第5−6話 忘れられない過去と英雄
人は誰しも過去を背負って生きているものだ。
輝かしい過去や忘れたくても忘れる事のできない苦い過去まで様々であろう。
金髪を風になびかせても右前髪だけは髪留めでしっかりと抑えているエヴァは城を逃げ出す様に飛び出すと、住居の建設を行っているジェイクの元へ一目散に走った。
やがて白熊の様に大きな背中が見えてくると、安心したのかゆっくりと歩き始めた。
気がついたジェイクは笑顔で手を振ったが、直ぐに表情を一変させて暗い顔をしているエヴァに近づいていった。
心配そうに見ている顎髭は巨体をくの字に曲げてエヴァの顔を見つめている。
「あの狐に何か言われたのか?」
「い、いや・・・でもやっぱり怖くなって・・・」
蛇に睨まれた蛙の様に白い顔をさらに青ざめさせているエヴァの滑らかな唇は小刻みに震えていた。
細い肩に大きな手を当てると、優しくうなずいた顎髭ことジェイクは彼女の過去を知っている様子だ。
過去に何があって右目を見られる事を極端に嫌っているのか。
建設現場で作業員の仕事を見ながら資材に腰掛けたジェイクとエヴァはタバコを吸い始めた。
口から吐かれる白い煙をぼんやりと見つめる二人は天上界に来るまでに体験した壮絶な過去を思い出していた。
これは下界での出来事だ。
小さな町で偶然、同じ病院で生まれたジェイクとエヴァはすくすくと育っていった。
偶然はさらに続き、ジェイクの父親とエヴァの父親はかつて戦争で共に戦った戦友であったのだ。
互いに同時期に子供が生まれた事から、再び顔を合わせる事が多くなった父達は銃ではなく、我が子を手にして互いの幸せを神に感謝していた。
だが、エヴァの父親は愛する娘のある異変が気になっていた。
その異変はエヴァが大きくなり学校へ通うと表面化していったのだ。
小さな町はハロウィンで賑わっている。
エヴァは魔女の黒いローブを着て、魔法の杖を持ってお菓子を求めに他人の家へとジェイクと共に向かった。
ドアをノックすると住人が出てきて、お決まりの台詞を放つのだ。
『トリック・オア・トリート!!』
ジェイクと共に声を合わせて放ったお決まりの台詞を噛まずに言い終えたエヴァは、にこにこと笑みを浮かべながらお菓子を貰えるのを楽しみに待っていた。
しかしドアを開けた住人とその子供はエヴァを見るなり表情を曇らせた。
住人の子供はエヴァと同じ学校に通っている少年だったが、お菓子を求める魔女の顔を見るなり衝撃的な言葉を放った。
「エイリアンだ・・・ママ!! こいつの目はいつもこうなんだよ!!」
「そんな事言っちゃダメでしょ!? ごめんねえ」
エヴァの顔を見るなりエイリアンと言い放った子供は次の瞬間には殴り飛ばされる事となった。
ハロウィンだというのにスーパーヒーローの衣装を着ているジェイクが少年を殴り飛ばすと、馬乗りになって何度も殴ったのだ。
慌てた少年の母親がジェイクを突き飛ばすと、お菓子を渡す事なくドアを閉めたのだ。
玄関前で下を向いているエヴァの瞳からは笑顔は消えて、涙が溢れていた。
「いつも言われるの・・・ねえジェイク・・・どうして私の目はこうなのかな・・・」
下を向いているエヴァの足元には水たまりができ始めていた。
水に反射して写る自身の嫌いで仕方のない瞳が覗かせている。
深い海の様に青くて綺麗な左目に対して、豊かな平原の様に黄緑色の右目が写っていた。
エヴァは人間にしては珍しい左右非対称な瞳を持って生まれてきたのだ。
素敵な瞳だが、実の父親までエヴァの右目を疑問に思って髪の毛を伸ばさせて隠していた。
学校に通えば、好奇心旺盛な少年達のいい遊びの的であったのだ。
だがエヴァの悲劇はこの程度では収まることがなかった。
