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其ノ捌**非番の日



 翌朝、大門を開く銅鑼の音を聴き終えてから、わたしはずっしりと重たい荷を手に、妹に見送られて家を出た。


 第二環状区にあるわたしの家から、大門のある第一環状区まで歩く間に、都の朝市を目指して緩い坂道を上ってくる、何台もの馬車や荷車と擦れ違う。

 今日は国の公休日だ。第二環状区には商いを生業とする民が多いためか、あちらこちらにあるたくさんの広場で、休日毎に市が開かれ、身に着ける衣の類から、飾り物、武器防具、異国の古物、ヒツジやヤギ、仔牛の競りまで行われている。


 わたしもよくひとりで市へ出掛け、この国ではなかなか目にすることのできない品物を、ぶらりぶらりと目的を決めずに歩きながら眺めて回ることを、楽しみにしている。

 市に集まる商人達は物知りで話し好きな者が多く、彼等の話を聞いているだけでも飽きなかった。


 馬車や荷車、子ども達の暴走を避け、脇の細道に入ったわたしは、路地の合間の頭上で細長く切り取られた青空を眺めつつ、やがて区境にぐるりと巡らされている環状壁の通用門へと辿り着いた。


「・・・・・・あれ? 今日はここが馬車門なのかい?」


 普段よりも大きく開け放たれた扉の幅に気づいて、門番の兵士に尋ねると、兵士は渋い顔をして頷いた。


「ああ、悪いな。今朝、馬車門の近くで、競りに出す牛が暴れて脱走したんだ。とんでもなくばかでかい荷牽き牛で、上手く扱える奴もいないし大騒ぎでな。おかげで門はそいつに体当たりされてぶっ壊された挙げ句、閉鎖だよ。門柱まで歪んじまった」


「・・・・・・門柱を歪ませる暴れ牛か。それは見てみたかったなあ」


「兄さんみたいにのんきに歩いてたら、角に引っ掛けられて大怪我してるんじゃないか? 今頃、あの牛は角を切られてるはずだ」


「角?」


 興味を惹かれ、おうむ返しに尋ねたわたしに、わたしとそれ程変わらない歳に見えるその兵士は、腰に下げた剣の束に手を掛け、姿勢を少し崩して笑った。


「ああ。あのままじゃ、いつまた暴れ出すかわからないし、危なくて誰も近寄れないからな。角は二本とも切っちまうとか言ってたぜ。もともと荷牽きの牛だから、角はいらないんだそうだ」


「へえ・・・・・・欲しいなぁ」


「は? 欲しいって、角が?」


「ああ。何かに使えないかと思ってね」


「へえ。オレの仲間がちょうどあの門の番をしてるから、もしどこかに持って行かれてなかったら、取っておくよう、話をしておこうか?」


「やあ、ありがたい。無理にとは言わないから、是非とも頼む」


「はは。遠慮してるのか、強引なのか、どっちなんだ?? 牛の角が欲しいだなんて面白い男だな、あんた。女を呼び寄せる特別な角笛でも作るのかい?」


「ああ、それでもいいな。じゃあ、今度また寄るから、覚えていたら頼むよ」


「あ、ちょっと待ってくれ! 兄さん、名前だけ聞いておいてもいいかい?」


「――ユチだ。ナタウルネ・ユチ」


「へ~。兄さん、見掛けによらず、随分可愛らしい隠し名だなぁ。その名じゃ、男から恋文のひとつやふたつ、貰ったことあるだろう?」


「ああ。おかげ様で男には随分モテたよ。実際に会うまでだけどね」


 昔を思い出し笑って答えると、兵士は豪快な笑い声を上げた。


「そいつはお気の毒だな。さぞやがっかりされただろう?」


「ああ。だまされたって、文句言われたこともあるよ。じゃあ、よろしく」


「ああ。じゃあな、綿毛ちゃん」


 ――綿毛ちゃん。わたしの名前の一部“ウルネ”は、この国の言葉で『綿毛』という意味を持つ。正しく発音するなら“ウル・ネ”だ。ウルは『空を舞う』、ネは『種』を表す。


 ちなみに、わたしの隠し名である“ナタウルネ”は、この国の言葉では『タンポポ』を意味する。残った言葉“ユチ”は『狼』。つまり、わたしの隠し名は、直訳するなら『狼のタンポポ』になる。


