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ヒロインズ・オブ・ヒロインズ  作者: マカロニサラダ
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ヒロインズ・オブ・ヒロインズ・後編

 遂に、絶望の後編です。

 ヒロイン達が、やらかしてくれます。

 ラスボスの正体も明らかにされますが、例の話を読んでいなければまるで意味不明です。

 それでもよろしければ、どうかお付き合いください。


     ◇


 その少し前、キロと愛奈はあの孤島から更に一万キロ離れた無人島に居た。

「というか、最近、私達って逃げ癖がついてない? 事あるごとに逃げ出して、死力を尽くす事を放棄する。それって良くないよ。私達とエルカリスの実力は拮抗しているんだから、逃げずに決着をつけるべきだったんじゃ?」

「アーギラスさんを見捨てて逃げた事には、全く触れませんね? 貴女らしい薄情な話ではありますが、確かに今はその事についてはスルーです。わたくしが見た、エルカリスについて説明しておきましょう」

 キロがそう謳うと、愛奈は首を傾げる。

「つまり、君は今のままだとエルカリスには勝てないと思った訳? それ程までに私達とエルカリスの戦闘技術には、大きな差がある、と?」

「はい。というのも他ではありません。実は、あの男は今まで修練を積んだ事が無いんです。一切修行はせず、才能だけであの領域まで到達した。よって奴の戦闘技術は、全て本能任せという事ですね」

「……私より酷いあり方だね。私でも小学生の頃は、剣道の腕を磨く為に訓練していたんだから。そんな相手に、私達は勝てない? 今頃アーギラスさんは殺されているかもしれないと、そう言っているのかな?」

 が、キロは首を横に振る。

「いえ、まだアーギラスさんは殺されていません。ボコボコにされていますが、なんとか踏み止まっています。故に、ここは早急に話を進めるべきでしょう。多分ですが、奴はわたくし達が考えている以上の化物です。奴は自分を鍛える事なく、超常的な力を得る手段を思いついているから。恐らくですが――奴の固有能力は『歴史』です」

 それだけ聴いただけで、愛奈は全てを察した。

「え? ソレは本当に? だとしたら、エルカリス・クレアブルはこの世界全ての歴史を自分の物に出来るという事? 『皇』クラスは勿論――〝神〟や〝超越者〟クラスの力まで自分に投影出来る?」

 それは、余りにバカげた推理だった。けれど、仮にその仮定が正しいとしたら、どうなる? この世界全ての歴史を我が物に出来るエルカリスは〝超越者〟クラスの能力を持つ事になる。エルカリスは、件の〝ルール〟に沿う事なく、自分達と拮抗した実力を有する事になるのだ。

「ええ。この世界の歴史を自分の戦闘力と戦闘技術に転化できるなら、そうなるでしょう。しかも質が悪い事に、奴の能力処理速度は、例の〝ルール〟さえ凌駕しています。実力が拮抗するという〝ルール〟が働く前に、奴は能力を発動させわたくし達を攻撃してくる。アーギラスさんがああも簡単にボコられているのは、その為でしょう。いえ、アーギラスさんだけではありません。あのまま戦闘を続けていたら、わたくし達もアーギラスさんと同じ目に合っていた筈。何らかの対応策を考えない限り、エルカリスに勝つのは不可能と言わざるを得ません」

 即ち、あのエルカリスは〝超越者〟クラスであり――件の〝ルール〟下においては自分達を上回る。

 エルカリス・クレアブルは――正に想像以上の怪物だとキロは告げたのだ。

「というか君、エルカリスの一部でもあったんでしょう? なのに何故、今までその事を話さなかったの?」

「いえ、エルカリスが死んだ時、奴が司る記憶の大部分が消去してしまったんですよ。その為わたくしも奴と戦うまでは、奴の能力を想像する事さえ出来なかったと言う訳です。というか恐らく愛奈が思っている以上に事態は切迫していると思いますよ? 下手をすれば、七人がかりでもエルカリスには勝てない可能性がありますから。平静を装っていますが、わたくしはこれでもかなり焦燥しています」

「確かに、普段はポーカーフェイスな君が弱音を吐くとか珍しいね。しかも『魔皇』である君が『勇者』である私に対してソレとか。君が危惧する通り、私もちょっと焦ってきたかも」

 いや、この二人は断じて常人では無い、異常者である。よって、人並みに焦燥する事を知らない。普通ならもっと取り乱すであろうエルカリスの脅威を前にしても、平然としている。

 帝あたりが知ったら、果たしてどう思うか? 彼女は〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟の中では、最も人間らしい少女だから。

「とにかくこれでお先真っ暗という事、か。というより、嘗てエルカリスであった君でも彼には勝てないの?」

「ええ。奴の才能は認めたくありませんが、私をも超えていますから。経験値こそ互角と言えますが、才能に差がある以上、わたくしでも奴には勝てないでしょう」

 と、そこまでキロが語った時、愛奈は何故かニヤリと笑う。

「そっかー。なら、さ、こういうのはどうかな――?」

 愛奈の提案を聴き、キロは珍しくキョトンとする。それから、彼女も、また笑った。

「成る程。貴女はやはり、時々本当におめでたくなりますね。実に面白おかしい意見で、正直今すぐ殺したい位です。ですが――最後の手段としてなら使えるかも」

 それで、話は決まった。二人はアーギラスを救援するべく、再び転移する。

 エルカリスが待つかの島に赴き――彼に最後の決戦を挑む事にした。


     ◇


 その少し前、アーギラスは正に満身創痍だった。

「というか、手加減の仕方がよくわからない。ヘタに本気を出すと殺してしまうし、この場合どうした物か?」

「………」

 やはりキロの前身だけあって、この男もふざけた性格をしている。この『神』である自分を前にして、これだけの慢心を抱けるのだから。いや、だからこそアーギラスにはわからない。

『神』である自分が、こうも圧倒されるこの状況が。

 今も――そうだ。

「つ――ッ?」

 自身の固有能力を発動させようとするアーギラス。だが、その頃にはエルカリスの蹴りが、彼女の脇腹に入る。それだけで彼女は嘔吐しかけ、意識が途切れそうになる。『神』である彼女は、その実、能力を使う暇さえ与えられない。

(……正に、超レベルの突然変異体。『神』でもない只のヒトが、私を圧倒している……? 一矢も報いられず、このまま無様に倒されるというのですか、この私が――?)

 否。そんな事は、ありえない。そんな事は、彼女のプライドが許さない。そんな事は、断じて認められる筈が無い。

 だが、現実は残酷だった。気が付けば、またもエルカリスの攻撃が先に決まる。先ほどより少し強めに放たれたそのアッパーは、今度こそアーギラスの意識を刈り取る。

 エルカリスと言う名の怪物を足止めしてきた彼女は遂に気を失い、ここに決着を見たのだ。

「と――まずは一人目。敵は今の所七人で、その内半数は恐らく字壬君の攻略に向かっている筈。なら、私としては残りの二人を片づければ良いだけ。今の字壬君なら、きっと相対した敵を殲滅する事は可能だろうから」

 そう。見世字壬とは、エルカリスの目から見ても異常な存在だった。智謀や経験は自分に及ばないが、ソレを補って余りある武器が彼にはある。

 ソレを活用すれば、残りの賊達を倒す事はそう難しくない筈。エルカリスにとって問題なのは、誰からどうやってドラコの居場所を聞き出すかだ。

「そうだね。あの黒い娘と白い娘は口が堅そうだ。或いは脳に直接アクセスしても、彼女達の強力なプロテクトが阻むかも。そうなると、やはりこの『第三種』に協力願う他ないかな?」

 つまり、あの二人は殺すべき存在という事。逆に殺す気で戦わなければ、彼でさえ危ういかもしれない。それだけの力を彼女達は秘めていると、彼には感じられた。

「というか――私としてはもう一つだけドラコに勝てるかもしれない方法があるんだが」

 エルカリスはそう直感するが、その反面、彼はその案を破棄する。エルカリスの計算では、その方法でも後一歩ドラコには及ばない筈だから。

「いや、待て。そう言えば、彼は以前こう漏らしていたな」

 もしエルカリスが言う所の彼が、ソレを実行しているとしたら? 仮にそうなら、一歩が半歩に縮まるかもしれない。ドラコに、僅かでも及ぶ可能性が出てくるのだ。

「けど、それでも――私としてはやはり世界の完成を選ぶけどね」

 ――世界の完成。

 敵に敗北し、死にかけ、不完全となった世界。その為、この不完全になった世界から生み出された万物もまた不完全となった。人間の知性とは、正にその象徴の様な物だ。

 火の活用法を知り、天と地の意味を理解し、重力を発見して、ソレを応用してきた人類。

 原始時代の人類に比べれば、今の人類のあり方は、正に神がかり的だ。生産性も豊かで、文化や文明もとどまる所を知らず発展し続けている。人間ほど賢い生物は確かに居らず、彼等は正に我が世の春を謳歌している。

 けれど、誰かは言った。人間ほど賢く――同時に同じくらい愚かな生き物は居ないと。人を人足らしめているのは、正にその二律背反なのだ。

 事実――彼の母の人生は壮絶だった。

 神の、いや、神職の権威が全盛期のころ彼の母は生まれた。生まれながらに人ではなかった母も敬虔な神の信徒で、その事に何の疑いも抱かない。

 隣人を愛し、町民を愛し、国家を愛し、自分自身も彼女は愛していた。彼女にとって世界は輝かしい物で、ソコに疑念を覚える余地は無かった。

 いや、生涯その盲信が続けば、どれだけ幸せだっただろう? けれど、その魔法が解ける日は、突然やってきた。

 ソレは彼女にとっては、新愛に値する少年だった。近所に住んでいるだけの少年だったが、彼女は神の教え通り万人を愛していたから。

 その少年が、或るとき馬車にはねられたのだ。少年の傷は酷く、今にも事切れそうだった。誰もが諦めの色を見せ、少年はこのまま天に召される筈だった。

 その天命を覆したのが――彼女である。

 人ではない彼女は、人ではありえない力を使って、少年の傷を癒した。今日死ぬはずだった少年はこうして生き長らえ、彼女はその事実を尊んだ。

 だが、彼女はまだ気付かない。ソレがどういう意味を持った、愚行だったか。

 然り。彼女は今、本当の意味で奇跡を起こしてしまったのだ。敬虔な神の信徒でも起こせない奇跡を、彼女は実現した。

 だから、信徒の幹部達は彼女を恐れた。実際に奇跡を起こせる彼女に自分達の地位を脅かされるのではと、恐怖さえ抱いた。

 結果、彼女が起こした奇跡は魔女の呪いにすげ替えられ、彼女は囚われの身となる。魔女の烙印を押され、彼女は魔女として処刑される筈だった。そして、彼女もまたソレが神の意思ならと思い、その事実を受け入れかけた。

 けれど、彼女は最期に知りたかったのだ。自分が助けたあの少年が、どう元気に過ごしているかを。この唯一の懸念を払拭する為、彼女は異能を使って牢を抜け出て、街に向かう。

 そして、彼女は、見てしまった。

 バラバラにされ、四肢と体と首を槍に串刺しにされている、少年のその様を。

 少年の家族の手によって見世物にされている少年の姿を――彼女は目撃してしまう。

 だから、彼女は近くに居た町民に詰め寄った。〝何故こんな事になっているのか〟と恐慌しながら。

 その町民は彼女の剣幕に気圧されながら、こう答える。

〝それは当たり前じゃないか。だってあの子は、魔女の力で偽りの生を与えられた穢れた存在なのだから。なら、家族はその穢れた存在を退治して、自分達の無実をああやって証明する他ない。それが、司祭様の御意志だよ〟と。

 その時、彼女は初めて思い知った。今日人として死ぬはずだった少年は、人として死ぬ事さえ許されなかった。魔女の力で命を繋いだ穢れた存在として、よりにもよってその家族に命を奪われたのだ。

 その時の少年の恐怖は、如何ばかりだっただろう?

 どんなに怖くて、やりきれなかったか。

 そして、こんな結末を用意した神の信徒とは、一体何者だ? 確かに自分は魔女かもしれないが、 真に神の使徒と謳うなら、こんな自分達も許容するべきなのでは?

 いや、違う。自分はただ、あの少年に生きていて欲しかっただけ。今朝浮かべていたあの笑顔を、今も浮かべて欲しかっただけだ。

 ただそれだけだったのに、何故こんな事になっている――?

 そう感じた時、彼女の全ては一変した。

 愛してきた物全てを憎む様になり、彼女は神に対する信仰さえ捨てた。人を憎悪する様になった彼女は、それと同時に活力を失う。全てに絶望しながらも、彼等にだけは殺されたくないと強く思い、処刑を回避する道を選ぶ。死刑執行人との婚姻を望み、彼女は生き長らえる事になった。

 それからしばらく経った頃である。町に隕石が落下して、町を全壊させたのは。其処に住む全ての人々は死に絶え、それを見て、彼女は嗤った。狂ったように、泣きながら嗤い、自分でも何が何だかわからない。

 これは――自分が望んだ事? それとも――真なる神の意思?

 ただ一つわかった事は、彼女の罪は今でも継続しているという事だ。

 彼女の長女であるバルゲリンは、彼女の人に対する憎しみの心を受け継いだ。

 彼女の長男である彼は、彼女の人に対する救済の心を受け継いだ。

 故に彼の目的は、万人を救う事なのだ。母の最後の慈愛の心を受け継いだ彼は、だからその願いに沿う他ない。

 それが彼の原点であり、今も続く一筋の光明。こんな自分を導く、唯一の道標だ。

 けれど、思えば彼は敗北しかない人生だった。彼の目的は自分を倒せるニンゲンを見つけだし、神に祭り上げる事だから。

 故に彼が勝利するという事は、敗北以外の何物でもない。彼は標的に勝つ度に、強すぎる敗北感を味わう事になる。ならばこの母の想いは、一種の呪詛と言えた。

 それでも、母の人生を忘れない彼は、前に進み続けた。敗北に敗北を重ねながら、世界を放浪した。母の人生が報われる日をユメ見てさまよい歩き、その果てに彼は知る事になる。人が人である限り、自分はその願いを果たす事は出来ないと。それ程までに人の業は深く、その宿命からは逃れられない。

 だが、それでも人はもがき続ける。

 二つの大戦で多くの人が死んだ時、彼は今こそ神を使うべきだと思った。けど其処から人々は多くの事を学び、世界を安定させようと足掻いた。

 無論それも様々な思惑が入り交じっていて、純粋な願いとは言えなかっただろう。でも、いま人は束の間の平和を手に入れたのも事実だ。

 魔女狩りで、多くの無実の人々が命を奪われる事は無くなった。飢餓が、世界の危機になる事も無くなった。病が、数千万もの命を奪う事も今は無い。

 彼はいま漸く母がユメに描いた世界の一片を――目撃する事ができたのだ。

 けれど、それも『第四種知性体』が誕生する前の、僅かな間の事だ。このまま行けば、人は人としての役割を全うし、最良の滅びを迎える事になる。

 その時、自分はどうするべきか彼は迷う。人としての宿命を受け入れる? それとも、母がユメ見たこの世界を守るべきか? 敗北に敗北を重ねてきた彼には、まだどちらの道も選べない。

 そして、彼は気付かない。

 そのユメは、本当に母だけの物だったのか? 自分が敗北するその日をユメ見ていたのは、本当に母だけ? あの地獄の様な世界にあって、神の実存を望んだのは母だけだった?

「いや、今更な話だね。もうこの世は――神さえも必要としていないのだから。人は漸く人の力だけで――前に進む事が出来るようになった。ソレを少し寂しいと感じるあたり、私も焼きが回ったかな」

 クスクスと子供の様に笑いながら、彼は天を仰ぐ。自分が生まれた意味より母が生まれた意味を天に訊ね、しかしその答えはやはり得られない。

「そうでしたね。貴方の人生は、本当に敗北に彩られていた。今、思い出しました」

 孤島に戻ってきたキロが、彼を見た瞬間、そう想起する。

 彼――エルカリス・クレアブルは、微笑みながら愛奈とキロを出迎えた。

「ああ。要するに私の人生は、無駄だらけだったという事だよ。けど、私はその事実を認める気は無い。いや、認められる筈が無い。ソレはあの母の人生もまた、無駄だったと認める事になるから。人に裏切られ、神に見捨てられ、それでも彼女は万人を憎みながら万人の幸せを願った。そして、その万人とは私達の世界の人々も含まれている。私は彼等と母のユメを守る為最良の方法を選ぶ他ない。誰一人犠牲を出さずに世界を救う方法は、ドラコとの融合だけだ。なら――私は何が何でもその手段を実行するしかないだろう?」

 ソレは何の想いも込められていない、淡々とした宣言だ。

 それでもキロは、今初めて〝キロ〟としての本音を漏らす。

「ええ、そうですね。わたくしも出来れば、貴方と同じ道を選びたかった。例えそれが間違った道でも、ただ貴方と共に歩んでいきたかった。例え誤りでも、貴方と一緒なら、後悔という物を覚える事なく最後まで踏破した筈だから。それがきっと、わたくしのオリジナルの意思。今も貴方を父と慕っている、彼女の願いです」

 頬に涙といえる物を伝わせながら、彼女は告げる。ソレを見て、彼は苦笑した。

「そうか。それでも、〝君〟はそのオリジナルとは違うんだね?」

「はい。わたくしは今日に至るまで多くの罪を犯しました。今となってはささやかな救いさえ求められた物では無い。貴方が万人を救うというなら、わたくしはわたくしが信じる手段を以て世界を救いましょう。いえ。罪を犯してきたわたくしだからこそ、わたくしは貴方とは別の道を歩まなければならない。罪を犯してきたわたくしだからこそ、万人を殺し、世界を救う役回りを演じられるんです。それは決して――エルカリス・クレアブルには選べない道だから」

 故に――彼と彼女達は殺し合うしかない。

 例え何があろうと――この二つの道が交わる事は無いから。

「だね。私はこの件では部外者かもしれないけど、敢えて言わせてもらうよ。最終的にキロ・クレアブルを殺すのは――君じゃなくこの私だと。ソレは私の仕事で、人生をかけた役目なんだ。この『勇者』としての責務を果たす為にも、君はここで倒しておくよ――エルカリス・クレアブル」

 この愛奈の大口が、最後になった。

 エルカリスは最早何も語らず、緩やかに構えをとる。

 キロと愛奈も咄嗟に構え――ここに三者による最後の戦いは幕を開けたのだ。


     ◇


 その少し前、帝は字壬と地下の体育施設で手合せをする運びとなった。というより、帝の読み通り、この戦いは直ぐに決着がつく。

「……と、参った。本当に強くなったね、帝さん」

「いえ、今のは偶々です。本当に、偶々」

 帝の掌底突きが字壬の躰を吹き飛ばし、これが決定打になる。両者の模擬戦はここに勝敗が分かれ、敗北した字壬は苦笑いを浮かべた。

(やはり、思った以上の戦闘力。パワーの方は読み取れないが、戦闘技術が並はずれているのは確か。本気になったらどこまで強くなるか、想像もつかない)

『人形』を通して字壬が帝に抱いた心証が、これだった。戦闘技術に限定するなら、彼女は自分を上回るかもしれない。仮にそうなると、自分はかなり不利な立場に追いやられるかも。いや、もし輝夜・チェスターなる少女も帝に匹敵する実力の持ち主なら、間違いなくそうなる。

 それを確認しようとした時、件の輝夜は腕を組む。

「ああ。因みに私は帝さんより遥かに弱いんで、ザコとして認識してくれて構わないス。ただ足を引っ張るだけなので、もしかしたら今回の件からは外した方がいいかも」

「………」

 輝夜はそう謳うが、字壬の見解は違っていた。彼女の立ち振る舞いを見る限り、輝夜もまたただ者とは言えない。

 だが、暗に手合せを断っている彼女を、無理に自分と戦わせる訳にもいかない。これ以上ふみこんだ真似をすれば、間違いなく警戒されるから。

 字壬はそう判断し、話題を変える。

「と、帝さんの実力はよくわかった。ソレを踏まえた上で、ぜひ核施設の奪還に協力してもらいたい。もし俺がリーダーである事に不服があるなら、君が俺を含めた一部隊の指揮をとってもいい。そういう条件で、どうかな?」

 元々『異端者』とは、強者に従う習性がある。例外もあるが、大体の『異端者』がそんな感じだ。

故に、帝に完敗した字壬が指揮を執るのは、帝の望む所ではない。状況的に言って字壬の提案は指揮系統を混乱させかねない物だが、自然な発想とも言えた。

《……というか、向こうは命令権という最大の武器を手放してきたぞ? 俺に指揮をさせればどんな指示を出すか読めないだろう? それで尚、俺にリーダーの座を明け渡すっていうのか?》

 帝がスタージャにテレパシーで助言を乞うと、彼女は一考する。

《いえ、字壬さんはきっと帝さんがどんな指示を出すか、読めているのでしょう。最終的に私達は字壬さんを暗殺しやすい環境に誘導するつもりだと、彼は熟知している。でも、今の字壬さんはただの『人形』よ。私達が誘導する意味がないこの『人形』を何とかしない限り、状況は動かない。例え帝さんに全権が委ねられようとも、それは変わらないわ。よって、帝さんに指揮権があってもほぼ意味をなさないわね》

