第3ー14話 竹子の恋しい思い出
衝撃音と激痛が襲っている。微かに感じる妹の温もりと、床の冷たさが妙に心地よい。できることなら、このまま倒れていたい。竹子は、目をつぶったまま、そんなことを考えている。
「恋をした相手のために死ねるなら、幸福かな......」
激痛のあまり、体の感覚すら曖昧だ。聞こえてくる敵将バイロンの咆哮が、迫ってきている。虎白の忠告に従い、あの怪物の相手は、虎白に任せればよかったのだ。
あの時なら、アルデン王もいたのだ。いくらバイロンが怪物とはいえ、決して負けることはなかったはず。
「無理しすぎちゃったかな......虎白は強いからきっと勝てたよね......」
最後に愛する者の顔を思い浮かべよう。しかし、妙なことに虎白の愛おしい顔が浮かばない。浮かぶのは、虎白が相手の動きを前もって知っているかのように第六感を扱いながら戦う姿だ。
あれはどのように行っているのだろう。
いつだったか。天上界に来るよりも前のある日だっただろう。竹子は、虎白に第六感の秘密について尋ねたことがあった。
「人にだって第六感というのは眠っているんだ。 誰にだってある。 竹子にも笹子にもな。 新納やとんがり帽子達にだってあるはずだ」
笹子が、新納と楽しげに話している姿を横目で見た。周囲で笑っているとんがり帽子達にも第六感が眠っている。
竹子はその神業とも言える技を習得できないかと考えた。
「私にもできるかな......」
努力して鍛錬すればできる。だから一緒に頑張ろうな。そんな言葉を期待していたが、虎白の表情は曇り、何も返答しなかった。
しばらく黙っていた虎白を見て、何か気に触ることを言ってしまったかと不安になった。
「で、できないよね......」
「できないというより、習得してほしくねえ......」
「ええ? どうしてよお?」
「あの技は、一度死にかけねえと覚醒しねえんだよ......」
竹子は何を言っているのか理解できなくなった。ではつまり、第六感を自在に操る虎白は、死にかけたことがあるということか。
表情を曇らせたままの虎白は、竹子に顔を接近させた。どこか悲しげな表情をしている。
「お前が死にかけるなんて考えたくねえ......いつも俺を見て微笑んでくれるあの笑顔が生き甲斐なんだ。 青ざめて、虚ろな瞳が消えていくお前なんて嫌だ......第六感が覚醒せずに死ぬことだってあるんだ......」
いつの日か。そんなことを言われて、第六感なんて技を覚えるなと念を押されたことがあったのを、死に際に思い出した。
きっとこれは走馬灯というわけだ。
「ふふ......虎白の顔思い出せた......大好きだよ虎白......」
ツンドラの英雄の咆哮が近づいてくる。恐らくあと数秒もないであろう。その時、竹子は思った。せめて最後まで抵抗の意志を示すためにも、バイロンの顔を睨んだまま死ぬことにしようと。
重たいまぶたを懸命に押し上げて、目を見開いた。その時だ。バイロンの動きが、信じられないほどゆっくりと動いて見える。振りかざされた大剣の軌道がはっきり見え、回避するのは容易に感じる。
「も、もしかしてこれが......」
竹子は激痛に耐えながら、最後の力を振り絞り、刀を持った。なおもバイロンの動きは遅い。しかし、竹子自身の肉体も悲鳴を上げているのか、思うように動かない。
「あと一太刀......敵将の急所にあと一太刀だけ入れさせて......どうかお願い......動いて......」
悲鳴を上げる体を死ぬ気で動かした。
すると、ゆっくりに見える景色の中で、刀がバイロンの心臓へと突き刺さっていく。だが、ツンドラの英雄は再び刀を素手で掴んだのだ。
「何も悔いはないよ! 私だって虎白の役に立ちたい! 死者が行くと言われている到達点とやらまで、ご同行願うバイロン殿!」
それは、もはや倒れたようなものだ。刀を突き刺したというより、一度突き刺さった刀に倒れ込んだ。
竹子は刀を離すことなく、バイロンの心臓を貫いた。
「ぐ、ぐはあっ......お、女......答えろ......命を懸けるに値するのか......」
「え、ええ......それはそれは......何度でも死ねるほどに......」
バイロンは大の字になって倒れた。竹子は、彼の上で倒れている。やがてフラフラと立ち上がったのは、笹子だ。
「あ、姉上......」
ヨロヨロと歩いていく笹子は、バイロンと竹子を見た。そこで見たのは、まるで春風を満喫しながら、うたた寝でもしているかのように、穏やかな笑みを浮かべて目をつぶっている両者がいた。
「あ、姉上ー! 嫌だ! 姉上起きて!」
「う......うう......笹子?」
「姉上!」
ツンドラの英雄バイロン討ち死に。この瞬間を持って、道場での戦いは終わりを迎えた。ノバガードは衝撃を隠せず、スタシア王立近衛兵に斬られていった。
幾多の危機を救ったツンドラの英雄は、ここに散ったが、その最期は不可思議なほど穏やかであった。まるで何かを託したかのように、やり遂げた表情をしているのだった。




