超常現象はカガク
俺には幽霊が視える。
小さい頃はみんな視えているのだと思っていたが、それが違うと気付いたのは幼稚園に通い始めた頃だと思う。
両親をはじめとした大人は、子供のたわ言と本気にしていなかったが、同じ子供は容赦ない。
そのうちウソつきだと言われるようになり、アレがみんなには視えないんだと気付いてからは、俺自身も視えないふりをすることにした。
子供なりの処世術だ。
ちなみに、アレが幽霊というものだと知ったのはもう少し大きくなってから。ついでに言うと、妖怪の類も視える。
じゃあ、幽霊や妖怪とはいったい何なんだ?
視える人と視えない人がいるとはいえ、間違いなく存在するのは確実だ。
なのに、カガクの発達した現代で、どうして幽霊や妖怪の存在が正式に認められないのだろう。
視えない人が大半だからか?
でも、世の中には見えないものを追い求め、研究している人達が昔からいる。
例えば、紀元前五世紀頃のデモクリトスと言う古代ギリシャ人がそうだ。
彼は原子論で有名だが、命や魂にまで原子を考えていたんだから驚きだ。
残念ながら、アリストテレスの四元素説に押されて、原子論は長い間顧みられることはなかったんだけど。
十七世紀頃になって、ようやく日の目を見始めたものの、十九世紀末頃には「便利な考えだが、その存在は疑わしい」と反原子論が唱えられたりもした。
要するに自分の見えないものは、信じられないという、頭の固い人間は多い。
クォークなんかにしてもそうだ。
で、どうして俺がここまで偉そうに語っているかというと、俺は宇宙人と交信ができるからだ。
そこで宇宙人から聞いた話によると、昔の地球人――古代人は宇宙人と友達だったんだってさ。
世界中のあちらこちらで見つかる古代遺跡やらオーパーツは、宇宙人との友情の証らしい。
それがいつの間にか疎遠になって、付き合いのできる地球人は少なくなった。
だけど、デモクリトスとは夜通し哲学的な論じ合いをしていたとかで、彼は原子論を確立したわけだ。
どうでもいいことだが、宇宙人が言うには、遮光器土偶のあのファッションは数千年前に宇宙で流行ってたデザインで、今ではダサいらしい。昔の親の写真を見るようで気恥ずかしいとか。
あ、あともう一つ。
宇宙人からスピルバーグに一言。
あの映画について、『あれは、ないわ~』だそうだ。
そろそろ、こいつヤバイって思っているかもしれないが、俺もそう思う。
俺、ヤバイ。独り言がヤバイ。
一人暮らしを始めると、独り言が増えるってマジだったんだなと思う今日この頃。
学生時代の数少ない友達は、就職してからほとんど付き合いがなくなった。
今は朝七時過ぎには出勤して、帰宅するのは夜の十二時前というのが日課になっている。
別にブラック企業というわけではない。福利厚生のしっかりした企業だ。
だが、何せ仕事が忙しすぎる。
残業代はちゃんと出るが、あまり残業をつけると労基の方がうるさいらしく、注意を受ける。
夜も九時を回ると、数人の管理職が懐中電灯を持って「早く帰れ~。残業するな~」と社内を巡回する。
はっきり言って、どんな妖怪よりも怖い。
それなのに、情報漏洩の問題もあって、自宅に仕事を持ち帰ることも制限されている。
休日はたまった家事をするのが精いっぱい、外に出るのも面倒で、友達付き合いも悪くなったんだから仕方ない。
だから今日も俺は、小っちゃいおっさんを相手に一人晩酌をする。
小っちゃいおっさんと言っても、最近有名になってきた尼崎のアレではない。
以前は俺ばっかりが愚痴っていて、おっさんは聞き役だったのだが、最近はおっさんの方も愚痴るようになった。
