第五章 ベイル出向
(全く……何だってこんな事になっちまったんだか……)
浮かぬ顔で出陣の準備を整えているのはソン・ベイル。先頃シカミ家に雇われた傭兵団の団長である。
なのに……現在彼がいるのはシカガ領の最前線。雇われた筈のシカミ領を離れる事、南に三百キロほどのシカガ領。見込み違いもいいところである。要はシカミ家からシカガ戦線への出向を命じられたわけだが……こういう妙な事態になった原因は、元を質せばベイル自身の所業にあった。
発端となったのは、ベイルの蛮行とシカミ領主の態度に愛想を尽かしたヤト村が、村を挙げてフダラ山地に疎開した事であった。実はこのヤト村、大量というほどではないが良質の炭をそこそこの量生産しており、炭市場における存在感は無視できないものがあった。そんなヤト村が村を挙げての失踪――後に疎開と知れたが――である。炭商人たちが混乱したのも無理はない。
原因はともあれ、ヤト村からの炭の供給が途絶えた以上、その分をどこかから持って来るより他は無い。特に良質の炭が問題であった。上客からの要求に応えるべく、炭商人たちはやむを得ずそこそこの品質の炭を買い集め、その中から比較的良質のものを選別する――それでもヤト村の炭には及ばないのだが――という面倒に挑まざるを得なくなった。
――この事が炭市場の混乱に拍車を掛けた。
商人たちによる炭の買い占め買い集めに思惑買いまで加わって、早い話が炭が枯渇気味となったのである。商人たちが領外にまで買い占めの手を伸ばした事で、炭市場の混乱は連鎖的に拡大していく。ケイツ領では市場の混乱を警戒した領主ジン・ケイツが素早く統制を実施したため、混乱はケイツ領を飛び越えて一気にシカガ領へ伝搬した。挙げ句、シカガ領では炭の買い占めとそれを運ぶ商人たちの荷馬車が目立ち、その護衛に駆り出された冒険者や傭兵が姿を消すという事態になった。
――これに当惑したのがシカガ家である。
ジン・ケイツからの話があった時点で傭兵の雇い入れは開始していたが、あまり早くから雇うと戦が始まるまでに支払う傭賃が増えるという事で、直前まで大量雇傭は見合わせていたのである。何しろ当初の計画では、戦闘正面になるのはここシカガ領。集結する兵士の数も膨大になる。ポツポツとでも雇っていたのは、仕事があるという噂を傭兵たちの間に流す意味が大きかった。
なのに、さぁ募集となった時点で傭兵たちの姿が消えていれば、そりゃ慌てない方がおかしいだろう。
シカガ戦線には他領の兵士も集まっているが、それらの傭兵は各領で雇傭された者たちが送られて来ている。追加の雇傭はできなくなったようだが、作戦計画に支障を来すほどでもない。なのに肝心要のシカガ家だけが、傭兵の数を揃えられないのだ。格好が付かないどころの話ではない。作戦計画自体を揺るがしかねない大失態である。正規兵を廻すにしても、正規兵だけでは自軍の損害が無視できなくなる。
思案に迷ったシカガ家が交友のあるシカミ家に泣きついたというのが、現在ベイルを悩ませている事態の裏事情であった。これには、シカミ家としても自領の正面は信頼できる家臣に任せたいという思惑もあった。得体の知れぬ新参のベイルを重用する気など、シカミ家には露ほども無かったのである。
因果応報と言うか……大廻りに巡り巡っての自業自得であった。
(糞っ垂れめ……こちとらの思惑が全部狂っちまった……だが、まぁ、仕方がねぇか。暴れるだけ暴れて、ベイル傭兵団ここにありってのを見せつけてやらなくちゃな)
ベイルは首を振って頭を切り替えると、今後の展開に思いを馳せる。
どうやらイーサ領を乗っ取る手順は無くなったが、考えてみればシカミ家にしても、自領の真正面のイーサ領をおめおめとベイルに渡すわけが無い。自軍の精鋭を差し向けるなり、ベイルを別の方面に転用するなり、それなりの策は打ってくるだろう。ならば、焦ってこちらの狙いを露呈する事が無くなったのは寧ろ僥倖か?
……そうとでも思わなければやってられるか――という思いも正直言ってあるが、長い目で見れば強ち間違いでもないような気がする。
(……いや……何が間違いとか、そういうんじゃなくて……状況が変わったら、その都度最適な方針を選び直すべき――とか言ってたっけな、あの爺は)
ベイルはつい最近味方に引き入れた、学識高い老軍師の台詞を思い出していた。