 我が国に限らず、草原の民を祖とする全ての遊牧民にとって、狼は神獣にあたる。野に咲く素朴なタンポポと、野を逞しく駆け抜ける狼。大地に生きる遊牧民らしい名前だが、双方を連ね、ひとの名として使うには、随分と両極端な名を授かったのかも知れない。


 第二環状区の門を抜けると、そこからは段々畑と裾野に広がる麦畑、水車小屋に水田などが隙間なく続いている。

 この国の頂き、『天楽区』と呼ばれている特別区域から流れ出ている、幅広の川沿いに道は続き、やがて遠くに霞む第一環状区の大門に辿り着けば、酒場や待合いの宿屋などの旅人相手の店が所狭しと並び、賑わいを見せるこの国の歓楽街に行き当たる。


 手にした荷を届けるため、遠くに立ち並ぶ歓楽街の一角を目指して、わたしは大門への道をのんびりと歩き続けた。


 田畑の合間を真っ直ぐに伸びる大門への道には、たくさんの荷を積んだ馬車や牛車が行き交っている。その中で荷台に男女の子どもを乗せた、一台の馬車がわたしの傍らを通り過ぎた。


 もうもうと舞い上がる土埃の中、わたしが荷を抱え直していると、子ども達が突然、甲高い声で父親らしき男に向かって騒ぎ始め、やがて走っていた馬車は徐々に速度を緩め、路肩に止まった。


 御者台から、ひらりと地面に飛び降りた男は、被っていたコンチを背後に脱ぎ落とし、瞳を丸くすると、プサの裾を風に翻しながら、わたしに近づいてきた。


「あれ? ユチ先生じゃねえですか? どちらかにお出掛けで?」


「あれ? ユチさん、お久しぶりです」


 ふたりの大人の男が、あれあれ言いながらお互いの名を呼び合う姿に、荷台に乗った子ども達が、真似をし合い、声を上げて笑った。


「あれだってー」


「ユチさんだってー」


「コラ。いつまでも笑ってねえで、行儀良くしろおまえ達。ホラホラ、降り

て、ちゃんとユチ先生にご挨拶しな」


 父親に軽く頭をポンポンと叩かれ、荷台から手を繋いで降りてきた少年とその妹の少女は、近過ぎるほどに、ぴったりとわたしに寄り添うと、ふたりとも踏ん反り返るようにして、わたしを見上げた。


「ユチ兄ちゃん、こんにちはー!」


「こんにちはー!」


 少女が、ちいさな手のひらをわたしに向けて伸ばして来るのに気づき、わたしは、しゃがみ込んで少女の手を取ると、わたしの頬に触れさせた。

 丸い瞳を見開き、わたしを通り越した先のどこか一点を見つめたままの少女は、わたしの喉元にスッと手のひらを滑らせた。


「声、出してー」


「あああああ~~~~~」


 少女に応え、わたしは口を大きく開け、わざと低い声を震わせるように喉の奥で唸ると、少女は笑い声をあげた。


「びりびりー」


「ボクも! ボクにも触らせてっ!!」


 ――この少女が生まれたのも、ちょうど七還暦だった。母親は少女を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、命を落としている。わたしがこの親子に『先生』と呼ばれているのは、逆さ子として腹の中で育ったこの少女の“子護り”だったからだ。

 少女は生まれて最初の一還暦の間に、幾度も病を得た後、視力を完全に失っていた。榛色の美しい瞳。なにも見えていないことが、なんとなく頷けてしまう程、宝石のように澄んだ瞳を持つ少女は、明るい色の髪を背中まで垂らし、きれいな髪留めで飾っていた。


「素敵な髪飾りだね。兄さんにやってもらったのかい?」


「うん。お兄ちゃん、上手なの」


「ホラ、見て? ボクの髪も伸びて来たでしょ?」


 見れば、少年の後ろ髪は短いながらも束ねられ、革紐で結わえられて、ぴょこんとはねていた。


「ボク、櫛羅様のお祭りまでには、格好良く結えられるようになるからね」


「ねー」


 えっへん。


 妹の手を繋いだまま、少年は得意満面の笑みを浮かべた。

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