01.硝子玉
夢を見ていた。記憶にも薄いけれど多分幼い頃に経験した気がする、そんな既視感に包まれた夢を。
俯瞰する風景が悠然と物語る。木々が鬱蒼と生い茂った暗い山中を、木の葉の隙間から漏れる月の光を頼りに、今にも泣き出しそうになりながら殊更慎重に歩いている。しきりに背後、横の藪を警戒し、人の気配に驚き駆け出してくる小動物にもみじめに総身を震わせながら。
自分でも何でこんなところを、こんな夜遅くに歩いているか解らない。でも足を止めればそこで自分の生命は終わってしまうと異常なまでの焦燥感を抱きながら山中をひたすらに進んでいる。足を引きずって歩く事すら許されない、切迫した表情。疲労をその幼い顔に色濃く刻み、光の無い瞳でただ暗闇の中を見つめている。
ゆらめく『俺』自身の意識は、心なしか少し高い位置で幼い俺を追従するように動く。何とも奇妙な浮遊感を持ちながら、彼の歩みに引きずられるようにして前に進んで行くのだ。そこに『俺』の自由意志は当たり前ながら存在しない。俗な例え話になってしまうが、首輪に紐を括りつけられた犬に状況は似ている。
――長い、長い道程だった、身体の大小では済まされないと感じられるほどに。独特な響きを持った魔獣たちの反響する咆え声に竦み上がるのは仕方無いにせよ、小動物が草むらを揺らす僅かな音にすら過剰に反応するほど。想定外の事態に対応する為、必死に皮膚感覚を尖らせて俺は一歩、また一歩と歩みを進める。その度に倒れそうになるくらいに、恐ろしく神経を擦り減らしていた。
『俺』は、懐かしさと新鮮さを混ぜ込んだ色彩で当時の俺を俯瞰する。どこか他人事のように思えるのは実際あの時の記憶が『俺』の中にほとんど無いからだ。覚えている記憶が薄すぎて、どうやってあの惨劇の中を逃げ果せたのか正直解らないと言っていい。
這う這うの体で途方も無い距離を歩き、目の前に広がる闇夜も朝日によって白み始めた頃、やっとのことで幼い俺はひと時の安寧を求められるだろう場所に辿り着いたようだ。そこはさして珍しくも無い程度の洞。違和感を感じるとすればいやに無機質、かつ入る者を選ぶような雰囲気がある事だろうか。
勿論、極限状態に置かれた幼い俺に状況をつぶさに観察する余裕など有るはずも無く、単純に『安全そう』という動物的な本能が、彼の足を大人では入り込めそうにもない小さな口を開けた洞の中へ誘う。
洞の中は入り口付近こそ暗闇であったものの、軽く地面の方へ傾斜の付いた道を進めば進むたびに、光るキノコや苔の類でも生えているのかと疑うほど不自然に薄明るくなっていった。幼い俺も不思議に思っているようだが、その軽い足取りは罠などの可能性は微塵も考えていないようだ。
不思議な事に『俺』もそうなのだ。何というべきか……かなり説明しづらいのだけれども、端的に言うならばここは、何故だかひどく安心する。
そうして意気揚々と奥へ進み、妙に通路に積もった土砂を乗り越え勢い良く地面へと降りる。改めて周りを見渡した俺たちの目に映ったものは、驚愕の一言に尽きた。
材質こそ不明だが、俺が二本の足で立つ床はレンガでも土でも木でもなく、どことなく光沢感のある素材であろうと考えられた。その他様々な特徴からどちらの俺も一つの結論に辿り着く。
絵物語にしか見た事の無い、そこはエインシャンテ創世神話における『過ちの時代』に記された、滅び去ったとされる人の作り出した超文明。ここは恐らく遺跡と呼ばれる機構に間違いないと。
疲れも忘れて好奇心のまま周囲を検めていたその時だった。
『――――――――!』
きん、と響く優しい金属音が俺の耳に届く。人の声にも似ているような気はするが、それにしてもの違和感が『俺』にはある。
何故、
誰もいないであろう筈の場所で、何かが音を出しているんだ……?
