声を出さなかったら、分娩室が大騒ぎになった話し
【タイトル・あらすじ、話し→話】 つい先日、友人の妊娠報告を聞いた。
とてもめでたいことだ。妊娠に至るまでも相談相手になっていた私は、自分のことのように狂喜乱舞した。
喜び勇んでお祝いを渡した時だった。
友人は、わたし自身の出産がどうだったのかと、経験談を知りたがった。
彼女に話す際、久しぶりに出産時のことを振り返ることができたので、せっかくならばとエッセイにしてみようと思う。
◇
陣痛の始まりは、お昼を少し過ぎた頃だったと思う。
その日の朝、私は定期検診を受けていた。
出産予定日を数日過ぎていたため、更に数日過ぎるようならば陣痛促進剤を入れると明言されて帰路についたのだ。
その際「子宮口は柔らかくなっているから、もしかしたら午後にでも陣痛が来るかもしれない」とも言われていた。
可能なら半身浴をし、散歩などの軽い運動をするようにアドバイスを受け、昼食を食べた後近所を散歩した。
家に帰った途端、軽い腹痛が45分間隔で起こり始めた。
おやおや?? これはもしや?? と、ソワソワとしながら病院に連絡をする。
そのまま様子をみて、もう少し間隔が短くなったら病院へ来るように言われた。
仮眠をとっておくように勧められた為、痛みで寝れるのだろうか……?? と、思いながらも眠りについた。
そんな疑問が吹き飛ぶ程に寝れた記憶がある。気づけば夕方になっていて、腹痛は20分間隔になっていた。
その後は指示通りに、連絡、病院へと言う流れであったのだが、そこからが大変だった。
まず一つ。当たり前だが、陣痛が痛い。
それはそれは痛い。
人によって表現が違うだろうが、わたし個人の感想は以下だった。
わたしの尾てい骨でブルドーザーが踊ってる。
より詳細にお届けするならば、あなたの尾てい骨と背骨のちょうど間あたりに手を置いてみてほしい。
その部分に「内側から」強烈な圧力がかかる感覚だ。よく聞く「鼻からスイカ」 とはよく言ったものだと思う。
じゃあ、痛みの種類は?? と友人に聞かれた。
わたし個人としての解答は「脂汗が止まらない腹痛の10倍」であった。
ただし、私はスピード出産だった。
長時間痛みに耐えて出産を乗り切ってこられた方に比べると、楽な部類だったとは思う。
が、それでも耐えている最中は辛かった。
そして、二つ目。どの体勢になっても辛い。
分娩室に通される前に、陣痛室に通される。
3畳ほどの空間で、横になれる簡易ベッドとモニター、荷物置きがある部屋だ。
その部屋は、陣痛の進みをモニタリングされながら、分娩室に通す段階に入るまで、痛みに耐える為にある。
その部屋で、私も勧められるままに、横になって待機しようとした。が、全く無理であった。
痛みで、横になってじっとしていることが難しかったのだ。
でも、自分の身体には陣痛を計測するためのコードが付けられているため、歩き回ることもできない。
そもそも、歩き回る気力もない。
横にもなれず、動きまわれもしない私がとった体勢は「和式便所」スタイルだった。
まじで、これが一番楽だった。
これから出産に臨む方に、このスタイルが合っているかはわからないが、もし同じ状況になったら選択肢の一つに入れてみてほしい。
さて、大変だった三つ目。
それはタイトルの通り、「出産が大慌て」だったことだ。
準備室にて耐え、助産師さんに「分娩室に行きましょう」と促された後の話だ。
夫に連絡し、彼が産院に到着する余裕があったのは幸いだった。
夫の顔をみて少し安堵し、さあ出産まで乗り切るだけ!!となった時。私の悪い癖が出た。
痛くとも、一切の声を出さなかったのだ。
慣れない分娩室、到着した夫、ニコニコと対応してくれる助産師さん。別の部屋で出産最中の別の妊婦さん。
この状況で、私は勝手に「声を出して、迷惑をかけてはいけない」と思考が振り切ってしまったのだ。
約一時間、耐えに耐えた。
ちょこちょこと様子を見に来てくれていた助産師さんが「痛みはどう??」と確認してくれていたが、武士のような顔で頷いてひたすら耐えた。
「耐えられる痛みならまだかかるかしらねぇ」
なんて言葉を言ってたような気がするが、あまり覚えていない。
そうして一時間後。
痛みの限界を迎え「吐きそうです」と言ったのがやっと出た声だったと思う。
渡された袋に吐いてしまい、謝ったところで助産師さんが私の状態を確認した。
子宮が、全開になっていた。
そこからが大騒ぎだった。
「あたま!! あたま見えてる!!」と状況把握して叫ぶ助産師さん。
他の助産師さんも加わり「先生呼びます!!」と、その場がバタバタとしている最中、私はいきみたくて仕方がなかった。
出ようとする娘の頭。
無意識にいきみそうになる私。
分娩台が出産用に変形できていなかったため、助産師さんが出かけている娘の頭を押さえ、大慌てで変形させていたのをよく覚えている。
その頃に先生が走り込んできた。
「はーい、いきんでいいですよー」の一声で、私はいきんだ。
娘は、そのいきみで産まれたのであった。
先生到着から、わずか1分。
振り返っても思うが、かなりバタバタした出産だった。
あとで助産師さんに謝られたのだが、どうやら「あまりにも静かだったから、もう少しかかるだろう」との見立てだったらしい。
“静か=まだ余裕がある” という判断を完全に裏切った私は、助産師さんからしたら「サイレント高速出産妊婦」だっただろう。
本当にご迷惑をおかけした。
これから出産に臨む皆様。声は出したほうがいい。こんなことになりかね無いからだ。
◇
ここまで、大変だったと表現している出産だが、出産を終えた二時間後には「もう一人頑張れるな」と思っていた。
間違いなく人生で一番の痛みだったが、我が子の顔を見た途端に吹き飛ぶのだから、不思議である。
さて、いわゆる「普通分娩」の私の経験だったが、お楽しみいただけたであろうか。
私自身は「帝王切開」で産まれ、友人の中には「無痛分娩(麻酔分娩)」を選択した人もいる。
一つだけ言えるのは、全員が様々なドラマを経て、出産に臨んでいると言うことだ。
これから出産に臨む方。どうか母子共に健康で無事に産まれますように。
この言葉で、このエッセイを終えようと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
読んでくださった方の出産エピソードがございましたら、コメントなどで是非読ませていただきたいです。




