九、散関
「やはり、同じ答えだ。どうやら間違いないようだ」と、通り過ぎる行商に尋ねた李残花は戻って、彼女を待っている三人に言った。「秦王は確かに東に向かっているのだ。しかも今の行商の話によると、秦王が自ら率いる軍隊は既に散関に着いた」
李残花の話を聞くと、肖言と孟書楼はほっとした表情を浮かべ、常に無表情の顧未離さえ思わず口角を少し上げた。
「こんなに神速の進軍、やはり秦王は兵法に優れる逸材だ」顧未離は言った。「散関ならもう遠くない、私たちがこのまま進むと、今日や明日には会えるのだ」
孟書楼は肖言を見て言った。「それなら、後のことは肖先生に任せるのですが、くれぐれもしくじったりしないで下さいね」
肖言は微笑んで言った。「それについては保証しましょう、拙者は絶対に失敗しません」
「そうか、その自信はどこから来たか分かりませんが、これで安心しますな」と孟書楼が言うと、顧未離は言った。「いいえ、安心するのはまだ早い。百里を行く者は九十を半ばとす、最後まで気を緩めるな」
李残花は頷いた。「顧将軍の言う通りだ、こういう時こそ一番危ないかもしれない。私が邪魔者なら、こういう時を狙って手を出すのだ」
肖言は聞いた。「しかし今回のことは極秘で、ここにいる四人以外、知っているのは公孫嬢様と皇帝しかいないはずですが、一体誰が邪魔して来るのでしょう」
「この世に絶対の秘密などない。誰なのか分からないが、邪魔者は確かにいると思うわ」と言って、李残花は顧未離と孟書楼を見た。「顧将軍と孟公子も気づいたはずだ」
顧未離は頷いた。「李嬢様が言いたいのは、私たちの後はつけられている、ということだろう」
孟書楼も言った。「あぁ、函谷関を過ぎた後、我らの後ろにはずっと人がついている」
肖言は聞いた。「そんなことがありましたか。数日もつけられていたなら、さすがに拙者も気付いたはずだと思いますが」
孟書楼は答えた。「それは、気づかれないために、追跡する人はいつも同じ距離を置いてに従うのではなく、時に遠くて時に近く、たまには追い越して我らの前に行くこともある。しかも毎日ついているのは違う人だ。最初の日は一人の行商、二日目は一人の薬売り、三日目は一人の貴公子とその護衛」ここまで言って孟書楼はふと笑った。「そして今日はまた初日の行商だ、どうやら彼らが使える者はこの数人しかいないようだ」
肖言はまた聞いた。「しかしそれなら、ただの偶然ということもあり得ると、拙者は思いますが」
顧未離は言った。「その通り、ただの偶然かもしれないから、私は今まで手を出していない。だが注意するに越したことはない、気を付けて進もう」
話している間に四人は小さな町に入った。
顧未離は馬を降りて言った。「午の刻だ、ちょうど良い、今日はここで昼食を済ませよう。飯屋では噂を沢山聞けるから、秦王についての情報をもっと手に入れられる」
飯屋と言ってもちゃんとした屋というものはない。床も壁もなく、太い丸木がいくつか立って柱となり、その上に茅で葺く屋根が日差しと雨を防ぎ、屋根の下に十数台の食卓が並べてある。
食事の時間だからか、粗末な店にも関わらず、ほぼ満席で、顧未離一行はちょうど最後の空席を占めた。四人が座ると、店員はすぐにやって来て、まずは腰元から食卓よりも汚く見える大きな雑巾を引っ張り出し、素早く食卓を一遍拭いた。そして店員は四人の前に大きな茶碗を置き、大きい急須を《きゅうす》を持ち上げて茶碗に濃い乳の香りがする浅い褐色の茶を注いだ。「これは弊店が作った乳茶だ。お金は要りませんので、どうぞご味わって下さい」
