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20話 嫌われ者

 ランクの十三……キングである彼は、一時期その名の通り『王様』という役の期間があったらしい。しかし、ジョーカーの「今は違う」という言葉がどこか引っかかっていた。

 そして、女王様の吐露した時計屋さんへの恨み言。「ルール違反の卑怯者」「私は最後までクイーンを演じられる」……あれらがもし「キングではない別の“何か”に変わった」という意味を指しているのだとしたら?


(チェシャ猫は、言ってた……)


 今この『ジョーカー探し』というゲームが行われている最中はみんな嘘つきで、何にでもなれる本物のジョーカーは常に“誰かのふりをしている”と。


(誰かの……何かの、ふりを)


 そして、黒ウサギが初めに教えてくれた「ジョーカーだけがアリスを助けてくれるよ」という話。私は今まで、何度この人に危機を救われただろう?

 つまり……私が探している本物のジョーカーは今、『時計屋』のふりをして過ごしているのではないだろうか?


「時計屋さんが……貴方が、本物のジョーカーなんでしょう?」


 唾をごくりと飲み込んでまっすぐに顔を見据えると、彼はどこか悲しげに緑の隻眼を細めて肩をすくめた。


「……残念。ハズレ」

「……え?」


 時計屋さんは顔を背けて自嘲するように小さく笑い拳銃を懐中時計に戻すと、少しのあいだ手の中でチャリチャリとチェーンをもてあそぶ。

 それから、顔を上げてやっと私の顔を見たかと思えば、何の合図もなく懐中時計をこちらに向かってぽんと投げてきため、慌てて差し出した手のひらの器でキャッチした。


「……アリスを殺せるのは、『偽物ジョーカー』になったランク持ちだけ……ただし、“アリスのことが嫌いな”ランク持ちだけだ」

(時計屋さん……泣いてる、の……?)


 先程から、どうしてこの人は……私の顔を見ないようにしているのだろうか?

 表情を伺えないせいで何を考えているのか分からず、彼の声がわずかに震えている事を気のせいだと思い込もうとした。


「……」


 さきほど渡された懐中時計の蓋を開けて中を見れば、それはエースが常に首から下げている物と同じように、秒針や長針・短針が一本も存在しない文字盤だけの奇妙な構造をしている。


(お守り、みたいな物なのかしら……?)


 蓋をパチリと閉めた時、心の中で渦巻く違和感に気がついた。


(……おかしい)


 懐中時計の話ではなくて……時計屋さんの語った『偽物ジョーカーが私を殺せる条件』が。

 時計屋さんは「アリスなんて大嫌いだ」と言った直後に私を撃った。それなら、私はすでに死んでいなければおかしいのだ。


「時計屋さんは、私のこと……大嫌い、なんでしょう……?」


 彼がこぼした言葉を自分の口で反復しながら、胸が苦しくなり涙で視界が歪む。


「……『アリスなんて大嫌いだ』……そう口に出せば、一瞬でも……アリスのことを、嫌いになれるかと思った」


 やっとこちらを見た時計屋さんは、


(また……なんで、そんな顔……)


 ひどく悲しげな表情で、今すぐに泣き出してしまうのではないだろうかと錯覚した。それでも、時計屋さんはすぐにぎこちない微笑みを浮かべて見せる。


「……自分の心に嘘をついて、アリスを傷つけてでも……それでも、どうにかして救ってあげたかった。それでアリスが幸せになれるなら、俺は……」


 ああ、まただわ。

 思い返すと、ランク持ちのみんなは私の命を狙う時……いつも、同じ言葉を口にする。

 救ってあげる。幸せにする。

 それは、


(どういう意味なの……?)


 ただ、私が覚えていないだけ?

 それとも、エースが決めた何かしらの『ルール』を意味しているの?


「……ごめんね、アリス。俺はやっぱり、昔も今も駄目な奴だ。見ている事しかできなくて、アリスを助けてあげられない……これじゃあ、あの時と同じだ……俺は相変わらず、」

「……っ、違う! 貴方は役立たずの王様なんかじゃないわ!!」

「……!?」

「……あれ? 私、なに言って……」


 なぜか咄嗟に口が動き、気付けば言葉が溢れ出ていた。

 けれど、なぜあんなことを言ってしまったのか自分でも理解できずに首を傾げると、時計屋さんはとても驚いた様子で目を丸めて私を見る。


「……アリス……思い出したの?」

「……? 何を?」

「……いや、違うならいい。何でもない……謝ればいい話じゃないけど、痛い思いさせてごめんね」


 時計屋さんはさっきから謝ってばかりだ。

 彼が悪意を持って私を撃ったわけではないこと、『嫌い』というのは本心で放った言葉ではなかったこと。それだけで十分だというのに、どうしてそんなに、


「……時計屋さん」


 背伸びをして両腕を伸ばし、彼の頭を自分の胸元に抱き寄せると「なに!? ちょっ、アリス……!?」と裏返った声を出すけれど、暴れたり突き放そうとはしないのが彼の優しいところだ。

 頭を撫でながら「時計屋さん、ありがとう」と呟けば彼の体から力が抜け、小さく頷いて私の背に腕を回し躊躇いがちに抱き着いてくる。


「……俺は、どうあがいても……本物のジョーカーにはなれない」

「ならなくていいわよ。時計屋さんは、時計屋さんのままでいてほしいわ」

「……『時計屋』じゃあ、駄目なんだよ……アリスを救うためには、俺なんか……恩を返すのも、まだ……全然、足りてない……俺は、」


 ゆっくりと顔を上げた時計屋さんは、輪郭をたどるようにして目線を移動させ私をまっすぐに見据えた。

 普段は隠されている――私から見て、左側の瞳。長い前髪の隙間から一瞬だけちらりと覗いた銀色のビー玉には、時計の文字盤と針が刻まれているように見えた。


「……ルール違反を犯した『時計屋』は、みんなに嫌われてる。ジャックだって、本当に俺を好きで仲良くしてくれているわけじゃない。それがあいつの役割だからだ。本当なら、俺みたいな奴は……アリスのそばに、居るべきじゃないんだ」


 なんだろう。この、胸の痛みは。まるで、先の尖った物で何度も刺されているかのような。


「……」


 俯く時計屋さんは、泣いているように見えた。

 大人の男性なのに、まるで……幼い子供みたい。


(泣かないで、時計屋さん)


 もう一度、力いっぱい彼を抱き締めてから何度も優しく頭を撫でる。


「あ、あの……アリス……?」

「そんなこと言わないで。私は、時計屋さんに何度も助けてもらった。それだけじゃない……私なんかに、住む場所も貸してくれて……本当に、いつもたくさん感謝しているのよ。私の側にいてくれて、ありがとう。時計屋さん」

「アリス……」

「それに、ジャックはただの『役割』で時計屋さんと仲良くしているわけじゃないって、見ればわかるわ。大丈夫、彼の想いは本物よ」


 その場しのぎで適当な言葉を並べているわけでも、同情して慰めるために言っているわけでもない。本当に、心からそう感じている事だ。

 ジャックもきっと、同じ気持ちだろう。


「……ありがとう、アリス」


 蕾が花開くかのように柔らかく笑う時計屋さん。つられて笑うと、彼は安心した様子で私に体を預けてくる。

 その大きな体を抱きしめたまま、ふわふわとした手触りの髪を優しく撫でた。

 暖かくて、心地よくて……懐かしい、匂いがする。

 ……ああ、


「時計屋さん、私……時計屋さんのこと、」


 その先に何の言葉を紡げばいいのか……今はまだ、思い出せないけれど。

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