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其ノ弐**夕暮れの訪問者



 第一環状区の大門が閉じられる合図の銅鑼の音が、遠く微かに聴こえて来る。

 それほど大きな音でもないのに、この都を守る砦でもある環状壁の形状は見事に澄んだ鐘音の伝達を促し、日暮れまで汗を流して働く全ての者達に、家路に着く時刻を知らせる役割を担う、大規模な音響板のようなものともいえた。


 夕闇から藍色に変わり始めた空を眺めていた我が妹は、家の前を走る道を見渡した後、家の扉を閉め、振り返った。


「もうそろそろ帰って来ると思うから。どうぞ、火にあたって待っていて」


「ありがとう」


 ゆっくりとした足取りで部屋に入ってきたその女性は、付き添いの母親と共に、ちいさな暖炉の前に置かれた、長椅子に腰を下ろした。


「ねえ? そういえばさ、あんたの兄さん、お城勤めは順調なのかい? 目のことだってあるし、お城で無理してるんじゃないかと心配でねえ」


 女性の母親の声に、妹はくすくすと笑い、温めたヤギの乳を入れた鉢と果物を載せた盆を運んでくると、机に並べた。


「さっき搾ったの。良かったら飲んで。七還暦生まれの赤ちゃんは大変だもの。今からうんと栄養をつけなくちゃ」


 そう言って、家を訪ねてきた母娘にヤギの乳を勧めると、妹も母娘と机を挟んだ向かい合わせの椅子に腰を下ろした。


「兄さん、あんまりお城の話はしたがらないのよ。仕事が仕事だし、守秘義務があるからだと思うんだけど、夜遅くまで、ずっとひとりで部屋に籠もって、このところずっと朝寝坊なの。この間なんか、藁屑だらけで二階から降りてきたのよ。起こすのにちょっと張り切り過ぎちゃった」


 ペロリと舌を出して笑った妹に、相変わらずのんきな子だねえ。と、母娘も顔を見合わせて笑った。


「でもまさか、ウルちゃんがお城で働くなんてねえ。最初聞いた時は、そりゃもう驚いたけど、ふたりだけでずっと頑張って来たんだもの。あんた達の父さんや母さんもきっと今頃、喜んでくれてると思うわよー?」


「うん。兄さんも、まさか本当に働けるようになるとは思っていなかったみたい。

 お城から通知が来た時、部屋の中を立ったり座ったりして、ずっとウロウロウロウロしてたもの」


「うちに知らせに来た時も、手をワナワナ震わせて、口はまわってないし、何言ってるのか全然わからないんだもの。もうてっきり、あんたに何かあったんだと思って、おばさん慌てちゃったわよ」


「ただいま~」


「あら。噂をすれば帰ってきたわ。お帰り~、ウルちゃん」


 城からの宿題を、どっさり抱えて家に帰ってみれば、わたし達が子どもの頃からよく知っているおばさんと、おばさんの娘がわたしを待っていた。



「やあ、おばさん。レスイちゃんも。お久しぶりです」


「あらま~。ウルちゃんたら、随分立派になっちゃって。お城はどうだい?」


 おばさんが、瞳を丸くしてわたしを見ている。じつのところ、わたしの風体で立派になったところと言えば、妹が贈ってくれためがね位なものだ。


 わたしを小さな頃から知っているおばさんにとっては、めがねひとつに城仕えという身分が加わっただけで、とても立派に成長したように見えるらしい。


 手放しで褒めてくれるおばさんを見ていると、実際の、城でのわたしの扱いを思うと、なんだか申し訳ないような気にもなったが、わたしが今、とても恵まれているのは間違いない事なので、わたしは素直に笑顔を向けた。


「ええ。皆さんとても親切で、いろいろと教えていただいています」


 既に、城の中限定ではあるが、隠し名を変えられてしまったことは、わたしの中の、ほんの微かな心の傷として黙っておいた。何よりも、それを口にした時の妹の反応を思うと怖い。

 考えただけで嫌な汗が滲んできそうで、わたしは話題を変える事にした。


「ところで今日は、レスイちゃんですか?」


 幼馴染みの、膨らみつつあるお腹を見つめて尋ねると、レスイちゃんはお腹を撫でて頷いた。


「ああ、そうなのよ。この子が心配しちゃってね。下手な街の薬師様より、幼馴染みのウルちゃんに診て貰えば安心だから。お願いできる?」


「いいですよ。荷物を置いてきますから、少し待っていてください」


 ホッとしたようにレスイちゃんが笑う。小さな頃から知っているけど、本当に笑顔の可愛い女性になったと思う。レスイちゃんのお腹に、赤子が宿っていることに気づいた時は、本当に驚いたけれど、それから何度か様子を診た後、どんなふうに育っているのか、わたしも気になっていた。


 二階のわたしの部屋にあがり、城から借りてきた分厚い書物を机に並べる。

 楽しい作業ではあるけれど、これがいつまで続くのかと思うと、溜息が出た。


「――兄さん、そろそろいい?」


 部屋の扉から、妹が顔を覗かせた。


「ああ、いいよ。ちょっと待ってくれ。手を洗わないと」


「レスイちゃん、どうなのかしらね?」


 心配そうな妹の声に、わたしは簡単に着替えを済ませると、妹の頭を撫でた。


「大丈夫だよ。大抵は出産までに、ちゃんと正しい位置になるはずだから」


 妹とふたりで階段を降りると、長椅子をふたつ並べた上に柔らかい厚布が敷かれ、その上にレスイちゃんが横臥していた。


「仰向けだと辛いらしくてね。これでも大丈夫かい?」


「ええ。レスイちゃんの一番楽なようにしていてください」


 おばさんの声に頷いて答えると衣の袖を捲って、先程、妹が用意してくれた湯の入った器で指先から腕までを洗い、長椅子に横たわるレスイちゃんの傍らに、椅子を置いて腰掛けた。


 レスイちゃんは、わたしの様子をじっと見つめている。

 わたしはニコリと笑って、レスイちゃんの頭を撫でた。


「大丈夫。お母さんになるレスイちゃんが、気を揉んだりすることが、一番お腹の子に良くないから。ボクがちゃんと診てあげるから、心配しないで見ててね?」


「・・・・・・うん」


 レスイちゃんは少し頬を赤くして頷くと、自分の衣をそっと捲った。

 少し張り出してきた白い肌が覗き、わたしはその胎内から溢れ出る、命の脈動の眩しさに瞳を細めた。

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