「いい香りだね、この茶は何で作られているかしら」と李残花が茶の香りを嗅ぎながら聞くと、店員は答えた。「これは茯茶を沸かしてから、牛乳と塩を入れて作ったのです。渇きだけではなく、餓えさえも癒せますよ」
「羊焼き一皿、鍋盔四つ。道を急いでいるから、早くして下さい」と顧未離が言うと、店員は応じた。「はいよ、すぐ来ます」
店員が離れた後、肖言が茶碗を持ち上げて飲もうとすると、李残花は止めた。「待って、飲むな」
「どうしましたか」と肖言が視線を投げると、李残花は少し身を乗り出し、声を殺して何かを言った。
そして李残花は自分の茶碗を持って店員に向かって行った。「店員さん、これ私の口に合わないから、水に替えて下さい」と李残花が言うと、その高い話し声は店内にいる諸人の注目を集めた。店員はすぐに駆けつけてその茶碗を受け取った。「はい、すぐお替えします」
李残花が座席に戻ると、他の三人の茶碗は既に空になった。
飯屋の片隅に竈があり、その中に火が盛んで燃えている。竈の周りに鉄の鉤で金色に焼けた羊を数匹吊るしている。隣の卓の上に、白く丸い餅が山のように積み重ねている。店員はまず一匹の羊から腿を一本切り取って俎板に載せ、包丁で数回斬り下ろして羊肉大きい塊に切り分けた。肉塊を皿に移してから、店員は卓から餅を四つ取ってもう一つの皿に載せた。
「ご注文の羊焼きと鍋盔です、どうぞ」と言いながら、店員は二つの皿を食卓に置いたのは、顧未離が注文してから半刻も経っていないうちのことだった。
店員が去ろうとしていたところ、顧未離は呼び止めた。「待って、代金はいくらか、先に払う」
「はい、銀一銭です、ありがとうございます」
「本当に早いな」と孟書楼は言って、店員が去って行ったのを見送って、李残花に聞いた。「李嬢様、これは食べても良いか」
「ええ、大丈夫だわ」と言って、李残花は先に鍋盔を一つ取って一口噛んだ。
李残花の話を聞くと、他の三人も箸を取って食べ始めた。
暫くして、顧未離は既に箸を置いた時、肖言の鍋盔はまだ半分残っている。
「これはちょっと硬いですが、いい香りですね。ところで、どうして鍋盔と呼ぶのですか」と肖言が聞くと、顧未離は答えた。「これを初めて創ったのは戦国の頃、秦の武安君である白起だと言われる。あの時、秦と趙の大軍は長平で対峙していた。軍隊の人数が多過ぎるから、食べ物を作るのは間に合わず、白起は将士たちに生地を配ると命じた。将士たちは生地を兜に入れ、焼いて食べた。その食べ物が今の鍋盔だ、兜を鍋として使ったから、こういう名前をつけられた」
孟書楼は感心した。「さすが顧将軍、博聞だな。兵事だけではなく、こういう典故にも詳しいとは」
顧未離は言った。「いいえ、別に詳しくはない。これも兵事に関わる物語だから、たまたま知っただけだ」
また暫くして、李残花は茶碗を持ち上げ、最後の一口の水を飲み干してた。「はっ、やはり肉はこうでなくちゃ、酒を飲めないのはちょっと残念だけど。皆食べ終わったようだし、じゃあ行こうか」
「うん、行こう」と顧未離が言うと、四人は飯屋を出て行き、馬に乗って町を出た。
夜の帳が降りる時、四人は荒野を歩いていた。四人の後ろ、十数丈離れたところに、数人が従っていた。
ふと、前に四人は立ち止まって馬を降り、そして間もなく、その中の三人はふらついて地に倒れた。それを見て、従っている者たちはすぐに追い付いて行った。それに気付くと、四人の中でまだ立っている李残花はまずは懐から白い狐面を取り出して顔につけ、そして背負っている布の包を解き、中から鍔のない白い小太刀を取って腰に差した。
