其ノ玖**非番の日
「すいません、乗せて貰っちゃって」
「なあに、先生のひとりやふたり、どうってことねえ。今日の先生は、また何だかいろいろと持っていなさるが、どちらまで行かれるんです?」
「ああ、大門からは出ません。ポロチセ館に届け物に行くんですよ」
わたしの言葉に、手綱を繰るユチさんが納得したように声をあげた。
「あーあ、御巫のお姫さん達のところですかー。先生はお若いし、そりゃあ姫さん方にはモテるでしょうなあ」
「いやあ、なんだか行くたびに頼まれごとばかりで。旦那衆として行くなら、そりゃあ夢みたいなところですけどねえ。はは」
ずっしりと重たい荷を膝の上に抱え、わたしは偶然出会った刀鍛冶のユチさんの馬車に揺られ、大門に向かっていた。
聞けば、ユチさんはこれから広い草原を回って、放牧に出ている民の馬の蹄に蹄鉄を打ちに行くのだという。
刀鍛冶が蹄鉄屋を兼ねるのも妙な話なのかも知れないが、鉄を扱うという点においては何でもやるのがユチさんのやり方なのだそうだ。この馬車で草原中を回り、遊牧をしている民の馬の蹄を打ち、また別の集団のもとに出向いて行くのだという。
「かみさんが生きてれば、この子らは都に残して行くとこなんですけどねえ。まだふたりともチビ助ですが、連れて行けば多少の手伝い位はできるでしょうから」
「え・・・・・・? ユカラちゃんも連れて行くんですか?」
「ええ、一緒に連れて行きますよ」
驚いたわたしにユチさんは目尻に刻まれたしわを寄せ、笑った。
「ユカラだけを都に残して、この子らを引き離すのもなんだし、糸紡ぎ程度ならできるんでね。もともとは近所の奥さん方に仕込んで貰ったもんだが、目が見えなくても、家仕事でできる事はたくさんあるんで、まぁやれることだけでもやらしてみようかと思ってますよ。
これでも結構、器用なもんでね、わたしよりもかみさんの方に似たんでしょう。わたしとエオの男手で育ててるもんで、がさつで荒っぽい娘になるんじゃねえかと心配でしたが、おかげさんで今じゃ病気ひとつしねえ、自慢の娘ですよ。はは」
「ユチ兄ちゃん、ユカラはね、糸紡ぎが上手なんだよー。ボクがやると太かったり細かったりなんだけど、ユカラはずっと真っ直ぐに紡ぐことができるんだ。ボクらに糸紡ぎを教えてくれたおばさんも褒めてた」
「ほめてたー」
馬車の荷台に積んだ家財道具の上に座っている兄のエオくんが、ニコニコとユカラちゃんの頭を撫でる。ユカラちゃんは膝に抱いたちいさな人形の頭を同じように撫でていた。
妹が欲しいと言っていたユカラちゃん。今では亡くなった母親が作ってくれたという、その人形が妹代わりなのだという。
わたしの“子護り”としての役目はとうに終わっているのだが、なんとなく気になって、その後もこの少女の様子は時々見に行くようにしていた。
九歳のエオくんと、七歳のユカラちゃん。多少、出てくる言葉の少なさはあるが、ユカラちゃんは他人の言葉はきちんと理解できている。ユカラちゃんにも七還暦生まれの者が持つ能力があり、彼女の場合は、次代の巫になるのではないかと噂されている程、未来を予見する力が強いのだそうだ。
もしかすると、ユカラちゃんもいずれはレスイちゃんのように、今わたしが向かっているポロチセ館の奥館で暮らす事になるのかも知れない。
ちなみに、この国の歳の数え方は生まれた時で一歳になり、その後、新還暦を迎えた日に国民は皆、ひとつ歳を取ることになる。皆さんでいうところの『数え年』と同じ仕組みだ。
成人と呼ばれるのが十九歳で、ちょうど、わたしの上司であるクコル尉官とこの国の王子殿下は、おふたりとも現還暦で御成人のお歳を迎えられた。
わたしはといえば、とっくに成人年齢を超え、更に歳を喰っている。今は二十八歳。上司のクコル尉官の十九歳というお歳を思えば、お城に仕える見習い書記官としては、かなりのいい歳だということがお解りいただけるかと思う。
更に、ユカラちゃんとは三回りも歳が違うことになる。わたしの友人の中には、もうそのくらいの子を持つ者もいるので、親子といっても不思議ではないのかも知れない。
ちなみに我が妹は二十二歳。もうそろそろ結婚してもおかしくはない歳なのだが、どうも今のところそんな気配はないらしい。
幾度か、友人なのか恋人なのか、なんなのか。という者がいたこともあるようだったが、その辺りについては例え兄妹とはいえ、口にしない方が家庭とわたしの心の平穏が保てるため、口出しはしないことに決めている。触らぬ妹の恋路にわたしの平穏あり。だ。
「先生、そろそろ着きますが、ポロチセ館の前まで行きますかい?」
「あ、ああ。いえいえ。もうこの辺りで充分です。ありがとう、荷物もあったので助かりました。都に戻られるのは、いつですか?」
「緑陽の櫛羅様のお祭りまでには戻りますよ。なんでも、ユカラも橋渡りに加えていただけるんだそうで」
「へえ、大役じゃないですか。すごいなあ」
ユカラちゃんは美しい瞳をキラキラと輝かせ、ニッコリと笑った。
やがて馬車は大門の傍に近づき、わたしは馬車を降りてユチさんと兄妹に手を振って礼を言い、大門を出て草原へ去り行く馬車を見送ると、レスイちゃん達の暮らすポロチセ館へと足を向けた。