第十章 フダラ山地 2.橡と竹
職業柄なのか、「毒」という単語に食い付いたのはディクトであった。
「んじゃけど、毒よか手洗いとか洗いものに使う事が多いでよ」
「んだなぁ」
「「洗いもの?」」
ディクトとヤーシアは怪訝そうな声を上げるが、マモルには思い当たる節があった。あのマーロというのはどう見てもトチノキだ。そう言えば、パリで有名なマロニエの別名もセイヨウトチノキだった。そして、トチノキに含まれる有毒成分と言えばサポニン。水溶液は能く泡立つので洗剤代わりにも使われるが、溶血作用や強心作用、利尿や去痰などの働きを持つ配糖体である。
そして、トチノキと言えばもう一つ……
「アク抜きした後の実を食べたりはしないんですか?」
――橡餅である。
元・日本人であるマモルにしてみれば、橡があれば橡餅を作るのが当然。そういうつもりで訊ねてみたのだが……
「――何ですと?」
呆気にとられたような口調で訊き返された。
聞けばヤト村だけでなく、この国にはトチ……ではなくマーロの実をアク抜きして食べるという習慣が無いようだ。いや、そもそも渋味エグ味のある堅果をアク抜きして食べるという習慣自体が知られていなかった。これには幾つかの要因が関係している。
第一に魔獣の存在がある。現代日本と違ってこの世界では、凶暴な魔獣が棲んでいる森には極力近付かないのがスタンダードである。そのため、野生の果実や堅果、根茎などが採集・利用できるのは、安全な場所に制限される。
第二の理由は、第一の理由とも関連するが、アク抜きや毒抜きをしなくても食べられる種類が多い事である。そのため、態々渋みのある実を食べる必要に迫られる事がほとんど無く、結果としてアクを抜くという発想に至らなかった。
第三に、地球の場合を例にとれば、水晒しの技術は照葉樹林帯で発達した技術だと目されていた事も無関係ではないだろう。ヨーロッパのような硬葉樹林帯では、あまり発達しなかった技術である。マモルたちがいるこの国も地球のヨーロッパと似た条件にあり、そもそも水晒しの技術自体が未発達であった。
斯くいった次第で、ヤト村の住人たちにも、マーロの実を食べるという発想が出てこなかったのである。ついでに言うと、トチの実は水晒しでサポニンを抜いただけではまだ食べられず、更に灰汁で煮てやる必要がある。サポニンを採取した後の実を口に入れた者はいたらしいが、エグ味に閉口して吐き出したらしい。以来マーロの実を食べてみようなどと考える勇者はいなかったとの事であった。
「……待てよマモル……って事は、マーロ以外の実も食えんのか?」
「え? ……あ、うん。水で晒せば多分……あ、ヤーシアの後ろにあるのも多分食べられる筈だよ」
背後にあるのがドングリ……アラカシに似た仲間らしいと見当を付けて【鑑定】したところ、堅果を水晒しして得た澱粉は食用という記述があるのを確認して答えるマモル。
「ほほぉ……ダグの実が食える……」
「こりゃ、村のみんなと相談せねば……」
「食糧問題は一気に解決するのではないか?」
「あ、でも、美味しいかどうかは別問題ですよ?」
ソーマまでが過大な期待を抱き始めたのに慌ててマモルが釘を刺すが、
「確か、マーロは去年の秋採った実がまだ残ってただな?」
「そぃつで確かめてみねばなんね」
「まだ原木の調査が終わってませんってば」
その勢いでとって帰ろうとするのを懸命に押し止めるマモル。マーロやダグの実が食べられると言っても、採集できるのはまだ先なのだ。今は原木の調査こそ優先すべき。
マモル懸命の説得が奏効して、そのまま調査を続ける事になったのだが……
・・・・・・・・
「何か向こうの方が明るいぜ?」
「一人で行っちゃ駄目だからねヤーシア」
つい先程も、一人先行したヤーシアを狙って魔獣が襲いかかって来たばかりなのだ。まぁ、先に気付いたマモルが先手を取って仕留めたのだが。
ちなみに、マモルたちはここまでに結構な数の魔獣を確保している。マモルのスキルが大活躍した結果だが、臭いに敏感なイヅナがマモルより先に魔獣に気付く事も度々あり、大いに面目を施していた。
「何だ、崖になってんのか」
「だから……危ないから先に行っちゃ駄目だってば。落っこちたらどうすんのさ」
「そんなヘマはしない……って、マモル? どうかしたのか?」
「いや……あれって、竹だよね?」
「タケ? あの変な木か?」
マモルが崖下に見つけたのは竹林であった。それも孟宗竹のような太い竹ではなく、かつて日本で矢柄に使われていた矢竹というやつに似た種類である。どうもこの国では――少なくとも一般的には――知られていない植物のようではあったが……
この日のマモルの発見は、食糧に引き続き矢の問題の解決にまで一石を投じる事になったのである。




