出会い
魔術学院の授業初日、レオンは名家の令嬢サレンと再開した。担任のアルフレッド先生はどこか頼りない雰囲気だが、教師としての腕は確からしい。
「は〜い鐘も鳴ったことだし、ここできょうの授業は終わりだよ。授業初日お疲れさま。次回…明後日の授業では6ページからやっていくから一読しといて。それじゃ、ばいばい」
「ありがとうございました…!」
4限目ー国文学の授業が終わり、1年2組の生徒たちは帰宅の準備を始めていた。国文学のキース・クレバー先生は二十歳くらいだろうか、砕けた口調で話す"今風"な教師で、生徒たちからの評判もすこぶる良いようであった。
レオンはそそくさと身支度を済ませ、授業終了の1分後には教室を出た。無論、クレアに絡まれて帰宅後のひとり時間を邪魔されたくないためだ。引っ越してきたばかりの身ゆえ、昨日に引き続き、荷ほどきもしなければならないのだ。
「ふぅ…授業は面白いし、なんとかやっていけそうってとこか、クレアも授業中は寝ててそこまで世話を焼くこともないし…」
そう呟きながら、レオンは学院の荘厳な西門をくぐった。この西門の他に、学院には正門、東門が存在し、合計3つの校門が存在することとなる。というのも、学院の敷地が広すぎて、正門だけでは、学院の東側、西側に住む生徒にとってあまりに不便なのだ。レオンは学院の西側地区に住んでいるため、当然西門を利用する、というわけだ。ちなみに学院の北側はというと、広大な森が広がっており、生徒たちの立ち入りは禁止されている。
学院の西側地区に出たレオンはそのまま自宅ー下宿先の家だーに向かって進んでいった。少し歩き、学院近くの繁華街から離れると、あたりの景色は一変した。
「この辺は変わってないな、、」
再開発地区だ。他の都市と比べると豊かな学術都市・オルステンにも当然陰はある。10年ほど前から市をあげての再開発事業が推し進められ、いっときは賑わいを見せたこの地区だが、7年前にボヤ騒ぎが相次いでからというもの、めっきり人が寄り付かなくなり、ここで店を構えていた商人たちは皆揃って他の地区や都市に移り住んでしまったのだ。レオンの歩く道の両脇には店を畳んだ露店の残骸や倒れかけの家屋などが所狭しと並んでいた。学院からレオンの下宿先まで、最短ルートで行くにはどうしてもこの再開発地区を通らなければならない。
「何度来ても薄気味悪いな、ここは。急ごう」
そう思い、レオンが歩調を早めたときだった。
「やめて…」
女性の声だ。それも少女だろう。抑揚がなく、か細い声だ。
「なぁいいだろ嬢ちゃん」
「俺たちとイイことしないか?」
「やめて…」
「なぁに、俺たちなんも怖くないって」
声のする方に向かったレオン。どうやら、1人の少女がチンピラ風情の男3人に絡まれているようだった。
「痛くはしないから、な?」
「やめて…」
「俺らこの近くに部屋借りてるからさあ、それか、ここででもいいぜ?」
「やめて…」
白銀の長髪に赤い目、妖精、とでもいうべきか、神秘的な美しさをもつ少女だった。
「あぁん?なんだよその態度は?」
「アニキ、こいつはちょっと"指導"が必要ですぜ」
「やっちゃいますか?」
「あぁ、いいぞ、やれ」
アニキと呼ばれたリーダー格と思しき男の指示を受け、残り2人のチンピラは少女によってたかって、殴る蹴るの暴力を始めた。
「さすがにまずいな…ちょっと助けて…」
大人の男2人の実力行使に10歳かそこらの少女が対抗できるわけがない。物陰から見ていたレオンが、状況を見かねて飛び出そうとしたそのときだった。
「だから…やめてって言ってるでしょ…」
少女がそう呟いた次の瞬間、チンピラ男2人は少女の周囲から"消えた"、いや、よく見ると数メートル先の地面に寝転がり、気を失っているようだ。
「は?」
なにが起こったのかさっぱり、といった顔で立ち尽くすリーダー格の男に少女は一歩近づいた。彼女の左手の中には、一輪の白いユリの花が咲いていた。
「お前………魔術師かよ……やめろ、やめろ…許してくれ…」
状況を悟り、恐れ慄く男に、少女はもう一歩、歩み寄り、小さく呟いた。
「私も…さっき…やめてと言ったはず…」
少女の目の前に、小さな竜巻のような"風の束"が現れた。
「なぁ、頼む、二度とお前の前に現れない。だから、許し…」
「……"突風よ"」
少女がぽつりと呟いた瞬間、彼女の目の前にあった竜巻は、その威力をだんだんと増しながら、男の方へと飛んでいった。すっかり腰が抜けてしまっている男には、当然、それを避ける術などなかった。
「………」
再び静寂に包まれた再開発地区に、少女は立ち尽くしていた。1分ほどたっただろうか、その間、レオンは物陰からずっと少女の姿に魅入っていた。
「ねぇ…隠れてる…そこの人…」
「…?」
少女の問いかけにレオンははっとした。俺のことか…?いや、他に誰もいないもんな?気づかれてたってことか…?
