其ノ拾壱**ポロチセ館
ちょうど、昼飯時の店の中は、他国へと旅立つ前に腹ごしらえをする者や、遠くから旅をして来た者などで賑わっていた。
衣をたすき掛けにした少女達が膳を手に、卓に着いている客と飯場の間を往き来する中、先程の女性の案内で、店の奥から廊下づたいに角を曲がろうとしていたわたしは、足下にうずくまっていた、ちいさなかたまりに蹴躓きそうになった。
「・・・・・・うわっ!?」
「まあ! 大丈夫ですか、旦那センセ?」
こ~ら、ヒノちゃん。こんなところまで出てきちゃ危ないでしょ?
さ、ノイエマアと一緒にいきましょうね。
うー。
廊下に座り込んでいたのは、小花の柄をあしらわれた衣を纏う女の赤子だった。
ヒノちゃん、と呼ばれ、女性に抱き上げられた赤子は、わたしの顔をじっと見てすぐに、くるり。と、そっぽを向いてしまった。
やぁぅー。ぶ~。
そのまま女性の肩に顔を埋めてしまったヒノちゃんに、女性――ノイエさんとわたしは、顔を見合わせてちいさくふきだし、ノイエさんは笑いながらヒノちゃんをあやすように身体を軽く揺らした。
「あら、ヒノちゃん忘れちゃったの? 旦那センセでしょう?」
「はは。いつもきれいなマア達に囲まれているのに、ろくに顔も出さない男の顔なんか見ても、ヒノちゃんのご機嫌を損ねるだけですよ。へえ、この間ようやく掴まり立ちするようになったと思ったら、もうこんな遠いところまでひとりで出て来るようになったんですねえ。大したもんだなぁ」
「そうなのよ。もうちょっとでも目を離すとお店に行きたがって。やっぱり渡りに柵でもつけないとダメかしらねえ?」
娼館に赤子がいるのも妙な話だが、この赤子は娼館と棟続きの祈祷楼で生まれた赤子なのだ。つまり、この子の母は、この音の国の神獣『櫛羅』に仕える巫女姫である。
――神に仕え、救いを請う民に道を拓く巫女姫達は大抵、婚姻を結ばない。つまり、この赤子、ヒノちゃんも父親が誰なのかは明かされていない。というのも、ポロチセ館を訪れ、巫女を通じて櫛羅の神託を請い願う者の中でも、巫女と直接まみえることが叶うのは、深く心に傷を受けながらも再生への祈りを抱えたごく限られた者のみと、この国の『巫』によって決められているからだ。
娼姫達の判断により巫女の前までいざなわれた者は、しばらくの間、巫女とその者ふたりきりで生活を送ることになる。その中で、日常生活において対外的に使われる“隠し名”に、親から授けられた“魂名”を併せた、自身の生きる源である“然り名”を巫女に明かし、神託を受けた巫女から施される回復の導きによって、これまでの名とは決別し、新たな名を授かる者、傷を癒し、他国へと向かう者と、様々な道を自らの力で拓いていく力を持つようになる。
巫女は神獣『櫛羅』に仕える身であり、男女の別を問わず、いわゆる世俗の人間と、肉欲を目的として身体を交えることは叶わないが、巫女が必要と判断した者については、肌を合わせ、巫女の中を“泳ぐ”櫛羅とのより深い心身の交感が行われることがある。つまり、巫女が民と交接する目的は、肉欲のためではなく、自らの身体を通じて櫛羅のもとへ迷える民をいざなうためなのだ。
その際、男の子種を殺すための練り膏を使うことはできないため、結果としてレスイちゃんのように、時として巫女が肌を合わせた男の赤子を身籠もることがある。
巫女の元へといざなわれる者たちは密やかに祈祷楼に入り、また出てゆく決まりであり、一度、巫女の導きにより祈祷楼を出た者が再びこの場に戻ることは叶わないため、自分の子を身籠もり、またポロチセ館の中で産み育てられていることを、父親である男ですら生涯知り得ない場合がほとんどだった。
巫女の産んだ子は櫛羅からの授かり子と呼ばれ、肌や髪の色にこだわることなく、皆、同還暦生まれのきょうだいとして育てられる。養母はポロチセ館の娼姫達だ。
そんな曰くを持ち、男性が滅多に立ち入ることのない祈祷楼にわたしは向かっているのだが、それはわたしがレスイちゃんの幼馴染みであり、わたし自身がこの祈祷楼で生を受けたせいでもある――つまり、今は亡きわたしの母は、ポロチセ館の巫女の身分にあった女性で、亡くなった父とわたしには血の繋がりがない。ちなみに我が妹は、父母双方と血が繋がっていて、わたしとは異父兄妹ということになる。
わたしと妹の性格がほぼ真逆に近いのは、父母が同じ兄妹でもあり得ることなので、我が妹の、竹をまっぷたつに割ったようなあの性格は、やはり血の繋がり云々と言うよりも、わたしを常々守り、世話を焼きながら成長した長年の蓄積によるものが大きいのかも知れない。
つい先程、巫女は婚姻を結ばない場合がほとんどだと、皆さんにお話をしたばかりだが、ごくたまに、わたしの母のように巫女の座を降り祈祷楼を出て、一般の民である男と婚姻を結ぶ場合もあるのだ。
祈祷楼で生を受けたわたしは実の父を知らないが、それでも父と母が婚姻を結んだのは、わたしがまだ母のお腹に留まっていた頃のことで、亡くなった父は、血縁のないわたしを実の息子として、それはそれは可愛がってくれた。
そもそも広い草原で暮らしてきた遊牧民は昔から皆、自分達の部族の頭数を守るために、女性を宝とし、奪い合ってきた歴史がある。大切なのは血縁のある親子関係ではなく、部族としての絆だった。
そんな背景もあり、巫女でも娼姫でもない我が妹は、主に男性が通うポロチセ館にも躊躇なく足を運び、娼姫が主催する楽や歌の集いにもよく顔を出している。
母やわたしにとって、ポロチセ館が皆さんでいうところの「実家」のような存在であるように、我が妹にとっても、この館が心を寄せる温かな存在であるということは、わたしにとっても嬉しいと思えることのひとつだった。