第40話 夜に向けて
二人の目の前に一匹の黒猫が現れる。
黄色と青色のオッドアイ、少し尖った耳、二本の尻尾を持つその猫の身体は透明な膜のようなものに包まれ守られている。
二人に臆することもなく、アルドギドスの上に乗った黒猫は気怠そうにもう一度鳴くと、甲殻を爪で二三度引っ掻く。
硬いと判断したのか、ライラの方を見て、ここと言わんばかりに脚で甲殻を突っついて鳴いた。
ライラは黒猫から目を離さず、ゆっくり動きながらディケンズに尋ねた。
「ひ、昼間は大丈夫なんだよな?」
「そ、そのはずだ・・・」
ライラはそのままゆっくりと黒猫の示した部分の甲殻を外した。
すると黒猫は、ライラなど初めから居なかったかのように無視して、肉を喰らいだす。
粗方の素材を剥ぎ終えていた二人は黒猫を刺激しないよう、ゆっくりとその場を離れた。
「まさか、こんなところでムロイスに会うとはな。」
「夜だったら、死んでたかもしれねぇな。」
ムロイスはランクAに分類される魔物。
昼夜によって姿が変わり、その真価は夜に発揮される。不浄王と同様に特定の縄張りを持たず、ギルニア砂漠を周回している。
一説によると、昼と夜では別人格、或いは別個体とされており、不思議な力で守られる昼の姿は自由気ままに歩き回り、夜になると周辺の魔物を襲い出すと言う。
「こりゃあ、王宮に一報入れといた方がいいか?」
「もう掴んでるかもしれねぇが、しないよりはマシだろうな。」
二人はメイリスへの直帰は止め、砂漠を回り込むようにニグへと向かった。
「そうか・・・ムロイスがのぅ。」
モドンに依頼のアルドギドスの素材を渡すついでにムロイスの報告を上げた。
「そういうことだ。まぁ、夜に出歩く奴なんかいないだろうが、用心に越した事はないと思ってな。」
「念のため、マタタビを撒いておくわい。」
ムロイスが苦手とする物は意外にも猫である。自身と似ている事を嫌うのか、猫がいると近寄ってくることは無い。無論、夜の姿になれば例外である。
ディケンズの言う通り、砂漠で一夜を明かすことは法で禁じられている為、出歩く者はほぼおらず、危険性は低いように思われるが、問題となるのは昼の姿の時に、ただの猫と間違えて町に入れてしまう事だった。
そもそも夜にしかその存在を明らかにしないムロイスを国が発見したのが、その事案であった。
30年程前にギルニアの北東にあった小さな村が、一夜にして壊滅した。その後の調査により、昼間は猫の姿を持つ魔物が原因と判明し、滅んだ村の名を取って、ムロイスと名付けられたのだ。
その調査の際に、壊滅した村の残飯を狙い、東側の山脈から降りてきた山猫を見て、逃げだした事からムロイスを町に入れない策として、接近した時は町の入口にマタタビを撒き、野良猫を集めるようにしている。
「ニグには撒く必要はねぇんじゃねぇか?」ライラが指摘した。
「なぜじゃ?」
「もうすぐ豊漁祭だろ?猫なんか嫌でも集まるだろ。」
「確かにそうかもしれんが、念のためじゃ、ガルードとメイリスにも遣いを出しておこう。」
「宜しく頼む。」
「それで。お前さんたちもそろそろ夜戦をするのか?」
ライラとディケンズは顔を見合せ、少し悩んだ。
「まぁ、そうしてぇとこだが、ムロイスがもうちょい離れてからだな。」
「まぁ、それはそうじゃろうな。」
「後は寒さ対策だな。正直、動きづらくなるから着込みたくはねぇ。」
「俺としても、寒さにはあんまり強くないからな。」
「ならば、ルプランデルを訪ねると良いじゃろう。」
「エドゥリアの店か?まぁ、初めからあそこを当てにするつもりだったけどな。」
「あそこには王宮に納めておる薬があるのでのぅ。」
「王宮に?王宮の連中に寒さ対策なんていらないだろ?」
「ポッポリーじゃ。」
「ああ。」
「なるほどな。」
ポッポリーは不浄王の動向を追う以上、場合によっては夜間も動かねばならない。