やがて高校生になったエヴァは小さな町から電車に乗って大きな町の高校へと通っていたが、偏差値の高い学校だった事もありジェイクとは共に通学はできなかった。
ジェイクは高校に進学する事なくバイクを乗り回して、警察に追いかけられる様な青春時代を送っていた。
そこで出会ったのが、顔髭ことホーマーだ。
警察に止められるほどの大喧嘩をしてから意気投合した二人はバイクを乗り回していた。
方やエヴァは容姿端麗ようしたんれい才色兼備で勉強も非常に優秀な成績で名門高校へ進学したが、それが彼女の惨劇の学生時代の始まりとなった。
大人の階段に片足をかけた高校生達は調子に乗り始める年頃というわけだ。
人三倍も四倍も可愛らしいエヴァは女子生徒達からのいじめの対象になったのだ。
「あらエイリアンちゃん。 ここは地球よ? 火星はあっち」
そう言いながら空を指差す女子生徒はエヴァを突き飛ばすと、唾を吐きかけた。
反撃すれば激化するいじめに怯えながら、静かに日々を送っていた。
机に落書きされる事やトイレに入っている時に水をかけられるなんて事は日常茶飯時だ。
永遠に続くとも思われる日々に限界が来たエヴァは生きる事への活力がなくなり始めていた。
だがそんな時に出会ったのが、教会の神父だ。
エヴァは自身の身に起きている悲劇を吐き出す様に涙ながらに話すと、神父は胸を痛めていた。
「今は辛くても生きる事を諦めてはならないよ。 神は見ておられる。 君が強く生きていく事をね。 さあ一緒に祈ろう」
どうかこの永遠に続く苦痛から解放されます様にと、祈りはしたがエヴァは決して信じてもいなかった。
神という目に見えない存在に対してエヴァは疑問を覚えていた。
幼少期から母親に連れられて教会へ行く事があったが、神の存在を感じた事など一度もなかったのだ。
それどころか、神がいるのなら何故自分だけ人と違う右目でここまで苦痛を受けなくてはならないのかと憤りすら感じていた。
神父の言葉を聞いても決して救われる事のなかったエヴァはこの永遠にも感じる苦痛に耐えようと決心していたある日の事だ。
名門高校の前に凄まじい数のバイクが集結していた。
決して関わりたくない様な容姿のバイカー達がタバコを口に咥えながら、たむろっている所にエヴァが通学してきた。
「おーいエヴァ!!」
「じぇ、ジェイク!?」
「同じ学校に行けなくて悪かった・・・俺馬鹿だからよお・・・」
久しぶりに再会したジェイクに歓喜しているエヴァに微笑んで、薄っすらと生え始めている顎髭を触っている大男はバイクから降りるとバットを持って学校へと足早に進んでいった。
すると同じく薄っすらと顔髭を生やし始めているホーマーや仲間達もバットを手に学校へと進むと、次の瞬間には驚愕する事を始めた。
ジェイクが学校の窓ガラスをかち割ると、仲間達も次々に同じ蛮行を始めたのだ。
直ぐに警察が駆けつけると、ジェイクは高笑いをしながら立ち去った。
その日を堺にエヴァへのいじめは完全になくなったのだ。
もっとも、危ないやつと知り合いという事から嫌悪されている事に変わりはなかったが、いじめを受けなくなった事でエヴァは勉強に集中できた。
「これで十分だよ・・・ジェイクは私のヒーローだよ・・・」
どういうわけか、ジェイクというヒーローにはエヴァの悲鳴が聞こえていたというわけだ。
高校を卒業したエヴァは父親と同じ軍人になる事を決意したが、高い教養から将校しょうこうとして入隊した。
将校とは階級の高い軍人の事だ。
難しい試験を合格しなくてはならないが、エヴァには簡単な事だった。
「私も誰かのためになれるかな・・・」
そして複数の喧嘩で逮捕されていたジェイクとホーマーは偶然にもエヴァの部下として入隊する事になるのだった。
立派な髭を生やして、口角を上げて敬礼している。




