おませな9
海釣り。
それは私の趣味だ。
川や湖のほうではない。
もちろん、そちらでやる釣りもいいものだが、私は釣ったら食べるを信条としている。川魚も一応は食べられるのだが、下処理が面倒だ。
ゆえに、家の人間が調理に手間のかからないという理由で、海を選んでいる。
海釣りにも色々ある。
皆がまず思い浮かべるのは、棒のようなウキが水面を漂う釣りだろう。
それは文字通り、ウキ釣りと呼ばれるものだ。
魚というのは、泳いでいる層が種類によって決まっている。
底のほうにはヒラメやカレイといった魚。中層から上層にはアジといった魚らしい魚が泳いでいる。
もちろん、サイズによって違ったりもするのだが、今はこれくらいで勘弁してやろう。
ウキ釣りでは、ウキによって糸の位置を固定し、餌が水面から一定の距離になるように調節する。これによって、底層、中層、上層と、狙う層を決めることができる。ちなみに層のことを「棚」と呼ぶのが釣り人の常だ。
「そうして、のんびりと釣り糸を垂らし、ウキを見つめる。
魚が食いつく合図であるウキが引っ込むのを、ひたすらに待つのだ」
と、思っている人は、釣り初心者だ。
実はウキ釣りというのは、針に餌を付けて待つだけでは、よっぽどではないと釣れないのだ。それこそ、一日粘っても釣れないこともある。
釣れないことは、ボウズと呼ばれる。
この言葉は釣り人に恐れられている。
ゆえに、釣りには必ず、帽子をかぶっていかなければならない。
これは絶対の掟の一つだ。
帽子をかぶらなければ雷が落ちるのだ!
……話が逸れた。
ではウキ釣りではどうするのか。
それは撒き餌だ。
餌を撒くことによって、魚の群れを呼び寄せるのだ。
この作業が意外と忙しい。
釣り糸を垂らす。撒き餌柄杓を振って餌を撒く。ウキが沈めば、魚がかかるように竿を立てる。
そこで釣れれば良いが、餌だけ取られていることもある。目的の魚と違ったり、サイズが小さければ海へ返さなければならない。
この流れをとっても、すこぶる面倒なのだ。
のんびりとウキを見て過ごすことができない、忙しい釣りが、ウキ釣りなのだ。
ゆえに、私はウキ釣りはしない。
ならば何をするのかと聞きたいだろう。
そう、私はチョイ投げという釣りをしている。
これはお手軽で初心者向けの釣りだ。
糸に錘を付け、その先に糸、そして針に餌という順で仕掛けを付けてある。それを竿を剣道のように振って遠くに飛ばすのだ。
ウキがないので、底の魚を狙うことになる。
だが、手間はそれだけ。お手軽この上ない。
しかし、一つだけ、大きなハードルがあるのだ。
それは餌の種類だ。ウキ釣りは、小さなエビに似たオキアミというものを使う。
だが、こちらは青イソメとよばれるものを使うのだ。
青イソメ。
これは見た目が厳しい。そして、恐ろしいほどに不気味。
ミミズのようでもあり、ソフトなムカデというか、そんな造形を想像してもらえばお分かりいただけるだろう。触れと言われたら、人類の八割が顔を引きつらせる代物だ。魚はこれが大好物なので餌に選ばれるのだ。
これを針に付けるのだが、まず、ここで初心者は挫折する。
そう、私はそれを乗り越えたのだ!
そしてこれから、私はこの、チョイ投げという釣りをするべく、いつもの釣り座へと向かっているのだ。
「今日もかい?」
漁師の英爺が声をかけてくる。私は軽く頷いて返事とした。ちなみに英爺の本当の名前は英一郎だ。
「一人か。気を付けえなぁ。海を舐めたらあかんぞ」
今日は一人だ。いつも行動を共にする、同好の士である田辺氏は今日は用事があるのだ。
英爺は海の男だ。ニコニコと笑顔を向けてくるが、泣く子も黙るベテラン漁師だ。
助言をありがたく胸に刻むと、もう一度、しっかりと頷いて見せた。
英爺も数度、ニコニコしながら頷き返してくれた。歴戦の漁師のお墨付きをもらえた。そのことで、私は、一層気合を入れて釣りに励める。
私は釣り場に付くと、てきぱきと用意をした。
竿にリールを付け、糸を出し、穴に通した。先に用意した仕掛けを繋げ、青イソメを針に付ける。
ここまで流れるように作業をした。完璧だ。
道具はコンパクトにまとめてあるし、足場も再度確認した。ライフジャケットも完璧だが、用心するに越したことは無い。
だが、海は舐めたらいけない。釣りを始める前に、海に一礼をする。
準備はできた。
周りに人がいないことを確認し、竿を振りかぶる。
そして振る。
仕掛けは勢いよく沖へと飛んで行った。
そして今、私は、竿を立てて、アタリを待っている。アタリというのは魚が針にかかったときの振動を言う。
ゆっくりと糸を巻きながら、全身で集中する。
英爺が好きなザトーイチの主人公のように、目をつぶりながら傾げてみたりする。カツシンのザトーイチは漢の中の漢だと英爺は良く言う。私もザトーイチにあやかりたい。
そうして数時間、私は釣りをした。
すばらしい、自然との戯れだった。
道具もてきぱきとまとめ、ゴミも残していないことを確認すると、私は家路を急いだ。クーラーボックスの中には食べられる魚がいくつか入っているからだ。
「おう、釣れたんか?」
再び英爺が声をかけて来た。私は頷いた。
「ほうかほうか。気ぃ付けて帰りぃよ」
私は安心させるように頷いた。
私は家路へと急いだ。
そして、スキップ交じりで門をくぐった。
「ただいま」
「おかえりー。どうだった?」
「たくさん釣れたよ」
「よかったわねぇ。英爺と会った?」
「うん」
「これどうする?」
「塩焼きがいい」
「はいはい。あ、宿題は?」
「今日はないよ」
「シャワー先に浴びちゃいなさい」
「……」
「浴びちゃいなさい」
「わかったよ、おかあさん」
主人公は小学三年生