 だが――そこでまた状況が動く。字壬が、席を外すと言い出したのだ。

「うん。作戦実行の前に、少しやる事があってね。五分程時間をもらいたい」

 無論、断る理由が無い帝は字壬の申し出を受ける。

 結果、戻ってきた字壬を見た時、彼女達は眉をひそめる事になる。

《って――さっきより断然強い。この字壬さんは、多分本物の字壬さんだ。向こうはどういう訳だが標的である自分を前面に押し立ててきたぞ》

 よって、スタージャもまた目を細めた。

《まさか、帝さんの力を確認して、彼は帝さんを全面的に信用した? 核施設に監視者を配置していたと言うのは私達の深読みで、彼は本当に何も知らない?》

 だからこそ字壬は、帝達に狙われているとも知らずに、帝達と行動を共にしようとしている? 字壬――自らの参戦。これはスタージャにそう思わせるに値する、暴挙と言えた。

《いえ、そう思わせるのが向こうの目的という可能性が濃厚ね。でも、だとしたら、敵はどうするつもり? 指揮権も譲渡し、標的自ら前線に出てきた。これでは殺してくださいと言っている様な物だわ。……そう考えると、やはり彼は何も気付いていない?》

 字壬が駒を二つ進めただけで、スタージャに混乱が生じる。その一方で、彼女達としては、この好機を逃す手は無かった。

 いや、一度協力すると言った手前、今更、その協定を破棄する訳にはいかない。字壬とわかれ、鴨鹿町を出て、自分達を囮にするという手段はもう使えないという事だ。

(つまり、此方の策は限られているという事。もしこれが字壬さんの計算通りだとすれば、明確な脅威。けど、反対に彼が何も気付いていないとすれば、絶好のチャンスだわ)

 いや、囮の策が封じられた以上、帝達は字壬から委ねられた指揮権を活用する他ない。例えそれが罠だったとしても、字壬の想像限界を超えた策を以て彼をハメる。こうなった以上、それ以外にスタージャ達には策が無かった。

《オーケー。なら、こちらも仕上げと行きましょう。彼にこう指示を送って、帝さん》

 スタージャから提案を受ける、帝。彼女も熟慮した上で、スタージャの指示を是とした。

「わかりました。では、早速作戦遂行といきましょう。私としては少数精鋭で事に臨みたいのですが、如何でしょう? 私達と字壬さん、それに見世派の中から二人ほど見繕ってその五人で事に及ぶ。仮にそれで失敗したなら、こちらも味方を増員するというのはどうです?」

「成る程。まずは、敵の出方と戦力を測ると言う訳か。敵の能力によって、此方の作戦を変えるという事だね? わかった。なら、今、知空と咢を呼び戻すから少し待っていてくれ」

 字壬が携帯を使い、知空達に連絡する。その数分後には、件の二人はこの場に現れた。

 海田知空。背や年の頃は帝と変わらず、亜麻色の髪を後ろで一纏めにしている。変わった所があるとすれば、西洋人を連想させる彼女が和服を着ている点だろう。

 潜里咢。歳は帝と変わらない感じだが、背は若干低い。黒いコートを纏い、黒い髪を背中に流した彼女は、その赤い瞳を帝達に向けた。

「というか、当主、指揮権を彼女達に委ねたというのは本当ですか? それ程までに彼女達は信用におけるニンゲンで、当主以上に腕が立つと?」

 咢の問いに、字壬はただ肩を竦める。それを見て、知空は嘆息した。

「相変わらず偶に訳がわからなくなるわよね、ウチの当主は。で、私達はこの見知らぬ赤の他人の指示に従えばいいわけ? それで私達の身の安全は、保障されると言える?」

「ま、知空は不安だろうが、そうなるな。が、俺はそれで問題ないと思っている。彼女の――神代帝さんの実力は俺以上だとさっき確認したばかりだから」

「へえ、当主以上ですか? もしかして当主ってば、彼女と婚姻を結び、自分より更に強い跡取りを生みだそうとしている?」

 咢が軽口を叩くと、字壬は苦笑いを浮かべる。それで話は決まったとばかりに、字壬は帝の指示を仰いだ。

「わかりました。そのお二人には信用されていない様ですが、そこら辺は私の実力を以て納得して頂きましょう。私の作戦はこうです。まず愚直に核施設に侵入し、敵を誘き出す。そうなると手の内を知られたくない敵は、戦力を小出しにしてくるでしょう。その敵を可能な限り各個撃破していく。もし此方が危うくなったら、即座に戦場から離脱し、援軍を求める。敵の戦力が不明である以上、そうするほか無いと思うのですが如何です?」

「………」

 帝の提案を受け、知空と咢が貌を見合わせる。

 それは数秒ほど続いたが、やがて彼女達は結論を出す。

「いいわ、わかった。ただし、逃走経路だけはしっかり確保してもらう。それが出来ないなら私達としては承服しかねる作戦だわ」

「と、それは問題ないス。そこら辺は、私の能力でちょちょいのちょいスから」

 輝夜が中空に向け弾丸を放つ。途端、そこには巨大な穴が開き、空間と空間が繋がる。輝夜は空間をつくり変え、核施設に続く道をつくり出したのだ。

「フーン。それがあなたの能力? 空間を操作するのが?」

「ま、そんな所スね。で、お二人はどうするスか? 肝心の当主は、どうもヤル気満々のようスけど?」

「だな。と言う訳で見世派当主として命ずる。海田知空、潜里咢両名は今から神代帝の指揮のもと俺と共に核施設の奪還を行え。仮にこれに失敗した場合は、文句は地獄で聞いてやるよ」

「……それは何とも、頼もしいお言葉で。いいわ、わかった。なら、是非もありません。ここは私も、当主の御言葉に従う事にしましょう」

「異議なし。では、早速参りましょうか。鬼が出るか蛇が出るか、まるでわからない魔窟へ」

 それで議論は終わり、まず帝が件の穴を通る。輝夜、咢、知空、最後に字壬と続き、五名は遥か異国へと転移した。

 そして――その空間の穴が閉じた時、事態が動く。

「は――っ?」

 あろう事か帝と輝夜の背後に居る海田知空と潜里咢が――大爆発を起こしたのだ。

 ソレは正に――宇宙を七十兆個は消し飛ばすに値する威力。実力が低下している帝達なら――致命傷を受けかねない破壊力である。

 ならば、ソレを直撃された輝夜達が無傷の筈が無い。帝と輝夜は宇宙ごと消し飛び、ここに全ては決着した。

 ただ一人、無傷である見世字壬はこう嘯く。

「ああ。よく考えてみれば、君達はエルカリス皇も暗殺する気だった筈。つまり、兵力を分散している可能性が高い。ならここはエルカリス皇が敵を何人か倒している事を期待し、俺は目前の敵を倒すべきだ。それだけで――少なくとも敵の戦力は確実に削られる筈だから」

 そう。自分は今、これで少なくとも三人の敵を葬った事になる。何故なら、今の一撃を放った瞬間、この空間は別世界に取り込まれた筈だから。

『神』がそうしなければ、この宇宙が消滅する。ソレを避ける為にも、力ある者は全てこの空間に取り込まれ、その他の物は全て隔離された。

 そしてその力ある者というカテゴリーには、あの核施設を乗っ取っている犯人も含まれている。件の別空間は、力ある者とそうでない者を分かつ壁だから。

 故に、知空達が爆発した時点で、核施設の籠城犯もまたこの爆発に巻き込まれた。仮に籠城犯が一人だけだとしても、字壬は最低三人の敵を倒した事になる。

 それだけの快挙を――彼はたった一人で成し得たのだ。

「ま、思ったより呆気なかったが、今はエルカリス皇と連絡をとるのが先だな。もし皇が敗れていたら、俺が彼の後を引き継がなければならないから」

 字壬が日本に帰る為、転移しようとする。跡形もなく消し飛んだ帝達に、胸裏の中で別れを告げながら。

 だが、その時――もう一度事態が動く。

 爆炎が晴れた先を見れば――其処には三人の人物が居た。

 一人は――スタージャ・レクナムテ。

 後の二人は――今消え去った筈の神代帝と輝夜・チェスターだ。

「へ、え? まさか今の一撃を防いだ? いや、それ以前に俺の策を見抜いたというのか?」

 字壬の攻撃を防いだ為、体力を僅かに減らしているスタージャが苦笑いをする。

彼女は平静を装いながら、こう言葉を返す。

「ま、そういう事ね。実にギリギリだったけど、貴方の真意は読ませてもらった。貴方は一つだけ、私に尻尾を掴ませるだけのミスを犯していたから」

「ミス? 俺が? はて? ソレは一体どういう事かな? 俺としては、全く見当がつかないんだけど?」

 字壬が口角を上げながら問うと、スタージャも微笑みながら返答する。

「見当がつかない? という事は、アレは本当にただの世間話だった? あの知空さんと咢さんが重要な仕事に就いているという、アノ話は?」

「………」

 そこまで聴いただけで、字壬は成る程と納得する。

 自分がしたその世間話が、彼女にどんな深読みをさせたか彼は理解した。

「そうよ。私は、アレは貴方がこの世界の帝さんの調査を行っている事を匂わせてきたと思った。そうする事で私達を動揺させるつもりだと感じたの。でも、そう考えると二つほど或る事柄が確定してしまう。その一つは言うまでも無く、貴方は私達が核施設を襲撃した事を知っているという事。そしてもう一つは、私達がその監視に気付いている事に貴方が気付いているという事よ。何故って、もし貴方がその事に気付いていないなら、この世界の帝さんを使ってゆさぶりをかけるのは不自然だから。帝さんは、自分の姿を貴方に知られている事に気付いていない事になっている。なら、貴方が帝さんを調査する筈もなく、その事を匂わせるのは矛盾した行為だわ。アレは帝さん達が貴方の監視に気付いていて、貴方もその事に気付いている事を前提にした話題だった。私はそう結論したのだけど、これこそ私の深読みだった様ね。実際はただの世間話だったけど、そう深読みする事で私は貴方の策を看破出来た。見世字壬はやはり全てを知った上で帝さん達をまとめて始末するという策を、私は見抜けたの。そう考えると、実に皮肉な話だわ」

 スタージャがそこまで言い切ると、字壬はもう一度笑う。

「間違った計算に間違った計算を重ねる事で正解に辿り着く、か。確かにソレは悪魔じみた現象だ。どうやら運はそっちにあるらしい。けど、悪いが運のよさでは俺も負けていなくてね。これで、敵を引きずり出すという当初の目的は達せられた。後は、俺達が君達を始末すれば事足りるという訳だ」

 ついで、字壬が指を鳴らす。途端、彼の横には転移してきた二人の人物が出現する。

「咢と知空は、神代帝を足止めしてくれ。俺はその間に――この二人を始末する」

「了解」

 続けてスタージャも、テレパシーを使い三者に指示を出す。

《クイソニックさんは現実世界に戻って、核施設を死守。帝さんは、咢さん達を足止めして。私と輝夜さんは――その間に字壬さんを倒す》

 それから、彼女はこうつけ足す。

《それと――字壬さんのあの自信は虚勢じゃないから、気をつけて。彼は今キロが言っていた状態になっていると見るべきだから――その事を忘れないで》

 それで、今度こそ話はついた。

 この場に居る六人は、己が任務を果たすべく――地を蹴ったのだ。


     ◇


 その頃、別世界に取り込まれた愛奈とキロも、エルカリスとの戦闘の最中にあった。

 愛奈がまずした事は、地面に拳を叩きつけ、地球を破壊する事である。たった一発の拳の衝突は、あろう事か事もなく地球を打ち砕く。地球は大爆発を起こし、それに巻き込まれたエルカリスは全長二十メートルもの巨人を纏いながら後退する。

(やはり接近戦は危険だと察して、此方の目を眩ましてきたか。地球の残骸を盾にして身を隠し、虚を衝くのがあちらの策)

 エルカリスはそう読み取り、地球の残骸から離れようとする。

 その間に、愛奈の攻勢が始まる。エルカリスの背後に回り込んだ彼女は、全長二十メートルもの巨人を纏いながら【オーラ】を変化させる。刃渡り一キロに及ぶ剣を発射し、エルカリスを両断しようと図る。

 だが、それをエルカリスはただの本能だけで躱す。何の確証も無いその直感は完膚なきまでに機能し、愛奈の攻撃を回避させる。瞬間的に力を跳ね上げた彼は、愛奈の直ぐ傍に移動し、彼女を己の射程距離に入れた。

 こうなってしまえば、後はアーギラス戦の再現だ。実力に差がついた愛奈はエルカリスの攻撃を防ぐ事も出来ないまま、ただ殴打され続ける。

(と、それはごめんだから、今はさよなら)

(――『転移』? それが彼女の能力?)

 自分の拳が着弾する前に愛奈の姿が消えた事から、エルカリスはそう読む。そのまま彼は地球の残骸圏から離脱しようとするが、愛奈が能力を発動する。

 彼女は地球の残骸を転移させ――再びエルカリスの周囲に配置したのだ。

(飽くまで私の目を眩ませる気、か。悪くない策だが、決定打に欠けるね)

 だが、今の所愛奈達にはこの手しかない。自分達の姿を捕捉されれば、後はエルカリスのワンサイドゲームが始まる。

 例え百億光年離れていようとも――能力を使った彼なら一瞬でその間合いを詰め攻撃してくる。故に愛奈達が、エルカリスから身を隠すのは必須と言えた。

(けど、思った以上の怪物。さっきの不意打ちを余裕で躱す辺り、とんでもない直感力だ。それでも私達は彼の隙を狙うしかない訳だけど、果たしてソレは本当に可能――?)

 自問しながら、愛奈は三度転移を使う。今度はエルカリスの頭上から、例の剣を発射する。

 が、なんの気配も発していないソレを、やはり彼は視認する事なく平然と躱す。

《って、本当にアレって私達と同じニンゲン? 不意をついても、余裕で回避してくるんだけど――?》

 愛奈がキロに、テレパシーでそう問う。キロは平然と返答した。

《それも今日に至る戦闘経験の賜物でしょう。奴の勘は――完全に神域に達しています。貴女の作戦でも、やはり彼を打倒する事は叶わないかも》

《かも、ね。でも、今はこの攻撃を続けるしかない》

 エルカリスに捕捉された愛奈が、再び転移して彼をまく。その間に、彼は考えを巡らせた。

(彼女が私の位置を知る事が出来るのは、この残骸の外からあの黒い娘が指示を出しているからだろう。目印は、恐らく私が能力を発動させる為に滾らせているエネルギー。それを見つける事で、彼女達は私の居場所を把握している訳だ)

 そこまでは正しい。エルカリスの読み通り、キロが愛奈をナビゲートして彼を攻撃させている。

 なら、ここは先にキロを叩くべき?

 だが、キロは今完全に気配を消し、その居場所をエルカリスに悟らせない。現在の条件下で彼がキロを討つのは、実に困難と言えた。

(つまりあの黒い娘を引きずりだすには――あの白い娘を打破するしかないという訳か)

 彼としては当然の結論だが、それは余りに至難の業だ。愛奈が転移を使う限り、彼女を捉えるのは難しい。

 そう直感したエルカリスは、だから奇策を用いた。彼はこの周囲に向け、テレパシーを発したのだ。

《そう。私の母の人生と願いは、正に人の知性を象徴する二律背反だよ。何せ、世界を完全なる平和に導くというのは、今の世界を壊すという事だから。故に私は最終的な判断を下すのを躊躇った。その反面、私は最終判断を下す決定的な理由を欲していた。それもその筈か。今の世は多くの人々が生を謳歌していて、私にはそのささやかな幸福を壊す事はできない。そんな時だよ。君達の口から世界の危機を知ったのは。その時思った物だ。確かにこの世界は少なからず安定している。だが、報われない人々が居るのも事実だ。いや、その救われない人々が居るからこそ、多くの人々が幸福にすごせる。仮にその報われない人々を救う為に私が動けば、今の平和を壊す事になるだろう。果たしてソレは正しい事か、私には答えが出せなかった。だが、等しく全ての人々が不幸になるなら話は別だ。この世界はやはり完成されるべきで、それ以外の救済はあり得ない。そうだ。わかっていた。私は、本当は全ての人々を救う為に世界を完成させたかったんだよ。だが――それはきっとこの世で最も大罪と言える事なのだろう。何故ならそれはこの世界の常識を一変させ、崩壊させる事なんだから。母が望んだのはそういう事で、世界の悠久なる平和を望む事こそ人にとって最悪の罪なんだ。ソレは人を人とは違う物に変える一つの暴挙だから、母の願いは自身の罪の継続でしかない。人々にとっては美しく感じられながらも――愚かとしか言い様のない決定的な二律背反なのさ》

(………)

 ソレは、キロも痛感していた一つの答えだ。悠久の平和を築く為には、今の社会を壊すしかない。誰もが平等な世界をつくると言う事は、誰もが一度不幸になるという事なのだ。

 だがそれだけの暴挙を成した末に、自分は本当に誰もが幸福といえる世界をつくれる? エルカリスさえ躊躇っていると言うのに、この自分が悠久の平和を築けるか?

 キロは一瞬だけそう迷い、これがエルカリスの心理戦である事を理解する。彼の狙いは少しでも自分を動揺させる事。そう読み取り、愛奈に攻撃を続行させるキロだが、次の瞬間彼女は眼を開く。

《待ちなさい――愛奈! 今の指示は撤回します!》

《つ――ッ?》

 だが、一瞬遅い。愛奈が転移した先には、エルカリスは居ない。いや、彼の代りに恐竜似た肉片が其処には居た。

「がッ……はっ!」

 その直後、愛奈の背後から凄まじい衝撃が走る。

 巨人を破壊され、背中を殴打された愛奈は、そのまま吹き飛び、それを追って攻撃の主が直進する。血反吐を吐く愛奈は、意識が朦朧としながらも、後ろを振り返る。

 其処に居たのは――自分に止めを刺そうとしているエルカリスだ。

 ならば、鳥海愛奈はここまでだ。彼女の精神状態は、もう通常のソレでは無い。この虚ろとした意識で、転移を発動させる事など不可能である。

(ほ、う?)

 だからこそ、エルカリスは刮目した。あれだけの傷を負いながら、尚も愛奈が転移を使ってきたから。それは常識的に考えれば、あり得ない話だ。

(つまり――彼女は非常識な存在と言う事か?)

 ――実にその通り。鳥海愛奈は、スタージャ・レクナムテに匹敵する異常者である。

 何故なら彼女は百四十兆回にわたって、この世全ての痛みをその身に受けてきたのだから。それが、鳥海愛奈が超常的な力を得る為の条件だった。

 それもその筈か。愛奈とは元々キロの反作用体である。力ある『異端者』にはそれに匹敵する天敵が存在する。だが、愛奈の場合キロに匹敵する力を得るには、『試練』を受ける必要があった。それがキロ同様、この世全ての痛みを全ての世界の数だけ味わう事だ。

 故に愛奈は――その全てを知っている。

 人間が人間に与えた痛みと恐怖の全てを――知り尽くしている。

 その全てを百四十兆回繰り返したのが、鳥海愛奈と言う少女。この常軌を逸した凶行が、遂に彼女を〝超越者〟クラスにした。世界の痛みを知る事で、愛奈はこの世界の深層に至ったから。『試練』を乗り越えた末に――彼女はこの宇宙その物と化したのだ。

 だからこそ鳥海愛奈は――聖女と呼ばれる。

 アレほどの苦痛と恐怖を以て尚、精神が歪まなかったが故に。

 人としての心を未だ持ち続けている彼女は――確かに一種の聖女なのだ。

《というか、貴女の場合『試練』を受ける前の方が、性格が悪かったと聞きましたが?》

《かも、ね。いや、私も『試練』のお蔭でずいぶん大人になったという事だよ》

 身を隠しながら、愛奈が苦笑する。ソレは常人からしてみれば、実に異常な反応である。

 ついで、彼女はキロに確認した。

《というか、君も私も迂闊だったよ。私達はエルカリスが『平行多重人格種』だって知っていたんだから。つまり彼はいま人格の一つを切り離し、それを囮に使って、私をまんまと誘き寄せた――》

《正解です。彼にとって計算外だったのは、それでも貴女を逃した事。全く、いつもながら貴女の痛みに対する耐性と根性には驚かされますね》

《それが、私の売りだからね。けど、正直、今のは痛かった。ぶっちゃけ、このままダウンした方が楽だと思える程に》

 愛奈がそう漏らすと、キロは本心から問う。

《では、もう戦えませんか? 今ので、心も体も折れてしまった?》

 そして、鳥海愛奈は微笑みながら告げたのだ。

《――冗談。勝負は、ココからだよ。寧ろ、今から私の逆転劇が始まる所》

 この虚勢を前に、キロは一瞬真顔になった後、クスリと笑う。

《オーケー。なら、後の事は貴女に任せます。わたくしのナビゲートは、逆に貴女を彼の罠に誘導するだけでしょうから。わたくしがそう言うと思ったからこそ、いま愛奈はああ啖呵を切ったのでしょう?》

《君って偶に私を、無駄に過大評価する時があるよね? でも今はその過大評価を糧にして、少し気張ってみようか――!》

 よって、エルカリスは眉をひそめる。鳥海愛奈が自ら気配を発し、居場所を知らせてきたから。

 露骨な罠だったが、人格の一つを回収したエルカリスは敢えてソレに乗る。彼は愛奈の目前に姿を現し、二人はこんなやりとりをする。

《やっぱり現れたね。君は紳士だから、美女の誘いは断らないと思ったよ》

《成る程。君の役目は少しでも私に手の内を晒させて、体力を削らせる事か? その為の捨て石を買って出る辺り、あの黒い娘に弱みでも握られている?》

《まさか。私とキロは、天敵中の天敵って間柄だよ。『勇者』は決して――『魔皇』とは気脈を通じない。いえ、その筈だったんだけど、どうやらその誇りを私は捨てなければいけないみたい。私は私自身の信念より、世界全ての運命を優先したから。帝ちゃんと輝夜ちゃんがさ、私にそうするべきだって意図せず諭してきたんだ。私はあの二人の決意を――無駄にする気は無い》

 それで、無駄口は終わった。二千キロは離れているエルカリスに対し、愛奈は一度だけ微笑する。そのまま彼女は彼目がけて突撃し、その愚行を彼は嗤った。――いや、彼は、愚かにも愛奈に誘い出された自分自身を嗤ったのだ。

(そう。あの娘には、何らかの策があると見るのが妥当。ソレを正面から受け止めようとする私は、些かおめでたい。だが、そうでもしなければあの娘の強靭な心は折れない。私は今、この身を以てあの娘の全てを打ち砕く)

 同時に、エルカリスも愛奈に向けて猪突する。『歴史』を発動させ、一瞬だけ愛奈の戦闘力を完全に上回る。

 ――ならば、詰みだ。

 速さも、パワーも、経験さえも愛奈を凌駕するエルカリスに彼女が勝てる筈もない。

 少なくともエルカリスはそう直感し、キロでさえそう感じる。

 だがここで――一つの布石が生かされる。

(そう。君は私の能力を転移だと思った筈。でも――本当はこんな事もできるんだよ)

 然り。愛奈のもう一つの能力は――『肯定』と『否定』である。

 平たく言えば、愛奈が『肯定』した物は全てが肯定される。例えば、愛奈が転移という現象を『肯定』し、実際に転移してみせた様に。

 よって彼女は、事前に自身の脳内処理速度を、限界を超えて加速させる事を『肯定』した。限界を凌駕して加速したその脳内処理は、世界の〝均等化ルール〟をいち早く受信する。エルカリスの能力向上に追いつき、彼は息を呑む。

(――私と同じレベルまで、自身を高めた? だが、一瞬遅い。私の攻撃が先に決まり、それを避ける為に君は転移する他ない)

(いや――だからそれが布石なのさ、エルカリス!)