「そもそも、ハーピー自体が砂漠向けの身体ではないからのぅ。ポッポリー用に身体を冷やす薬と暖める薬を発注しておるのじゃ。」
「んじゃ、帰りに寄って、何個か分けてもらうか。」
「だな。」
「あの本を持っておるか?」モドンが尋ねた。
「ああ、あるぜ。」
ディケンズは魔物の一覧が載っている本を取り出して渡す。
モドンが本を開くと、討伐した魔物の名前が斜辺で消されているのが見える。
「マメじゃのぅ。」と呟き、取り出した赤鉛筆で本に幾つか印を点ける。
「ほれ。」
返された本をディケンズが見た。
「何の印だ?」
「主に夜に活動する魔物じゃ。」
横からライラが覗き込む。
「あぁ、なるほど。どおりで聞いたことねぇ名前の奴らがいると思った。」
「俺たちも夜の魔物どもは、殆んど知らねぇからな。」
「夜に動く者たちは、昼よりも攻撃的だから注意をすることじゃな。」
「そうなのか?」
「環境の厳しい夜では、警戒して身を守る者より、先手を打って手負いさせようとする者が多いとされておる。」
「そう言うことか。」
「出会い頭は注意しといた方がいいって事だな。」
「勿論、それぞれの生態があるから一概には言えんがな。だが基本的に夜に動く者は狩りの為に動いているということを覚えておくと良い。」
「了解。」
王宮を出た二人はルプランデルへ向かった。
「いらっしゃいませ。」
ローゼルがいつもの様に深々とお辞儀した。
「エドゥリアはいるか?」
訊くと同時に奥の扉が開き、エドゥリアが飛び出してくる。
「ライラさん!いらっしゃい!」
そう言って抱きつくのライラが横に躱し、エドゥリアは豪快に棚に突っ込んだ。
「ちょっと、欲しい物があってな。」
ディケンズは何事も無かったようにローゼルに話し掛ける。
「何でしょうか?」
抱きつき攻防を繰り返す二人を無視してローゼルが答える。
「今後、夜戦をすることも考えて、暖を取れる道具が欲しいんだ。」
「そう言うことですか。」
「モドンのジイさんから、ポッポリー用に薬を納品していると聞いてな。」
「ああ、あれですか。ですが、あれは・・・」
「調整が必要ですね。」
ライラの腕にしがみつき、顔を掴まれ引き剥がされそうになりながらエドゥリアが答えた。
「調整?」
ライラに引き剥がされたエドゥリアは一呼吸置いて答える。
「あれはハーピー用に成分を調整していますので、お二人にはそれぞれ専用に調整が必要です。それにポッポリーちゃんは丸薬が苦くて嫌なようなので、甘さを加えた飲み薬にしてますけど、お二人なら必要無いですよね?」
「携帯するなら嵩まない丸薬の方が助かるな。」
ディケンズが答える。
「味なんかどうでもいいしな。」とライラ。
「それなら、数日お時間を頂ければ。」
「それで構わない。今すぐ使うわけでもないしな。」
「了解しました。」
備品を買い揃えた時、ディケンズがローゼルに言った。
「そう言えば、もうすぐ豊漁祭だろ。その時にエリーを連れてこようかと思うんだが、大丈夫か?」
「その日は店を閉めますので、問題ありません。」
「そうか、じゃあ宜しく頼む。」
ニグの入口に一人の少女が立つ。
それはエリーザと然程変わらぬ、二十歳前の少女だった。
茶髪のポニーテール。どこにでもいそうな娘は静かにほくそ笑んだ。
手に持つ紙にはライラ、ディケンズ、ルル、ブロウの情報が書かれていた。
グライド様の許可は降りなかった。だがそんなものに従って、やれる範囲の任務ばかりこなしていたら、いつまで経っても上には上がれない。
だから単身やって来たのだ。
ミリオンは紙の情報を見る。
まずは一番弱そうな奴からだ。
ライラ。こいつから殺ろう。
ミリオンはにやりと笑い、紙を握り潰した。
そして「しまった!」と慌てて紙を伸ばし、綺麗に畳んでしまうのだった。




