其ノ肆**兄の眺める世界
「お疲れさま。少し遅くなっちゃったけど、ごはんにしましょう」
「うん? ――あぁ、もうこんな時間か。道理でお腹が空くわけだ」
妹が野菜粥を温め、皿を並べて用意してくれている間、わたしはめがねを井戸水で丁寧に洗い、薄く柔らかくなめしたヤギの皮で丁寧に拭いていた。
汗や埃はめがねの大敵だ。大切に使わなくては城の仕事に支障が出る。
滲んだ視界の中、めがねを目の前まで持ち上げて顔を近づけ、慎重に硝子を拭いているわたしのもとに、鍋の火加減を見ていた妹がやって来て椅子に腰掛けた。
「貸して、やってあげる」
ぼんやりと滲む視界の中、ぼんやりと滲む妹の姿が見える。
全てのものの輪郭は二重三重に滲んでぼやけ、自分の手指すら自身の頭の影が、手のひらをほぼ覆いきる程に近づけなければ、しっかりとした線として認識できない、全てが曖昧で柔らかな線の描かれる世界。
ある意味、幻想的ともいえる視界の中、ぼんやりと滲む我が妹の姿を、これまたぼんやりとわたしは眺めていた。
ほんのちいさな子どもの頃には正常に見えていたはずの視力は、歳を重ねて芽生えた“奇妙な癖”の発覚と同時に、わたしから風光明媚なこの国の鮮やかな色と姿を少しずつ奪い、その輝きを封じていった。
他人の顔はおろか、両親や妹の目鼻立ちすら満足に識別できず、認識できるとすれば物の曖昧な輪郭と色の別のみという世界の中で、相手の感情を全て声音で判断しながら生きるわたしに、大人達はこう言った。
――七還暦に生まれた子には大切な役目が与えられているものさ。
この国を選んで生まれて来る者を、どうか導いてやっておくれ。
わたしのように誕生時には身の奥深くで眠り、その後、芽生えを迎えた“力”と引き換えるように、ひととして在るべき感覚を失っていく子どもの身を案じ、望みを寄せる大人達の会話の最後に決まって出てくるこの言葉。
幸せなことに――本当に幸せな事に、私には例え曖昧でも自らを取り巻く世界を自らの目で感じることのできる幸運が残された。
“力”が芽生えた、ほぼ全ての者が完全に盲ていく中、わたしにはわずかながらも、この目に視力が残されたのだ。そしてその代償か、わたしの中の“奇妙な癖”もまた、未成熟なかたちでその力を留めてしまっている。
――どういう訳か、わたしには昔から女性の腹に宿る子が、逆さ子かどうかを確実に見分けられるという奇妙な癖があった。
この“癖”そのものは、七還暦生まれの者であれば国の中でひとりやふたり、同じ傾向を持つ者に出会う機会もあるのだが、その者達は母親の胎内に命を宿す子の状態を見極め、安寧をもたらし、母親の腹に直に触れるだけで、逆さ子となった胎児の頭を正常な位置に戻すことができるという、特別な力を備えていた。
神に祈り、その通力を以て人々に道を開く巫女とは異なる力を持つ者。
彼等の力によって、子ども達は命を失う原因となる出産時の大きな危機を乗り越え、その後も力の庇護を受けながら健やかな成長を辿ることができた。
生まれ来る子ども達は水鏡のように、そのまま国の未来を映し出す。
母の胎内に宿る間は、この“子護り”の手に。生まれ出た後の子どもの病の治癒への施しは、薬師の手に委ねられることになる。
――わたしの場合“子護り”としての庇護を母子に授ける力の完全さに欠けていた。
こんな半端な力では無事に生まれ来るはずの命さえ、奪う事になりかねない。その恐れから、わたしはずっと自分の“癖”をひた隠しにして、ひっそりと生きて来た。
七還暦生まれの出来損ない――わたしがそう呼ばれないように、父と母は、わたしと妹を常に一緒に行動させ、できないことは互いに補い合うのが兄妹の絆なのだと口癖のように言い続けていた。
厳しい父と母だったが、わたしが“子護り”として生きるよりも、通常の視力を持つ者と変わりなく自分の身の回りの世話ができ、見習いとはいえ、文官として城勤めをして暮らせているのは、父と母の愛のおかげであり、妹の助けがあってのことなのだと感謝している。
妹からみれば、どうもぼんやりと生きているように見えるらしいわたしでも、今や、この家の立派な稼ぎ手なのだ。“七還暦生まれ”という、見えない枷から解き放たれる生き方を選べたわたしは、例え道を歩いていて、わたしの脇を擦り抜けるように駆けて行く元気余りある子ども達の集団に、自分の足を続けざまに踏みつけられようとも、痛そうな顔をせずに堂々としていなければならないのだと思う。
両手に大荷物を抱え、若干足を引きずるようにヨロヨロと歩くわたしを残し、子ども達は賑やかな歓声を上げながら、走り去って行った。
「――はい、できたわよ。兄さん」
きれいになったわ。
妹はニコリと微笑んで、わたしにめがねを手渡してくれた。