いわく、『わしらのイメージ、台無しやで~』だそうだ。
いや、けっこう合ってると思うんだけど、これは内緒だ。
ノー残業デーの今日は比較的早く帰れるので、焼酎のお湯割り片手に二十二時からの連ドラを見て、酔いが回ってきた頃におっさん相手に愚痴る。
「んでさ~、営業部の同期が言うわけよ。〝お前はいいよな~。接待してもらう側なんだから。俺らなんて、接待しなきゃならなくて大変なんだぜ″って。そりゃ、確かに調達部は業者に接待してもらう側だよ? だけどなあ、業者だって大変だって知っていながら、上司からはもっとコストダウンしろ、下げさせろって言われるし、かといって、あいつらは優しくしてたら甘いと思われてすぐつけあがるんだよ。若い姉ちゃんはべらしときゃ、俺が何でも言うこと聞くと思うな。ってか、課長は鼻の下伸ばしてうんうん言うなよ。んで、あとお前よろしくって、あほか!」
だんだんヒートアップしてきたので、落ち着くためにも焼酎を一口飲む。
すると視界に入ったのが、アレ。
数日前から我が家……というには虚しい1Kの賃貸アパートに居着いてしまった女子高生。
もちろん家出娘などではない。足はあるが、ただの幽霊だ。
駅の改札で目が合った時、ヤバイと思った。
たまにいる、自分に気付いてくれた人間に縋る幽霊が。
そういう場合はあくまでも無視を続ける。
すぐにさりげなく目を逸らしたが、ちゃっかり家まで憑いて来て居座っちまった。
大抵は部屋の隅にいるんだが、俺がテレビをつけると隣に座って一緒に見る。
風呂上りに俺が素っ裸で部屋に戻った時には、恥ずかしそうに顔をそむけるもんだから、なんだか露出狂の気分になって、それ以来ちゃんとパンツをはいてから風呂を出る。
面倒だ。
それに何より、ほら、夜に電気を消しても気配はあるもんだからさ。色々とさ。
隣に座って見られちゃまずいDVDもあるわけで。
えーっと、うん。女子高生の顔は、はっきりいって俺好みだ。かわいいと思う。
でも幽霊。そうじゃなくても女子高生。制服がまぶしい。
ああ、彼女ほしーなー。合コンに参加したいなー。
『おい、ヘンタイ。それで、今日のドラマはどうだった? 早くオクレ』
『うるせー。俺の頭ん中、勝手に覗くなよ。それが人にものを頼む態度か』
『ナマイキなチキュウジンめ。逆らうとアルマゲドンするぞ、このヤロー』
『そうすると、お前の好きなドラマの最終回が見れないぞ? いいのか?』
『ぐぬ! なんとヒキョウな!』
いきなり俺の頭の中に話しかけてきたのが宇宙人だ。
こいつは無類のテレビ好きで、今は特に水曜二十二時からの連ドラがお気に入りだ。
続きを早く見たいばかりに、俺にそのドラマを見させ、思念で飛ばせと言うのだ。
電波を拾って中継点経由で宇宙人のいるステーションに届くのは数日後らしいが、思念だとほぼ一瞬で届くらしい。
この思念というのも眉つばものではあるが、実は幽霊や妖怪と同じようなものだ。
世に言う超常現象の大半はカガクで解明できる。というより、カガクで説明できる。
そこで必要になるのが、原子論だ。
というのは嘘だ。
本当は、原子論は直接的には関係ない。
俺が言いたいのは、デモクリトスの説にある、魂も原子で成り立っているということだ。
要するに、魂≒思念だ。
思念体なんて言葉があるが、それが幽霊の素になる。
別にお湯入れて三分待ったり、レンジでチンするわけではない。
思念が無数に集まり人らしき姿などを形作るのが思念体。
そして、思念≒心だ。
振り出しに戻ったようで、微妙に違う。
心とは、目に見えない曖昧なものだが、確実に存在するのは人間なら誰でも知っているはずだ。
では目に見えない心は何でできているのだろう?
