第32話 それぞれの日々
朝の酒場。
珍しく客はライラ一人だった。
カウンターに座ったライラは、置かれているパンを齧りながら、依頼書を一枚ずつ見て、気の抜けた声を出していた。
「とんでもねぇくらい、とんでもねぇな。」
「フフ、何ですかそれ?」
何かの煮込み料理を仕込んでいるエリーザが微笑みながら尋ねた。
「良い依頼がねぇって事だよ。」
「そんな事言ってたら、またディケンズさんに怒られますよ。」
「怒らせときゃいいさ。」
「今日はいないんですか?」
「まだ寝てるんじゃねぇか?」
エリーザは入口の方を見て、ディケンズが来ないことを確認すると、一杯のハーブティーを出した。
「ライラさん、ちょっと飲んでみて下さい。」
「ん?また新しいの仕入れたのか?」
ライラは香りを嗅ぎ、一口飲んだ。
「どうですか?」
「だから、そういうのを客に言わせるなって。」
「違うんですよ。とにかく教えて下さい。」
「どうって・・・」ライラはもう一口飲む。
「まぁ、普通に旨いんじゃないか?」
「そうですよね~。」
誉められたが、エリーザはあまり嬉しそうにない様子だった。
「何かあったのか?」
「やっぱり種族に寄って駄目な食材とかがあるんですかね?」
エリーザは不安そうな顔で言った。
「ディケンズか?」
「はい。」
「不味いって言ってたのか?」
「いえ、飲むこと自体を断られました。」
「飲むことを?それはアイツの性格にしちゃあ珍しいな。」
「セント・ベリーナって言う、花としても綺麗なハーブ何ですけどね・・・」エリーザは悲しそうに呟いた。
「ベリーナ・・・」
ライラはその名前をどこかで聞いた気がした。
「白くて可愛い花が咲くんですよ。花言葉は確か・・・親愛だったかな?」
ライラの脳裏に凍幻鳥の幻の中で見た、一人の少女が浮かんだ。
「・・・そいつは飲まねぇかもしれねぇな。」
「えっ?」
エリーザが驚く。
「何かあったんですか?」
「分からん。でもディケンズにはそれについて訊かないでやって欲しい。」
「・・・はい。」
ライラの様子に何かを察したエリーザは、それ以上の追及を止めた。
ライラは会ったことの無い、そして恐らくもうこの世に居ないであろう少女の事を考えながら、静かにハーブティーを飲んだ。
夜、ライラは珍しく早くに寝ていた。
酒場では狩人や近所の者たちが、いつものように騒がしく酒を交わしていた。
ディケンズとハモンドは互いに得物としている斧について語り合っている。
「お前さんのは布なのか?」
「ああ。と言うか元々カズリムオークが持ってた奴だからな。斧自体には殆んど手を加えてないな。」
二人は、斧の持ち手部分の話をしているようだった。
「布だと、あんまり分回してると手の皮が剥けねぇか?」
ディケンズは自分の掌を見ながら言う。
「多分、俺の手なら大丈夫なんだろうな。それに基本、接近はライラの専門だから、あんまり一日中振り回す事もないしな。」
「ああ、そうか。リザードマンっての頑丈でいいな。」
「まぁ、一長一短ではあるけどな。」
「それもそうか。」
「お前は何のグリップにしてんだ?」
「ガメルドーラの皮を加工した奴だな。吸着性があるから滑らなくていいぞ。」
「なるほど。俺も今度、武器屋に相談してみるか。」
その時、酒場の扉が開かれた。
皆の視線が向くと、そこにはブロウが立っていた。
「俺様の登場だ。」
ブロウは立てた親指を自分に向けながら言った。
「お!来やがった。」
「ブロウの旦那じゃねぇか!」
何人かが声を掛け、酒場の真ん中にある二人用のテーブルで呑んでいた者が、示し会わせたかのように別のテーブルへ移動する。
そこへブロウがドカッと座るとドイルに声を掛けた。
「オヤジ!いつもの頼むぜ!」
「おう!任せとけ!」
そう言ってドイルが酒の入った瓶とジョッキを持っていく。
「よっしゃ!ルールはいつも通りだ!俺が勝ったら一杯奢ってもらう。俺が負けたら、そいつの今日の酒代は俺が持つ。」
そう言うとその太い腕をテーブルに置いた。
「よしっ!じゃあ俺から行くぜ!」
一人の狩人が声を上げ、ブロウの前に座ると腕を出した。
勝負は腕相撲。狩人は力自慢が多いが、それでも腕の太さを見れば、勝敗は一目瞭然。恐らく本人でさえ、勝てない事は分かっているが、そこは酒の勢いと場の空気。次々とブロウに挑み、蹴散らされていく。
「大漁大漁!今日もタダ酒が旨いぜ!」
ブロウが上機嫌に酒を煽った。
「んじゃあ、そろそろ連勝記録を終わらすか。」
そう言ってディケンズが立ち上がる。
「仇を頼むぜ!」
「満を持してだな!」
周りの狩人たちも煽りだす。
席についた二人が腕を握る。
「こないだは不完全燃焼だったからな。」
「ああ、ケリを着けよう。」
誰か合図で、一気に力を入れ合う。拮抗しているのか、互いの腕は動かないが、徐々にディケンズが押し始め、周囲の者たちも盛り上がり、野次が飛び交う。