 転移で逃げ回っていた愛奈なら、そうすると思うのが或いは当然なのかもしれない。だが、実際は違っていて、愛奈はエルカリスの攻撃を『否定』する。それだけで彼の拳はほぼ力を失い、ただ空を切った。

(こちらの攻撃を無効化した? まずい――!)

 鳥海愛奈の目的。それは、エルカリスの巨人の躰に触れる事。その状態で彼を『否定』すれば、エルカリスは死滅する。

 ソレが愛奈の狙いであり――彼女単体で出来る最後の賭けだった。

(そう。だから――私の勝ち)

(つッ!)

 愛奈とエルカリスが、同時に微笑む。両者の躰に、歓喜と戦慄が同時に走る。その果てに、彼女は見た。

 自身の手がエルカリスの巨人に触れる、その瞬間を。

 同時に愛奈が――エルカリスを『否定』する。

(な――ッ?)

 けれど、あろう事か、驚愕の表情を浮かべたのは愛奈の方だった。何故ならエルカリス・クレアブルは今、両手を合わせ、拝む様な体勢をとったから。

 たったそれだけの事で――愛奈の『否定』は霧散したのだ。

(まさ、か。私の『否定』を『歴史』で押し潰した――?)

 愛奈がそう読むのと同時に、確かに彼女の巨人の顎にはエルカリスの蹴りが決まっていた。


     ◇


 瞬間――彼女は眉をひそめる。

 神代帝と相対した時、海田知空は釈然としない物を感じたから。

(無駄のない動きと、的確な突きや蹴り。私達が手におえるレベルの戦闘技術じゃない。けれど妙ではある。これだけの力を持っているなら、パワーやスピードもソレに比例している筈。なのに、この子のソレは私達と同格?)

 そう。正に自分達二人と、同じ位と言った所だろう。まるで帝のパワーやスピードは、自分達二人分の力しかないように知空には感じられた。

(まさか、それが彼女達の〝ルール〟? 殺意を以て戦う場合、敵の力に合わせてレベルが落ちるというのが?)

 確定情報ではないがそう感じた瞬間、知空はその情報を、テレパシーを使い字壬に伝える。

《成る程。だとしたら、彼女達が徹底して俺を孤立させたがっていた訳もわかる。仮に彼女達の誰かが俺の実力を上回っていてもその力を彼女達は十全に生かせない訳か。了解だ、知空。君達はそのまま、神代帝の足止めを続行。全力を以て、この任務を果たせ》

《って、援軍は送ってもらえないんですか、当主? って、そうか。これ以上、此方が増員すると敵が不利だと見なし、逃げる可能性がある。ソレを避ける為にも、私達は敵に〝この人数なら当主を暗殺できるかも〟と認識させ、敵を引きつける必要がある訳ですか?》

 咢がそう確認すると、字壬は首肯する。ソレは一種の賭けだが、的を射た指示とも言えた。

 字壬がこれ以上味方を増やせば、暗殺は不可能とみなしてスタージャ達は撤退するかも。仮にそうなれば、彼女達をまた誘き出すのは至難の業だ。

 それを避ける為にも、字壬はこの頭数で彼女達を葬る必要があった。

(というか、やり難い。向こうは此方の戦闘技術が特化されていると見抜き、遠距離からの攻撃に切り替えてきた。てか、和服でナマ足も晒さずアレだけ激しく動けるとか、どんなレベルの体術だよ?)

 咢達との距離をつめようとする帝が、思わず胸裏でぼやく。反対に帝から間合いを離そうとする知空は、その術を発動させた。

 彼女は親指の皮を切り、出血させ、手に字を書き込む。ソレを地面に押し付けた瞬間、地面は突如何重もの壁を作り出す。高速移動状態にあった帝はそれで虚を衝かれ、急停止した後、九時の方角へ跳んだ。

(本当に、やり難い)

 敵の能力を一目で看破した帝が、またも愚痴る。海田知空の能力。それは恐らく掌に文字を書き込み、それを物体に押し当て、文字通りの現象を起こさせる事。きっと今の現象は『突起』と言った所だろう。

(つまり、あの和服が手に『死』という文字を書き込み、それを俺の躰に押し当てた時点で俺は死ぬ訳か。そうなると益々距離をつめづらくなるが、それだと向こうの思うつぼ。なんとか間合いを狭め、接近戦に持ち込まないと事態は好転しない)

 そう感じながら、帝は『収束』させたエネルギーを咢達目がけて撃ち放つ。ソレを知空は壁をつくって防ぎ、更に帝に向けて石を投擲する。

 ソレを躱す帝だったが、その途中で石が爆発する。この爆発を読んでいた帝は紙一重の所で回避するが、彼女の劣勢は明らかだった。

(というより、最初の交戦でこちらの〝ルール〟は読まれているな。そう考えると、成る程、確かに字壬さんの言う通りこの二人は有能だ)

 故に、帝は半ば彼女達を倒す事を諦めた。自分の任務は咢達を倒す事では無く、足止めする事だから。字壬から分断できさえすれば、帝としてはそれで十分である。

 対して、知空達はどう考えている? 字壬からは帝の足止めを命じられた彼女達だが、かかっているのは当主の命だ。少しでも早く帝を倒し、字壬の援護をしたいのではないか?

 そう考えると、焦燥しているのは帝より咢達の方だろう。いち早く帝を倒し、字壬と合流したい知空達の方が、勝負を急いでいるに違いない。

(なら、これ以上間合いをつめる必要は無い? ここはリーダー達が字壬さんを倒すと期待して、私は徹底的に時間稼ぎをするべきか?)

 帝の計算では、スタージャと輝夜の二人がかりなら字壬を倒せる。そう考えるが故に帝の気迫はやや緩み、積極性を失くしかけた。

 ――いや、その寸前、戦況が動く。

 帝の前に壁がそそり立ち、一瞬、彼女の視界を塞ぐ。帝が三時の方角に跳ぼうとした瞬間、ソレは来た。

「フ――っ!」

 壁が消え、一息で――潜里咢が間合いを詰めてきたのだ。接近戦を回避したがっていた彼女達が、一転して距離を詰める奇行に出る。この時、帝は迷った。

(明らかに何かの罠。けど、俺が彼女を避け、後退し続ければ何れ字壬さんとの合流を許す。なら、選択の余地は無い。この一撃で彼女の意識を断ち――罠ごと粉砕する)

 故に、帝は咢の右胸に拳を放つ。スピードは咢達と同じレベルに落ちているが、達人の業といえるその一撃は確かに咢に命中した。同時にそれは咢の意識を――赤く点滅させる。

 それもその筈か。帝の一撃は間違いなく咢の肋骨を粉砕して、右の肺を潰したのだから。常人なら――意識を失いかねない一撃。帝もそう感じたが、この時、潜里咢は悠然と笑った。

(な、に――っ?)

 何故ならその瞬間――帝の肋骨が砕け、肺が潰されたから。お蔭で帝は歯を食いしばり、その間に――知空の蹴りが帝の躰を吹き飛ばす。

 ――これが潜里咢の能力。

 自分や他人の傷を――接触した任意の人物に移せると言うのが。

 咢は今自分の傷を接触してきた帝に転写し、自分が受けたダメージをそのまま返したのだ。

「と、申し遅れましたね。私の名は、潜里咢。通称――レッドミラーです」

 痛みを転写する能力を持つが故に、彼女は赤い鏡と呼ばれる。その意味を、帝はいま身を以て痛感した。

「そして私は、海田知空。通称――なんでも屋よ」

 対応力がある能力を持つが故に、彼女はそう呼ばれている。その意味を、帝は俯きながら実感した。

「と言う訳で、あなたは――これでおしまい」

 知空が死を印した右手を、帝につきだす。

 だが――それを神代帝は、あろうことか事もなく躱した。

 そのまま帝は反対に知空に向けて拳を撃ち放ち、ガードした彼女の腕に着弾させる。知空は五メートル程も吹き飛ばされ、思わず目を見開いた。

「……冗談。悪いが、これ位が丁度いいハンデだ。いいぜ――かかってこいよ。あんたら二人がかりでいいからさ――」

 敵は、意識を失いかねない程の重傷を負っている。それで尚、知空と咢はこれが虚勢ではないと読み取る。

「いいでしょう。なら、私達の全力を以て――あなたには消えてもらう」

 途端、知空は後退し――咢は帝に向け猪突した。


 その頃――スタージャもまた字壬との戦闘に勤しんでいた。

 この間、輝夜は待機し、二人の戦闘には手を出さない。スタージャは、核施設攻略戦の再現を行おうとしていたから。

 まずスタージャが限界まで戦い、字壬の体力を減らす。そのあと輝夜と交代し、字壬と戦って、消耗した彼を倒すという算段だ。

 いや、その筈だったが――字壬の攻撃範囲はスタージャだけでなく輝夜も含まれていた。

《――って、なんなんスかっ、この兄ちゃんはっ? 逃げた先で攻撃が的確に放たれるんスけど、一体どんなカラクリっ?》

 輝夜が逃げまどいながら、スタージャに問う。スタージャも防戦一方で、ただ字壬が繰り出す頭上からの閃光を避けながら一考する。

《そこまでは、まだわからない。でも、これは明らかに〝超越者〟クラスの攻撃。ソレに――何らかの能力を付加させていると見ていいでしょうね》

 よってスタージャも、〝ビッグバン〟を発生させる。だが、彼女は見た。自身が放った〝ビッグバン〟が――全く的外れな場所に着弾するその様を。

《……キロと同系統の能力? 確率を変動させ、自分にとって有利な状況を作り出している?》

 自分の攻撃は命中せず、字壬の攻撃は的確な事からスタージャはそう読む。それは、当らずとも遠からずと言った看破だった。確かに――今の字壬には運が味方しているから。

(とにかく、このまま輝夜さんを戦闘に巻き込むのは不味い。彼女まで力尽きたら、字壬さんに勝てる可能性がグンと低くなる。ここは多少無理をしてでも――私が彼にダメージを負わせるしかない)

 故にスタージャは、特攻覚悟で字壬に肉薄する。死角から放たれる字壬の閃光を、ギリギリのところで弾き飛ばしながら。

(至近距離からの〝ビッグバン〟――。これなら)

 けれど、スタージャは息を呑む。何故なら、今度は術そのものが起動しなかったから。よって字壬の間合いに入ったスタージャは蹴りを入れられ、十メートルほども吹き飛ぶ。

(と、それでもガードした、か。虚を衝いたつもりだったが、大した戦闘技術だ。てっきり能力優先型だと思ったが、近接戦闘もイケる口か)

 そう。何せ、スタージャは帝だった時もある。帝の人生を思い出している彼女は、だから帝の業も頭に入っているのだ。その技術を流用し、スタージャは字壬の蹴りをしのいでみせた。

(けど、今のは体が勝手に反応しただけ。頭で考えて行動していたら、彼の蹴りは防げなかった)

 体勢を立て直しながら、スタージャは字壬の能力を見切ろうと考えを巡らせる。いや、彼女の場合、〝思い出す〟と言った方が正しいか。

(この字壬さんは、果たしてどの世界のどんな字壬さん? それを見切らない限り――私達に勝ち目はない)

 実際、自分の攻撃は無効化され、温存される筈だった輝夜も前線に立たされている。この状況を打開しない限り、彼女達に勝機は無いだろう。

(が、俺はこのままチェスターさんも巻き込んだ攻撃をすれば、良いだけ。そうなれば、あの少女が俺の体力を削り、チェスターさんが俺の消耗を衝くという作戦はとれなくなる。いや、そろそろもう少し――派手にいこうか)

《く! ――まずい!》

 途端、スタージャ達の頭上から一グーゴルプレックス個に及ぶ槍が降り注ぐ。しかも、その何れも的確に彼女達の死角をついていた。

 この絶対的窮地にあって、スタージャは奥の手を使う。彼女は距離という概念を〝殺し〟、輝夜を連れ字壬の攻撃圏内から離脱しようとしたのだ。

(……つ! それでもやはり術が上手く起動しない!)

 事実、字壬の攻撃圏内から離脱しきれなかったスタージャ達は、彼の攻撃に晒される。ソレを前に、輝夜は天に向かって銃の引き金を引き、字壬の槍を無害な物に変化させていく。字壬の狙い通り輝夜に手の内を晒させ、彼は更に自分の優位を確保していた。

 その上で、隙だらけになった輝夜の脇腹に――字壬は横蹴りを入れる。

「つ――ッ!」

「輝夜さん!」

 そのままスタージャにも回し蹴りを放ち、彼女はソレをガードするがまた吹き飛ばされる。

 ここまで戦況が進み、スタージャは改めて見世字壬の脅威を知った。

(やはり、キロが言っていた通りだった。この彼は、私が覚えている彼とは一味違う)

 ――キロの見解。それは、全世界規模の話だ。

『詠眠姫』という『死界』について知っている少女にキロは訊ねたのだ。果たして見世字壬が『頂魔皇』である自分に勝った事がある世界は存在するかと。

『詠眠姫』の答えは、些か難解だった。彼女は〝一定期間までは無く、或る時を境にキロは彼に勝てなくなった〟と告げたのだ。

 つまり、字壬に対して無敗だったキロは何かが切っ掛けとなり、彼に勝てなくなった。

 キロが字壬を主人公体質と評したのはその為で――彼は今や無敵のヒーローなのだ。

(無敗だったキロが、一転して、彼には勝てなくなった。ソレは彼がただ強くなっただけではなく、何か別の明確な理由がある筈。私が今するべき事は――それを〝思い出す〟事)

《……というか、本当になんなんスか、この兄ちゃんは? これじゃまるでこの世界を悪者から守る正義の味方そのものスよ? 私等、いま完全に悪役ス! なんかもう頭で考えるより先に行動しないと、対処が追いつかないス!》

 輝夜はぼやき、スタージャは字壬の攻撃を避けながら考える。

 その時――彼女の思考には稲光の様な物が走った。

(……頭で考えていたら、彼の攻撃は躱せない? それはつまり、無意識なら彼の攻撃を躱せると言う事?)

 実際、スタージャは先ほど頭で考えるより先に行動し、字壬の蹴りを防御した。対して彼に向けて放ったビッグバンは、明確な意思を込めた物だ。

 その二つの差が、遂にスタージャに一つの事実を想起させる。

《〝思い出し、た〟――。彼の能力は――第三者の恐怖を具現する事よ。この見世字壬は――ヒトの恐怖を支配する》

 そう。だからスタージャのビッグバンは、キャンセルされた。ソレは彼女が、心の何処かで恐れていた事態だから。

 だからスタージャは、彼の蹴りを防げた。ソレは無意識下の行動で、恐怖を抱く暇さえ無かったから。

「と、そろそろ俺の能力に気付いた頃、か。それじゃあ――そろそろ終わりにしよう」

「くッ!」

 字壬が全長二十メートルの巨人を纏い、その拳をスタージャ達に撃ち放つ。

 ソレに恐怖を抱いたスタージャは彼の拳を躱せず――完膚なきまでに被弾したのだ。


     ◇


 愛奈の巨人の顎に入れられた、蹴り。それは正しく、愛奈の首の骨を折るほどの衝撃だ。

 いや、本当にその筈だった。

(ほう! まさか――今のを躱す?)

 否。正確には愛奈が後方に飛び、エルカリスの蹴りの衝撃を殺いだ。彼女が今も生存しているのは、そういった理由があるから。

 けれど、それは同時に、愛奈だけではもうエルカリスを討つ策がなくなった事を意味した。

 それを証明する様に、温存されていた筈のキロ・クレアブルがこの場に現れる。

《そうですね。仮に背中を殴打されたダメージが無ければ、確かに愛奈の勝ちでした。ですがもうここまでです。彼がほぼノーダメージで、貴女が力尽きかけている今、わたくし達に勝ち目はない。そう――普通の方法では》

 ソレを聴き、エルカリスは警戒を強める。

 この二人はまだ勝利を諦めていないと直感し、彼は意識を強く集中した。

《だね。結局、私が提案した最後の手を使う事になった。でも、厭だなー。自分で言い出した事だけど、これって凄く格好悪くない?》

《さて。それは知りませんが、或いは前代未聞かもしれませんね。『魔皇』と『勇者』がこんな真似をするというのは。けれど、わたくし達が勝利するにはもうこうする他ない。こういうのを、悪魔に魂を売るというのでしょう》

《その悪魔ってもしかして、私の事? 相変わらず自分の事は棚に上げて酷い事を言うね、君は》

 愛奈が片目をつぶりながら、微笑む。ソレを見て、キロは真顔で愛奈に触れた。

《では、いきます。せいぜい先ほど以上に骨を折って下さい、愛奈。貴女の売りの一つは――無敗である事なのだから》

《飽くまで私にやらせる気なんだ? ちょっと意外かも。敵がエルカリスなら、貴女が相手をしたがると思っていたから》

 が、キロは答えず、無駄口はココで終わった。その瞬間、キロの姿は消失し、愛奈だけがこの場に残る。

 ソレが何を意味しているか――エルカリスは一目で看破した。

《まさか――黒い娘が白い娘に取り込まれた? 合体したと言うのか――この二人は?》

 事実、愛奈の体に変化が起こる。

 彼女の周りに魔法陣めいた物が現れ、その周囲に――光りの翼が形成されたのだ。

 愛奈をベースに融合を果たしたキロ達は、ただならぬ気配を放ちながら謳った―――。

《そう言えば、まだ自己紹介もしていなかったね。私の名前は――鳥海愛奈。あの黒い娘は――キロ・クレアブル。それが貴方を――打倒する者達の名だよ、エルカリス・クレアブル!》

《――く!》

 エルカリスが、笑みを浮かべながら刮目する。それと同時に〝愛奈〟が動く。

 彼女は瞬時にしてエルカリスの間合いに入り、彼の巨人の頬に拳を入れる。エルカリスはそのまま吹き飛び中空で体勢を整えるが、その頃には既に彼女が其処に居た。

(速い! いや――上手い!)

 それは自分が何をすれば、彼がどうなるか事前にわかっているかのような動きだ。〝愛奈〟は、自分の攻撃でエルカリスがどう吹き飛ぶか察知し、それに合わせて行動した。

 言葉にすればそれだけの事だが、これは先程までの愛奈にはなかった技術だ。その意味を、エルカリスは再び〝愛奈〟に吹き飛ばされながら楽しそうに見切る。

《そう、か。これはパワーを上げる為の合体ではなく、君達二人の特性を混ぜ合わせる為の融合だね? キロは、経験は私に及ぶが、才能は私に及ばない。愛奈は、才能は私を超えるが、経験は私に及ばない。ソレを悟った時、君達は二人がかりでも私に勝てないと痛感した。けれど、仮に君達二人の長所が混ざりあうなら話は別だ。君達は融合する事で、私に匹敵する経験を得て――私を凌駕する才能を持った一人の人外を生みだした》

《――正解だよ、エルカリス・クレアブル!》

 故に、〝愛奈〟は脳の処理速度を超加速しながら〝均等化ルール〟をいち早く受信する。キロはエルカリスがどう動くか事前に見通し、その情報を〝愛奈〟に伝えて行動する。

『魔皇』と融合した『勇者』は、今――自分の限界を本当の意味で超えようとしていた。

《『魔皇』と『勇者』の融合。それを美しいと思える私がいるのだから、些かおめでたい。だがそれ以上に私は君達をぜひ倒したくなった。こんな気分は、日本で鬼女と戦った以来だよ》

 故にエルカリスは、さらに二本の腕を生やす。彼は――正面から〝愛奈〟に挑んだ。

《まずい! あの刃が落ちる前に彼に猪突しなさい――〝愛奈〟》

 彼が中空に引き出したのは、ギロチンだ。その刃を引き上げているヒモを、彼が放すのと同時に刃が落ちる。その前に〝愛奈〟はエルカリス目がけて蹴りを放ち、彼を吹き飛ばす。だが同時に〝愛奈〟の首から血が噴き出ていた。

《……つッ! って、これも彼の能力っ?》

《ええ。恐らく彼は、この世全ての武器にこの世全ての歴史を込めて攻撃できるのでしょう。歴史を積み重ねた古刀には、人知を超えた力が宿るといいますが、正にソレです。彼の武器はこの世界が始まった頃から存在していて、それだけの莫大な時間が経過している。その時間が彼の武器に宿り、爆発的な力を与えている訳です》

 キロの読みに、誤りはない。エルカリスの武器には、歴史が宿っている。その歴史そのものを力に転化して、武器の攻撃力に変える。

 その歴史は、神代帝の歴史も含まれていた。帝の精神世界の歴史さえも、彼は武器として使用しているのだ。

 故にエルカリスのギロチンは、ただ刃を落しただけで周囲に居る全てのヒトの首を落す。歴史を力に転化された彼の武器だからこそ、それだけの威力を誇る。

《なら――私は彼の力を『否定』するのみ!》

《いや、甘い。それも織り込み済みだよ――〝鳥海愛奈〟》

 エルカリスが残った二本の腕を使い、手を合わせる。途端、エルカリスは再びその現象を起こす。世界が内包している歴史の圧力を以て、愛奈の術を潰すと言う現象が発生する。

(つまり――これで私の能力はほぼ封じられた。じゃあ、これならどう――?)