その答えが素粒子だ。
例えば、光が(振動数νだの、エネルギーhνだののややこしい話はとりあえずほっといて)光子という素粒子の集団であるのと同様に、心はとある素粒子の集団なのだそうだ。
まあ、宇宙人から聞いた話だから、人に語れるものではないけど。
ただ、この心という素粒子は面白い。
昔の人々は暗闇を恐れ、そこにないものを想像し、創造した。
それが妖怪だ。
想像する心=素粒子が妖怪という実体を創造したのだ。
この目の前で、いびきかいて寝てる小っちゃいおっさんも、現代人の誰かしらの――もちろん俺の心もだが、それが実体化させた妖怪だ。
では、幽霊は?
幽霊は死んだ人間の体から離脱した心だ。
ちなみに、第六感だの虫の知らせだのも素粒子だ。
心の素粒子は、瞬間移動もできれば、物質を通り抜けることもできる。
そして、その素粒子が見える(感じる)人間=視える人間となる。
まあ、だからって俺に人の心が読めるわけではない。ただ感度だけは良いらしい。
それで、宇宙人からのしつこいほどの思念を受信してしまったわけだ。
最悪だ。
デモクリトス並みに感度がいいぞと言われても嬉しくない。むしろキモイからやめてほしい。
『おい、チキュウジン。さっきから脳内自分語りがキモチワルイぞ』
『人様の脳内を覗く宇宙人の方がキモイ』
『ナニ言ってるんだ。すねているのか? お前ももう少し頑張レば、第二のユカワになれたのにナ』
『第二の湯川は福山だけで十分だ。俺は中間子論も相対性理論にも全く興味ないんだよ』
『スナオじゃないナ。アインシュタインだってスナオな奴だったのに』
『だから、俺はカガクに興味ないの! 根っからの文系男子! 専攻は経済! 就職したかったのは商社! なのにメーカー勤務! というわけで寝る!』
『なんだ、ヤッパリすねてるんじゃなイカ』
ぶつぶつ思念を送って来る宇宙人を無視してベッドに入る。
部屋の隅では女子高生が笑ってて、これからもこんな日が続くもんだと思ってた。
たまに小っちゃいおっさんが家族サービスで出てこられない時は、女子高生相手に大人げないが愚痴ったりして。
だけど、ノー残業デーのある日。
朝の四時を回って帰宅した俺は、疲れきってスーツのままベッドに突っ伏した。
体も疲れているが、何より心が限界だった。
『おい、チキュウジン。スーツがシワになるゾ』
宇宙人に話しかけられても応える気力もない。
ただ眠りたかった。
だが、寝ている暇はない。
あと二時間もすれば、出勤しなければいけないのに、起きられる自信がない。
「くそ……」
思わず洩れたのは自分への苛立ち。
そんな俺の傍に女子高生がやってきた。
相手にする気力もなくて、黙ってうつむいていたら、女子高生はベッド脇に座って、俺の背中を優しく叩き出した。
もちろん、感覚はない。
だけど、慰められていると感じる。
「今日……取引業者の一社が潰れたんだよ」
自然と口をついて出てきた言葉。
話しだしたら止められなくなって、俺は語り出した。
「社長のじいさんはすげえいい人でさ。俺が新入社員で右も左もわからない時から色々と世話を焼いてくれてさ。にこにこしながら内心で〝この若造が!″って馬鹿にしているような奴らとは違って、上司以上に業界のノウハウを教えてくれた人なんだよ。なのに、会社がヤバイってもうずっと前から聞いてたのに、何も出来なくて……」
だんだん悲しくなって、悔しくなって、涙が込み上げてきた。
泣くなんてカッコ悪い。
しかも、女子高生の前でなんて。
でも、止まらない。
「夕方に情報が入って、課長に命じられたんだ。〝今すぐ、ロジからトラック借りて、預けていた機材や商品の回収に向かえ!″ってさ。差し押さえられる前に、面倒な手続きを必要とする前に、全部引き揚げなきゃならないのはわかってる。別に火事場泥棒をするわけじゃない。自社財産を守るためには仕方ないんだよ。俺は……俺達は、間違ったことはしていない。だけど……」
