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其ノ拾弐**ポロチセ館



 ヒノちゃんをあやすノイエさんの先導で、わたしはポロチセ館の奥に構えられた祈祷楼の入り口に近づいた。


「ヒノちゃんも大きくなったわねえ。この子ったら、いつの間にか随分重たくなっちゃって」


 上機嫌で腕の中でぴんぴんと足を伸ばし身体を弾ませているヒノちゃんをノイエさんが笑いながら抱きかかえ直していると、行く手からぱたぱたと軽い足音が響き、間もなくふたりの少女が現れた。


娼嬌しょうきょう様! 申し訳ありません。またヒノちゃんが脱走しちゃって・・・・・・」


「あっ!」


 あ~ぅ。マアアー。


 ふたりの少女の姿を目にした途端、ノイエさんの腕のヒノちゃんは、ふたりの少女に向かってもみじのようにちいさな手のひらを差し出した。


「やっぱり娼嬌様のところに行っちゃったんですね。この子ったら」


「もう、ダメでしょー? あなたのマアはわたし達なのよー??」


 頬をふくらませてノイエさんからヒノちゃんを受け取った巫女姿のふたりの少女は、わたしの姿に気づくと慌てて廊下に膝をついた。


「おいでなさいませ、旦那様」


「お騒がせして申し訳ありません」


「あ、い、いや。わたしはお客さんじゃないからそんなに頭を下げないで。きみ達は、新しい巫女姫さんかい?」


「はい。半季前から、こちらの巫女姫様方のお世話をさせていただいています」


「でも、まだどちらの楼にお仕えするかは決まっていないんです」


「あら、そういえば旦那センセとは初めてのご対面だったわね。ふたりとも縁あって、こちらに来て貰っている子達なんですよ。よく働いてくれるし、ヒノちゃんのお世話も上手なのよね?」


 ニコニコと微笑むノイエさんの言葉に、ふたりの少女は恥ずかしそうに顔を見合わせた。


「あ、あの。どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ」


「ありがとう。ヒノちゃんをお願いね」


「はい!」


 ふたりの言葉にノイエさんは頷き、ふたりの少女はその場でぺこりとお辞儀をして立ち上がると、ヒノちゃんを連れて祈祷楼の中へと入って行った。


「あの子たちにももう、帰るところがないんですよ。この国に辿り着いた時はふたりとも口もきけないような状態で・・・・・・旦那センセ、宜しかったら後でお茶の相手にでも、あの子達を呼んであげて下さいな」


「ええ。いいですよ。こんなおじさんが話し相手で、楽しいかどうかわかりませんけど」


「まあ、またそんなこと言って」


 ノイエさんは楽しそうにくすくすと笑うと、渡り廊下の突き当たりに構えられた、ちいさな朱塗りの扉を叩いた。


「レスイちゃんに、旦那センセがおみえになられましたよ」


 ――はい、ただいま。


 どこか遠くでちいさく鈴の音が鳴り、衣擦れの音が近づいてきて、静かに両開きの扉が開いた。


「お待ちしておりました。どうぞ」


 扉の向こうには、いつもレスイちゃんの身の回りの世話をしている少女が現れ、ノイエさんとわたしに一礼すると、静かな所作で先に立って歩き始めた。


「旦那センセ、レスイちゃんのこと、お願いしますね」


「ええ。それじゃ、また後で」


 わたしはノイエさんに軽く挨拶をし、レスイちゃんのいる祈祷楼の一室に向けて足を踏み出した。



「その後、レスイちゃんの調子はどうだい?」


「それが・・・・・・あの」


 わたしの先導をしてくれている少女はその場で立ち止まると、わたしの顔をじっと見上げた。


「巫女姫さま、三日ほど前に御寝所で転ばれまして」


「え!?」


「・・・・・・いえ! あの、立ち上がろうとなされた時に、敷き布に脚を取られてお膝とお手を付かれたんです。そのまましばらく動けなくなってしまって。でも、巫女姫さまが大丈夫だから、旦那センセには言わないで欲しいと申されまして・・・・・・」


「今のレスイちゃんの様子は?」


「ええ、安静になさっておいでです。お歩きになるのは控えておいでですけど、食欲もおありですし、夜もよくお休みになられています」


 レスイちゃんの様子は、当然ノイエさんも知っているはずだった。わたしになにも言わなかったのは、ノイエさんからみても心配なかったからなのだろうか?

