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其ノ壱**はじまりの朝

挿絵(By みてみん)



 ドンドンドンドンッ


「兄さん、ちょっと! いい加減に起きてよ!! もう第一刻の鐘は、とうに鳴ったんですからね。また遅刻して怒られても知らないんだから!」


「・・・・・・・・・・・・ハイ」


 階下から、めんどりのようにコケッココケッコと捲し立てる声が聞こえてくる。

 こんな朝っぱらから、よく頭の血管が切れないものだ。と、掛け布の中でゴロリ、ゴロリと一回転分の寝返りをうち、しぶしぶ敷き布から起きあがった。


 大あくびの後、小机に置いためがねを取る。もうひとつ、小あくび。

 そもそも、小あくびなんて言い方があるのかも知らないが、そこはまぁ、いいとしよう。さて、そろそろ起きないと妹の機嫌を本気で損ねてしまう。


 ドンドンドンドンッ ドンドンッ


「はいはい、今、降りますよ~」


 天井からパラパラと藁屑や土粉が落ちてくるのを適当に払いながら、のそのそと階段を下りて行くと、妹が天井を睨み付け、箒の長い柄で再び天井を突き始めたところだった。


「あら珍しい。おはよう、藁屑兄さん。ちょっとやりすぎちゃったかしら?」


 瞳を丸くして近寄ってきた妹は、藁屑まみれになったわたしの髪や肩についた藁屑を払い、ついでに持っていた箒を、はい。と、わたしに手渡した。


「さっき掃除したばかりなのよ。きれいに掃いてね」


 妹はそう言うと、朝ごはんの支度に戻っていった。

 朝一番の起き抜けにすることが、妹がわたしの部屋の真下を箒の柄で盛大に突いたおかげで、わたしが被る羽目になった、屋根の材料屑の掃き掃除。世の中、妻の尻に敷かれている夫はたくさんいても、妹の尻に敷かれる生活を送る兄は、果たしてどのくらいいるんだろうかと、床の土粉を掃きつつ思う。


「その起こし方はなかなか画期的だけれど、家が壊れやしないかい?」


「だって、今までの中でこれが一番効くんだもの。朝は忙しいんですから、兄さんの面倒ばっかり見ていられないのよ。終わったら、早く顔を洗ってね」


 本当に、これが同じ血を分けた兄妹なのだろうか。

 何年も前に亡くなった両親は、わたしが貰うはずだった機敏さを、全て妹にやってしまったに違いない。あるいは逆に、妹が貰うはずだったものを、わたしが全て取り尽くして生まれてしまったのか。どうもその辺りは、生前の両親にもわからず仕舞いだったようだ。


 ――さてと、これでよし。


 庭に出て、既に妹が汲んでおいてくれた井戸水に、両手を入れようとした。


「おっと・・・・・・めがね、めがね」


 めがねは、この豊かな国でさえ贅沢品だ。大切に使わなければ、確実に妹に殺される。なんといっても、妹が目の悪いわたしを案じて、城に上がった商人を半ば脅すようにして半値以下に値切り倒し、贈ってくれた品なのだから。

 我が妹は、口は悪いが心根はとても優しい子なのだ。


 ちなみにわたしは、妹に贈って貰っためがねを掛けたまま、半日その商人の愚痴を聞く羽目になった。妹を泥棒呼ばわりし、さめざめと泣いている商人にわたしは心から同情し、なぜかふたりで慰め合った。


「兄さん? 早くして。冷めちゃうわ」


 炊場から妹の声が飛んでくる。まだ井戸水に触ってもいない事が知れたら、更に叱られるに違いない。慌てて頭の上にめがねを乗せ、顔を洗う。


 布で顔を拭いながら家に入ると、焼き上がったばかりのシトが皿に山盛りになっている。椅子に座ると、妹がシトをつける煮汁をわたしの前に置いた。


 ちなみに、シトとは皆さんでいうところのパンみたいなものだ。麦の粉を牛や山羊の乳で練って丸形に伸ばし、かまどの内側に貼り付けて焼く。かまどの灰をうまい具合に避けておかないと、焼けてかまどから剥がれ、落下して灰だらけになった末期のシトを食べる事になる。シトをつける煮汁は、皆さんでいうところの肉団子汁みたいなものだ。

 朝一番に絞った牛の乳が入った器を置き、妹はわたしの向かいに座った。


「もう淡霞パイカに入ったんだから、もうちょっと早く起きればいいのに。朝一番の環状壁の美しさを知ったら、兄さんも毎日、早起きするようになるんじゃない?」


 父さん、母さん、いただきます。


 妹は瞳を閉じて挨拶をすると、シトを自分の皿に取り始めた。


「いつの季でも、眠いものは眠いんだ。そうだろう? 妹よ」


「夜遅くまで起きているから、朝起きられないんでしょう? このところ毎晩じゃない。いったい、何をしているの? お城の仕事?」


 シトを指先で千切りながら、チラリとこちらを観た妹の視線に、わたしは思わず目をそらした。


「うん。まぁ・・・・・・そんなもんだよ。うん」


 小姑のような我が妹も、年頃の娘なのだ。淡い夢を壊すようなことは、可愛い妹を持つ兄としても、伝えるべきではないのだろう。


「さて。じゃあ行ってくるよ」


「はい。気をつけてね。馬車に轢かれないように、子どもに踏まれないように、めがねを落とさないように。行ってらっしゃい」


「はいはい。かまどの火だけは頼んだぞ」


「あら。兄さんじゃないもの。大丈夫よ」


 いつも通り、支度を整えた荷物をわたしに手渡し、背中をパンと叩くと、妹は戸口で手を振って見送ってくれた。


 空は青く晴れ渡り、陽射しが燦々と白い環状壁を照らしている。

 第二環状区にあるわたしの家から城までは歩いていけば、ちょうど城の開門時刻に城門に辿り着く。


 わたしの名は、ナタウルネ・ユチ。城仕えの書記官の見習いだ。

 見習いにしてはもう結構いい歳なのだが、諸般の事情により、今から二季程前から登城することになった。登城して一番最初に言われた言葉は。


「ふ~ん・・・・・・名前聞いて、どんな可愛い女の娘かと思ったら、男デスか。きみ、良い名前だけど呼びづらいから、ちょっと縮めなさいヨ」


「そうですね。男女の別がはっきりしておいた方が良いでしょう。では、どのように?」


 その日、初めて会ったこの城の老師と尉官は、いきなり残念がられて動揺しているわたしのことなどどこ吹く風で、淡々と話を進めた。


「そうだネ。じゃあ、ん~。ナタネにしようか。いい名前でショ?」


「あの、折角ですが、どうもわたしにはしっくりと来ませんので、では、せめてユチとでもお呼び下されば・・・・・・」


「ユチはもう、あなたの同僚にふたりもいるのですよ。申し訳ありませんが、老師の仰せの名前で呼ぶことに致しましょう。すぐ慣れますよ」


 わたしのこの城での第一の仕事は、父母から貰った大切な隠し名をあっさりと、上司とそのまた上司に変えられ、それを自分の名として同僚に紹介してまわる事だった。


 万が一、この話が妹の耳に届いたら・・・・・・はぁ、怖い。

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