荷物を積み込む間、じいさんは俺にずっと謝っていた。土下座までしたんだ。
〝ご迷惑をおかけして申し訳ありません″って。
どうしようもない。だけど、やるせない。
景気回復なんて嘘だ。まだまだ苦しんでいる企業は多い。
それでも、吐き出してしまえば少し心が楽になって、体も楽になった。
体が楽になると、冷静にもなって、この状況がなんだか気まずくなってくる。
だって、すげえ情けない。
女子高生の幽霊に慰められてどうすんだ、俺。
「……ありがとう」
ぼそりと呟いて、勢いよく起き上がった。
よし、風呂に入ろう。
それから、全部忘れよう。
女子高生の顔を見るのも恥ずかしくて、俺はそのまま風呂へと向かった。
あの日から、俺は女子高生を避けるようになった。
なぜって、それはヤバイから。
要するに意識してしまっているのだ。
いや、相手は女子高生だ。というか、幽霊なんだよ。
これはきっともう長い間、彼女がいないからだと結論付けた。
就職して忙しくなって、彼女に振られてからずっとぼっちだったし。
ちょっと無理をして、積極的に営業部の同期主催の合コンに参加したりしてみる。
うん、キラキラ女子がまぶしい。
だって、うちにいる女子は半分透けてるし。
ん? 透けてる?
そこで気付いた。
前はもっとはっきり視えていたはずだ。
最近は女子高生の顔もまともに見ていなかった。
だから、その日の俺は久しぶりに彼女に意識を向けてみた。
もう、顔の判別もつかないくらいに薄い。
これは良い兆候なのか?
きっと、良いに決まってる。
そう無理やり考えて、また無視することにした。
そしてある日、帰宅したら彼女の気配さえなくなっていた。
「……成仏したのか?」
なんだか寂しくて、ぽつりと呟いた。
ずっと無視していたくせに、寂しいと感じるなんて勝手にもほどがある。
でも、まさか本当に家に帰ったら消えているなんて思わなかった。
着替える気にもなれなくて、スーツを着たままベッドに腰掛けて、深いため息をつく。
めでたいことのはずだ。彼女は成仏したんだろう?
自分にそう言い聞かせても、なかなか現実を認められない。
「アホだな、俺……」
『ナンダ、今ごろ自覚したのか?』
『うるせえ、宇宙人』
『なあ、チキュウジン。オマエは奇跡を信じるカ?』
『は? 急に何言ってんだ? 信じるに決まってるだろ?』
いきなり脳内に割り込んできたと思ったら、馬鹿なことを訊いてくる。
宇宙人はデリカシーがない。
『もちろん、奇跡は起きるもんじゃなく、起こすもんだけどな』
『フム。興味深いな。して、そのココロは?』
『とんちかよ。んなもん、強く願えば願うほど、体内で数多の心が生成され、その時に放出される膨大なエネルギーが奇跡に繋がるんだろ』
『フム。及第点ダナ』
『なんかムカつくんだけど』
『要するに、ジョシコーセーを助けたくないカ?』
『は?』
『ジョシコーセーは生きているゾ?』
『……は?』
『あれはいわゆる……生霊ってやつダナ。体はずっと寝てたのに、ココロだけ抜け出してたワケだ』
宇宙人の突然すぎる話に、俺の脳みそはちょっとの間だけ思考停止した。
それでも超常現象と長年付き合ってきただけあってか、どうにか理解しようと働きだす。
『……んじゃ、消えたってことは、体に意識が戻ったってことか?』
『と言うヨリ、抜け出す体力がなくなったのダナ。それだけ体が弱っている。ジョシコーセーの完全な死も近い』
「――バッ! おま、そういうことは早く言えよ!」
思わず声を出して立ち上がったものの、どうすればいいのかわからない。
ただ、いてもたってもいられなくて、うろうろと部屋の中を歩き回る。
『どうすればいいんだ?』
『どうにかするつもりなのカ?』
『奇跡は起きるんだろ!?』
『フム。起こすのではなかったのカ?』
