転生しなくとも与えられたはなし
本当に、美しいものを見たことはありますか?
初めて出会うから、経験に照らし合わせるということができず、そうだとはわからないはずなんです。
なのに心が反応して、これこそが、まさに、混じり気なしで、純粋培養された、美しいものである、ということが、有無をいわさずに、腑に落ちてしまう。
そんな、強引な力強さを持っています。本当に美しいものは。
そうして、理解も、分析も、検証も、追いついていないのに、勝手にかけがえのない命題となって、私の心に根を張ってしまう。
根拠などなくともゆるがぬ真実になってしまう。そんな力、強烈なのに決して不快でない、そんな力を持っているのです。
ずっと、色々なものに傷ついてきました。
笑われるかもしれませんが、私は本当に夢みる少女で、この世の中が美しいものだけで構成されていればいいのに……祈るようにそう願い続けながら、生きてきました。
当然この世は美しいものだけでは構成されておらず、目を背けたくなるような欺瞞、裏切り、搾取などに溢れており、そういったものに対面するたび、私は打ちのめされ、うちひしがれてやさぐれて、生きることを放棄してしまいたくなるほどの絶望を感じていました。
別に私が狙われているわけでも、故意にそうされてるわけでもないのにいちいち個人的に受け取って傷ついてしまう。いい加減やめてしまえばいいのに、それをしないことには、その方がそれこそ生きることを放棄してしまうことのような気がして、手放すことができなかった。私はこの世を諦めたくなかったのです。
なぜ、と悲しくなる。これと対面した人が、どんな気持ちになるのか、わからないのか、と思う。どれだけ汚いものを撒き散らしても、どれだけ醜いものをさらけ出しても、自分さえよければそれでいいのか、その心の持ちように私はひどく悲しくなるのです。
そんな時でした。
ある、一種の、たぐいまれなる美しさに私が出会えたのは。
ここまで耐えた自分を誇りに思いました。
よく、他人の中にみる特徴は、いいとされるものも悪いとされるものも、自分自身も所持しているものだ、と言われます。あの人の、素直なところが素敵だな、あの人の意地悪なところが嫌いだな、とあなたが思う時、必ずあなたの中にもその素直さや意地悪なところは存在しています。
それを表に出すかどうかは別として。そうでないと、認識することができない。
ひとは、自分が持っていないものを認識することはできないのです。
だから、どれだけ認めたくないものに直面しても目を背けずに自覚して(なぜならその醜さに気づく私はそれを持っているということだから)、決していたずらに吐き出したりせず、消化なり廃棄処分なり血肉とするなりして安全に処理するよう努めてきました。これ以上他の人を巻き添えにせんとばかりに。
一方で、美しいものの追求は、一瞬たりともやめなかった。
そうして諦めず、耐えて、望み続けた自分を誇りに思ったのです。そうでなければ、私は気づけなかったはずなんです。その美しさに。
それはあまりにも崇高でした。
私は文字通り、射抜かれて、身体を大きくのけぞらせたほどでした。
受け止めきれずに溢れ出した想いは涙となって、私の両の瞳から溢れ出します。
安直ですけど、それしかやりようがないのだから仕方ありません。
ただ、羞恥すら超越して私は完全に恍惚の表情を浮かべ昇天して、思うがままにひたされていました。あまりにも心地よかった。初めてのことだったから当然です。
今までのどんなことよりも、心が洗われて、消えてなくなってしまうかと思いました。一体今自分がどういう心境でいるのかすらわからないほどに掬い上げられ惑わされ、むしろ無になったかのようだったのです。
私までもが美しく、綺麗になれたよう、そんな風に感じるほどに、強力で、混じりっ気なしの美しさでした。
ああ、今も嬉しさのあまり、心が浮き立ちます。本当に存在していたんだ。
私が想像し得るどんな美しさも敵わぬほどの、この世を信じていいんだ、と思えるような、すべての醜いものが束になってかかったとしても太刀打ちできないような、正真正銘の、美しさ。
もちろん、努力した私は偉いと思う、だけど、それを示してくださった、こんな素敵なものがあるのなら、もう少し生きてみよう、と私に思わしめた、その美しさに、私は感謝せずにはおれないのです。
ありがとう、心から。生きていると、こんなこともあるのですね。
よろこびと共に。
お読みくださり感謝します