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プライド  作者:
4/22

離別

  高速道路を下りてから、一時間ほど走り、車線も二本から一本に変わって、目につく建物もまばらになった頃、ようやく車は止まった。

「道があるかわからない、ここから歩こう。」と父は言った。


  長い間座ったままだった私は、足が動かず、先に車を降りていく父に、少し遅れて付いていった。一直線の車道を脇道にそれた、勾配八パーセント程度の坂道をゆっくりと歩く。道の舗装が所々剥がれていて、気を付けないと転んでしまいそうだった。立ち止まって後ろを振り向くと、遠く一帯が田圃になっていて、この坂道から私が登っている山の方へ、小さな民家と、小さな畑が続き、もう少し登ると、背の高い木が道に日を通さないほど繁っていた。蝉もパーキングエリア以上に怱々と鳴いていたが、この場所は、あの場所よりもずっと涼しく、心なしか心地良さそうに鳴いているようだった。

  遠く離れた慣れない田舎。私にとってはここはそんなイメージだった。

 

  坂道のなかほど、もう振り返っても森しか見えず、斜面に建った今にも崩れそうな木造の民家か倉庫かが、立ち並ぶ中で、私はようやく父に追い付いた。

  父は、あたりの古屋よりもずっと古そうな、ぼろぼろのトタン屋根でできたバス停の停留所で、誰かと話をしていた。重くなる足取りがバス停へと着いた。

「じゃあ先生、後のことよろしくお願いします。」

  普段、家ではお礼一つ言わない父親が、へこへことその人に頭を下げていた。自分の父が、他人を先生と呼ぶことにむず痒さを感じながらも、私も父に続いて、先生と呼ばれている人に、軽く頭を下げた。

  齢は父よりずっと年上の、だいたい五十ぐらいだろうか。中年の男性特有の太った腹に、素禿げた頭、顔は、額の横しわが堀深くあって、常に怒っているような細く、鋭い目をしていた。その目が、私を捉えるように向きを変える。

「待ってたよ。君が話の小春ちゃんやね。あっちと比べれば何もない田舎で不便やろうけど、よろしく。」

と、厳格な顔に似合わない物腰柔らかな口調で言った。私はもう一度小さく頭を下げた。

「まああんまり気張らんでもいいよ。とにかく、橘くんも、上がっていって、運転疲れたろう。」

と、言うと、座っていたベンチから、よいしょ、と声をあげて立ち上がった。椅子は大きく、みしりと音を立てる。

すると父が私に、

「車持ってくる。この上に駐車場があるらしい。」と言って、私の返事も聞かない間に、また坂道を降りていってしまった。

  父の後ろ姿を目で追う私に、『先生』は、行こか、と私を催促した。

何か重要な出来事が坦々と進んでいるような気がした。それでも、私は従う他なかった。


  バス停からそれほど歩かない距離から、坂道をそれて、傾斜の少ない砂利道に入るとすぐに、空を覆っていた木々が消え、平らな土地に、大きな家が現れた。

  とにかく大きい。江戸時代の城壁のような真白の土壁に、木造りの門、端の方に屋根付きの車庫に、大型のバン、軽トラックに、軽自動車が三台並んでいた。

 門をくぐると、石畳が引き戸の玄関へ続き、左手には溜め池が、縁側からのぞけるようになっていて、右手には、同じ白色土壁の、蔵のようなものがあった。


  私が圧倒されていると『先生』が、私を手招きして家の中へ導いた。吸い込まれるように私は戸口をくぐる。

  また広々とした玄関に、ドアがいくつも並んでいる。先生は、その内一番手前のドアを押し開けると、こっちや、と言った。

  中は外観のわりにも古くはなく、綺麗なフローリングに、艶のある木の壁、高級そうな革のソファーに、脚に彫刻のある木目のテーブルがあって、裕福さが滲み出でいる部屋だった。

  ふと気がつくと、先生は部屋の奥へと行ってしまっていた。別の部屋の窓が開いているのか、足元に風がゆっくりと流れる。私は戸惑いながらも、ソファーの端に座った。身体が必要以上に沈み込んでいく感覚に気味悪さを感じた。


  それからしばらくすると、父の車の音が聞こえた。何となく居心地が悪くて、思わず玄関へと足を向けた。広い土間の手前で、父を待っていると、扉が空くのと同時に、廊下の奥から先生が出てきた。


「おお、橘くん。上がって行って。」

先生がバス停のときと、同じように言った。

 それに対して、父は少ない私の荷物を一度に持ってきて、上がり框に置き、ふう、と一息ついてから、

「いえ、後のことがあるんでもう戻ります。」と言い放った。



  それから、先生と父は二、三、言葉を交わし、最後になって、じゃあ頑張れと、私の目も見ずに言った。私はこういう時、何と言えばよいのか知らなかった。元気で、また今度、さようなら、ごめんなさい、そんな言葉が頭を回っている内に、年代物の木戸はガラガラ音をたてて、ピシャリと閉まってしまった。


 石畳を歩く足音はただ遠くなっていく。車のエンジンの音だけで父がどんな操作をしているのか、その様子が手に取るように分かる。離れていく車の音を、私は目を閉じて聞いていた。

痛いほどに唇を噛み締めながら。

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