戸惑いの渦中でも幼い俺は更に奥へ行く。感じるままに歩んだ先に在ったものはドアのような取っ手。壁を隔てた先より聞こえる音の大きさが異質なモノの存在を殊更に主張していた。
それでも恐れなんて一つも無かった。いやにつややかな光沢感をもった取っ手に躊躇いなく手を掛けて。
そして――――
「こらーっ! シデーン!! 起きなさーい! うとうとするのは禁止ですー!」
緩んでいた意識が瞬時に戻ってくる。ぽすぽすと音を立てながら自分の頭を何かで叩かれている感触によって。本気で殴られている訳じゃ無いから痛くは無いけど、衝撃自体は微睡みに包まれていたシデンを呼び覚ますのに十分足りるものだった。
「もーっ! せっかく私が勉強教えてあげてるのに居眠りするなんて許さないんだからねっー!!!」
脱力の最中にあった首に一本、鉄で出来た棒を通し、ゆっくりと顔を上げる。目線を向けた先には教科書を丸めてシデンをはたく眠りこける前と特段何も変化のない、見慣れた幼馴染の――レミーの姿があった。
ぷりぷり怒る度に大地に植わる黄金の稲穂のようなさざ波を立てて、ロングの茶髪が豊かに美しく揺れる。ただでさえ肉づきの良い体をしているのにもまして、血色のいい丸顔、つぶらで赤みがかった瞳、目鼻立ちのしっかりした童顔な顔つきが合わさり、周りから良くその容姿を褒められているのをよく見かける。気立て良く優しくて、それでいて芯の強い女子だとシデンも思っている。
喫茶店のバルコニーでの一コマ、周りからどう思われてるかはそこまで気にならないのだが、フレームに収められた風景は何処にでもいる友人との勉強会だ。穏やかな陽気に普段と変わらない平和の香りが意識を眠りに誘ってしまったのだろうと考える。
「なんで他人事みたいな顔してるのっ~!?」
「いや、ごめん。別に疲れてた訳でも無いんだけど……寝ちゃってたらしい。どこまでやったっけ?」
真面目に返したつもりだったのだが、逆効果だったようだ。深く溜息を吐かれ、湿度の高い眼差しがシデンをじろりと射竦める。当然だが、ばつが悪い。
「はぁ~~…………もういいよ、今日はおしまいっ。また明日にしましょう? だってぼーっとしたまま勉強しても頭に入ってこないと思うし」
それに、と付け加えて、
「もうすぐ夜ご飯だと思うもん。ほら、時間みてみなよ?」
レミーは懐のポケットから懐中時計を出してシデンに見せた。確かに長い針はもうじき下弦六の刻を指そうとしている。地平を朱に染めていく夕焼けが支配する頃合い。
「ごめん、レミー。あんまり進まなかったな」
「いいよっ、べっつにいっ~? でもなんか謝罪だけじゃ足りないかもなぁ~、このままだとおうち帰ってからもめんどくさくなりそうだなぁ~?」
それなりに真摯に謝ったつもりではあるが、レミーと言えばそんなシデンの謝罪などどこ吹く風の様子が見て取れた。『罪には罰を与えてやろう……!』と言った形だろうか、口調は割と責める感じなのに、彼女の全身からは今にも踊り出しそうな感情が溢れ出している。ああ、経験上知っている。
「わかったよ、今回はこっちが一方的に悪いしな。いつもの洋菓子屋でいいか?」
「うんっ! 今日は多めに買っちゃおうかな~」
いそいそと帰り支度を始めつつ、他愛無い雑談を続ける。
「あんまり金持ってないんだから控えめにしてくれよ。帰り際に寄ろう」
「いちごのショートケーキと、かぼちゃのモンブランと、あとチョコのムースも捨てがたいな~あそこのお菓子屋さん美味しいから迷っちゃうんだよなぁ~」
「あんまりたくさん食べるとまた太るぞ? 前もそれで後悔してたろうに」
「むつ、訂正を求めます! もう終わった事を掘り返さないでくださいっ!」
はいはい、と笑いながら流してシデンたちは席を立つ。顔なじみの店員へ紅茶二杯分の銅貨を支払い、近場にある評判の洋菓子屋へと足を運んだ。
学校すらも馬車でそれなりに揺られなければ辿り着けない鄙びた街。だと言うのにも関わらず余暇を楽しめる場所が幾つもある。どうも地元を盛り上げるため商店街の人々や町長が方々手を尽くし、街にシェフや技師を招き、そしてまずは小さな所で店を持ちたいという人に快く支援をしているらしい。様々な思惑はさておき、それを享受するシデン達にとっては全くもってありがたい話だ。