「見てるだけじゃなくて…助けてくれても…良かったのに…」
「…いや流石に俺に言ってるよな、すまん、助けようとは思ったんだが、ほら、」
観念したレオンは少女の前に姿を見せると、地面に転がっている3人のチンピラを指差して、おどけた口調で話しかけた。
「確かに…こいつらはしょぼかった…でも…男なら…か弱い女の子を…助けてくれてもいいはず…」
「か弱いってそれ誰基準だよお前…まあとにかくすまん」
レオンは少女の言にツッコみつつも、確かにすぐに割って入らなかった自分を悔いた。
「…………名前……」
「え?」
「だから……あなたの名前は?」
声が小さすぎて最初は何を言っているかわからなかったレオンだったが、2度目ではなんとか聴き取れた。
「あぁ、名前?俺はレオン=ネーベル。魔術学院に昨日入学した、学生」
「魔術学院…そう…」
少女は意味ありげに頷き、その後なにか用事を思い出したのか、早足で学院の方面ーレオンの行き先とは逆だーに向かって歩き出した。
「おい!人に聴いといて!そっちも名乗れよ!」
「……」
レオンの呼びかけにも応じず、少女はだんだんと遠ざかっていった。少女の姿が見えなくなるのを見届けてから、レオンもわれにかえって、また早足で下宿先に向かって歩き出した。
ーさっきの少女は何者なのか?ー
只者ではない。彼女はおそらく自分よりも歳下だが、あの完璧なまでの霊素制御は、魔術学院の1年生やそこらのものではない。間違いなかった。
「あらお帰りなさいレオン、早かったわね」
「ただいま、おばさん。夕食は何時ですか?」
「そうねー、今から30分くらい後、5時ごろにしようかしらねー」
「わかりましたー」
下宿先に帰宅し、居間に上がり込んだレオンは、家の主人である野太い声の女性に出迎えられた。
下宿先のおばさんーサラ・トーランドは若くして夫を亡くし、女手ひとつで2人の娘を育ててあげた、快活な女性だ。今は子どもたちも独り立ちし、空いた部屋を学生ー今はレオン1人ーに貸し出しているという。顔に刻まれたしわ1つ1つからも、彼女の苦しくも充実した半生が窺えるようだった。
2階の自室に入ったレオンは、一息つくと、予定通り荷ほどきを始めた。といっても、彼がこの家に持ち込んだ荷物は大型の手提げ鞄1つだけなのだ。今着ている制服や下着数着の他に、魔術関連の愛読書数冊などの身の回り品がいくつか。他のものはいくらでも商店で調達できる。荷ほどきのために早く帰りたい、というのは、ただクレアに拘束されないための方便にすぎないのだ。
「ブラシと…これは薬草図鑑、っと……、これは…っ!」
手際良く私物を仕分け、ベッド傍の棚に並べていたレオンは、あるものを手に取った。それは、小さな男の子と、それを抱き抱える母と思しき女性の姿を記録魔術で焼き付けた、1枚の古びた感応紙だった。
「……」
レオンは、しばし黙ってそれを見つめ、それから、棚の枕元に1番近い辺りに立てかけた。
夜、ベッドに寝転んだレオンの頭の中は、やはりまだ、帰り道に出会った少女のことでいっぱいだった。
「あの強さに…あの瞳…」
易々と3人のチンピラを圧倒した少女、その赤い瞳には見るものを魅了するような美しさがあったが、それと同時に、どこか寂しげな色があった。
「まぁいい、もう俺には関係のないことだ」
もう彼女に会うことは2度とないだろう。いつまでも彼女のことを考えていては生産性がない。
「それより、学院は今日のところは特も問題はなかったな。まあ、問題なんて普通はないか」
少女のことを頭の片隅に追いやったレオンは、次に学院生活に考えを巡らせた。
「この調子で何事もなければ良いんだが…」
俺は一介の魔術学院生、それだけ、それだけなのだ。
そんなことを考えながら、レオンは眠りについた。
その夜、オルステンの街外れに、人知れず魔導器による通話を試みる人影がいた。
「あ、あ、聴こえますでしょうか?」
「あぁ、聴こえる。そっちの状況を伝えろ、手短にな」
「はい、こちらは概ね想定通りです。ひとまず決行は明後日、でよろしいですか?」
「あぁ、引き続き頼む」
「承知いたしました」
通話を終えた人影は、目深に被ったフードを風になびかせながら、やはり誰の目に触れることもなく夜の霧の中へと消えていった。
今回は謎の魔術少女との遭遇をメインに書かせて頂きました。次回はレオンの学院生活2日目のお話を書きたいと思っております。やはり序盤につき、説明的なところ多くなるかと思いますが、ご容赦ください。
※誤字指摘等ありましたらよろしくお願いします。