 キロが確率論を操作して、必殺の一撃をエルカリスに放つ。

 が、ソレさえもエルカリスは『歴史』で押し潰す。

《だったら――こうするまで!》

 愛奈が『否定』を発し、同時にキロが確率論の操作を行う。この二つの力が合わさった時、エルカリスは四本の腕を使い、〝愛奈〟の能力を封じる必要に迫られる。それは、彼の腕が封じられた事を意味していた。

 その間に、〝愛奈〟はエルカリスの巨人に猛攻をかける。殴っては蹴り、遂にはかの巨人の躰に亀裂を生じさせた。

 だが、それでもエルカリスの笑みは崩れない。彼は『平行多重人格種』である。

(ヴァグナ、レイジア、キュスナ、グリアルガ、マイナム、イジイズは『歴史』を施行。私達は彼女を叩く)

 自身に宿る十二の人格の内、半分は防御を担当させ、残りの半分は攻撃に転じる。エルカリスは巨人の手にマシンガンを召喚し、ソレを使って〝愛奈〟を攻撃する。それ等の全てを〝愛奈〟は命中する確率を零にして突き進む。『否定』を以てその拳をエルカリスに叩きつけた。

(けど、やはり『歴史』で押し潰される!)

《いえ、防御が半減している分、僅かですが効果は出ています。そのまま貴女は攻撃を続けなさい。防御と彼の行動の先読みは、わたくしが担います》

《フン! 本当に人使いが荒い!》

『歴史』を以て〝愛奈〟の攻撃を防ぐエルカリスと、確率論の操作を使い防御に勤しむキロ。両者の攻防は拮抗し、互いに僅かな傷しか与えられない。いや、その積み重ねがやがて両者に無視できないダメージを与えつつあった。

 エルカリスの巨人が、〝愛奈〟の巨人の躰を蹴り上げる。〝愛奈〟の巨人が、エルカリスの巨人の顔面を殴り飛ばす。やがてエルカリスは巨大な刀を以て〝愛奈〟に斬りつけるが、その威力の殆どをキロに封じられる。

(やはりこのままでは埒が明かない、か。だが、向こうは私以上に焦燥している筈。あのまま融合し続ければ、やがてキロは愛奈に取り込まれ消滅する。仮にそういった事態を彼女達が恐れているなら、勝負を急ごうとするだろう。ならば、此方は時間を稼ぐのみ)

 が、そう計算しながらも――エルカリス・クレアブルは正面から〝愛奈〟を迎え撃つ。

(そう。本来ならそうなのだろうが――彼女達がここまでしているのにこの私が逃げに転じる? この捨身を前にして尻尾を見せるというのか、この私が? それこそ――冗談)

 それは、彼の信条から外れた行為だ。

 戦で策を練るのは、当然の事。敵を罠にはめるのは、至極自然な流れだろう。

 だが、今は違う。自分と互角の力を持った少女達が、正面から自分に挑み続けている。この全身全霊を懸けた挑戦から背を向けるのは、皇がする事では無い。神を欲する者がどうして今、姑息な手段をとる事が出来る?

 それだけの気迫を以て――エルカリスと言う名の群体は吼えた。

《おおおおおおおおおお―――ッ!》

《ああああああああああ―――ッ!》

 そして、キロの自我を維持させようとしている〝愛奈〟は、既に満身創痍だ。体の所々が破裂し、血を撒き散らす。疾うに息は切れ、目もかすむ。

 けど、それでも、その鼓動は確かに今も脈うっている。〝愛奈〟はいま確かに生の実感を覚えながら、エルカリス・クレアブルに立ち向かう。

 その時、キロもまた吼えた。

《そうです。認めなさい、エルカリス。アレは、アノ美しいユメは決して母だけの物では無かったと。貴方自身が欲し、ユメ見た物だと、どうか認めてください。全ての責任をシシア・クレアブルに押し付けず、貴方自身の望みであったとそう口にして。世界の恒久なる平和を目指したのは、他ならぬ貴方自身だったと――》

《つ……ッ!》

 全ての責任を、母に押し付けた? ああ、きっとそれは本当の事。自分は、母の願いに基づかれ行動してきた。母の僅かに残った善意が、自分をつき動かしてきたと言える。

 人に裏切られながらも、心の何処かでは、だからこそ人を救いたいと母は願った。ソレがどれだけの罪を生むか知らぬまま、母はそう願い続けた。

 だが、その願いを盾に行動してきた自分は、確かに全ての責任を母に押し付けてきたといえる。〝母の為〟と称するなら、それは同時に、〝母の所為〟だと言う事だから。

けれど、本当にそれだけだったか? 自分は本当に、母の願いを果たそうとしただけ? 彼女に一度でも共感しなかったと、誰が断言できよう。

 その美しい願いは、罪と表裏一体の望みは、母の祈りと同時に自分自身の願望でもあった。切っ掛けは母の呪いだったが、何時の間にかソレは彼自身の望みになっていた。

 だからこそ、自分は今でも戦い続けている。万人が望まぬ世界平和を実現する為に、あの少女を打破してその願いを叶える。自分は――この醜くも美しい世界に恋をしてしまったから。ソレを守る為なら、喜んでこの命を懸けよう―――。

 故に放たれたのは、この世界の過去、現在、未来に存在する核ミサイル。それ等に『歴史』を付与してエルカリスは〝愛奈〟に撃ち放つ。

 ソレを――回避して回避して回避し続ける〝愛奈〟――。

 しかし、やがてその一撃が〝愛奈〝の巨人に直撃し――その隙に残りのミサイルが彼女に迫る。その全てを〝愛奈〟は『否定』し、なんとか防御し様と図る。

 その果てに〝愛奈〟の巨人は半壊し――その果てにエルカリスは吐血した。

《くっ! まさか、彼女達の狙いはそれかっ?》

 そう。〝愛奈〟が消耗しているというなら、エルカリスも当然、消耗している。

 だが、エルカリスは愛奈達が受けた痛みを知らない。この世全ての痛みを世界分受けた、彼女達の苦しみを知らない。その差が、今――両者を分かつ。

《ええ。私はどんな痛みや苦しみにも耐えられる。でも、貴方は一体どうなのかな、エルカリス・クレアブル――っ?》

 同じだけのダメージを受ければ、より意識を保っていられるのは自分の方。そう確信するが故に、〝愛奈〟は最後の突撃をかける。それを迎撃するべく、エルカリスは最後の力を振り絞る。彼は、彼女の予想外の攻撃をしかけた。

 エルカリスは――ドラコの力さえ己が歴史に組み込み撃ち放ったのだ。

 ソレを前に愛奈は息を呑み、キロはもう一度だけ吼えた。

《そのまま行きなさい――愛奈! わたくしを信じて!》

《……つッ? おおおおおおおおおおお―――ッ!》

〝愛奈〟が、直進を続ける。エルカリスが、眼を開く。

 何故なら彼の一撃は余りに強すぎて制御できず、彼女の真上を通り過ぎたから。

 この時――〝愛奈〟も彼と同時に吼えた。

《エルカリス・クレアブルぅううう―――!》

《鳥海愛奈ッ――キロ・クレアブル―――っ!》

 そうして〝愛奈〟の拳は、遂にエルカリスの巨人を破壊し――彼自身に命中したのだ。


     ◇


 自身の躰がひび割れていく。その前に、彼は彼女に告げた。

《そうか。私は未だに数億に及ぶ恵まれない人々が居ると知っていながら今の平和を尊んだ。けど、君は違うんだね? 君はその少数とも言える恵まれない人々も救いたいと願っている。例えそれでこのかりそめの平和を壊す事になろうとも、君はその罪を背負い、全ての人を救う道を選ぶ。それが、君と私の違いであり、明確な差か》

 彼女は言葉を発せず、ただ彼の姿を目に焼けつける。

《そして、私を敢えて愛奈に討たせたのは、私に対するはなむけだね? 私を倒した者が神になると言うなら、私は今彼女と言う神を見出す事が出来たのだから。私は漸く鳥海愛奈という名の神に出会う事が、出来た――》

 然り。それが、彼の長い旅の終焉の形。

 彼は今、敗北する事で――生まれて初めて勝利したのだ。

《けれど、私はその満足と引き換えに、この世界の地球の死を認める事になった。だから、感謝は決してしない。ただ、決して消える事が無い憎しみだけを君達に遺そう。この憎しみと引き換えに、どうか、このせかいを、たのむ、とりうみあいな、きろ・くれあぶる》

 それが――最期。

 神を追い求めてきた青年は塵となって宇宙に消え――彼女はやはり彼から目を離さない。

 ただ涙しながら、キロ・クレアブルはエルカリス・クレアブルを見送ったのだ―――。


     ◇


 そして、決着の時は訪れた。神代帝がこうまで苦戦した理由。それは、彼女が無意識に自身の力をセーブしていたから。

 それもその筈か。なにせ彼女は今、人類の滅亡と言う暴挙にでようとしている。その凶行に加担している彼女は、そのため勝利する事を躊躇った。

 だが、今自分の心が折れれば、全てが終わる。自分が背負う筈だった責任を、スタージャ達に押し付ける事になる。その想いが、神代帝を奮い立たせた。

「なっ?」

 故に帝は息を大きく吐き出し、粉塵を撒き散らす。自分に肉薄してきた咢と、間合いをとる知空の視界を塞ぐ。

 帝の意図を読み取った二人は、それ故、その場から緊急離脱しようとする。だが、それでも状況は変わらない。神代帝は目に頼る事なく、気配だけで二人の位置を特定し、行動する。

 まず拳圧を咢に向けて放ち、遠距離から彼女を倒す。ついで、ただの直感だけで知空の位置を特定した帝は、彼女の顎に蹴りを放つ。それだけで、同レベルの戦力を誇る彼女達二人を、神代帝は仕留めていた。

「……つッ、くっ。……いえ、悪いのだけど、そう簡単にやられる訳にはいかないのよ、私達は……ッ」

 それは――事実だった。

 倒れる寸前、知空は閃光と書かれた石を中空に投げる。ソレは帝達を照らし、長く濃い影をつくる。その影を通して帝に接触した咢は――自身のダメージを帝に投影していた。

「く! そうきた、か。本当に、あんた達は、厭ってくらい、有能だな」

 それは咢が受けたダメージの半分ほどの衝撃だったが、帝の意識を歪ませる。この一撃を以て、知空達は帝の戦闘継続を阻止していた。

(……ああ。今の俺が参戦しても、足手まといになるだけ。と言う訳で、後は頼んだ、リーダー達)

 海田知空と潜里咢は元鹿摩派の町保に恥じない働きを見せ――神代帝の動きを封じたのだ。


 その戦況を、見世字壬は感じ取る。

 故に彼は最低限の仕事を成した咢達に、心から感謝した。

《――上出来だ、知空、咢。後は俺が――この二人を片づけるだけ》

 それも、もう終わる。

 自分の拳はこうしてスタージャ達に着弾し、息の根を止めたのだから。

 なにせ彼の能力を知る事は、逆効果と言える。恐怖を感じれば、その恐怖が現実になるというのはそういう事。字壬の能力を余計に意識してしまい、より鮮明に彼女達の心は恐怖に染まる。そう確信するが故に字壬は自身の勝利を確信し――だからこそ彼は目を見開いた。

「――まさか、今の一撃でも仕留めきれなかった?」

「ええ。お生憎様ス。今のは恐怖を感じる暇もない位、速すぎる一撃だったスから」

 反射的に、字壬の攻撃を防御した輝夜が謳う。彼女の弾丸は、確かに字壬の巨人の拳をクッションに変えていた。

「成る程。けれど――俺の優位は揺るがない」

 字壬が具現した黒い剣を、スタージャ達につきつける。

 それだけで――彼女達の恐怖心は爆発的に増幅していた。

「つ……ッ?」

「く……ッ?」

 その恐怖に基づき、字壬は攻撃を続行する。スタージャと輝夜に巨人の拳の連打を浴びせ、抹殺しようと図る。

 だが、彼は感嘆した。あの常軌を逸して膨らんだ恐怖心を抱きながらも、スタージャと輝夜が回避行動をとったから。恐怖を現実化する字壬の絶対不可避の一撃を、彼女達は避けてみせたのだ。

「まさか。本当にニンゲンか、あんた達は?」

「ええ。残念ながら、私はただの人間で彼女も今はただのニンゲンよ」

 それが、スタージャの能力の一つ。この世界の死を司る彼女は、あらゆる物を〝殺す〟事ができる。物体は勿論、距離や感情といった概念さえも彼女は〝殺せる〟――。

 よってスタージャは今自分と輝夜が抱いた恐怖心を〝殺し〟、窮地を脱したのだ。

《けど、これもその場しのぎにすぎない。私が恐怖を〝殺した〟所で、字壬さんは同じ攻撃を繰り返し、此方を消耗させるだけ。このままでは良くて相討ち。いえ、間違いなく此方がやられる。その場合、愛奈さん達がエルカリスに勝利して、私達の仕事を引き継いでくれる事を祈るしかない。でも――それってすっごく格好悪いわよね?》

 半ば本気で、スタージャはそんな戯けた事を輝夜に告げる。

 意外でも何でもなく、輝夜もスタージャに同意した。

《そうスね。仮にキロさん達が勝って、私等が負けたらそれこそ面目丸つぶれス。何時かあの三人が地獄に堕ちた時、私等、地獄であの三人の嗤い者スよ。それは厭なんで、ここは何としてもこの無敵のヒーロー様をブチのめしましょう――》

 だが、果たしてどうやって? この恐怖の具現者と、どう戦えと言うのか?

《輝夜さんと融合しても、意味は無い。ただ力が互角になるだけで、字壬さんの能力を防げる訳では無いから。そうなると――残された手は一つだけ?》

《そういう事ス、リーダー。下手をすれば自滅する事になるけど、一丁きばってみましょう》

 と、輝夜がスタージャの了承をとる前に、銃の引き金を引く。

 けど、それは字壬に対してではない。輝夜・チェスターはあろう事か――スタージャのこめかみを撃ち抜く。それから流れる様な動作で――彼女は自身のこめかみも撃ち抜いていた。

(つ! ――まずい!)

 それが何を意味しているか、字壬は一目で看破する。実際、それは起った。バカげた事に既に死んでいる筈の輝夜達は、巨人を纏い、字壬目がけて猪突してきたのだ。

 ソレを迎撃しようとする、字壬。だが、彼が現実化しようとした恐怖は機能せず、字壬は正面からかの二人と衝突する。

 何故か? それは、正に奇策と言えた。

(そう。私等は自分達の心を組み替え――恐怖心を分離したス)

 これが――輝夜とスタージャの策。

 万物を組み替える事が出来る輝夜だからこそ、出来た作戦。恐怖心が零である以上、恐怖心が倍加される事もこれでない。

 だが、それは一種の暴挙でもあった。なにせ、恐怖心とは自制心でもあるのだから。危機的状況に陥った時、恐怖心が自制心となり、暴走しかけた行動を制御する。しかし恐怖心が消えた今の輝夜達は、自制する術を持たない。ただ愚直に突っ込み、自分が傷つく事も恐れず、特攻するだけ。この狂戦士じみた状態は、字壬に攻勢をかけると同時に二人を自滅させていく。

 しかし、それでもスタージャ達の猛攻は、字壬を瞠目させた。

(まさに――戦略も戦術も無い泥仕合! これではただの消耗戦で――下手をすれば相討ちになる!)

 スタージャの〝ビッグバン〟を避けながら、字壬が歯を食いしばる。輝夜の弾丸を躱しながら、彼は大きく横に飛んだ。その間にも輝夜達は猛威を振るい、字壬は収束させた超空間を盾にしてソレをしのぐ。

(こうなった以上、俺が力尽きるか、それとも彼女達が力尽きるか、そのどちらかしかない。だが――俺には負けられない理由がある。俺は何が何でも勝たなきゃならねえんだ――)

 それは――あの三人の町長に誓った事。

 鹿摩派と橋間派が衝突しようとした時、字壬は当然の様にその仲裁をしようと奔走した。だが、逆に橋間言予は字壬をこう諭したのだ。

〝そうね。私達は今とてもバカな事をしようとしている。でも、大人には決して捨てられない意地と言うものがあってね。仮に帝寧達が神になろうとしたら、それを止めるのは自分の役割だって決めてきたのよ。そう。仮に諸葛孔明やナポレオンが戦争をおこそうとしている時、君は何て言って彼等を止める? ええ。きっとそんな事は、誰にも出来ないと思う。それは何人にも叶わない不可能なの。私と帝寧達もまた誰にも説得できず、ただ戦うしかない。これが私の結論で、私だけができる唯一の仕事よ。だから、字壬クンは自分が出来る仕事をしなさい。私が思うに、エルカリス・クレアブルは何かよからぬ事を企んでいる気がする。君の使命はそれを阻止する事。もし君が命を懸ける時があるとすれば、ソレはその時よ。――良いわね?〟

 似た様な事は、帝寧達にも言われた。そうして、結局、自分はこの世界でも犠牲を生むしかなかった。

 そうだ。輝夜は先程、字壬の事を無敵のヒーローと評した。けど本当は違う。彼はどの世界でも何かを失くし、そうやって何かを守ってきた。それが彼の宿業で、逃れられない運命だ。

 それでも、彼はユメ見たのだ。誰も、何も失わずに平和な世をつくりだせるヒーローを。今まで多くの者を失ってきた彼だからこそ、その想いは切実だった。

 この世界でもそのユメは叶わなかったけど、だからこそ失った者の為にもこの世界を守り抜く。それが――この凡庸な願いが、彼の誓いであり、絶対に譲れない想いだった。

(そうだ。言予達にこの世界を託された以上、俺はその願いを必ず果たす。例えどんな理由が彼女達にあろうと、世界の滅亡なんて真似は決してさせねえ)

「そうね。貴方はきっとそう考えている筈。それこそが、私の知る見世字壬だから。そして私達二人では貴方にぜったい勝てない。何故なら――今の貴方は決して一人では無いから」

「一人では、無い? この俺が?」

 今もスタージャ達と交戦を続ける字壬が、首を傾げる。

 その、字壬が背負う物を、彼女は言語化した。

「ええ。貴方はある『死界』で自分自身を殺しているの。見世アザミと言う名の少女を殺し、貴方はかけがえのない仲間を守った。貴方は正に身をちぎられる想いで自分自身を殺し、それでも最期まで自分を貫いたの。そしてソレが引き金になって、貴方には変化が生じたのよ。自分自身を殺す事で運命の変動が起き、よほどの実力差が無い限り、運は貴方に味方する。見世アザミという名の勝利の女神は貴方に味方していて、この現象は何者にも覆せない。貴方は自分という最も大切な者を殺す代わりに――この上ない幸運を手にしたの」

 だから――彼は無敵のヒーローなのだ。

 自分自身さえ犠牲にした彼の幸運は他を圧倒する為、誰も彼を倒せない。それは同時に、誰かの死が、運命の変動を起こせる証明でもあった。

「そうと知りながら、俺と殺し合う? 結果がわかっていながら、君達は俺に挑み続けるって言うのか? 一体、何故?」

 実際、スタージャ達の攻撃は躱され、字壬の攻撃が着弾する回数が増える。字壬の優位は確かな物で、輝夜達の猛威さえも彼はしのごうとしていた。

 その間に、スタージャはテレパシーで字壬に全てを知らせる。自分達が何をしようとしているか全て伝え、このとき字壬は唖然とした。

「……俺の世界の地球を滅亡させない限り、この世界が滅ぶ? それを防ぐ為に、俺達は死ななければならない? ――冗談。悪いが、それが本当でも、俺は俺以外の誰かに死んでくれなんて口が裂けても言えない。昨日産まれたあの子や、明日産まれる予定のあの子に死んでくれなんて、絶対に言えない。俺が出来る事はただあんた達をこの世界から追い出し、別の世界で目的を果たさせる事だけだ」

 そこまで口にして、字壬は言葉に詰まる。だって、それでは、自分も結局彼女達と同じだから。

 自分の世界だけを守り、殺戮はよその世界で行わせる自分は彼女達と変わらない。そう悟った時、字壬は吼え、全てを振り切る様に、駆けた。

「……ええ。それが私達の限界であり、貴方の限界でもある。貴方は今、その言葉を以て、自分が見世字壬である事を否定したのよ。ソレは私が知る字壬さんなら――決して口にしない失言だから」

 だが、そんな精神論では戦況は変わらない。全てが互角であるからこそ、運で勝る字壬が輝夜達を圧倒する。気が付けば、スタージャ達はほぼ戦闘不能にまで追い込まれていた。

「――そう! だから――これで終わり!」

 だが、その後自分はどうしたらいい? 彼女達を倒せば世界は終わると言うのに、彼女達を倒して何が解決できる? そう感じた時、彼に僅かな隙が生まれた。

 この間に、輝夜・チェスターはその悪魔の様な策を実行する。

 輝夜が、スタージャ目がけて再び銃弾を放つ。ソレはスタージャの右手を貫通し、彼女の右手におさまる。ソレを、彼女は背後に向けて投擲した。

 だが一体なんの為に? 神代帝は未だに戦闘不能状態だ。クイソニックは現実世界に居る。ならば、この状況を覆せるニンゲンなどどこにも居ない。

 いや、本当にその筈だった。

 けれど、それは起きた。

 地面に穴が開き、そこからもう一人――輝夜・チェスターが現れたのだ。

(な! ――まさ、か。あの時、か?)