この間、尾行者たちは周りに立って四人を取り囲んだ。李残花が見回すと、八人が見えた。前に見た行商、薬売り、貴公子とその護衛、そして飯屋で会った店員以外、黒い布で顔を覆っている刀使いと槍使いがいて、最後の一人は見知った剣客だった。李残花は視線を剣客に向けて言った。「詩意城の李祁さん、また会ったな」
李祁は微笑みを見せて言った。「李嬢様、唐家堡で一緒に飲んだ竹葉青は本当に美味しかったよ。こんな状況でまた会うとは実に不本意だ」
「そんなに美味しかったら、私を逃がしてくれないかしら」
「悪いけど、それは無理だ。拙者も命じられて動く立場だから」と、李祁は首を横に振って言った。「では李嬢様、何か遺言はあるか」
「一つ、聞きたいことがある」と言って、李残花は店員を見た。「毒を盛ったのは、あんただな。私たちに気づかれないため、香りの濃い乳茶に毒を盛ったな」
店員が口を開くと、女性の声がした。「さすが李嬢様、察しが良いです。そう、その毒の名は月下香、その花香を遮るため、乳茶に入れたのです」
「なるほど、唐門の猛毒、月下香が盗まれたと、唐嬢様から聞いたけど。まさかここで私たちに使われるとはな。あんたのその声、唐家堡で会った唐英だな」
「私はただの影、名前などありません」
「そうか、それなら」と言って李残花は手を刀の柄にかけた。「来い、誰が最初に死にたいかしら。全員かかっても構わん」
李祁は笑って言った。「今更戦意を保っているのは感心だけど、ここにいる全員は一派の掌門の実力を持っていて、元々は顧嬢様と孟公子を含む三人を相手にするつもりだった。あの二人が既に毒殺された今、お前には更に勝算がない」
李残花も笑って応じた。「はっ、一派の掌門、それってすごいかしら?武林では門派が数多ある、珍しくないわ」
李祁は言った。「万全を期すため、ここは張先生、王公子と高さんに任せよう。他の五人は包囲を保ち、李嬢様が逃げるのを防ぐ」
李祁の話を聞くと、行商、貴公子とその護衛は前に出た。行商は前から、他の二人は斜め後ろから李残花に近づいて行った。三人はほぼ同じ歩幅でゆっくりと迫り、李残花の刀の範囲に入るやいなや、三人は同時に手を出した。
行商は袖から短刀を出して李残花の胸元を刺してきて、貴公子は手に持っている紙扇子を折り畳んで李残花の右肩を叩いてきて、護衛は腰から長剣を抜いて李残花の左腕を斬ってきた。
李残花は振り向かず、ただ目の前にいる行商に向かって刀を抜いた。小太刀の光が一閃すると、短刀は豆腐のようにあっさりと断たれ、行商は素早く退いて避けたが、その刃が服を切り裂いて危うく胸元に届くところだった。行商は相手の刀の速さに驚いて冷や汗をかいたが、すぐまた喜んで笑顔を浮かべた。彼は刃物が肉体に斬り込む音を聞いて、後ろの二人が既に成功したと分かったからだ。しかし頭を上げて見ると、その笑顔は固まった。
李残花は無傷のまま元の場所に立っていて、小太刀はまた鞘に戻った。彼女の後ろに、いつか死んだはずの孟書楼と顧未離は立ち上がり、自分の武器を抜いた。貴公子は扇を持っている右手が孟書楼の長剣に切り落とされ、傷口を押さえて遠くへ退いた。護衛は腹が顧未離の雁翎刀に貫かれ、地に倒れ込んだ。
この時、肖言もゆっくりと立ち上がった。それを見て、李祁は眉を顰めて店員に目を向けた。店員は怪訝に言った。「そんな、あり得ません、あの三人が茶を飲んだのを私は見たのです」
