第3話
白い三日月が薄く砂漠を照らしている。昼間よりもぐっと下がる気温にラースは顔をしかめて案内された部屋で控えているタオに視線を向けた。タオはいそいそと持ってきた荷物を部屋に配置していたのに、ラースの視線に気づいたのか顔を上げてきょとんと首を傾げてみせる。意外に素直な反応に何と無く憎らしくなって、ラースは手に持っていた本をタオに向けて投げつけた。タオは小さく声を上げる一方で、上手く本をキャッチする。それから嫌そうにラースを見つめ、深い溜息をついた。
「なんです?言いたい事があるなら口で言って下さいね」
言ってすぐにまた荷物を取り出すタオを眺めてラースは座っていた窓辺から立ち上がり、タオの前にしゃがみ込んだ。
「…なんで、俺が待たされてる?」
「なんでって…シラ様がまだ帰って来ないからじゃないですか?」
「だから、おかしいだろ!?俺、客だよな?普通待たされないだろ!?」
バンバンと床を叩くラースをタオは呆れた表情で見遣る。
確かにラースの言う通り、ジーナでは客人を待たせる等有り得ない話だ。しかしここはジーナではなくハデルである。国も違えば常識も違う。ハデルでは客人を待たせる事は当たり前なのかもしれないのだ。
ただ、ラースは生まれながらのお坊ちゃまである。待たされる経験など今までないだろうから余計に腹立たしいのだとタオは一人納得する。
「…待ち遠しいんですか?」
「…なんでそうなるんだよ…」
がっくりとラースは肩を落とす。その様子を横目で眺めてタオは苦笑する。
「待たされて怒るのは相手を待ってるからですよ」
言われてラースはむっと押し黙る。考え込むようにしばらく口を閉ざし、唐突に指をパチリと鳴らした。
「何か思いつきましたか?」
タオを見てラースは勝ち誇ったように笑う。
「俺は自分の常識が通じないことに苛立ってる」
自信満々に言うラースを見つめてタオは溜息をつく。ラースの言う常識とは客を待たせないという事だ。なのに今は待たされて苛立っているのだから、要するにシラを待っているのと同じではないのかとタオは呆れたようにラースを眺めた。
「まぁ何でもいいですけど。明日に備えて寝ましょうか」
ぽん、と整理していた荷物を叩いてタオは立ち上がる。彼に割り当てられた隣の部屋へ向かおうとするタオの腕をラースが急に後ろに引いた。
「…誰かいる」
小さく囁くとラースは先程まで座っていた窓へと視線を向ける。
忍び寄るように足音を立てずに近寄るラースを今度はタオが腕を引いて止めた。立ち止まるラースの前に出てタオは窓の外を注意深く見つめた。
漆黒の闇のなかに満点の星と白い月が浮かび上がって見える。薄明かりに照らされた砂漠は金色ではなく黒くなっている。窺うように窓から身を乗り出したタオは上の窓から下を見つめている二つの目を見つけた。
「…どなた?」
少女の声で聞かれてタオは一瞬肩を震わせた。
「その部屋…ジーナからの王子が泊まってるって言ってたわ。あなた、王子様?」
「…違います。あの、あなたは?」
「私はキャロルよ」
答えると同時にキャロルはふわりと窓から飛び上がる。
「うわ」
受け止めようと腕を伸ばすタオをちらりと見、キャロルは慣れた様子で窓からタオの横に降り立った。次いでタオを見て小ばかにするようにふっと笑った。
「…あら、もう一人いるのね」
タオから視線を移し、キャロルは部屋にいるラースを見てにこりと微笑んだ。
「初めまして。可愛いお嬢さん」
12歳程のキャロルと目線を合わせるようにラースはしゃがみ込む。その様子を見てキャロルは呆れたように溜息をついた。
「子供扱いしないで」
むっとするキャロルに目をしばたたいてラースは苦笑した。
「これは失礼。…お名前を伺っても?」
「キャロルよ。あなたが王子様?」
「ジーナの第1王子ラースと申します」
きちんと頭を下げるラースをキャロルは満足げに見つめてにっこりと笑った。
「ラースね。…レオザとシラには会った?」
小首を傾げて上目遣いにキャロルは尋ねる。キャロルの長い髪がさらさらと白いネグリジェのような服にかかって揺れた。
「レオザ様にはお会いしましたが、シラ様とはまだですね」
ラースの言葉を聞いたキャロルは興味深そうにラースを見つめた。
「そう。会いたい?」
キャロルに聞かれてラースは困ったようににこりと笑った。
「まぁ…そうですね」
「会いたくないの?」
はっきりしない答えにキャロルはじっとラースを見つめる。
「そんな事もないですけど」
「ふぅん…」
くるりとキャロルは向きを変え、入口の扉に向かう。扉を開けずにその場でキャロルはラースの方に向き直った。
まるで扉を開けてくれるのを待っているような様子にラースは目をしばたたく。動く様子のないキャロルを眺めてラースは苦笑しながら扉を開けた。
「…どうぞ、お嬢様」
ガチャリと音が鳴り、下を向いたラースはそこにいた筈のキャロルがいない事に目を見張る。代わりに向かいから聞こえた声にラースは視線を移した。
「…誰?」
オレンジに近いような金髪の少女にラースは目を瞬いた。