 酷く転んだ様子ではないとは聞いても、実際にレスイちゃんの様子を診てみないことには心配だった。ことと次第によっては――。


「ウルちゃん」


 廊下の突き当たりに、レスイちゃんが立っていた。

 顔色は良さそうだったが、わたしは思わず早足になってレスイちゃんに近づいた。


「転んじゃったの? すぐにボクを呼んでくれたら良かったのに」


「・・・・・・うん。でも・・・・・・大丈夫」


 よほどわたしの顔が強張っていたのだろう。レスイちゃんはそっとわたしの手を取ると、自分のお腹に触れさせた。

 眩しい輝きをレスイちゃんの胎内に感じ、それどころか、ちいさな変化が起こっていることに思わず息を詰め、ホッと小さく息をつくと、レスイちゃんの背をうながして部屋の中へと入った。


「ボクがお城でお勤めしているから、気を遣ってくれたの?」


「・・・・・・ルニちゃん、すごく喜んでたし、ウルちゃん、大変だから・・・・・・」


「ポロチセの巫女姫様のためだもの。お城の仕事はボクじゃなくてもできるんだよ?」


 ルニ。というのは我が妹の名だ。この間、我が家を訪ねて来てくれた時の妹の様子を思い出したのか、レスイちゃんは自分のお腹を撫でてふわりと笑った。


「ルニちゃんみたいな、女の子だと・・・・・・いいな」


「はは。じゃあ、ウルちゃんみたいな男の子は嫌かい?」


「え・・・・・・ううん」


 頬を赤く染めて首を横に振るレスイちゃんの姿に、わたしは笑ってレスイちゃんの手を取ると、ゆっくりと長椅子に座らせた。


「レスイちゃんが転んだって、今さっき聞いたからびっくりした」


「うん」


「じゃあ、お礼にボクも、レスイちゃんをびっくりさせてあげるね」


「・・・・・・びっくり?」


 興味を惹かれたのか、レスイちゃんは無意識にお腹を撫でながらわたしに期待するような笑顔を見せた。


「レスイちゃんのお腹の子、逆子がちゃんと直ってるよ」


「・・・・・・・・・・・・え?」


「きっと、レスイちゃんが躓いた時に、赤ちゃんもびっくりしたんだね。お腹の中で上手に回って、ボクが診る限りへその緒も首には巻いていないみたいだから、もう大丈夫。あとはもう、ボクにできることはあんまりないし、レスイちゃんも今までどおり、転ばないように気をつけてね?」