「本当に見たかしら」と、李残花は言った。「彼らの茶碗が空になった時、あんたは私を見ているんだろう」
店員はふと思い出した。「まさか、あの時、彼らは茶を―」
「ええ、そうよ、私が他人の注意を引いた時、彼らはその茶を食卓の下に零したわ」
「しかし、なぜ毒が入っていると分かりましたか」
「簡単だ、花香を嗅いだから」
「でも花香は遮られたはずですが」
「他人なら騙されたんだろうが、私は騙せない」と、李残花は鼻を触って言った。「私は刀法を完成させるため、千の花が咲き乱れるところに長く住んだことがあるから、どんなに微かな花香でも嗅ぎ分けられる。それに唐嬢様から月下香のことを聞いたし、疑わないはずがないわ」
李祁はため息をついた。「なるほど、さすが李嬢様、侮れないな」
店員は李祁に頭を下げた。「これは私の失策です。どうか罰を」
李祁は言った。「君のせいじゃない、構わん、二人減ったけど、六対三、我らの優勢は変わらぬ」
それを聞いて孟書楼は小声で言った。「その通り、不意打ちで敵を二人減らしたけど、こっちは相変わらず三対六の劣勢だ」
「では孟公子には何か考えがあるか」と顧未離が聞くと、孟書楼は答えた。「今打てる手は、賭けに出るしかない。散関まではもう遠くない、秦王の軍隊はすぐ前にあるはずだ。我らの中で最も足が速い顧将軍が秦王のところに行って助っ人を連れて来てもらおう。この間、拙者と李嬢様は何とか彼らを食い止めてやる」
「しかし、たとえ私が秦王に会っても、信じてもらえるかどうか…」と顧未離が言うと、肖言は剣の形をしている玉佩を取り出して彼女に渡した。「これは皇帝陛下が預けた物です。これを秦王に見せれば必ず信じてくれます」
三人がこっそり相談している間、李残花はまだ話し続けて時間を稼いでいた。「しかし詩意城はなぜ私たちを殺すかしら、唐門の件だけではあるまいな。私たちは何のために西へ向かっているか、あんたは分かるか」
李祁は言った。「それは分かっているとも、君たちは朝廷を救うために、秦王に援軍を求めるのだ」
「分かっているならなぜ私たちを阻む、詩意城はこの国を滅ぼすつもりか」
「いいえ、我らが滅ぼしたいのはこの国ではなく、この朝廷だ。この腐った朝廷が滅びてこそ国は長生きできる。国を滅ぼしているのはそっちの方だ」
「意味が分からんな、どうやら話は通じない、じゃあ戦おうか」
「そのようだな、残念だ」と言って、李祁は背負う長剣を抜いた。その長剣は切っ先のところが急に細くなり、とても鋭く見えた。
その剣を見ると、孟書楼は目を輝かした。「それは、やはり懸針だ」
「そう、儒門の名剣、懸針だ。孟公子はさぞかしこの剣を取り戻したいだろう」と李祁は孟書楼を見て言った。「こっちに加勢してあの三人を殺せば、この剣を譲ろう、どうだ、悪くない取引だろう」
孟書楼は笑って言った。「ははは、見くびられたものだな。剣のために信義を捨てるなら、儒門の弟子と名乗れるか」
「では、その信義のために死んでもらおう」と李祁が言うと、顧未離は突然動き出して、あっという間に包囲網の東に近づき、そこにいる薬売りと刀使いは同時に刀を振って止めに来た。顧未離は雁翎刀を上げ、右にいる薬売りに向かって猛然と斬り下ろした、薬売りは手に持つ九環刀を横に構えて防ごうとしたが、顧未離の腕力が意外に強くて、雁翎刀の軌跡は変わらず、相手の防御を押し潰して肩に斬り込んだ。そして顧未離は足を上げて薬売りの胸元を蹴って、悲鳴を上げた相手を遠く蹴飛ばした。