雑談そこそこに歩を進めると、やがて街のメインストリートに出る。『エストルティア通り』……幸福を司ると言われる花の名前をもじった煌びやかさは、帝都にもその名が轟いているらしい。街自慢の商店街は今日も賑わっているようだ。
正直学生身分の懐事情を鑑みると結構な出費ではあるけど、いつも最新作の洋服を見るかのように目を輝かせてショーケースを眺めるレミーの横顔には『まあいいか』と思わせる力がある。自分の分だけじゃなくておじさんやおばさんの分も見定めてくれよとシデンは釘を刺しておいた。そうでもしないと他人の財布を気にする事なく買い込むのだから仕方ない。
「ねえ、シデンシデン!」
くるりと振り返りシデンをどこか儚げに見据えるレミーに少しだけ気持ちが上向く。そろそろシデンのお財布の中身が心配だしやめとくよっ! 沢山買っちゃったしお金ちょっと出すね! やっぱりみんな一つずつで良いよね。で、他の味が食べたかったらちょっとだけおすそ分けし合うの。どう? なんて優しい温情染みた手を差し伸べてくれるのだろうと期待して……。
「ねぇねぇ、これも美味しそうだし、あっこれも美味しそう! んん~、決めらんないっ! ごめんあと二つ買わせてっ? ねっ、お願いっ!」
「………………ほどほどに、しとけよ…………?」
全く懲りていないしひとっつも慈悲の無いレミーの発言に目を覆い、深く肩を落とす。何でコイツさして太らないんだろうと皮肉が出そうになったが流石に可哀そうだし、何より要らぬ逆鱗に触れそうなのでそっと心に留めておいた。
「でね~!? シデンったら酷いのよ? 私の事みて溜め息ついたんだから!」
スープをスプーンで掬う度にカチャカチャと陶器を叩く音が鳴る。ドレッシングが程よく掛かったサラダを口に放り込みつつ、手にしたパンを一口サイズに千切って食べる。いつもとさして変わらない穏やかな団欒だ。
「う~ん、それは仕方ないと思うわレミー、流石に食い意地が張り過ぎよ?」
「ええ、イネスさん。俺もそれは思いました。前々からおやつは食べ過ぎないようにしろって言ってるんですが」
「そういえば最近少しばかり太った……かな?」
「もぉーっ!!! お父さん何言ってんの?! ぜんっぜん太ってないしっ! だいたいおんなのこの体重聞くなんてデリカシーなさ過ぎっ!」
むきになって否定するレミーに思わず笑ってしまう。火に油を注ぐ行為だと分かっていても口端の震えを抑えられない。
「こらっ! シデンっ! 何であなたが笑ってるの!」
「いや、悪い……面白かったから」
脊髄で会話してヤバいと気づいた頃にはもう遅い。かああっと赤くなっていく彼女の顔。
爆発までのカウントは、
あっ、ゼロです。
「面白いじゃ、なああああい!!!!!!」
どこ吹く風で食事を楽しみながら緩やかに笑っている夫妻に助けを求めるのはどうやら無駄みたいだ。吠え立てる彼女を何とかいなしつつ、シデンはスープとサラダに舌鼓を打つのであった。
†
「ところでシデン君、勉強はしとるかな?」
「まあ、ぼちぼちですね。正直レミーの頭の良さに救われてる所が結構あります」
「へぇ~レミーが! 意外な才能が有ったもんだわね~」
食事と先のデザートも食べ終わり、居間のテーブルを挟んで雑談を交わす。いつも大体話題として俎上に上がるのは、普段見る事の出来ない学校でのレミーの話。当の本人は現在湯浴み中。先の一件もそうだがレミーは割と恥ずかしがり屋だ。席を外しているからこそ、できるコトもある。
「レミーは魔法の適正だけがズバ抜けてるんだと思っとったがそうでも無いのか」
「私もそう思ってたわ、シデン君どうなの?」
「ヴォルツァさん、イネスさん、本当に成績良いですよ。クラスでトップの成績ですし、模範的な優等生ですね」
「ほほう、意外だなぁ。小さい頃はそこまで勉強が好きって訳でも無かったのになぁ」
「そうねぇ、月日が経つのは早いものだわ。シデン君もこんなに大きくなったんですもの」
「はは、確かにそうですね。……本当に感謝してます」
二人に向かって深々と頭を下げる。この感情は嘘偽りない、シデン自身の心底からの思い。
「いやいや! そういうつもりで言ったんじゃ無いのよ?!」
「そうだとも、シデン君は家族なんだ、当然のことをしたまでなんだよ、だから頭を上げてくれ、私たちも畏まってしまうじゃないか?」