 そう。字壬が知空達の人形を爆発した時、その閃光に紛れ、輝夜は自身の躰を組み替え、二つに分けた。その一人を地下に隠し、温存したのだ。

 加えて『恐怖』の能力は不発に終わっている為、字壬は今その能力を使っていない。

 この布石が――今こそ花開く。

 もう一人の輝夜が、スタージャから弾丸を受け取る。それを受け取った輝夜は銃にその弾を込め、引き金を引く。その弾丸を避けようとする字壬に、輝夜とスタージャがその能力を以て足止めをする。銃弾はそのまま字壬の躰に着弾するが、彼は右腕を盾にしていた。

 けど――それで全ては決したのだ。

「な、にッ? 力が、一気に落ちたっ?」

「そう。今のは――私が知る普通の状態の字壬さんの情報を込めた弾丸。ソレを被弾した時、貴方の力と運は凡庸な物に変わった。だから――貴方の幸運もここまで」

 故に、スタージャの巨人が字壬の巨人を破壊する。もう一人の輝夜と融合し、体力を回復した輝夜が巨人を使い字壬の躰を直接攻撃する。

 それだけで躰を破壊された彼は――血液を口から逆流させた。

「……そう、か。俺は、結局、何もできなかった、か。本当に、ヒーローなんて、ユメ見るものじゃないな。ああ……そうだ。俺にとってヒーローって言うのは、憧れの存在で、おれじしんがなるには、あまりにぶんふそうおう、すぎた―――」

「いいえ。貴方は、確かにヒーローでしたよ、字壬さん。私は卑怯にも策を用いて、そんな貴方の足を引っ張っただけです」

 それが――最期。

 鴨鹿町最後の町長は苦笑しながら息絶え、スタージャはソレを涙しながら見送った―――。


     ◇


 その姿を見て、愛奈と輝夜は同時に問うていた。

「珍しいね、君が泣くなんて。いえ、もしかしたら初めて見たかも」

「そうスね。少し意外ス。あなたが、泣くなんて。それだけの価値が、彼にはあったと?」

 それから、キロとスタージャは同時に答える。

「ええ。彼は確かにわたくしにとって――英雄でしたから」

「ええ。彼は確かに私にとって――愛すべきヒトだったから」

 それで――全ては終わった。

 キロと愛奈は分離し、アーギラスを見つけ出して保護する。現実世界に帰った彼女達は、核施設に戻る。

 作戦を実行する為の障害を倒した彼女達は、今――最後の時を迎えようとしていた。


     ◇


 いや、その前に彼女達は少し寄り道をする。申し合わせた様にスタージャ達は鴨鹿町にやってきて、その町の景色を己が眼に焼き付けた。

 何気なく道を行くサラリーマン。子供と手を繋ぎ、買い物に出かけている主婦。公園ではしゃぎまわる子供達に、それを見守る警察官。子犬を連れて散歩する壮年の男性と、ジョギングする二十代の女性。昼間からカップ酒を嗜む老人に、それを窘める妻。

 その時、赤子連れの主婦と帝の目が合った。

「可愛いお子さんですね。男の子ですか? それとも女の子?」

 主婦は、はにかみながら答える。

「女の子よ。初めての子供なの。でも、可愛そうな事に夫に似てしまってね。将来、容姿についてどんな文句を言われるか。それだけが、私の心配」

「そう、ですか。でも、きっと大丈夫。私と同じ年頃になったらきっと文句の一つも言うと思いますが、その後は感謝の言葉しかありません。自分を生んでくれてありがとう、お母さん。きっとその子も、そんな事を言う日が来ると思います。だって、私もきっと何時かはそう感じる日が来ると思うから」

「そ、う? そう、ね。きっと、そう。貴女は、不思議なヒトね。貴女にそう言われると、何だかそんな気になってくるんだから」

「はい。私が言うんだから、間違いありません」

 その大嘘を彼女は言い切り、帝は主婦を見送る。

 六人はそれだけ済まし、今度こそ核施設に戻った。


「ついに、ここまで来ちまった、な」

 核ミサイルの発射ボタンがある地下指令室までやってきた帝が、独り言の様に告げる。他の五人は無言で、その発射ボタンに近づく。

 それからスタージャは、アーギラス達に向け言葉を紡いだ。

「ここに至るにあたって、私なりに色々考えたわ。コレ以外に、ドラコを倒す方法を。その一つが、私達〝超越者〟クラス全員の融合よ。ドラコがその内にある全ての〝超越者〟クラスと融合したなら、私達も同じ事をすればいい。そう思って計算してみたのだけど、やはりどうしても一歩及ばないの。何故なら、ドラコにはあってこの世界にはないものがあるから。ソレは致命的な欠陥で、それを補わなければ私達は彼女に絶対に勝てない」

 すると愛奈が首肯し、指令室の机に腰かける。

「それはこの宇宙の自我だね? ドラコはその自我を再生して、元の自分を取り戻し、十全足る己を取り戻した。でも、この世界にはその自我が無い。この欠損がある限りこの宇宙は全力を出し切れず、ドラコに敗北する事になる。この宇宙の核である自我が無い限り、私とキロがした様に融合しても勝機はない。それが君の結論なのでしょう、スタージャ?」

 スタージャは表情を消したまま、壁に寄り掛かる。

「ええ。どう考えても、どうシミュレーションしても、普通の方法ではドラコに及ばない。字壬さんの様に運命変動を起こし、〝勝つ運命〟を高めるしか私達には手が無いの。その為に、私達は見世字壬を殺した。その為に、あなた達はエルカリス・クレアブルを倒した。その時点で私達はとんでもない真似をしたと言えるけど、それでもまだ引き返せる。世界の滅亡なんてバカげた真似はせず、ドラコに総力戦を挑むという手段も残されているわ。誰かを百パーセント不幸にするのではなく、敗北するかもしれないけど皆で死力を尽くす手もある。非戦闘員を保護し、負けるかもしれないけど戦闘員は力の限り戦って全てをやりきる。そういう真っ当な生き方もあると、私は思う。それでも……私達は前に進むしかない?」

 或いは、それこそスタージャが初めて見せた弱音なのかもしれない。

 故にキロは、瞳を閉じながら首を横に振る。

「ええ。エルカリス達を犠牲にしたわたくし達は、既にこの世界を守る義務があります。あなたの提案は美しくはありますが、間違っている。わたくし達が負ければ世界は終わるとわかっているのに、敗北する手段をとるのは誤りです。皆で力を合わせてというのは、本当に美しい考え方でしょう。でも、その美しさに目がくらみ、自分達が成すべき事を成さないのは、それだけで罪です。わたくし達は今、わたくし達が成すべき事を成すしかない。例えそれが万人に憎まれる事でも、全ての人々から非難される事でも、やるしかない。だってわたくし達は――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟なのだから。わたくし達は誰も犯せない罪を背負う為に集められた、大罪人なんです」

 そう口にするキロも、今は笑みを消している。いや、あの愛奈でさえ今は微笑む事などできない。暫しの間、誰もが沈黙するが、やがて輝夜が前へと進み出る。

「そうスね。リーダーは、リーダー失格ス。今頃そんな事を言い始めるんだから。だから、リーダーはもうその座を私に譲って構わないス。後の事は、新リーダーである私が全てすませるスから。スタージャさんはもう余計な事を考えなくても良いし――このボタンを押す必要もない」

 言いつつ、輝夜は改造された核ミサイルのボタンに指をかける。そのまま片手でコンピューターを弄り、ミサイルの標的を全世界に設定した。

「そう。キロさんの言う通りス。私はとうの昔に大罪人。だから今更罪が一つや二つ増えても変わらない。私は既に許されない事をしているから、後ろを振り返らず――ただ前に進むだけス」

「そ、う。そうだったわね。あなたは、そういうヒトだった、輝夜さん。でも、私はあなただった時もあるのよ。なら、あなたの罪は私の罪でもある。あなたの気持ちは、私にはわからないけど、せめて一緒にその罪を背負わせて」

 スタージャが、発射ボタンに指を置く輝夜の手を握る。

 いや、彼女だけでなく愛奈も帝もキロも輝夜の手に手を添え、目を細めた。

「こういう体育会系のノリはあまり好きじゃないんだけど、この場合、仕方ないか」

「そうだな。これから前人未到の暴挙に臨もうって時に、これはねえ。殺される側の人達が知ったら、間違いなく吐き気を催す。でも、おまえひとりに格好をつけさせるわけにはいかねえんだよ――輝夜」

「そういう事です。この場合一人の罪は皆の罪で、皆の罪は一人の罪と言うべきでしょう?」

 それから輝夜は息を呑んでから、心底から呆れ果てた。

「……本当にバカスね、皆さんは。私一人に押し付ければ、少しは罪悪感が薄まるかもしれないのに。特に帝さん。あなたはさっき話した親子を、これからその手で殺す事になるんスよ? それでも――良いんスか?」

「……いいわけ無いだろう。絶対にいいわけ無いけど、私がこのボタンを押さないと、もっと大勢の子供達が死ぬんだ。誰も生き残れず、この世界は終わる。助ける手段があるのに、それを見過ごせば、きっと一生後悔する。例えそれがどんなに酷い方法でも、私はもう決めてしまったから。この罪を背負って前に進み、あのドラコだけは絶対に倒すと。あいつを倒して、この世界を守り抜くって、私は決めた。だから、絶対に厭だけど、本当にこんなコトしたくないけど、私も決断しないと」

 それで――終わった。

 帝が涙しながら、そこまで言い切った所で、五人は手に力を込める。

 遂に――核ミサイルの発射ボタンを押し、その人類最悪の兵器は世界に散布されたのだ。

 その時、愛奈は携帯を取り出し、操作を始めた。

「って、まさか誰かに連絡を取る気か、おまえ? ……よくそんな真似ができる、な。俺は、怖くて姉さん達の声なんてとても聞けないのに」

「そうだね。多分、それが普通の感覚なんだと思う。でも、私は人でなしだから。自分に正直な人間だから、こういう事もできてしまうのかも」

 ついで、愛奈は携帯を耳に持っていき、彼女と会話する。

「あ、玉子ちゃん? うん。別にこれと言って用は無いんだ。ただ、玉子ちゃんの声が聞きたくなったというか」

『は、い? 愛奈って、偶に意味不明な事を言い始めるわよね? 私はアンタの彼氏か? それよりニュースは見た? 外国の核施設がさ、テロリストに乗っ取られたんだって。今、犯人と交渉中らしいけど、解決のめどは立ってないってさ。ま、物騒な話だけど、そこまで大騒ぎする話じゃないみたい。核ミサイルは、その国の大統領が手続を踏まないと発射できないって断言しているし。私達には関係ない話かな』

「だね。それは遠い国の遠い場所で起こった、お伽噺の様な出来事でしかない。私達は無関係なんだから、今日と言う日を楽しもう」

『………』

 その時、玉葱玉子は眉をひそめ、それからこう問うた。

『……愛奈、アンタもしかして、今、辛い? 何か厭な事でもあった?』

「……何で? 何で、そう思うの、玉子ちゃんは?」

『私にもわからない。でも、アンタとは小学校からの付き合いだからね。何となくそう思っただけ。ま、私が出来るのは愚痴を聞くこと位だから、いいから言ってみ? それとも葉花の方が適任かな? あの子、普段は無口なくせに、偶にズバとした事を言い始めるから。あ、でも私に電話したって事は、私に対して何か言いたい事があるって事か』

 その時、愛奈は無意識に〝いいから逃げて!〟と口にしかける。それは彼女自身気付いていない、彼女の人間らしい一面だった。きっと彼女はその一言を言いたかったが為に、玉子に電話をしたのだ。だが、愛奈は言葉をのみこみ、首を横に振る。

「いや、やっぱりいいや。というか電話じゃとても言えない事だから、明日、学校で話すよ。明日、会った時、必ず、話すから――」

 それで、全ては決着した。愛奈がそこまで言い切った時、通話が切れる。それが何を意味しているか、彼女達は思い知る。

 この日世界に散布された核ミサイルは世界を焼き、人々を殺して、何もかも終わりにした。

 その事実を前に、誰も、何も言えず、ただ中空を眺めるしかなかった―――。


     ◇


「……と、各国からの反撃がありましたね。これで、この国の殆どの人々も、亡くなった事でしょう。生き残ったのは、事前にシェルターに逃げ込んだ人達ぐらい……」

 アーギラスが、呟く様に漏らす。この星の九割以上の人々は死に絶えたと、彼女は語る。

 けれど実際にその遺体を目にしていない彼女達には、まだ実感が湧かない。自分達の罪がどれ程の物かまだわからない。

 だからと言うべきか、帝は思わず駆け出し、地上に上がって、施設内から出る。街に向かった彼女の目に飛び込んできたのは――正に地獄だった。

 建物は崩れ落ち、消し炭になった人間らしき物が散らばっている。その数はおびただしく、とても言葉では表現できない。唯一の救いは、誰も死にきれなかった人間はいなかった事か。

 その光景を眺め、帝はただ跪き、己を呪う様に告げた。

「……やってられるか、くそったれッ! ……やってられるか、くそったれッ! ……やってられるか、くそったれッ! ……やってられるか、くそったれッ! ……やってられるか、くそったれぇえええええええええええ―――ッ!」

 こうして、この日、世界は間違いなく滅亡したのだ―――。


     7


 鼓動が、高鳴る。眩暈が、した。息苦しくて、堪らない。吐き気がして、今にも卒倒しそうだ。このまま意識を失い、全てが悪い夢だと思えれば、どれだけ幸せか。

 それでも――現実は変わらない。

 自分達は今、何の罪もない無関係な人々を、殺戮した。一方的に虐殺して、その事実を糧にしようとしている。

 故に、神代帝は自分が何者なのかも、わからない。

 これが正義の筈もないし、だからと言ってこの犠牲が無ければドラコ・ニベルは倒せない。このジレンマが重くのしかかり、彼女の心を今にも引き裂きそうだ。

「……でも、違う」

 だというのに、彼女は、立ち上がる。

「……今、本当に、苦しいのは、断じて私じゃない」

 今一番苦しいのは、一方的に命を奪われた彼等だと言う事を彼女は知っているから、立ち上がる。

「だから、行こう。彼等の命を、無駄にしない為にも、私達が出来る事を、しないと」

 流れる涙をそのままにして、神代帝は背後に居る五人の仲間にそう告げる。彼女に答えたのは鳥海愛奈だった。

「そうだね。私達には、もう一秒だって時間が無い。でも、これだけは言わせて。私達の代りに泣いてくれてありがとう、帝ちゃん」

 帝の肩を叩いた後、愛奈は空を駆け移動を開始する。スタージャやキロ、輝夜にアーギラスもそれに続く。

 最後に帝はもう一度だけこの光景を目に焼き付けてから――決戦の地に向かった。


     ◇


 ドラコ・ニベルがフルパワーになるまで、残り時間は十時間ほど残されている。つまり、彼女のパワーは先程と余り変わっていないという事。

 このアドバンテージを生かす為にも、キロ達は決戦を急ぐ。彼女のパワーが、これ以上上がる前に決着をつけようとする。

 そして一秒もかからず、スタージャ達は目的地に到着した。六人は件の草原に一人佇むその少女を、その双眸に収める。

「あら――思いの外早かったわね。どうやら、私を倒す為の用意は整った様だけど、まさか本当にあんな真似をするなんて。正直、驚いているわ」

 実際、ドラコ・ニベルは憮然とした表情を見せる。

 意外な物を見るような目で〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟を眺め、嘆息した。

「まあ、でも、これは意外でも何でもない話だわ。強者は何時だって社会的弱者を死地に送り込み、自分達の欲望を叶えてきたのだから。あなた達はただ、強者の特権と義務を行使しただけにすぎない。あなた達がそうやって自分達を正当化できないなら、私がしてあげます。――あなた達は、間違っていないわ。あなた達は、当然の事をしただけ。だってそうしなければ、世界そのものが消えて無くなっていたかもしれないんだもの。なら、どんな為政者でも、多数の命を助ける為に少数の命は切り捨てるでしょう。無論、切り捨てられた人々は天に召された今も絶対納得はしない。でも、そう言った業を背負う事を宿命づけられたのが、強者という者なの。それさえも拒否した人間は、強者でも何でもない、ただの紛い物になる。でもあなた達は見事にその業を背負い、再び私の前に立ちふさがった。それはとても尊い事なのよ――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟」

「………」

 雄弁に語るドラコを前にして、スタージャは鋭い視線を向ける。

 彼女は臨戦態勢に移行しながら、ただ一つ問うべき事を問うた。

「なら、一つ訊かせて。あなたの目的は、何、ドラコ・ニベル? まさか本当にこの世界の利なる事をする気で、この世界にやって来た訳ではないでしょう?」

 そこで、ドラコは初めて微笑む。

「と、そう言えば、まだそんな基本的な事さえ話していなかったわね。そう、そうだわ。これはあなた達にとっては、実に重要な事柄だものね。何故って、仮に私の目的が友好的な物ならあなた達は無駄に七十億もの人間を殺した事になる。私が親善大使なら、あなた達はただの虐殺者に成り下がるわ。それは、とても耐えられる事じゃない」

 が、愛奈は首を傾げながら普通に言い切る。

「それは愚かしい論理だね。もし君が敵でも味方でも、私達は初めからただの虐殺者だよ。正義の味方なんてとても言えない、最低最悪の無差別殺人鬼。ソレが私達の正体で、仮に君が悪役でもソレは変わらない。もし私達が結果的に世界を救おうとも、私達自身は死んでもあの殺戮を正当化しないから。その前提を、まず誤ってもらっては困る」

 けど、だからこそ彼女達の精神性は歪と言えた。

 戦争で民間人を虐殺した時、加害国がする事は先ず自国の正当化なのだから。自分達は絶対的に正しく、あの犠牲は戦争を終わらせる為に必要不可欠だった。

 彼等は、そう雄弁に語るだろう。

 いや、そういう構図を作り出さない限り、彼等はその業によって押し潰される。自分達を悪だと認めてしまえば、虐殺と言う事実に心を引き裂かれ、精神がもたない。

 故に彼等は徹底して理論武装をし、その殺戮を正当化する。民間人を一方的に殺してきた事さえ、必要な要素だったと言い切るだろう。

 ならば、それさえせずに人の心を失わない彼女達は、何者か? かつて神代帝が言っていた通り、彼女達は既に正気では無いのでは?