しかしこの時、左にいる刀使いの攻撃も同時に届いて、既に避ける余地がなくなった顧未離は左腕を上げてその一撃を無理やり受けた。敵の斬撃が骨まで届いたが、顧未離は声も出さず、ただ雁翎刀を返してまた同じ技で刀使いに向かって斬り下ろした。刀使いは刀を斜めに構えて顧未離の力を流した。斬撃が外れたが、顧未離はそれ以上相手をせず、すぐに向き直り、軽功を発動し去って行った。
「若君、追いますか」と店員が聞くと、李祁は言った。「無駄だ、関山飛渡よりも速い軽功はない。まずは他の三人を始末するのだ。俺が孟公子の相手になる、李嬢様の方は君たちが付き合おう」
「はっ、望む所だ、来い」と李残花は応じてから、肖言に言った。「肖先生、死にたくなければ、私の離れるなよ」
「李嬢様、お前一人で本当に大丈夫か」と孟書楼が聞くと、李残花は答えた。「大丈夫、たった兵卒四人では私を殺せない。それより李祁の剣法は尋常じゃない、気をつけろよ」
「分かった、では肖先生は任せる」と言って孟書楼は李祁に向かって行き、一丈離れたところで止まり、手に持っている長剣で李祁を指した。「どうぞ」
孟書楼の剣先に尖りがなく、渾円な形をしている。その剣を見て、李祁も自分の剣を上げて孟書楼を指した。「垂露と懸針はそもそも兄弟の剣だ。垂露は厚くて穏やか、斬撃向きで刺撃に不向き、懸針は細くて鋭い、刺撃向きで斬撃に不向きだ。一体どっちが強いか、今こそ見極めろうではないか」
「はっ、そういうつもりだ」と孟書楼が言うと、二人は同時に一歩踏み込み、手を動かして技を繰り出した。孟書楼の剣技は一々はっきりしていて、横も縦も真っ直ぐに斬っていき、垂露の剣光は大河の流れが如き、凛然とした威勢がある。それに対して、李祁の剣法に形がなく、心のままに手を動かすと絶妙な技になり、懸針の剣光は流星が如き、常に意外な方角から襲って来る。
十数振り交わした後、二人の距離が突然縮まって、剣身を当て合いながら、二人は同時に左手を突き出した。李祁の拳と孟書楼の掌が打ち合い、そので二人とも左手が少ししびれて数歩も退いた。
「兵甲府の破軍拳、悪くない」と孟書楼が言うと、李祁も言った。「さすが儒門の浩然正気掌、噂通りの強さだ」
一度兵刃を交えると、二人とも心の中で相手の実力に驚き、再び剣を出す時は更に戒心を強めた。
李祁と孟書楼が交戦していた時、店員・行商・刀使いの三人が李残花と肖言に迫って行ったが、槍使いは却って一歩退いて、槍を土に刺した。
それを見て店員は眉を顰めた。「楊さん、それはどういう意味か」
槍使いは答えた。「大勢で一人を叩く槍術など、俺にはできん。お前らが敗退したら、その時俺は手を出す」
「あんた…ふん、好きにしろ」と言って、店員は他の二人に言った。「李残花は正面から攻めるな、まずはあの男を殺すのだ」
「できるものならやってみろ、この恥知らずめ」と言って、李残花は刀の柄に手をかけて前から近づいて来る二人の敵を睨んだ。
後ろにいる刀使いが先に肖言に向かって刀を振り下ろすと、李残花はまるで背中に目があるように、すぐに肘で肖言を押して二人の位置を入れ替え、小太刀を抜き迎え撃って相手の刃に深い裂け目を入れた。
一撃が外すと、刀使いはすぐ退き、同時に行商はまた短刀を一振り出して肖言の腰に向かって刺して来て、店員は武器を持たず、曲げる指は鷹の爪が如き、肖言の喉元を掴もうとした。李残花は一歩動いて身を回すと、また肖言の前に立ち、右手の小太刀で行商の短刀を防ぎ、左手で鞘を引き出して店員の手を叩き下ろした。
