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聞書 うまれいづる娘 肆



 草原を漂う朝靄の中、死者を弔う鐘の音が響く。

 ヤヨスラを先頭に、メノワの亡骸を乗せた荷車を牽くオウルフ、乳母布にくるまれポポリに抱かれたユカラ、ポポリと手を繋いで歩くエオの姿が現れた。

 ヤヨスラの鳴らす鐘の音は白く煙る草原の丘に染み渡り、やがて一行が丘の上に辿り着くと、オウルフは無言のまま、地面に妻を埋葬する穴を掘り始めた。


「さあ、おいで。子ども達。ばばがお話をしてあげような」


 ヤヨスラの招く声に、ちいさな花を手にしたエオは首を傾げた。


「お話? でも、ユカラはまだちいちゃいから、婆様のお話がわからないんじゃない?」


「それなら、この婆のお話をエオがユカラの分もちゃあんと憶えておいで。ユカラが大きくなったら、エオがお話をしておあげな。できるかね?」


「うん。わかった」


 こくりと頷くエオを抱き寄せたヤヨスラは、皺だらけの手でその幼い手を握った。


「エオのマアさまはな、大地のもとに還りなさることになった。今、そなたのポルさまは、マアさまが大地の精霊達のところに旅立たれる大きな穴を掘っておる。これからは、この広い草原全てがエオのマアさまだ。わかるかな?」


「マアは、寝てるんでしょう? 穴に入って、いなくなっちゃうの? もうマアには、会えないの?」


 荷台に横たわるメノワの亡骸を眺めながら首を傾げるエオに、ポポリは涙を堪えながら腕の中で静かに眠り続けるユカラをあやした。

 オウルフが墓を掘り続ける音とともに、ヤヨスラは再び静かに言葉を続けた。


「エオ。マアさまはな、この草原とわたしたちを護っておられる、テングリのところに行くんだよ。テングリは真っ白な姿をした女の狼だ。マアさまはユカラを産む時、テングリとひとつ約束をした――マアさまがいなくなったら、代わりにエオとユカラを、テングリが護ってくれるように。この草原は、テングリの大きな力が働いておるからな。

 エオとユカラはずっとおまえ達のポルさまと一緒に、この草原で暮らすといい。この草原が続く限り、テングリとマアさまはおまえ達と一緒におる。おまえ達が行くところには、必ずマアさまもおる。寂しくはないだろう?」


「うん。ボクが行くところには、いつもマアがいるんだよね?」


「そうだ。この婆も、エオも、ユカラも、ポルも、ポポリだっていつかはみんな、テングリのところに行くのさ」


「ボクもいつか、大きな穴を掘るんだね?」


 確かめるように問いかけるエオの姿にヤヨスラは頷くと、落ちくぼんだ瞳で朝靄の彼方まで続く草原を遠く見遣った。


「ああ。みんなみんな、いつか大きな穴を掘って大地の中に還っていくんだ」


「ふ~ん・・・・・・? こんなにちいちゃいユカラも?」


 続くエオの声に、ヤヨスラはちいさく笑って頷いた。


「そうだな。ユカラが婆のように、しわくちゃになったらな」


「ええー!? ユカラも婆様のようになるの? ポポリも?」


 皺だらけのヤヨスラの顔や手と、ユカラの丸いちいさな手を見比べ、エオが瞳を丸くした。ヤヨスラは笑い出し、涙を零していたポポリもエオの様子に泣き笑いをした。


「ええ、そうですよ。坊ちゃんもいつか、しわくちゃのおじいさんになりますからね。その時に、ご自分の手を見てびっくりしないでくださいね」


「ねえ? ボクがしわくちゃのおじいさんでも、マアはわかってくれるかなあ?」


 自分の両手を穴の空くほど見つめていたエオは、ヤヨスラの顔を見上げた。


「わかるともさ。エオはマアさまにそっくりもそっくり、瓜ふたつだからな。しわくちゃのじじばかりいても、マアさまならきっとすぐにわかりなさるぞ」


「へ~。しわくちゃのおじいさんばっかりいたら、面白いね」


 感心したように頷くエオに、一同から笑い声が零れた。

 やがてオウルフが掘る穴は大きな口を開け、メノワの埋葬の支度が整った。


 大地に還る魂を送るクニノウタの一節とともに、メノワの骸は土中に憩い、丘の上に小高く盛られた土の山には墓標として立てられた弔いの旗が風に揺れた。

 ヤヨスラの弔いの歌とともに、一同が首を垂れる。


 ――天地を結ぶ依り代となり、あまねく精霊の加護の許、ふたたび巡りまみえん事を。


 最後の一節を歌い終えたヤヨスラは草原に頭をつき、口づけると一握の土を懐から取り出した袋に収めた。


「・・・・・・さて、これでメノワは無事にテングリのもとに向かえるだろう。オウルフよ、これからおまえさんはメノワの忘れ形見を育ててゆかねばならんだろうし、どうかね? このまま遊牧の暮らしをするよりも、ユカラが大きくなるまで一度、都に戻っては。メノワを亡くした草原に、このまま留まり続けるのは辛かろう?」


 メノワを守るように風に揺れる弔いの旗をじっと見つめ、黙していたオウルフは、ヤヨスラの言葉に力なく目蓋をしばたかせた。


「婆様・・・・・・俺は、メノワとテングリの傍にいなくてはならない気がする。例え都に戻っても、またすぐにここに戻って来てしまうのではないだろうか?」


 苦痛に満ちたオウルフの顔をじっと眺めたヤヨスラは、傍らに立つエオの頭にそっと手を置いた。


「テングリとメノワの宿るこの草原がおまえを呼び続けるなら、そうするがいいだろうよ。ユカラは姿かたちは人間だが、狼どもの仔でもあるからな」


「メノワは俺を赦してくれるだろうか・・・・・・? もし・・・・・・もし狼達がやってきてメノワの眠るこの墓を暴き、身を喰らう事にでもなれば・・・・・・俺はあいつらを、地の果てまで追って根絶やしにした挙げ句、狂ってしまうんじゃないかと・・・・・・不安なんだ」


 エオの手を引き、彼とともに墓の前に花を供えたヤヨスラは言葉を続けた。


「メノワの心残りは、なんといってもおまえさんとメノワの間に生まれたこの子達だよ。この子達を立派な草原の民に育てることが、あんたがメノワの苦しみを救える唯一の道だ。大丈夫だ。狼の名を持つ者を、テングリは見捨てたりはしなさらんよ」


 オウルフはポポリの腕からユカラを抱き上げ、エオの前にしゃがみ込んだ。


「エオ。これからはポルとエオが、ユカラのマアになるんだ」


「マアに? ボクもポルも男でしょ? マアは女だよ?」


 驚いたように瞳を丸くした幼い息子の姿に、オウルフは頷いた。


「ユカラはまだうんとちいさいから、マアが必要なんだ。だけどポルだけじゃ、ユカラのマアになるのはとっても大変なんだ。だからエオもポルと一緒に、ふたりでユカラのマアになろう。いいかい?」


「三人でしょう? ユカラのマアは、メノワマアさまと、ポルと、ボクだよ。マアは白い女の狼のテングリと一緒に、ボク達をここで見ていてくれる。だから大丈夫だよ。ねえ、ユカラ――」


 朝靄の晴れた草原には、エオの名に由来する蒼天が広がっていた。

 草原を渡る風に揺られ、たなびく数多あまたの旗のもとに立つ父と子と、その子護りの巫女姫達は、メノワの息吹が大地の精霊と狼達のもとに旅立ち、魂の安寧を得ることをいつまでも祈り続けていた。

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