「……そう、ですね。でも俺をこの家に住まわせてくれて、本当に嬉しいんですから。それは言わせてください。じゃ、俺はそろそろ寝ます。おやすみなさい」
あたふたと恐縮するカイエン夫妻に不謹慎だが少し笑ってしまう。挨拶を交わしてから、居間を出て、自分の部屋に向かう為に階段を昇る。
シデンはカイエン家の居候だ。複雑な事情によって、兼ねてより親交のあったこの家に半分匿ってもらう形で身を寄せている。レミーとはその頃からの付き合いでもうかれこれ十年にはなるだろうか。常に明るく、優しく他人を元気づけられる彼女の温かさによって今の自分が居ると言っても過言ではない。
「大げさかもしれないけれどもさ」
呟きが誰かに届く事は無かったけれど、その声色には温かいものが含まれていた。
自室に入って椅子へと腰かけた。これからある程度闇が濃くなるまで適当に暇を潰すつもりだ。こういう時にこそ自分の得になる事をすればいいのだろうが、生憎部屋の中で出来る事はない為、木造りの机に向かいただぼうっと夜更けを待った。
月が猛々しく光りだし、おのずと夜は深まっていく。
かたかたかた、机に感じる僅かな鳴動。ああ、いつものだ。
時計の針が下弦九の刻に達したと同時、机の隅に置かれた小物入れが何故か勝手に震えだす。いや、震えるという言い方では表現しきれないだろう。揺れながら手元に寄ってくる、という方が正しい。
「……さて、そろそろ行くか」
最初こそ怪奇な現象に驚きもしていたが、毎夜となると流石に慣れてくる。小物入れを開け、中から一定間隔で脈動のように震える、三角柱の『お守り』を手に取り首へ掛ける。そのまま音を立てないようゆっくりと階段を下り、日課をこなす為に外へと向かった。
†
「ふっ! ……はあっ!」
鍛錬はいつも皆が寝静まった後に行っている。夜の会合を頻繁に行う奇矯な趣味人もおらず、帝国首都のような夜通し明かりに包まれた空間が然程ないこの牧歌的な街は静寂に包まれていた。家々の明かりも大半が消えうせているのは地域的なものに由来している。付近の広大な土地を利用した農業や酪農に従事し、生計を立てている人がかなり多いのだ。
要するに皆とかく朝が早い。そのせいもあってか、大体の人々は下弦八の刻や九の刻には床に就いている。エストルティア通りの旅人向け酒場ですら十一の刻には閉まる健康さだ。回りくどくなってしまったが結局のところはこう。誰にも迷惑をかけず、かつ心配もされないこの時間帯は、鍛錬するのにとても都合が良い。
「おおおっ! しっ! はあっ! せやああっ!」
半ば身体に刻み込まれた日々の活動、生憎と忘れた事はない。村の外れの少し開けた森の中で気迫のこもった呼気を吐き出しながら案山子に向かって存分に拳を振るい、蹴りを飛ばす。木につるした的を模擬の矢で射抜き、手頃な木を削りだして作った模擬剣を使って無心で素振りを行う。森を駆け抜けながら一定箇所の大樹木に設置した的を全ての手段を用いて破砕したりと、自分で考えられる中で過去修行を受けてきた記憶を掘り起こしながら自己流で訓練を積んできた。既に曖昧になりかけている記憶を辿りながらメニューをこなすこの作業、もう何年と繰り返してきたか分からない日課。
鍛錬の基礎的な箇所及び秘中の秘の部分、幼い時分にある程度の手ほどきを受けた。惨禍によって失伝して久しいが、自分の里で連綿と続いてきた武技だからこそ、あの世で父に会った時に誇れるくらいにはなっていたい。それなりに身は引き締まったが技はまだまだだ、とにかく自分を磨かねば。
「……ふぅ……にしても」
日課は全て行った、今日はこれにて終わりだ。流れる汗を腕で拭い、シデンは一息つく。
思えば、長い道のりだった。山賊の襲撃に合い焼け出された村から命からがら逃げ伸びたあの日からもう八年だろうか、シデンの知る範囲では……里の全員が皆殺しにされた事は覚えている。しかし具体的な光景は薄く靄が掛かった様になっていて上手く思い出せない。街の纏め役かつ医者でもある養父のヴォルツァはこう言っていた。『許容範囲内を超えたショッキングな体験をしてしまうと、恐怖から自分の身を護る為の防衛機能が働いて脳を書き換える。その結果一部の記憶が曖昧になってしまう事が有るんだ』と。