「そうね。そうだわ。きっと、そうなのでしょう。七十億もの命を一方的に奪いながら、それでも正当化さえしないあなた達は狂っている。必要とあらば、友人でさえその手で直接機械的に殺す事が出来る正義の権化。――それがあなた達の正体よ」

「だから、俺達は自分を正当化する気は無いって言っているだろうが、この大バカ野郎」

 帝も構えを取り、ドラコを注視する。最後に、キロは問うた。

「ですが、スタージャが言っていた通り、あなたの目的には興味があります。あなたは一体何がしたくて、この世界にまでやって来た? 『第二種』が直接乗り込んでくるだけの価値が、この世界にはある?」

 が、ドラコは答えず、ただ微笑する。ソレが、決戦の合図となった。

「――来ますよ、皆さん。願わくは、これが最後の戦いになりますように」

 輝夜がそう謳うのと同時に――ドラコ・ニベルは地を蹴ったのだ。


     ◇


 その時、アーギラスは足手まといにならぬ様、大きく後方に下がる。

 空間を隔離する結界がはられ――ドラコと〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟は正面からぶつかった。

 ドラコは雪崩へと姿を変え、彼女達五人に降り注ぐ。この回避不可能の攻撃を前に、輝夜達は前方に超空間を凝固させ、防御しようと図る。

 それは事もなく成功し、スタージャが〝ビッグバン〟を発動。それは一瞬でドラコの一部を蒸発させ、彼女にダメージを負わせる。人の姿に戻った彼女は脇腹から煙を上げ、眉根を歪ませた。

 そのまま彼女は隕石へと変化し様とするが、その前に愛奈がその変身事態を『否定』する。キロが確率論の操作を行い、そのバックアップを受け輝夜が絶対必中の弾丸を発射した。それはドラコの右腕に着弾して、彼女の躰を組み替える。

 巨大な虎と化した彼女の右腕は自身の躰に食いつき、その全てを丸呑みする。が、ソレを破壊し、右腕を再生させながらドラコは五人目がけて突撃する。

 それを見て、帝が必殺の一撃を放つ。

「アウギス・アウナ」

「つッ!」

 帝の全ての歴史をその身に受けた彼女は遥か彼方に吹き飛ばされ、片膝をつく。躰からは煙が立ち上り、まるでソレは彼女から牛われていく生命力そのものに見えた。

「どうやら、立場が逆転したようね。絶対的な運命変動が起き、それはあなたと私達の実力差を埋めている。もう運命レベルで――あなたは私達に負ける宿命にあるのよ」

「……これが、あなた達が奪ってきた命の力と言う訳? だとしたら皮肉ね。命を奪われた人々は、あなた達を敵視している筈だから。決してあなた達には力を貸さず、あなた達を殺そうとしている私に味方をするのが道理だと思わない?」

 が、現実は違った。

「ニヴァ・〝ビッグバン〟」

 その高熱がドラコを焼き、彼女に更なるダメージを負わせる。いや、既に押せば崩れそうな所まで、ドラコ・ニベルは消耗していた。

「確かに、そうですね。ですが、わたくし達を罰する者が居るとすれば――それはきっとあなたではない」

 ザスト・ザスタを放ちながら、キロがそう断じる。その攻撃は確かにドラコの躰を抉り、この時点で彼女は戦闘不能になった様に見えた。

「……では、一体何者が、あなた達を裁くと言うのかしら? 彼等の死は、何を以て報いられる? 私を裁く前に、まず自分達の罪と向き合ったらいかが、〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟?」

「冗談でしょう? 私等が手を汚したのは、全てあなたを倒す為なんスから」

 止めとばかりに、輝夜がその弾丸を放つ。ソレはドラコの存在自体を劣化させ、『第五種知性体』に貶める為の一撃だ。ソレが着弾した時、ドラコ・ニベルは確かに絶叫した。

「あああああああああああああああぁぁぁッッッ………!」

 この時、彼女は確かに只の人間と化し、その特権を全て剥奪される。

 ここに勝敗は決し――ドラコは〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟に敗北したのだ。

 そう。

 本当に、その筈だった。

「――いえ、本当に大した自己暗示だったわ。現に、あなた達、さっき戦った時より断然強かったもの」

「な、に?」

 只の人間になった筈の少女が、巨大な雷になり、この一帯に降り注ぐ。ソレを、超空間を圧縮した巨人を纏う事で防御しようとする五人。だが、今度は何ゆえか防御できず、五人は確かに大きなダメージを受ける。

 続けて竜巻に変身したドラコに吹き飛ばされ、キロ達の意識は白く染まる。巨剣群と化したドラコが八方に発射され、それに串刺しにされる愛奈達の巨人。

 そのままドラコはミサイルと化し、爆発して帝達の巨人を吹き飛ばす。加えてドラコは空間その物に変身し、自らその身を破壊する。ソレに取り込まれた輝夜達もそのまま砕け散る筈だったが、何とか空間を凝固させ耐え忍ぶ。

 それでも、彼女達五人のダメージは無視できる物ではなかった。

 正に――圧倒的。正に――絶対的。正に――空前絶後。

 何せドラコは今、五人の過去、現在、未来に至るまで同時に攻撃した。

 その精神性や『霊力』に『魂魄』まで攻撃してみせたのだ。それだけの業は、確かに五人の戦闘レベルを遥かに凌駕し、彼女達の意識を歪ませる。

 この致命的なまでの力の差を前にして、初めて帝の心に亀裂が生じかけた。

「……な、にッ? 何で俺達とおまえに、まだこれだけの差があるっ? 俺達は、確かに運命論が変動するだけの凶行に及んだ筈なの、に――っ?」

 精神にもダメージを与えられた為、帝の意識は虚ろだ。そんな彼女に対して、ドラコ・ニベルは何気なく告げる。その、致命的なまでの不条理を。

「ああ、その事? いえ、ここまでくればもうそのカラクリはわかり切っているでしょう? 答えは――実に単純よ」

「まさ、か」

 帝がよろめきながら、立ち上がる。キロは、目を怒らせながら納得した。

「そう。そういう事です、か」

 そうして、スタージャ・レクナムテは、言い切ったのだ。

「つまり――運命変動なんて起きてはいなかった。愚かにも、私達は、騙されていたという事ね――?」

「なん、だって……?」

「――大正解」

 ドラコが、右手を口に添えながら微笑む。

 彼女は、既に満身創痍な輝夜達に向け、両腕を広げた。

「ええ。確かに見世字壬は見世アザミを殺す事で、自分自身を殺す事で――運命変動を起こした。ソレは間違いない事実で、実際、それは彼と戦ったあなた達ならよくわかっているでしょう? つまり――運命変動自体は実在するの」

「けど、それじゃあ、何故?」

 帝が、眼を広げながら問う。反対に、ドラコは目を細めながら返答する。

「でも、ソレはアザミの魂が字壬を受け入れたから起った事よ。彼女は自分を殺した彼に好意を抱き、結果、そのアザミの魂は字壬に味方した。彼女は自分の心身を賭し、もう一人の自分を慈しんで、生涯守り抜くと決めたの。でも――あなた達は一体どうなのかしら?」

 ここまで聴き、帝は完全に言葉を失う。そのカラクリを知り、彼女は心底から愕然とした。

「そう。アザミと違い、あなた達が殺した彼等の想いは、あなた達に対する憎しみしかない。あなた達を心底から軽蔑し、嫌悪し、憎悪する彼等があなた達の味方をする筈が無い。自分達を殺したあなた達に彼等が望むのは――無様な死だけよ」

 それは、余りにも悪辣な話だ。運命変動は本当に存在するが、その為の重要な条件を帝達はクリヤーしていなかったのだから。

 いや、例え事前に知っていたとしても、ソレを達成する事は不可能だっただろう。どこの誰が、世界を守る為に自分や自分の家族を犠牲に出来るというのか? 

 いや、一個人だけならまだしもその家族にまで手を出す事を、彼等が許す筈が無い。そうなる位なら字壬が言っていた通り、別の世界の人間達を殺せと彼等は要求する。

 自分を犠牲にする事は出来ても、守るべき存在を犠牲に出来ないのが人間だから。愛奈達が何を言おうが、彼等は絶対に納得しない。自分やその親しい人々を殺した輝夜達を、彼等は絶対に許さないだろう。

「いえ、そもそも世界の為に犠牲になるという話が矛盾しているのよ。何せ彼等の世界はあなた達によって滅ぼされ、生き残った人々は少数なんだもの。彼等にとってみれば、ソレこそ世界の終りであり、全てが無と化したのと同じ。そんな彼等にとっては〝自分達の世界の終焉は=世界の終り〟と言う事だわ。例え他の世界が無事でも、自分達の世界が滅した時点で彼等の全ては奪われた。そうだとわかっているのに、誰が世界の為に死ぬ事をよしとすると言うのかしら? 自分だけでなく、家族や親しい人々まで殺したあなた達に誰が味方をする? そう。確かに私を倒す方法は存在したけど――あなた達にソレを行う事は絶対に不可能だったのよ」

 よって、帝は、呼吸さえ出来ずに問うていた。

「……だから、おまえは、敢えて自分の倒し方を、『ペルパポス』に教えた? それが絶対に不可能だって知っていたから、全てを話した……?」

「正解よ。件の声の主は私で、この構図を作り出す為だけに私はあなた達を誘導した。〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟に何の罪もない人々を無駄に殺させる為だけの余興だったの、コレは」

「ああぁぁあああああああああああああぁぁぁぁッ………! ああああぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁ――――っ!」

 絶望の声が、鳴り響く。罪悪感に心を打ち砕かれた、悲鳴が木霊する。

 だが、その声を上げたのは神代帝では無く――輝夜・チェスターだった。

「私、は、また、無意味に、人を、殺したぁ――? 率先して彼女達を巻き込み、人殺しを、させたって、いうのぉ―――?」

「輝、夜?」

「フフフフ、ハハハハハハハ―――! 良いわ。やっと叶った。やっと聴けた。あなた達と言う強者の、絶対的な絶望の声を。私はこの時を――ずっと待っていたの」

「なん、ですって? あなたは、一体何を?」

 最後にもう一度だけ、スタージャがドラコ・ニベルの目的を問う。

 彼女は今度こそ、口を開く。

「では、まず私の本当の名と目的から話しましょう。私の名は――シャクナ・グランクラス。私の目的はこの世界のどこかに封じられている姉を救い出し、全ての世界を融合させる事にある。エルカリスが望んだ通り、全ての空間を融合させ、完成させるのが私の望み。そうしなければ、私の様な犠牲者が無くなる事は無いから」

「グラン、クラス? ……知っているぞ、その名前。聞き覚えがない筈なのに、何処かで聞いた事がある」

「でしょうね。なにせ私の姉を倒したのは、あなたなのだから――神代帝。いえ、正確には『死界』の住人のあなたと言うべきなのだけど」

「『死界』の俺が、おまえの、姉を倒した?」

 帝が問うと、ドラコは笑みを消す。

「ええ。強力なプロテクトがかかっているから、私もそれ以上の事はわからない。ただ、あなたは何かを使い姉を倒し、その何かに姉を封じた。その後の事もわからないけど、姉を倒した〝帝〟がもう居ないのは確か。〝彼女〟が居なくなった今、私に勝てる者はもうこの世界には居ない。そしてここからが本題なのだけど、実につまらない話よ。私は、生まれながらの弱者だったというだけの事だから」

 そう。彼女は、確かに弱者だった。

 生まれた時から強者の玩具にされ、カラダを破壊された。その度に再生して、同じ事が繰り返される。ソレは彼女の姉も同じだったが、或る日、それは起きた。

 その日は姉がいたぶられる日だったが、彼女が代りを買って出たのだ。結果、強者である彼等は力加減を間違え、彼女は再生する間もなく、死亡した。完膚なきまでに粉々にされ、息絶える事になる。

「それが、私と言う弱者の宿命だった。どうやっても、何をしても覆らない運命だった。ならソレを宿命と称しても、罰は当たらないでしょう?」

「待って。それなら、なぜあなたは今そこに居る? 死に絶えた筈のあなたが、今も生きている理由は、何?」

 キロが訊ねると、シャクナは自嘲気味に語る。

「いえ、姉も知らなかったのだけど、私達の次元の存在ともなると死という概念は存在しないの。ただ下位の世界に落され、〝宇宙〟と化すだけで済む。その〝宇宙〟で知性を生み、ソレを進化させ、元の自分だった者を生みだした。その私と〝宇宙〟が融合した時、私は私として蘇生したの。そこら辺のプロセスは、この世界と何ら変わりは無いわ。ただ――その過程が問題だった」

 その問題とは、彼女の世界で無数の強者が生まれた事。それは、帝や愛奈やキロやスタージャや輝夜にも引けをとらない、強者達だ。

 その多くの者達は心身ともに強く、嘗ての彼女とは別物だった。

 弱音を吐かず、心が折れず、絶望もしない彼等は確かに強者その物である。

 故にその彼等と融合して一つになった時――彼女の中で齟齬が生じたのだ。

「ええ。強者である彼等には、私の気持ちはわからなかった。私は私の気持ちを、知って欲しかったと言うのに。私は蔑まれ、虐待され続けたこの痛みを誰かに共感して欲しかった。でも強者である彼等は、その絶望から背を向けた。私は確かに絶望したのに私の中にある彼等は、今も絶望していない。主人格である私が抱いた感情を、彼等は無視し続けている。アレだけの地獄にあって、それでもなお理性を失わないあなた達にはわからないでしょうね。私と言う弱者が抱いた、そのたった一つの願いがどういう意味を持つか。私は、ただ私と言う無力な存在が居た事を強者に認めて欲しかっただけ。その事を強者に知ってもらい、私の人生が本当に酷い物だと理解して欲しかった。でも、強者は強者であるが為に、弱者の気持ちはわからない。理解する事を拒絶し、ただ前に進む。虐殺を成したあなた達が決して絶望せず、私を倒しにきた様に。だから、私は強者を屈服させたかった。それもただ倒すだけでなく、その心も完膚なきまでにへし折って。自分達の無力さを痛感した時、あなた達はあの時の私と漸く同じになるから。ただ殺されるだけだった、あの時の無力な私と変わらない存在になるの。それが私の狙いであり、願いだった。強者を私と同じ所まで引きずり落とすのが、私の目的。でも、さすがと言うべきかしら? 輝夜さん以外はまだ誰も絶望していないのだから。やはりあなた達には――私の気持ちはわからない」

 この決定的な決別を告げながら、シャクナと言う名の彼女は、右腕を掲げる。

 今度こそ、この戦いに決着をつける為に。

「……そっか。君は、まだ小さな子供のままなんだね。だから身体中を酷使して、自分の気持ちを他人に伝えるしかない。例えそれで周囲にどんな犠牲が生まれ様と、気にする事も無い。だって君はまだ小さな子供で、他人を気遣う余裕さえないんだから」

「かもしれないわ。でも、私は切っ掛けをつくっただけ。全てを選択したのは、紛れもなくあなた達よ。あなた達は自分の意思でエルカリスや字壬を殺し、世界を滅ぼした。それでも輝夜さん以外は絶望していないというのだから、本当に嗤えるわ。きっとあなた達なら、私が味わった苦しみさえ、笑って乗り越えるのでしょうね。そんなあなた達が私は本当に羨ましくて――心底から憎らしい」

 だからこそ――彼女の願いもまた世界の完成なのだ。

 全ての存在を一まとめにし、全てのニンゲンの感情を共有させる。誰かが抱いた絶望は全てのニンゲンの絶望となり、誰かが抱いた喜びは、全てのニンゲンの喜びとなる。そうなれば、もう誰も傷つく事は無い。痛みと感情を全てのニンゲンが共有する世界になれば、彼等は全ての苦しみを遠ざける筈だから。

 故に彼女の願いは――世界の完成なのだ。

「……そう。嘗てそんな世界を願った能力者が居ましたがあなたも同じですか、シャクナ・グランクラス。あなたは自分が味わった地獄を全てのニンゲンに与え、共感させたいのですね。そうでもしなければ、自分が生まれてきた意味は無いと考えているから」

「ええ。そして、今の姉ならそれが可能な筈。私がソレを行えば、きっと凄惨な過程を得て成される事でしょう。私が見た以上の地獄を、生みだす事になる。でも、姉ならきっと一瞬でこの世界を塗り替える事が出来る。なんの苦しみも感じず、本当の意味で世界は完成するの。それはきっと、慈悲と言える事だわ。残念なのは、その世界にあなた達強者の居場所はどこにも無いという事」

「……飽くまで、俺達はここで殺しておくって事、か。確かに、俺達は、今、ここで死ぬべき存在なのかも、な。だって、それだけの事を俺達はしてきたんだから。でも――私は知っている。その世界の完成を行えば――私達の世界は消滅するって。下位にあるこの世界は上位世界に押しつぶされ――消え去る。そうとわかっている以上――私がその完成を認められる筈が無い」

 今にも息絶えそうな帝が、もう一度構えをとる。ソレを見て、シャクナは微笑む。

「正直言えば、私はあなたが一番壊れやすい強者だと思っていたわ、神代帝さん。でも、実際は違った様ね。一番人間らしい心を持ちながらそれでも壊れないその心こそ、私が真に憎むべき物だった」

 ならば――今度こそ終わりだ。

 運命変動に失敗した彼女達に勝ち目は微塵も無く――ただシャクナに蹂躙されるだけ。

 ここに――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟の命脈は断たれた。

 彼女達は――今度こそ完膚なきまでに敗北したのだ。

 例えその心が折れずとも――彼女達に待っているのは死だけ。

 事実、シャクナは一瞬にして帝の間合いに入り、その躰を貫こうとする。ソレは避ける間も無いほど速く、余りにも無慈悲な一撃だ。

 こうして神代帝は絶命し――その様を見た輝夜・チェスターは息を呑んだ。


     ◇


 実際、神代帝の躰は遠方に吹き飛ぶ。

 ……吹き飛ぶ? ソレは、一体どういう事だ? 自分は今、帝の躰を刺し貫こうとした。だというのに何故彼女の躰は吹き飛んだだけで済んだ?

「まさ、か?」

 輝夜が、まなこを開く。彼女は、よろよろと立ち上がり、中空をぼんやり眺めた。

「まさか、私の攻撃を――防御した? まだそれだけの力が残っていたという訳、帝さん?」

 この読み違いを心底から恥じながら、シャクナは右腕を突き出す。それだけで帝は消滅する筈だったが、彼女はまだ、その鼓動を止めていない。

 ソレを見てスタージャ達三人は地を蹴り、防御態勢をとる。帝を守る彼女達に、シャクナはミサイル群を発射して、彼女達の消滅を図る。

「な、に?」

 それでも死なない彼女達を見て――シャクナ・グランクラスは唖然とした。

(何が起こっている? なぜ彼女達は、死なない? まさか、実力以上の力を無理やり引き出しているとでも言うの? いえ、そんな事で私との差は埋められない筈。だとしたら、これは一体何?)

 そう自問する彼女は、やがて一つの仮説に行き着く。

 けれど、それは絶対にありえない事だった。

 いや、絶対にありえてはならない事だ。

 例え何が起ころうと、それだけはありえない。

 でも、それ以外に、この状況は説明がつかなかった。

「まさ、か。そんな、事、が」

 輝夜が、呆然としながら呟く。

 彼女もその可能性に辿り着き、だから彼女は今こそ心から涙した。

「いえ、違う。そんな筈が、無い。そんな事が、ある訳ないのよ」

 故に、シャクナは攻撃を続ける。八方からミサイル群を発射して、キロ達を消し去ろうとする。その爆炎と粉塵が飛び散る地獄の様な世界を前にして、シャクナは息を呑む。その死そのものの世界から、あの四人が歩を進めてきたから。

「嘘、でしょう? そんな事、が」

 そのまま、愛奈が跳躍してシャクナに肉薄する。彼女はシャクナの腹部に突きを入れる。ソレは防御されたが、シャクナを十メートル程も吹き飛ばしていた。

 続けてキロが彼女の背後に回り込み、蹴りを入れる。やはり防御されるが、やはりシャクナは弾けとぶ。

 その先に待っていた帝が正拳突きを入れ、ソレをガードした彼女を中空に飛ばす。

 その最中スタージャがシャクナを蹴り飛ばし、ソレをまともに食らった彼女は絶句する。

「あ、あり得ない。こんな事は、絶対に。なのに、何故――?」

 だが、事実だ。先ほどまで圧倒的と言えるだけの力の差があった彼女達は、今逆転しつつある。その理由を、その訳を、輝夜・チェスターはいま言語化した。

「まさか――運命変動が起きている? 世界は今、彼女達が、〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟が願う世界に変わっていると言うの――?」

 けど、そんな筈はない。

 彼女達は、一方的に世界を滅ぼした。

 その事に納得した人間など、一人も居ない。

 それどころか、彼等は世界を滅ぼした彼女達を心底から憎んでいる筈だ。

 軽蔑し、蔑視して、憎悪して、それ以外の感情は持っていないだろう。自分を、家族を、親しい人々を殺した彼女達を心底から嫌悪している。

 だから、許せる筈が無い。

 その所業を、認められる筈が無い。

 何があっても、彼等は彼女達を憎しみ抜く。

 それだけの暴挙を、彼女達は行ったのだから。

 現に、先ほどまで彼女達は無力なままで、運命変動など起きていなかったではないか。

「だというのに、何故、急に――?」

 シャクナが、自問する。どう考えても、答えなど出せない難問を解こうとする。

 よってその答えは――第三者からもたらされた。

『そうね。まずこれだけ言わせて、シャクナ。また貴女に会えて、本当に嬉しいわ』

「……嘘でしょう? その声は、まさか――姉さん? 私にいま語りかけているのは――姉さんだと言うの?」

 シャクナが中空を眺めながら、問い掛ける。

 愛奈達も周囲を警戒しながら、その声に耳を傾けた。

『ええ。名前さえ無かった貴女が、今は私と同じ姓を名乗っている。それだけで、私はいま喜びに震えている。貴女の苦悩も、私なら理解できると思うわ。でも、私は貴女にこれ以上、手を汚して欲しくない。貴女には、私の様な過ちを犯して欲しくないの。そう考える一方で力を封じられた私では、貴女を止める事さえ出来ないわ。……いえ、私が貴女を傷付けるなんて考えたくもないといった方が正しいかも。だから、私は間接的に貴女を止める事にしたの』

「それは、まさか?」

 スタージャが、声の主に問い掛ける。彼女の声は、実に冷静だった。

『ええ。私がした事も、シャクナと同じ。ただ切っ掛けを与えただけ。ソレだけを材料にして全てを判断してもらったの』

「――切っ掛け。――材料」

 愛奈がオウム返しする。その意味を、心底から噛み締める様に。

 そう。シャクナの姉である彼女は――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟の全てを語ったのだ。今は既に死者であるあの彼等に――全てを伝えた。

 彼女達が何を想い、どう考え、その果てに何を選択したのかを。

 シャクナとの戦闘を見せ、彼女達がどう苦しんでいるか体験してもらった。

 彼女達の苦しみを直に知ってもらい、その上で彼等に彼女達がどんな存在か判断してもらったのだ。

 皮肉にも、それは正にシャクナが目指した世界そのものだ。

 全ての人々が、全ての感情と苦しみを共有するという境地である。

 その果てに――彼等は選択した。

『そう。私は本当に切っ掛けを与えただけで、全てを選んだのは紛れもなく彼等人類よ。人類は、貴女達に虐殺された彼等は、今こそ決断した。その彼等から伝言よ。〝おまえ達の事は、例え何があろうと許さない。でも、今その少女に負けたら――もっと許さない〟――。私が出来るのはここまで。だから妹の事を、シャクナの事を……どうかよろしく』