「揚げ足取るなよ! どうすれば、奇跡は起こせる!?」
気持ちは焦るのに、縋るべき相手は目の前にいない。
俺は頭を抱えて振ってみた。
だが、頭の中から宇宙人が出てくるわけもない。
『まあ落ち着ケ、チキュウジン。お前、料理はできるカ?』
『は? 何言ってんだ? ストーカーのように俺の生活覗いてるんだからわかるだろ? できねえよ』
『では、頑張レ』
『何を?』
『ダンゴ作りだ』
『無茶言うなよ!』
『ジョシコーセーを助けたくないのカ? レシピは教えてやる。詳しくはググれ』
『おい!――』
『言うぞ、メモれヨ』
言いたいことはたくさんあるが、ひとまず急いでペンと紙を手繰り寄せる。
料理なんて自信がない。そもそもダンゴって、自分で作れるものなのか?
すげえ難しいんじゃないかって不安に宇宙人の思念がかぶさる。
『用意する物は……H3BO3とC12H22O11と……ン? 待てヨ……これは、先日入手したホウサンダンゴのレシピだナ』
『ちょっと待て、宇宙人。なぜ、ホウ酸ダンゴのレシピが必要だったんだ? まさか、そこにゴキがいるなんてことはないよな?』
『ウム。どうやら調査団がチキュウから持ち帰った荷物の中に紛れていたようでナ。どうも最近目に余るのだ』
『ちょっ、宇宙ステーションにゴキ大量発生なんて、まさかMIBみたいなことになったりしないよな?』
『ウム。アレは実に面白かったナ。BR-BOXで持っているゾ』
『仕事しろ、宇宙人!』
あまりの馬鹿さ加減に思わず突っ込んだが、それどころではない。
女子高生の命がかかっているんだ。
『それで、何のダンゴを作ればいいんだ?』
『エエっと……あ、コレダ、コレ。その名も霊験あらたかなキビダンゴだ』
『……は?』
『ナンダ、キビダンゴを知らぬのカ?』
『そりゃ、知ってるよ。だけど、本当にそれで彼女を助けられるのか? 確かにきびだんごは昔話にも出てくる有名なパワーの源ではあるが、今では市販されてるし、みんなお土産なんかで食べたことあるはずだ。でも、奇跡が起こったって聞いたことねえよ』
『それは当たり前ダ。そもそもモモタロウの祖母は、お前と同じ我々の思念を受けられる人間だった。工場で大量生産されているようなのとはパワーも違う。それに何より、一番大切な素材が、入っていないからナ』
『一番大切な素材……?』
それは正直、驚くべきものだった。
犬や猿、キジ……よく、腹を壊さなかったな。
『それで、どうするんだ? 彼女に食べさせるなんて無理だろ? いや、そもそも彼女はどこにいるんだ?』
『食べさせる必要はナイ。左手に握らせれば、お前の作ったものなら自然と吸収される。ジョシコーセーは今、病院にいるようダ』
それを聞いて、俺はほっとした。
さすがに個人宅に忍び込めるわけはないが、病院なら何とかなりそうだ。
もちろん、十分に怪しいので、誰にも見つからないようにしなければならないけど。
聞けば、病院は近くの総合病院だった。初めて女子高生を見かけた駅のすぐそばだ。
次の日、俺は有給を取って、さっそくきびだんご作りをした。
普段、料理なんてしないので、買い物は苦労したが、何よりもアレを手に入れるのに苦労した。
もっと他にもあったんだろうけど、俺にはこれしか思いつかなかったんだからしょうがない。
作るのは理科の実験のようでそれほど難しくなかったが、問題は病院だ。
家族や病院関係者に見つかれば、警察沙汰にだってなるだろう。
一般見舞客を装って、ドキドキしながら宇宙人の指示通りの病室に行く。
『チキュウジン、今なら部屋に誰もいないゾ。チャンスだ』
その言葉に従い、スライド式のドアを恐る恐る開け、思わず引き返しそうになった。
ベッドに寝かされた女子高生らしき人間には、たくさんの管が取り付けられ、部屋には規則正しい機械音が響いていた。
本当に彼女を助けることができるのか? そもそも、本当に彼女なのか?