治るかも知れない部分的な記憶喪失、それは悪夢のように自分の中に戻ってくるのだろうか、そこまで考えてシデンは天を仰いだ。欲しくもない、益体も無い事をあれこれ考えるより重要で、心の底から希求するのはただ一つ。
「俺も、少しは強くなれているだろうか」
言葉を噛み締める様にぎゅっと手を握り込む。仄かな月光に照らされ浮かび上がる肩口から手首に向かって伸びる一本の緩やかな曲線。闇夜に溶け込む漆黒の短髪が温かで緩やかな風になびく。きりりと引き締まった眉と鼻梁、野性味を感じさせる相貌に映える琥珀色の瞳を冷たく輝く月に照らして、胸元からあの『お守り』に祈りを捧げようとした――
――その時だった。
「――?!」
地表を撓ませる程の怒涛の揺動、巨岩を容易く踏み砕き、木を力任せに薙ぎ倒し、均された土を矢のように吹き飛ばすが如き暴虐的なまでの音。音。音。耳元で大嵐を味わうような壮絶な破砕音。城のような建築物に遥か上空から鉄球の雨でも降らせればこんな音がするだろうか、爆発とは違う力任せの、引きちぎるような破壊が耳を通して感じ取れた。
「なっ……! 一体、何の音だ!?」
混乱している間にも村の方向からけたたましい轟音を上げて、恐らく石造りの家々を破壊する音が響き渡る。外れの森すらも揺らすほどの地響きを鳴らしながら街を闊歩しているだろうそれに、住民はまだ理解できていないのだろう。やがて状況を察知した一人が叫ぶ。恐怖は伝染するものだ、瞬く間に静寂をつんざく悲鳴の群れが街中を満たしていった。
恐慌状態に陥っていない者もまた確かにいた、しかし変化は瞬時に訪れる。恐怖を肴に酒を飲むような下卑た男どもの笑い声の反響――
「街への……襲撃か……?!」
規模は小さいが曲がりなりにも街、自警団の一つや二つある。山賊風情が略奪をしに下りてくるなぞ考えもしなかった。シデンは歯噛みする。俺は平和ボケしていたのかも知れない。奴らは傍若無人だ、何をしでかすかなど分かったもんじゃ無いってのに。
未だ破砕音を伴いつつ地面を揺らしながら動き回っている怪音は気になるが、一番可能性としてあり得るのは野盗や山賊の類の略奪だろうとシデンは考えた。直ぐ思考が峻烈に回路を繋げていく。敵の排除、村民の救出、かつて達成できなかった全てを此処でも失うのかと自らを誹る声が煽る、煽る。臆病者か、お前は。握り拳から血が一滴滴り落ちる。
覚悟は今この時の為にあったんだ。
殺さなければ、いけない。誓いを守る為に、存在理由を獲得する為に。
息せき切ってシデンは行動を始めた。敵を討ち滅ぼすならば、得物が必要だ。
(……用意しておくに越したことは無い、ってやつか)
樹木の洞の中に隠しておいた形見の大脇差と無骨な短弓。幼い頃は武器なんて一生使う機会なんて無ければ良いと常日頃思っていた、あの日までは。
虐殺の彼方を生き延びて復讐の二文字を心に刻み込んだ時、恒久的な平和など所詮幼稚な言い訳でしか無かったのだと、幼心でも理解できた。心の奥底で求めていたシデンの持つ闘争への炎が鎌首をもたげ始めるのだ、戦えと。
同期する深層の魂が思い出させる。悪辣な笑みを見せながら集落を焼き払い、略奪を、殺戮を、淫楽を、享楽の限りを尽くす下劣な人のカタチをしたあの獣たちを一匹残らず殺せ、と。同胞たちの墓石に刻み込まされた慟哭にも似た――『仇を討て』、そんな一心が。
「……覚悟は、出来てる。血に酔ってでも修羅になると決めた。奴らに慈悲など持たない。俺に出来るのはそれしかない、これ以上何も、何だって奪わせはしない……!」
自己暗示の如く言い聞かせるしか、もう出来ない。望まれていなかったとしても、シデンの意志が逃げる事を許さない。
力ある限り、戦う。
俺はその為に生まれてきたのだと信じて。
武器の調子を確かめて、改めて街の方角を見やる。俺の村を焼いたあの赤光、この既視感は一体なんだ。余りにもあの時と状況が似過ぎている。最早一刻の猶予も無いのだと確信を得てしまった。
「……行こう、また手遅れになる前に」
首にした三角柱のお守りを、左手でぎゅっと握り込み肉を挟んで心臓へと寄せる。心なしかお守りを触れる肌に熱さがあった。どうか、成し遂げられますように。そう祈りを込めて。
昏く燃える第二の故郷を自身の力で護る為に……いや、仄暗い野望を胸に秘めつつシデンは警戒しながら駆け出した。