「………」

 その願いを、その想いを、その祈りを、彼女達五人は今、心底から痛感する。

 気が付けば彼女達の誰もが涙し、ただ、歯を食いしばっていた。

「そう、ね。そんな彼等に、私達は何も言えない。何かを言う資格すらない。でも一つだけ。―――ありがとう。ほんとうに――――ありがとう」

 輝夜・チェスターが、活力を取り戻す。彼女の目に力が灯る。大きく息を吐き、彼女はもう一度立ち上がった。

「シャクナ・グランクラス。確かに貴女の苦しみは、私達にはわからないかもしれない。誰にも助けられずに、一人で死んでいった貴女の無念はきっと一生理解できないかも。それでも、私達は貴女に手を差し伸べる事はできます。それは本当に傲慢な事なのかもしれないけど、私達にはもうそうする事しかできないの。どうか、こんな私達を許して下さい」

「………」

 事実、輝夜はシャクナに向け手を差し伸べる。

 ソレを呆然とした貌で彼女は眺め、それからこう結論した。

「……そう。姉さんまで私を見放すの。共に地獄を見たたった一人の姉さんにさえ、私は見捨てられた。ならもう私自ら世界を完成するしかないじゃない。それだけが、私の唯一の望み。それだけが、私の唯一の救い。もうそうする事だけが、私の生きる目的になってしまった」

 それで、彼女には察する物があった。

「そう、か。君は、本当は、ただお姉さんに会いたかっただけ? ただそれだけだった?」

 愛奈が問うと、シャクナは我に返ったように己が理性を双眸に込める。

「どうやら今ここで戦っても、私が不利になるだけの様ね。なら、この世界ごとあなた達を葬るのみ。今度こそ全てを無にしてあげるから楽しみにしていなさい――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟」

 そのままシャクナの姿が、この場から消える。ソレを見て、帝は固唾をのんだ。

「逃げた? いえ、違う。今の彼女がただ逃げる筈が無い。という事は、彼女には何か策がある?」

 帝の推測を、輝夜が肯定した。

「ええ。恐らく彼女は、分離していた精神体を本体に戻したのでしょう。その本体と再融合した彼女は、その力を以てこの世界ごと私達を葬るつもりです」

「つまり、敵は〝彼女の世界〟その物という事ですね? 今度こそシャクナは、全力でわたくし達を潰しに来る。……不味いですね。多分運命変動は外の世界にも影響を及ぼす筈ですが、それでも勝算は無い。〝シャクナという完全な世界〟に対し、わたくし達の世界は不完全なままだから。世界同士の争いになれば、負けるのは確実に此方の方です。正に、恐れていた最悪の展開になりました。わたくし達はシャクナがそうする前に、なんとしても仕留めておくべきだった」

 キロが、独白する様に告げる。

 それは、実に正しい見解だ。

 シャクナという核を有する完成された世界に対し――キロ達の世界は不完全なままだから。

 いや、この世界を操作して戦う事さえできない彼女達では、そもそも戦いにさえならない。ただ一方的に蹂躙され、世界ごと消される事になるだろう。手も足も出ない状況とは、この事を指す。

 現に輝夜は視線を落し、眉根を歪める。愛奈と帝も、シャクナが消えた方向を見つめるだけだ。そしてスタージャはといえば、嘆息しながら彼女を視界に収める。

「ええ。あなたが躊躇っているのは、わかる。私でもそれ位の機微は感じ取れるわ。でも、今はソレしか方法が無い。彼等人類の決意と判断を無駄にしない方法は、もうこれだけなの。本当にこれは一つの賭けだけど、私は試してみる価値はあると思う」

「んん? それは一体何の話? 吉報だといいのだけど……何か雲行きが怪しいような?」

 愛奈が訊ねると、スタージャに目を向けられている輝夜は尚も言いよどむ。が、それも数秒程の事で、彼女は凛として顔を上げた。

「そう、ですね。確かにソレしか方法はありません。元々私はこういう事態を想定して〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟に選ばれた様なものですから」

 輝夜がそう言い切ると、キロは喜悦する。〝ああ、そうか〟と彼女は納得した。

「そう。成る程。わたくしも、いま思い出しました。嘗て、この世にはエルカリス・クレアブルに匹敵する天才が居た事を」

「はい? ソレが何か? 今の状況と何か関係ある?」

 帝が首を傾げると、キロは説明を続ける。

「大ありです。何せその天才は、エルカリスとは違う手段を以てこの世界を纏めようとしたのだから。その天才の目的は、世界の真実を知る事。世界の真の姿を、その目で確認する事でした。いえ、或いは、彼はただエルカリスでさえ成し得なかった事を、成し遂げたかっただけなのかも。正に前人未到とも言える偉業を成し、その自尊心を満足させたかったのかもしれません。ええ、そう。彼は以前エルカリスにこう語ったのです。自分の目的は――〝彼女〟をつくり出す事だと」

「彼女をつくる? それは――お嫁さん募集って事? 婚活中なのかな、そのヒト?」

 ボケなのか本気なのかよくわからないが、愛奈が真顔で訊いてくる。珍しくキロは貌をしかめるが、最低最悪のボケだと言いたげだが、今はブチ切れない。

「貴女は本当に、偶におめでたい。そうではなく、わたくしが言う〝彼女〟とは――この世界の自我の事です。本来自然発生するその自我を、彼は自らの手でつくり上げようとしたらしいんですよ。方法は恐らく、愛奈やスタージャと同じでしょう。この世界の全ての情報を集めてソレを逆算し、この宇宙と融合できそうな存在を生みだした。全ての生命から星々や宇宙の歴史その物を数式に置き換え、ソレを並び替えて〝彼女〟の設計図をつくった。その正体こそ貴女という訳ですね――輝夜・チェスターさん?」

「――は、い? そうなの? 〝あの〟輝夜ちゃんが、その天才がつくった〝彼女〟――?」

「〝あの〟という所に若干の悪意を感じますが、その通りです。私はあの猫の姿をしたマッドサイエンティストにつくられた人造ニンゲン」

 予想もしなかった事実を聞かされ、愛奈と帝が言葉を失う。ただキロが彼女に問うていた。

「ですが、わたくしもその結末は知りません。彼が本当に完成された〝彼女〟をつくり上げたのかは知り得ていない。尤も、スタージャはその結果を知っていた様ですが?」

「ええ。一応私は、あの猫さんと輝夜さんだった時もあるから。彼が何を思って輝夜さんをつくったかは省くけど、その結末は私も知っている」

 しかし、そこで輝夜がスタージャを手で制す。

「いえ、そこから先は私が自分で話します。彼と私が、何をしてしまったのか? それは本当にバカげた話です。端的に言えば、その実験は失敗に終わりました。彼は確かに私と言う〝彼女〟をつくった。彼にしてみれば、私は渾身の出来だったのでしょう。だというのに、私を起動させた途端、その悪夢は起った。あの時の私が目覚めるという事は、この世界そのものと融合するという事です。覚醒した時点で自分が何の為につくられたか知った私は、忠実にその役目を果たそうとした。この世界と融合し、一つにまとめ上げ、全ての生命をこの私に転換しようと図ったのです。ソレは実験段階で、まだ一つの『死界』を対象に行った物でした。ですがそれでもその代償は余りに大きすぎた。今でも何が原因かはわかりません。私にわかっているのはその時――その『死界』が丸ごと消滅したという事。私と言う存在を拒絶した世界は、『死界』という一つの世界を丸ごと消し去った。ただ停止するだけで済んでいたその世界を、私達は本当の意味で死の世界に変えたんです」

「……なん、だって?」

 帝が絶句し、息を詰まらせる。輝夜の真実を聴き、彼女は思わず身を乗り出した。

〝本当にどんな人生を歩んでいたら、こんな大バカ野郎になるんだろうな……?〟

〝そっスね。ソレは内緒っス。聞いたら、絶対ドン引きするから〟

 嘗て帝と輝夜は、そんな会話をした。その意味を、帝はいま初めて知る。輝夜・チェスターとは、そもそも自分とは背負っている物がまるで違ったのだ。

 人類だけでなく、宇宙その物を消滅させ、全ての命を無に帰した。

 この圧倒的な大罪を前に、帝は言葉をかける事さえ出来ない。いや、本当にその筈だった。

 だが、何も言えない筈だった帝は、ただ輝夜を抱きしめる。

「そっか。貴女は私達よりよほど辛かったのね。それなのに自ら命を断つ事もせず、本当に自分で言っていた通り生きて罪を償おうとした。自責に押しつぶされそうになりながらも、より辛い道を選択した。その決意に、せめてもの敬意を。貴女は、私にとって十分すぎるヒーローよ」

「……ああ、ああ」

「だから――私も貴女に全てを委ねる。貴女は貴女が思う通り前に進み――そして力の限り戦って」

 だが、輝夜は首を横に振る。

「……でも、例え上手く行っても、シャクナを倒したあと元通り私から世界を分離できるとは限らないんですよ? それでも?」

「ええ。それでも――私は貴女に懸ける」

 それで、今度こそ全ては決まった。惚けた様に帝の声を聴いていた輝夜は、その視線に力を込める。彼女は今こそ自分に出来る、いや、自分にしか出来ない事を成そうとした。

「そうですね。もう時間がありません。また愛奈と合体するのはごめんですが、仕方ないので我慢してあげます」

「そう? あの時の私達って、いま思うとけっこう格好良かった気がするけど?」

「二人とも、じゃれ合いはここまでよ。では輝夜さん、後の事は全て貴女に任せます。これが正真正銘私達の――〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟の最後の戦いよ」

 そう告げる四人に、輝夜は微笑みながら答える。

「はい。ありがとう――皆。こんな私に――もう一度生きる意味を与えてくれて」

 そうして輝夜・チェスターは――この世界との融合を始めたのだ。


     ◇


 輝夜が、この世全ての存在を数式に変えていく。人を、星を、銀河を、宇宙を、世界を数式に変え、自分と言う名の数式に組み込んでいく。

 しかし、それはそれだけの話だ。

 彼女は以前、この段階で失敗した。全てを数値化できず、自分に組み込む事に失敗し、一つの宇宙を滅ぼした。その原因さえわかっていない彼女では、また同じ失敗を繰り返すだけだ。ソレは既に決まり切った事で、例え誰であろうと覆す事はできない。

 この世界は――シャクナと戦うまでもなくただ自滅する。

 それがこの世界の宿命であり、定められた末路だ。余りに決まりきった結末で、この上なく無意味な最期と言える。

 だが、本当にその筈なのに、彼女はいま静かに微笑む。

「いえ、違う。私は、本当はわかっていた。私が失敗した理由は、ただ世界を支配しようとしたため。全ての者を屈服させ、無理やり私の一部に引きずり落とそうとしたから」

 でも、今は違う。

 彼女は今、本当の意味で、この世界に住む全ての人々と正面から向かい合う。全ての人々と語り合い、理解を求め、その力を貸してほしいと切に願う。

 一人一人と対話して、助力を乞い、協力を求め、この世界を守りたいと心から祈る。

 その想いを、彼等がどうとったかはわからない。彼女にわかっているのは、気が付けば彼等が自分に対して微笑んでいる事だけ。

 逆に励まされ、彼等は天を見上げる。無論、否を唱える者も数えきれないほど居たが、それでも彼女は諦めない。その時が来るまで必死に説得を続け、その果てに――ソレは訪れた。

「本当に感謝します――皆。貴方達の想いは――決して無駄にしないから」

 ソレは、一種の奇跡だ。有史以来、全ての人々が一つに纏まった事など無いのだから。

 だからこそ――この〝世界の完成〟は本来なら絶対にありえない事だった。

 いま輝夜・チェスターの〝世界と言う名のカラダ〟には――全てが統合される。

 星も銀河も宇宙も世界もヒトや人も全てが一つとなり――その彼等の勇気を前にして彼女は涙する。

 だが次に彼女が目を開いた時には――渾身の気迫しかなかった。

 変形していく宇宙。宇宙という黒き球体はめくれあがって、一つの巨人に変化する。

 ソレに乗り、使役するのは――輝夜・チェスターとこの世全ての人々。

 その偉容を前に――シャクナ・グランクラスは確かに笑った。


     ◇


 舞台は、宇宙の外の空間。〝第二世界〟と呼ばれる場所。

 輝夜の巨人の前には、既に臨戦態勢をとっているシャクナの巨人が佇む。

 五十万キロほど離れている両者は、ただその想いを語り合った。

「そう。どうやら――私と同じ領域に辿り着いたようね。少し意外だけど、これが強者の底力というやつ?」

「いえ、私はただ助けを乞うただけです。世界の危機を訴え、皆に協力してもらっただけ。そう。強者も弱者も関係ありません。確かに世界の終わりを本気で願う人達もいたけど、それでも多く人々は世界の存続を願ったから」

 巨人に乗る輝夜がそう謳う。ソレを見て、同じ様に巨人に乗るシャクナはもう一度笑った。

「初めて会った時あなたの正体はわかったけど、どうやら少し勘違いしていた様ね。今のあなたは、まるで女神だわ。古代の人々が思い描いた残酷な女神では無く、近年描かれた理想の女神像その物。慈愛に満ち、他者を理解して、その全てに救いの手を差し伸べる。まるで私とは正反対のあり方。その意味を――いま余すことなく教えてあげる」

 と、シャクナの巨人――〝シャクナ〟が全長千兆の十グーゴルプレックス乗光年程の竜巻に変わる。

 ソレを見て輝夜の巨人――〝輝夜〟も竜巻に変化した。

 両者はそのままぶつかり合い、しのぎを削る。

「ええ。私は、何度も何度も殺され続けた。幾度も幾度もカラダを破壊されて。その結果、私は死に恐怖を抱きながらも、その実、死に焦がれるようになった。だって、死だけがあの地獄から逃れる唯一の方法だったのだから。故に私の能力は――万人を殺す自然現象。人が群れを成そうと決して防ぎ切れない、大災害。天変地異に変化し、万人を殺す事こそ私の能力」

 半ば偽りを口にしながら〝シャクナ〟は〝輝夜〟と衝突する。

 ソレを前にして、シャクナは喜悦した。

「でも、どうやらあなたも同じ結論に達した様ね。一個人の能力では、万人を滅ぼす天災には敵わない。故にあなたも自分を組み替え、私と同じように自然災害を起こす他ない。でも――だからこそ一歩遅い」

「くッ!」

 全長千兆の十グーゴルプレックス乗光年規模の津波に変化し、〝輝夜〟を呑み込もうとする〝シャクナ〟――。その攻撃は依然、敵の過去と現在と未来を標的にした――精神や『魂魄』、『霊力』さえ攻撃する物だ。その全てに〝輝夜〟は対応する必要に迫られ、彼女はその能力処理を必死に行う。

「いえ、四歩の誤りだったかしら? 完成されたばかりのあなたでは、能力を発動させる為の演算計算がまだ私より遅い。その上あなたは私の様に天災になる為、能力を一つ多く使わないといけないでしょう? 『自身の組み換え』という要素が間に入る為、あなたではどう足掻いても私の変身にはついてこられない」

「くッ! ……はッ!」

 故に〝輝夜〟は〝シャクナ〟に打ち負ける。同じ様に津波に変化するが、〝輝夜〟の方がのみ込まれ、ダメージを受ける。雷が〝輝夜〟に降り注ぎ、その超高速を前にして彼女は避ける事さえ出来なかった。

「おや、まだ序の口なのに、もう追い詰められている? それともここは油断せずに、一瞬で殺しておくべきかしら?」

 巨大な剣の群れと化して、〝シャクナ〟が下方から突き上がってくる。ソレを、両腕をクロスしながら受け止めるしかない〝輝夜〟――。

 両者の実力の差は明白で、これでは二時間前の戦力差と大差ない。そうほくそ笑むシャクナに対し、輝夜は凛とした表情を見せた。

「そうですね。このままでは確かに分が悪い。ですから――私も本気を出させてもらいます」

「な、に?」

〝輝夜〟が――ソレを発動させる。途端、シャクナは〝彼女〟を刮目した。

「ええ、そう。貴女は勘違いをしている。私が女神だとしたらそれは残酷な方の女神で、決して慈悲深くなんてない」

 正に――ソレは運命レベルでの事象変換だ。

〝輝夜〟は今こそ運命変動を発動させ、結果、全てを自分の思惑通りに歪ませる。己の攻撃を必中させ、敵の攻撃は無効化して、〝シャクナ〟を追い詰める。

 それは――先の大逆転劇の再現。四歩初動が遅かった筈の〝輝夜〟は、今〝シャクナ〟を追い越し――確実に彼女を凌駕する。

(やはり、運命論の操作は厄介ね。実力は確実に此方が上なのに、手も足も出ない。さて、どうしたものか?)

 だがそれでもシャクナの余裕は崩れない。何故なら彼女は――〝完成された世界〟だから。多くの強者と融合し、彼等に精神を支えられているシャクナは――愛奈達同様絶望しない。

 その強靭な精神性を敏感に感じ取った輝夜は、だから勝負を急ぐ。自身の有利を確立しながら、帝達の面影をシャクナに見た輝夜は内心焦燥していた。

 この輝夜のあり方を、シャクナは直感で読み取る。

「やはり私と違い、まだ全ての人間と一つになりきれていない様ね。その為、あなたの心は補完されず、先のままのあなたという事。あの絶望を知っている弱いままのあなたという事よ――輝夜・チェスターさん」

 この僅かな心の隙を衝く様に、〝シャクナ〟が変化する。

〝彼女〟は自身を――宇宙空間に変え〝輝夜〟そのものを取り込んだのだ。

「ええ。宇宙とは――即ち死。あるだけで万物を殺し切る――死の象徴。実際、宇宙には死に直結した現象で溢れているでしょう?」

「つッ!」

 直後、シャクナが言う通り、確かに〝輝夜〟の周囲を冷気が包む。ソレは絶対零度をも遥かに上回る冷気の洗礼だ。これを運命変動という盾で防ぐ〝輝夜〟――。

 たが次の瞬間、〝輝夜〟の目の前に全長千兆の百グーゴルプレックス乗光年規模の恒星が迫る。ソレは秒速千兆の一グーゴルプレックスプレックス乗光年で迫り、〝輝夜〟のボディに命中する。

 仮に〝彼女〟が運命変動を起こしていなければ、この時点で勝負はついていただろう。それだけの凶行は、けれど更なる暴挙となって〝輝夜〟に迫る。

 あろう事か〝シャクナ〟は銀河系同士を秒速千兆の一グーゴルプレックスプレックス乗光年で衝突させ、その間に〝輝夜〟を挟んだのだ。この絶対的な攻撃を前にし、輝夜はただ防御に徹する他ない。

(本当に今は防御に転じるしか手が無い! 一瞬でも気を抜けば、その時点でこの機体ごと私は砕け散る――!)

 運命変動を盾にしながら、今は〝シャクナ〟の攻撃をしのぎきるしかない。それ程までにシャクナの能力処理速度は速く、正確で、隙が無い。

 またも一転して優劣が逆転した〝輝夜〟と〝シャクナ〟は尚も戦闘を続行。彼女達はどちらか一方を討ち倒すまで――ひたすら戦い続ける。

「そう。輝夜さん、貴女は帝さん達と違って本物の絶望を知っている。自分の心の弱さを、心底から痛感している。そんなあなたでは、私が何かする度に僅かでも怯え、反応が遅くなる。此方の攻撃の対処に遅れが生じ、私の動きについて来られない。それがあなたの限界であり、私にとっての幸運。あなたと言う弱者が世界の自我であった事こそ――私の最大の勝因だわ」

「くッ!」

 今も銀河系同士のぶつかり合いに巻き込まれながら、輝夜が歯を食いしばる。シャクナに反論さえ出来ず、ただ血反吐を吐き、その命を削っていく。

 だが、その時、両者に割って入る声があった。

《冗談。確かに今の輝夜は、絶望を知って怯んでいるかもしれない。でも、ソレは弱さとは違う。輝夜はただ、大切な誰かをもう傷つけたくないだけだ。自分の死は俺達の死そのものだから――思い切った攻撃が出来ないだけ》

「帝、さん?」

《そうですね。非情に徹する事で本当の自分を隠していましたがソレが本来の輝夜さんです。貴女が絶望を知っている理由は、貴女が他人を愛しているから。そんな彼女が――弱い筈が無い》

「キロ、さん」

《だね。きっと誰よりも心を痛ませながらあの虐殺を行ったのに、彼女はいつだって私達の背中を押した。輝夜ちゃんはそういう子で――私にとっても彼女は誇りだよ》

「愛奈、さん」

《そう。だから遠慮はいらない。私達の精神とも融合なさい、輝夜さん。もしかするとそこまでしたら、私達の精神は分離できなくなるかもしれない。でも、これがこの世界に住むほぼ全ての人達の意思よ。人類はいま座して死を待つより――戦って生き抜く道を選んだ》

「スタージャ、さん」

 だが、ソレをシャクナは一笑する。

「徒党を組み、支え合わなければ戦う事もできない? それこそ弱者の証しだとなぜわからないの? ええ、そう。確かに私は弱者で、毎日の様に命乞いをして生きてきた。けど、そんな私はいま世界の頂点に立っている。私の中に居る強者達が、私をその領域まで押し上げた。この精神性がある限り、例え輝夜さんが私と同じ領域に至ろうと、決して負ける事は無い」

 そこで、輝夜はシャクナの真意を直感する。

「そう、か。貴女は初めから勝つ気が無いのね? 私と相討ちになり、お姉さんに見捨てられた自分と言う存在を消し去るのが目的。世界の完成なんて、本当はもうどうでもいい」

 が、シャクナは答えず、攻撃を継続する。超新星爆発を起こして、万物を焼く。摂氏にして九千グーゴルプレックスプレックス度に及ぶソレは確実に〝輝夜〟にダメージを蓄積させる。

 だが、今度こそ彼女は迷わなかった。

「……でも、それは私にとって最悪の結末。そんな終わり方だけは――絶対にさせない」

 故に、輝夜は〝高位世界〟の一部を圧縮し、自身の躰に取り込む。〝輝夜〟さえもその身に内包し、豪奢な白いドレスを纏う輝夜がその場に出現する。

 彼女はその力を以て転移し、決戦を挑む。

(ええ。彼女は何時だって自身より巨大な存在に変異してきた。なら、その中の何処かに彼女の本体が存在している筈。なら、私は今――運命を変動させ、その彼女のもとまで転移する)

 事実、この試みは成功し、輝夜は〝シャクナ〟の直ぐ目の前に転移する。彼女を倒す為、手にしたライフルから弾丸を放つ。ソレは万物を組み替え、死と言う形に貶める必殺の一撃だ。ソレを前に、あろう事かシャクナは〝シャクナ〟を解除する。生身となって輝夜の前に立ち、彼女は今こそ笑った。

「まさか。私はあなたと心中する気なんて――毛頭ない」

 それが先の質問の答えだとばかりに、シャクナは喜悦する。その瞬間、彼女は謳った。

「――ヌゥヴェルト・ナリエリカ――」

「な、に?」

 かの言葉はグランクラス語で日本語にすると〝我が死は遠く、他が死は近く〟という意味。

 その意を解さぬまま――輝夜・チェスターはこの宇宙その物と一緒に爆発した。


     ◇


 そう。ソレは空間自体を爆破する、ビッグバンに相当する完全破壊能力。摂氏にして――百億の一グーゴルプレックスプレックス乗度に及ぶ高熱が輝夜の躰を焼く。

 それもその筈か。先の宣言通り、シャクナには輝夜と心中する意思など無い。仮に彼女が一人きりなら、姉に見捨てられた事が原因でその道を選んだ可能性もある。

 だが、シャクナは今一人ではない。彼女はいま多くの強者に精神を支えられ、絶望と言う物を知らないのだ。

 故に、シャクナの目的は飽くまで世界の完成だ。ソレを成し遂げるまでは、彼女がその歩みを止める事は無い。

「そして――それを成す為の邪魔者もいま消えた」

 爆発によって消滅したであろう、輝夜の居る方向に目を向ける。

 けれど、彼女は見た。

 自分がつくりだした全宇宙の爆発に巻き込まれながら――尚も生存している輝夜を。

「……また運命変動を盾にして私の攻撃を防いだ? いい加減、その芸は見飽きたのよ」

「ぐッ! ……つッ!」

 片や、大ダメージを負っている輝夜には、何が起こったかさえわからない。

 確かに今、自分達が居る空間は爆発して消え去った。なら、なぜダメージを負っているのは輝夜だけなのか? あの爆発には、シャクナも巻き込まれた筈。だというのに、彼女が無傷なのは何故だ?