「・・・・・・ウルちゃん、もうここに来ないの?」


 心細そうな顔をわたしに向けたレスイちゃんに、わたしはゆっくりと首を横に振った。


「ううん。そんなことないよ。ボクはレスイちゃんの子護りだからね。あ、でもあんまりウロウロしてたら、娼嬌さまに叱られるかも知れないなあ」


「――まあ、わたしは旦那センセにはそんなに怖い娼嬌なのかしら?」


「え!? ・・・・・・あ、いや。その、お、お店の方はいいんですか?」


 突然聞こえたノイエさんの声に縮みあがったわたしが、慌てて背後を振り返ると、先程のふたりの巫女姫見習いの少女を伴ったノイエさんが立っていた。


「旦那センセをレスイちゃんの独り占めだなんて、もったいないからお邪魔しに来ましたの。ご一緒させていただいても宜しいかしら?」


 この館は、娼嬌しょうきょうと呼ばれているノイエさんが一切を取り仕切っている場所なのだ。それにわたしには断る理由など、これっぽっちもありはしなかった。


「ええ。もちろんです。どうぞどうぞ」


「あら、旦那センセは大切なお客様なんですから、どうぞそのままお座りになっていらして」


 この館で一番身分の高い娼嬌であるノイエさんに席を譲ろうと立ち上がり掛けたわたしに、ノイエさんは笑って、連れの巫女姫見習いの少女と共に静かに座った。


「産み月間近の巫女姫様が、転ばれたと聞いた時は本当に血の気が引きましたの。幸いその後もお加減が悪くなるご様子もなく、本当に良かったわ」


 恥ずかしそうに頬を染めうつむいたレスイちゃんの傍らで、わたしは良い知らせをノイエさんに報告した。


「はは。なにより一番の心配の種がなくなりましたからねえ。躓いた拍子に赤子も驚いたんでしょう。逆子が直っています」


「まあ! 本当ですか?」


 ノイエさんは瞳を丸くしてレスイちゃんを見つめた後、手で口元に触れながら微笑んだ。


「うふふ、普段から物静かなレスイちゃんだもの。お腹の中でびっくりしたのかしら?」


「もとから元気な子ですから、わたしがうまく切っ掛けを作ってあげられたら良かったんですが」


「ウルちゃん、娼嬌さま、ひと晩付いていてくださったの」


 レスイちゃんの言葉に、ノイエさんは困ったように笑った。


「巫女姫様をお守りするのは、わたし共のお役目ですから。それにただ、姉代わりとしてお側に付いていることしかできませんでしたのよ」


「いやいや。レスイちゃんも、転んだ晩にひとりで眠るのは心細かったでしょうし、何があるかわかりませんからね。娼嬌さまが付いてくださっていたなら千人力ですよ」


 わたし達が話をしている間、ノイエさんに伴われてきたふたりの巫女見習いの少女達は、静かに茶の支度を整えてくれた。


「そうそう、改めて旦那センセにご紹介させていただきますね。こちら、先程のヒノちゃんのお世話をお願いしているチセちゃんとエナちゃん。こちらの祈祷楼のお世話をお願いしています。かんなぎさまのお計らいで、しばらくこの館全体のお仕事を覚えてから、どちらの楼にお仕えするか決まることになりそうですわ」


「チセに、エナです。よろしくお願いいたします。旦那さま」


「あ、ああ。そんなにご丁寧に。こちらこそどうぞよろしく」


 ふたり揃ってぺこりと床に低頭したチセちゃんとエナちゃんに、深々と頭を下げたわたしの様子に、ふたりの巫女見習いの娘達は、戸惑いがちにこっそりと顔を見合わせた。


「そんなに怖がらないで。わたしもヒノちゃんと同じ、このポロチセで生まれたんだ。呼び方も旦那さまなんてかしこまらなくていいからね。ユチさんとでも呼んでくれ」


「まぁ、ダメですよ。旦那センセは、ただの“狼”じゃないんです。巫女姫さまやわたし達にも、とっても大切な旦那センセなんですから。チセちゃん、エナちゃん、こちらがナタウルネ・ユチさん。わたし達の身体を気遣って、いつもとても良くしてくださっている先生よ」


「お噂は伺っておりました。巫女姫さま方やお姐さん達も、町の薬師さまよりも旦那センセにお願いした方が、優しくて安心だって」


「い、いや。わたしは先生なんて呼ばれる程立派なことはしていないから・・・・・・ノイエさんも助けてくださいよ。参ったな」


 少女ふたりを前に身を縮め、大汗をかきはじめたわたしを眺め、ノイエさんとレスイちゃんは楽しそうにくすくすと笑った。


「きみ達は、同じ国の出身なのかい?」


 茶をすすりながら尋ねたわたしに、チセちゃんとエナちゃんは首をふった。


「いえ、同じ地方ではありましたけど、違います」


「自分の住む村から、国境を越えて逃げ出して・・・・・・途中の町で、この国の巫さまに助けていただきました。そこからは商隊の方と一緒に」


「あと一日遅かったら、今頃・・・・・・どこかに売られていたんだと思います」


「え? ・・・・・・巫さまに?? そういえば、巫さまはこちらにはいらっしゃらないのかい?」


 いまいち合点がいかず、問い返したわたしに、ノイエさんが頷いて言葉を継いだ。


「始終出歩いてらして、ちっともこちらに落ち着いてくださらない方なんですよ。でもこうして、帰る場所を失くした子達を、わたしどものところにお預けくださるんです。どの子も皆、深く傷ついていて・・・・・・いかにこの国が平和かを、そんなところで実感するなんて、哀しいことですわね」


「きみ達も、大変な思いをしてここまで辿り着いたんだ。この国ではきみ達も戦力のひとつだから、引き換えに過去のことを思い出せなくなるのは辛いだろうけど・・・・・・この国の民として、伸び伸びと暮らしてほしい」


「はい・・・・・・ありがとうございます」


 ふたりの少女は、正座した膝に涙を落としながら頷いた。

 こうして他国の戦火や奴隷商の手から逃れ、この国に辿り着いた者達は皆、国の調べを受けた後、この世に生を受けた時に与えられる“然り名”を操術によりその身から取り上げられる。そして耳の奥、鼓膜に決して解けない“誓言の呪”を受けた上で、新たな“然り名”を授かり、音の国の民として生涯を過ごすことになる。

 少女達は、ほぼ全員がまずこのポロチセ館に預けられ、巫女の世話や店の手伝いをし、それぞれの資質を見極められた後、巫女姫の世話係や赤子の子守、娼館の下働きなどをこなしてゆく。

 つまり、ポロチセ館という限られた世界の中でこの国の習慣や言葉に馴染み、いずれ国内に散って暮らすようになるまで、ポロチセ館がこの少女達の実家となるのだ。そして少女達は、婚姻や子のいない家庭に迎えられることがない限り、このポロチセ館の娼姫として過ごしていくことになる。

 ポロチセ館はこの国をはじめ、数多の国に生まれた民の血を引く娘達の手で、大切に守られている、国の要所のひとつでもあった。

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