叩かれた手首を振って、店員は言った。「さすが李嬢様、でもまだまだこれから」
店員が言い終わると、三人はまた襲って来て、李残花もすぐに刀を出して迎撃した。戦場の真ん中にいる肖言にとって、目に映るのは刀の光、耳に響くのは刃が風を切り裂く音、敵と味方の動きがよく見えず、足手まといになるのが恐れて身動きもできず、ただ体が李残花に押されたり引かれたりして動いて敵の攻撃を躱していた。
半刻経って、二つの戦場でまだ激闘が繰り広げている時、遠くから馬蹄の音が響いた。音が素早く近づいて来て、数回呼吸の間、その音を出す二匹の馬は既に諸人が見えた。
その一匹の馬は体が墨のように黒いが蹄が雪のように白い、乗っている騎士は黒い戎衣を羽織り、手に長い槍を持っている逞しい男。もう一匹は全身が血のように真っ赤な馬、その騎士は赤い戎衣を羽織る女だった。
駆け付けると二人は同時に馬を止めて飛び降り、男は大声を出した。「全員止まれ!」
李祁と孟書楼は一目見合って、同時に一歩引いて手を止めたが、李残花を取り囲んでいる三人は却って動きを速め、すぐに眼の前の二人を仕留めようとした。
「止まれって言ったんだろうが」と、赤い戎衣の女は言って、腰から細身の剣を抜き出し、自分に最も近い刀使いに向かって突いていった。刀使いは刀を振り回して防ごうとしたが、細剣の光は蛇が如き、引いてからまた出て、刀を避けて素早く刀使いの手首に噛み付いた。
刀使いは手首に小さな穴を開けられて血が湧き出し、刀を握れず手放して迅速に退いた。それを見て李祁はすぐに言った。「全員、退くぞ」
李祁の命令を聞くと、詩意城の諸人は手を止めて四方八方に散って逃げ、間もなく姿が消えた。
この時、遠くからまた大勢の馬蹄の音が響き、今回来たのは顧未離と十数人の兵士だった。顧未離の左腕は白い布で簡単に巻いたが、その布もまた赤く染め始めた。
孟書楼は顧未離を見ると、剣を鞘に戻し、長い槍を持つ男に抱拳した。「拙者は儒門の孟書楼ですが、もしかして、貴殿が秦王殿下でしょうか」
男は答えた。「そう、俺が趙広だ。諸君、遠くから来てくれて、ご苦労だ」
李残花もほっとして刀を収め、肖言を見た。「おい、肖先生、聞いたかしら、秦王がそこにいるぞ、会いたいなら早く行こうよ」と言っている彼女の白衣は既に滲み出している血で赤く染めたが、その声はいつもと全く変わっていなかった。
「肖先生?誰だ」と言って趙広が近づいて来る肖言の顔を見ると、ふと驚いた表情を浮かべた。「お前、どうしてここに」
馬を降りた顧未離がその話を聞くと、趙広に尋ねた。「どうしましたか。彼は殿下の伴読であった肖言ではありませんか」
「伴読か、確かに一緒に読書したことはあるが。なるほど、こういうことか。はは、はははは…」と言って、趙広はふと大笑いした。彼を見て肖言もただ微笑んで、何も言わなかった。
顧未離、孟書楼、李残花三人は呆気にとられて顔を見合わせ、何があったか全く分からなかった。暫くして、趙広が笑い止むと、顧未離は聞いた。「秦王殿下は何を笑っているでしょうか」
趙広は答えた。「まさかお前ら三人は皆、皇帝に会うことがなかったのを笑っているのだ」
「私は確かにそうですが、それは何が可笑し…」と言っている顧未離はふと何かを悟って猛然と肖言に目を向け、李残花と孟書楼も同時に肖言を見た。
「分かったか、そう、宮廷の中に肖言という伴読はそもそもいない」と趙広は言った。「お前らがここまで護送した人が今の皇帝、趙謙だ」