありがとうございます。




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