「どうした?流石のブロウ様も連戦に疲労困憊か?」
ディケンズがニヤリと笑いながら言う。
「笑わせるな。盛り上がる場を作るのも、王者の余裕ってもんだ。」
ブロウが更に力を入れ、巻き返そうとする。
ディケンズもそれを阻止するべく、力を込めた。
二人の腕には血管が浮き上がり、プルプルと震える。
「盛り上がりはもう良いんじゃないのか?」
「お前ももう限界だろう?」
ブロウが渾身の力を振り絞る。ディケンズも追従したが、徐々に巻き返されていく。
更に周りが沸いた。
「こいつがブロウ様の底力だぁ!!」
叫び声とともに腕が動き、遂にディケンズの腕がテーブルに付いた。
それと同時に歓声が上がる。
「今回は俺の勝ちだな。」
「俺はもう酒が回ってるからな。」とディケンズは捨て台詞を吐いた。
その後も挑戦者が現れ、酒場は大いに盛り上がった。
二時間後。
客も少なくなり、ブロウはタダ酒を呑みながら、何人かの狩人と狩り談義に花を咲かせている。
ハモンドが帰ったディケンズは一人、カウンターで呑んでいた。
そろそろ終わりかと、調理場の片付けをしていたルネラが「あっ!」と何かを思い出し、店の奥へ入っていく。
「ディケンズさん、忘れてたよ。夕方前に手紙が届いててね。」
戻ってきたルネラがそう言って手紙を渡した。
「手紙?」
ディケンズが差出し先を確認するとそれは王都からだった。
不思議に思いながら中身を見る。
「誰からだい?」
「ん?ああ。古い知り合いがニグに来てるらしい。」
ディケンズは酒代をテーブルに置くと、ルネラに言伝てを頼んだ。
「ルネラさん。済まねぇが、ライラに会ったら数日間ニグに行くって伝えといてくれ。」
「はいよ。任しといて。」
ディケンズは夜に準備を整えると、翌朝王都へ向かった。
「嬢ちゃん、済まねぇな。」
ルルから拳大の黒い石を受け取った漁師が、代わりにいくつかの魚を渡した。
「気にしないで。」
砂漠で取れる砂胡椒と呼ばれる粉状にする事で胡椒に似た味が出る鉱物。普通の胡椒より手間は掛かるが、石の状態だと長期保存が出来るため、ルルに頼んで等価交換をしていた。
港を後にしたルルは商業区の店に寄った。
魚と合わせる幾つかの野菜を購入し、家ではなく、エドゥリアのルプランブルに向かう。
その後ろを一人の男がつけていた。
「ルルさん。いらっしゃい。」
エドゥリアが挨拶をし、隣でローゼルが深々とお辞儀した。
「またバイザーの調整をして欲しい。」
目の弱いラビリタスは、陽射しの強い砂漠に出る時は目が隠れるバイザーを着用する。だが、狩りでの激しい動きで正確な視界が得られなくなってくる事がある。
機器類は通常、ドワーフの専門であるが、ギルニアにはドワーフがいないため、その手の物にも理解があるエドゥリアに定期的に調整を頼んでいた。
「あと良かったら、魚。」
「わぁ~!ありがとございます。では中へ。」
エドゥリアは魚を受け取り、ルルをアトリエに招いた。
ルルを尾行していたクラウンは店の裏に回り、木の陰に隠れながら、窓から中の様子を伺っていた。
何をしているのかは分からなかったが、何か装置のような物をルルの顔に着けている。
この辺りであれば、店を離れれば人気はなくなるか?いや、やはり砂漠に誘い出してからの方がいいか。
クラウンがそう考えていた時。
「お客様。」
不意に声を掛けられ、クラウンは振り向くと同時に下がって距離を取る。そこには青い髪の女が立っていた。
クラウンは驚いた。全く気配を感じる事なく背後を取られたのだ。
「誰だ?」
「当店で販売員を勤めております、ローゼルと申します。大変申し訳ありませんが、ここは私有地につき、立ち入り禁止となりますので、あちらの入口から御入店頂きますよう、お願い致します。」
そう言ってローゼルは頭を下げた。
「あ、いや。こちらこそ申し訳無い。少し迷ってしまって。」
クラウンは普通の客を装いながら、後ろ手で隠していたナイフを触る。
いっそ、ここで始末するか・・・
二人は無言のまま、見つめ合っている。
クラウンは動かなかった。いや、動けなかった。
ただ立っているだけだったが、一切の隙が無かった。
「お客様。」
ローゼルは先程同じく、抑揚の無い不気味な丁寧さを醸し出している。
「私がお客様と認識している内に、御退出して頂けると幸いです。」
その眼は鋭かった。
「今日は退かせて貰う。」
クラウンは捨て台詞を吐いた。
自分でも情けなさは感じたものの、標的以外の者に無駄なリスクを負うわけには行かなかった。
ローゼルは木々の向こうへ男が消えていくのを確認し、アトリエの中を見た。
ルルのバイザーを調整しているエドゥリアもまた、目だけでこちらを見ていた。
二人はアイコンタクトを取る。
バイザーを着けていたルルの片耳もこちらに傾いていた。