勢いに任せてここまで来てしまったが、今さらながら常識が頭の中を占めていく。
『チキュウジン、それは常識ではない、臆病なだけダ』
『うるせえ。だって、おかしいだろう? なんでいきなり見ず知らずの病人にきびだんご握らせるんだ?』
『では、ジョシコーセーが完全に死んでもいいのダナ?』
『……』
そうだ。ここで俺が何もしなかったら、彼女は死んでしまうかもしれないんだ。
正直に言えば、助かるとも思えないが、何もしないよりはマシだろう。
きびだんごを左手に握ったからといって、病状が悪化するわけじゃない。……はず。
俺はベッドに近づき、やせ細った彼女の左手にそっときびだんごを握らせた。
どう考えても、この状況はおかしい。
だが、マジだった。
どうか、どうか、彼女が無事に意識を取り戻しますように。
元気になって、こんな無機質な部屋から出られますように。
『チキュウジン、誰か来るぞ。早く撤退シロ』
頭に響いた宇宙人の思念にはっとして、俺は慌てて病室から出て行った。
ドアを閉める間際に、彼女の左手がかすかに光っていたように見えたのは気のせいかもしれない。
そのまま家まで逃げるように走り、帰ってから俺は彼女の名前さえ確認していないことに気付いた。
だけど、いいや。あの女子高生がどうなったのかは、知らないほうがいい。
きっと元気になったに決まってる。
そう思うようにして、俺はまた日々の忙しない生活に戻った。
それから、三か月。
めったに鳴らない、玄関のチャイムが鳴った。
そういえば、母さんから荷物を送ったって電話があったなと思い出し、直接玄関のドアを開けた。
「はい――」
「来ちゃった♪」
「すみません。何から突っ込んだらいいかわからないぐらい怖いんですけど」
「え? 私がわからないんですか?」
「わからないから怖いです。しかも、そのセリフ。部屋に彼女がいたらどうしてくれるんですか。修羅場じゃないですか」
「え? 彼女できたんですか?」
「……できていませんが、何か?」
目の前に立つ女性はどこかで見たことがあるようで、わからない。
こんな美人、知り合いだったら忘れるわけがない。
年は俺と同じくらいか? だが、大学時代にもいた覚えはないし、職場でもない。
いったい誰だ?
『なんだ、チキュウジンは鈍いナ。ジョシコーセーが訪ねて来たというのに、マダ気付かないのカ』
「は? 女子高生?」
何言ってんだ? どう見ても、十代には見えないだろ?