そう疑問を抱く輝夜だったが、次の瞬間にはシャクナの攻勢が始まる。彼女の躰から宇宙と数式の様な物が吐き出され、輝夜の四方八方を被ったのだ。

 途端、シャクナが輝夜に向け右腕を突きつける。ソレに反応して、咄嗟にその射線上から離れようとする輝夜。

 だが、彼女は件の縦横無尽に張り巡らされている数式に触れてしまう。その瞬間――輝夜の躰は爆発した。

「がはァッ……?」

 ソレは先程の大爆発に比べれば小規模だったが、その反面無視できるダメージではない。しかも敵は待ってはくれず、反対にここぞとばかりに輝夜に肉薄する。

 件の数式をすり抜け、輝夜に蹴りを入れて、件の数式に触れさせる。その度に輝夜の躰は爆発して、彼女の躰には確実にダメージが蓄積されつつあった。

「ぐッ、はっ……!」

 ならばとばかりに、輝夜がシャクナに向け弾丸を放つ。だが、その瞬間、再びこの宇宙は大爆発を起こす。

 また百億の一グーゴルプレックスプレックス乗度の超高温で焼かれ輝夜の意識は一瞬トブ。この圧倒的な力の差を前にして、彼女の心は今確かに折れかけたのだ。

(……一体、彼女は何をしているっ? ……これが彼女の、能力っ? ……いえ、いま私にわかっている事は、これ以上ダメージを受ければ確実に殺されるという事!)

 今はまだ、運命変動を発動させているから生存していられる。だが、このままでは何れ精神の集中が途切れ、自分は死ぬ事になる。

 現にシャクナはまた宇宙と数式をつくり出し、輝夜をその中に閉じ込める。数式がある方向へ輝夜を誘導し、ソレに触れた瞬間やはり彼女の躰は爆発する。

 ここまで来て、シャクナは悠然と言い切った。

「ええ。あなたが私に勝てない最大の根拠は――あなたがその世界の偽りの自我だからよ」

「……くっ、はっ!」

 シャクナの宣言に――誤りはない。

 シャクナとは、その世界の本当の主であり核である。片や輝夜は推測をもとにつくられた模造品で、決して真にその世界の核ではない。

 この差は余りに大きく、両者の優劣をハッキリと分ける物だ。能力処理速度で及ばず、敵の能力がわからず、絶望を知って心が弱り、存在レベルが異なる。

 この四つの差が、シャクナと輝夜を明確に分かつ。輝夜ではシャクナに四歩及ばず――いま彼女は正に敗北しようとしていた。

 それを証明する様に、輝夜の脳裏には己の人生が走馬灯の様に過ぎる。

 けれど、彼女の人生はとりわけ語るべき事が無い。シャクナの人生が地獄なら、輝夜の人生は虚無だから。

 世界を原初の姿に戻す為に、猫の姿をした彼によってつくられた彼女。だが前述通りその試みは失敗した。『死界』を一つ完全に消滅させるという事態を招き、全てが破綻した。

 彼女の人生は――正にその一事に限る。

 壮大な目的と共に創造された彼女は、その実、ただの厄災だったから。件の実験が成功した時、初めて名を与えられる筈だった彼女は、だから名前さえ無かった。

 あの実験で自分達の行いに恐怖を抱いた彼は、自身の娘と言える彼女を封印する。本来なら即座に廃棄するべきだったが、彼にはそれさえできず彼女を眠りにつかせた。

 それは永遠に続くと思われていたが、或る日、転機は訪れた。

〝……彼女を使いたい? ソレは本気で言っている? 我と彼女が何をしたか知った上で、そう言うのか?〟

 彼はアーギラスに問い、彼女は真顔で告げた。

〝ええ。世界を消したなら、世界を救う事でしかその罪は贖えない。貴方達は今その稀有な機会を得たのです。もし貴方に贖罪する意思があるなら、どうか私達に力を貸してください〟

〝………〟

 この正論を聴き、彼は沈黙する。ただそれも僅かな間で、彼は直ぐに彼女を起動させた。

〝……すまなかった。我はお前を無かった事にして、自分の罪から目を背けていた。お前は何も悪くないのに、自由意志さえ束縛して、全てを無かったかのようにした。そうだ。まだ名前もつけていなかったな。〝輝夜〟というのはどうだろう? 輝ける夜。絶望とも言える闇に一筋灯る光。今の我の想いを代弁する、我ながら良い名前だと思うのだが?〟

〝………〟

 起動したばかりの彼女には、どう答えていいかわからない。自分の罪の大きさしか、彼女にはわからない。けれど、一つだけハッキリした事があった。

「……ええ、そう。本当に、何も無かった。本当に、何も無かったんです。あの宇宙の消滅以後は、私には何も無かった。そんな私に、意味が与えられたんですよ? なら――こんな嬉しい事は他にないじゃないですか」

 アーギラスの言う通りだ。自分達は、いま贖罪の機会を与えられた。何物にも代えがたい、償いのチャンスを得たのだ。

 それで消えてしまった命が戻る訳では無いけど、でも、ソレを理由に敗北を認める訳にはいかない。今の自分は――もう一人ではないのだから。

 この身が内包するのは世界と宇宙とあの勇気ある人々と、かけがえのない仲間達だ。その全てを守るために戦える事を――いま彼女は心から誇らしく思った。

「……だから、私は、何があってもあなたを倒さないと」

「既に満身創痍の不完全なあなたが、私に勝つ? この、完成された私に勝つと言うの? それこそ――奇跡よ」

 が、彼女は、輝夜・チェスターは、微笑みながら首を横に振る。

「……いえ、あなたは忘れている。その絶対にありえない筈の奇跡を起こしたのが、私達だって。そう。確かに宇宙は死で溢れているわ。でも、私はその中に息づく生命の力強さを知っている。私達という大罪人にさえ力を貸してくれる、あの人達の強さを知っている。だから、私は貴女に勝つわ――シャクナ・グランクラス」

 よって、輝夜・チェスターは今こそ全てを一つにする。

 自身が内包する全ての生命と一つになり、その瞬間、シャクナは彼女を瞠目した。

(――速い。これがさっきまで死にかけていたニンゲンの動き――?)

 しかも――その動きは余りに正確だった。

 シャクナが張った数式を避けながら、彼女は自分に近づいてくる。シャクナは数式をコントロールし、輝夜にぶつけようとするがそれさえ彼女は回避する。

 避けて、避けて、避けまくり、輝夜は確実にシャクナへと近づいていく。

「面白い。なら――少しだけ遊んであげる」

 故に――輝夜とシャクナは正面からぶつかった。両者共に〝高位世界〟を吸収し続け、その圧力に躰を破壊されながら、拳と拳をぶつけ合う。

 互に血まみれになりながら両者は笑い、二人は互角の戦いを繰り広げる。その地力と地力のぶつかり合いは正に天を焦がし、地を裂いて互いの命を削り合う。

「……ぐっ!」

「つ――っ!」

 その果てに輝夜はシャクナに吹き飛ばされ、その最中輝夜はシャクナに銃口を向ける。

 この時、今度こそシャクナ・グランクラスは自身の勝利を確信した。

(どうやら――まだ彼女は私の能力の正体がわかっていない。だったら――これで終わり)

 シャクナがそう喜悦するのと同時に、輝夜は一度だけ眉根を歪ませた。

「ええ、そう。私は本当に残酷だわ。だって、私に贖罪の機会を与えてくれた恩人さえ犠牲にしたのだから」

「な、に?」

 シャクナが、まなこを開く。

 その時――ソレは転移してきた。

「いえ、それでいいんです。私は、本当なら貴女達を利用し尽くすつもりでした。けど、何時の間にか貴女達に情を覚えてしまったみたい。……そう。私も一度、過ちを犯している。人の心を理解出来ず、六十億もの人間を間接的に虐殺した。その罪を――今贖わないと」

 それが――彼女の真実だ。

 世界の自我を生みだす為に、彼女は『第五種知性体』に殺し合いをさせた。その果てに、生き残った優秀な人間を世界の自我に祭り上げようとした。だがその試みは失敗し、彼女にはただ六十億もの人間を間接的に殺したという事実だけが残った。

 彼女がこのプロジェクトの担当者となったのは、その為。今の〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〝が負った業と、同じ業を背負っている為だ。

 その彼女は、シャクナが輝夜達の世界から逃げた後、どこに居た? シャクナが去った時点で結界は無くなり、その場には彼女が居た筈だ。だが、実際のところ彼女はそこに居らず、その行方は杳として知れなかった。

 けど、彼女とテレパシーでやり取りをした輝夜は、彼女が〝第二世界〟に居る事を知る。輝夜にばかり意識が向いていたシャクナは彼女に――アーギラスに背後をとられ、息を呑む。

 この状況を前にして、輝夜は告げた。

「そう。貴女の能力は――恐らく自分と敵の死期を操る事。あの数式に触れる事で私の死の確率は上がり、実際に死に絶える。私も運命論を変動できなければ、確実に死んでいた。そして私が貴女を攻撃しようとする度に死にかけたのは、貴女が自分の死を私に転化していたから。自分の死の確率を私に注ぎ込み、私が死ぬ確率を跳ね上げる。これが貴女の真の能力で、貴女にとっての絶対の矛と盾」

 ソレは、事実だ。

 死の確率をコントロールできるシャクナは、だから自分が死にやすい状況をつくった。そうして自身の死の確率を高め、ソレを輝夜に転化して、輝夜を致死させようとしたのだ。

「けど――それがわかった所であなたにはどうしようもない!」

 シャクナは吼え、輝夜は寂し気に笑った。

「ええ、私にはどうしようもない。でも――彼女なら別よ」

「そう。エルカリスと戦った時は、能力を使う前に無様な姿を晒しました。でも、今なら話は別。今のあなたは輝夜さんだけを能力対象にし、その他のニンゲンは意識していない。この僅かな隙を、輝夜さんに力を注がれた私は待っていました」

 今こそ遥か遠方から機会をうかがっていたアーギラスがシャクナに接近し――その能力を発動させる。

『万物の確率を下げる』と言う、悪魔の業を使用する。

 アーギラスは単純にシャクナが勝つ確率を下げ、その瞬間、輝夜が弾丸を放つ。

「カルエット・キースハ―――スぅうううっ!」

「な、に――っ?」

 同時にシャクナはアーギラスを消し飛ばすが――その頃には輝夜の弾丸が彼女に届く。

 かの言葉はクレアブル語で――日本語にすると〝死に至る、我が冷血の弾丸〟と言う意味。

 ソレは不死である者さえその身体構造を組み替え、死に至る様に変える魔の弾丸。

 それが着弾した時――シャクナ・グランクラスは確かに吐血したのだ。


     ◇


 たった一発の弾丸は――けれど両者の勝敗を分ける。

 その事を自覚した時――彼女はその事実を思い知った。

「……負ける? 負ける? この私が……負ける?」

 この強者に支えられ、諦める事を知らない自分が負ける? 絶望から最も縁遠い存在となったこの自分が、負けると言うのか? だが、彼女は首を横に振る。

「……いえ、敗因はこの私ね。貴女は私と同じ弱者だと思っていたけど、私よりよほど強かった。私は貴女の強さについていけず、遂には打ち負けた。それも当然かもしれない。だって私は今でも彼ら強者と、心を通じ合わせる事が出来ずにいるから。それどころか、私は彼等に反発して、自分の弱さを認めさせようとしてきた。――けど貴女は違った。貴女は全ての人々と心を通じ合わせ、何よりかけがえのない仲間が居た。私は今でも弱いままで、貴女はあの仲間に恥じない強さを持とうと必死になった。それが、きっと私と貴女の大きすぎる違い。貴女達〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟が起こした――とびっきりの奇跡。……でも、本当に悔しいなぁ。次があるなら私も貴女と同じ強さを持って、また戦ってみたいくらい……」

 困った様に、彼女が微笑む。ソレは本当に幼い子供が姉に向ける様な笑顔で、輝夜は思わず嗚咽した。―――けれど、直ぐに凛とした瞳を彼女に向け、輝夜は謳う。

「ええ、私は、貴女が戻ってくるまで絶対に待っている。貴女が諦めるまで、何度だって倒し続けてみせるわ。だから、必ずまた会いましょう――シャクナ・グランクラス」

 それで、終わった。長かった輝夜達とシャクナの戦いは終止符を打ち、シャクナは宇宙に姿を変える。

 こうして――宇宙と化した彼女はまた一から己を生みだす作業を始めたのだ。


     終章


 或いは――ソレはこの長すぎる戦いにしては呆気ない幕切れだったのかもしれない。

 そうは思いながらも満身創痍な輝夜は、ただ嘆息する。失ってきた物の大きさにただ心を痛め、瞳を翳らせる。輝夜はまず世界にある全ての人々と精神を分離させようとして、その試みを成功させていた。

《やったわね、輝夜さん。貴女は今正にこの世界を救った。これで漸く全ては終わったの》

《そうだな。シャクナに止めを刺さないのが、いかにもお前らしいよ。このシャクナの宇宙を破壊すれば、彼女は二度と蘇生しない。でも、輝夜は絶対にそんな真似はしない。だって、それは、お前が輝夜・チェスターだから》

《かもしれませんね。多くの死を知る貴女は、だから他人とわかり合う道を選んだ。ただヒトを殺めるのではなく、通じ合う事を選択した。それが貴女の結論なのでしょう、輝夜さん》

 この自分を肯定してくれる彼女達の言葉を聴き、輝夜はただ瞳を閉じる。万感の思いと共に彼女は口を開いた。

「……ありがとう、皆。また世界を危険に晒すかもしれないのに、私の我儘をきいてくれて。でも、世界を救う為の犠牲は余りに大きすぎたわ」

 字壬達の地球の人々に、アーギラス。彼等の犠牲がなければ、この世界は決して救えなかった。そう考える反面、輝夜は歯を食いしばる。失ったものの大きさにただ涙し、それ以上言葉が出ない。その時、彼女は唖然とした。

《というか、ちょっと待った。まだ世界と分離しちゃだめだよ、輝夜ちゃん。……いえ、もしかしてこうなる事も計算の内だったの、『ペルパポス』?》

 が、答える声は無い。愛奈の意味不明な問いは、別の人物によって返答されていた。

《……そう、か。今の輝夜さんなら、その手が使える? 世界を一つにして、その全てをコントロールできる輝夜さんなら――最後の奇跡を起こせる?》

 スタージャが自問する様に告げると、キロは呆れた。

《成る程。本当に愛奈は偶におめでたい。まさか、そんな手を真っ先に思いつくとは。ですが悪くない手段かもしれません》

《だね。聴いて、輝夜ちゃん。いま私達が殺した人達は、完全には死んでいないんだよ。シャクナのお姉さんが彼等の魂を保護して、多分完全な無には至っていないから。なら、七十兆に及ぶ世界の人々から少しずつ生命力を分けてもらい、細胞の一部を提供してもらおう。人間の細胞は約六十兆個だから、全ての『死界』の本人達から細胞を分けてもらえば体も再生する。その状態で世界全ての地球の人々に例え一秒でも寿命を分けてもらえば彼等は七十兆秒生きられる。二秒ならその二倍で、一分なら六十倍。それで私達の罪が消えるとは思えないけど、やってみる価値はあると思わない?》

「……ああ。そう、か。『ペルパポス』は私が世界と融合すれば、或いはそういう事も可能だと思っていた? そこまで計算して、彼女はこの暴挙を実行させたという事?」

 スタージャ達が頷くと、輝夜は今も流れる涙を拭い、毅然とする。もう一度世界の人々に語りかけ、彼等の了解をとろうとする。

 それから、ソレは、起った。

 輝夜・チェスターは最後の奇跡を起こし――それで全ては終わったのだ。


「というか、私まで生き返らせてくれて、どうも。せっかく格好よく逝けたと思ったのにこれとか、無様としか言いようがありませんね」

 アーギラスが、冷めた目で悪態をつく。だが、帝は平然と言い切った。

「何言っているんだ? お前もれっきとした〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟の一員だろ。俺はこの中から一人でも欠員が出る事を、認める気は無いぜ」

 そう言いつつ、彼女は拳をアーギラスに突き出す。

 ついで愛奈も破顔しながら、拳を突き出した。

「いえ、私は今回の件で、その他大勢に貶められる屈辱を知った。後半はほぼモブキャラだったからね、私は。だから次は、シャクナとも一対一で勝てるよう修行するよ」

 ソレを聴き、キロは真顔で拳を突き出す。

「また何かの漫画みたいな事を言い出す人がでてきましたよ。本当に、今日の貴女は特におめでたい」

 スタージャは苦笑いしながら拳を突き出し、こう強調する。

「何にしても、皆とはもう暫く会う事は無いでしょうね。いえ、できれば二度と会うような事態にならない事を祈っているわ」

 続けて輝夜が拳を突き出し、彼女達五人を視界に収めた。

「そうスね。人々の蘇生は私が世界と融合できたからこそ可能だった、荒技。また上手く世界と融合出来るとは限らないから、二度は出来ないかもしれない。そう思うと今回の様な事にならないよう、私も修行に明け暮れるス」

 そこまで聴いて、アーギラスは依然ムスっとした貌で拳を突き出し、彼女達のソレとぶつけた。

「いいわ。なら、褒めてあげます。本当に、ありがとう、〝ヒロインズ・オブ・ヒロインズ〟――。貴女達のお蔭で、私は本当に救われました」

 貌をくしゃくしゃにしながら頬を濡らし、彼女は告げる。

 それから、彼女達はわかれた。

 各々の世界に帰り、その間際、短く別れの言葉を口にする。

「それじゃ、またね」

「ああ。またいつか」

「ええ。それまでさようなら」

「はい。割と勉強になりましたよ」

「うん。じゃあね、貴女達」

「さようならス。私の――最高の仲間達」

 ここに一つの戦いは終わり、日常がかえってくる。

 それは本当に有り触れた、なんの目新しさも無い、平凡な日々だ。けれど、今の彼女達の目には何よりも輝かしく、尊い世界でもある。

 今の輝夜達にはその先に何が待っているかはわからないが、ただ手を伸ばす。

 ずっと遠くに、ずっと彼方に、日がある方向に手を伸ばし、彼女は最後に告げた。

「――そう。シャクナ・グランクラス。貴女は決して一人じゃなかったス。私が一人じゃなかったように―――」

 そして、彼女達という大罪人の贖罪は尚も続く―――。


            ヒロインズ・オブ・ヒロインズ・後編・了

 という訳で、現在九つの作品を発表した訳ですが、実は、発表できる作品は後九つあります。

 しかし、投稿小説履歴は十件までしか表示されないという事なので、今後はヴェルパス・サーガという枠を設けて、その中で作品を発表しようと考えています。

 そして、その第一弾は――七つで大罪!(いえ、冗談ではなく)。

 七歳児バージョンの奴が、愚痴をこぼしながら日常を謳歌する物語です。


 

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