わけがわからず、目の前の女性をじろじろ観察していたら、彼女はぺこりと頭を下げた。
「その節は大変お世話になりました。お陰様で、無事回復することができました」
「は? マジで? どういうこと?」
「まあ、ここでは何ですから、お邪魔してもいいですか? あ、これクッキーの詰め合わせです。甘いものは平気でしたよね?」
無意識に箱を受け取りつつ俺が呆気に取られている間に、彼女は部屋に入って来て、勝手知ったる様子で手際よくコーヒーを淹れた。
もちろんインスタントだ。
だが、迷うことも聞くこともなく、スティックシュガーを入れて、ミルクはなしのコーヒーを俺に差し出した。
「……どうも」
恐る恐る受け取った俺に、彼女はちょっと悲しそうに笑って、部屋の隅に座った。
そこは、女子高生の定位置だった場所だ。
「本当に……あの、女子高生?」
「はい。でも正確には見ての通り、今は社会人です」
「なんで?」
「願望です。交通事故に遭った時、ちょっと人生に疲れていたっていうか、仕事に嫌気が差してて……。それで、心が体から離れちゃったみたいです。それで、一番楽しかった頃の高校生に姿も変わっちゃってて……」
今度は恥ずかしそうに笑う彼女は、化粧しててもあの面影がある。
ということは、あれって、なんちゃって女子高生だったってことか。
だんだん事情がのみ込めると、どうしようもなく恥ずかしくなった。
俺、散々仕事の愚痴を聞かせてしまったし、裸だっていつも見せてたし、屁だって遠慮なくこいてた。
「そういうことは……早く言ってくれよ……」
マグカップを置いて、ぬおおおと頭を抱える俺の側に、正座したまま彼女はずずっと近寄ってきた。
「ここにいると、すごく楽しくて、癒されて、邪魔なのはわかっていたんですけど、離れられなかったんです。昼間は小っちゃいおじさんと人生を語ったりしてて……」
顔を真っ赤にしてうつむいた彼女に、胸が高鳴る。
これはひょっとして期待していいのか?
だって、幽霊じゃないし、女子高生でもない。
ん年ぶりの恋の予感! 脱・ぼっち!
抱き寄せてもいいかな? いや、まだそれは早いか。
伸ばしかけた手を止めた時、彼女ががばっと顔を上げた。
「今日はお礼を兼ねて、お返ししなければならない物を持ってきました」
「え? あれ?」
なんか期待していた方向と違う気がする。
よくよくさっきの言葉を思い出せば、楽しかったのは俺とじゃなくて、小っちゃいおっさんとのことだった気がしてきた。
早まらなくて良かったと安堵する俺の目の前で、彼女はカバンから取り出したハンカチをそっと開いた。
そこにあったのは、ダイヤの指輪。俗に言う婚約指輪だ。
そう、これが例のアレだ。きびだんごに一番大切な素材。金剛石。
プラチナなら一緒に混じっていても問題ないと聞いて、とにかく宝石店に走った。
ダイヤと言えば、指輪だろとしか思わなくて。
それを今、返すと言われて目の前に突き出されると、なんだか微妙な気分だ。
「ああ、はい。……これは、だんごと一緒に消えなかったんですね」
「ええ、目が覚めた時に手の中にあって……一瞬、わけがわかりませんでした。でも、夢じゃなかったんだって、ここでのことをちゃんと思い出せたんです。本当にありがとうございました」
「いや、もういいよ。うん。助かって良かった」
俺は小さな指輪をくるくると弄びながら、彼女にぼんやり応えた。
これを返品するのは恥ずかしすぎるし、だからって持っていてもしょうがない。
質屋で換金でもするかなんて考えていたら、その手をがっちり両手で掴まれた。
「これ、まだ手放さないで下さいね」
「え?」
「やっぱり一旦はお返ししますけど、これからまた頂けるように努力しますから」
「……え?」
「まずは私の名前を知って下さい」
血の巡りが悪いのか、年を取ったのか、最近は理解力が低下して困る。
彼女の言葉がぐるぐると回る頭の中に、宇宙人の思念が割り込んだ。
『良かったナ、チキュウジン。これからは一人じゃなく、二人で繁殖行為に励めヨ』
ひとまず俺は、宇宙人からの思念をシャットアウトした。
できれば一生そうしたいと思う。
さよなら、宇宙人。こんにちは、新しい恋。
※この作品は削除してしまったものを再掲載したものです。
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