静かな修羅場
ホテルに戻り、私達はラウンジに向かい合って座った。
私はもちろん、浩二の妻と目が合わせられず重い沈黙が続いた。
そして注文したドリンクがきたとき、先に口を開いたのは浩二の妻だった。
「私の夫と別れてくれませんか。どうかお願いします。」
浩二の妻は単刀直入にそう言うと、頭を深く下げていた。
私は慌てて彼女の肩を戻そうとすると、触れた手を思い切り払い退けられた。
そして顔を上げて彼女は私を鋭く見つめた。
「私が結婚してから、夫の不倫相手はあなたで三人目です。あなた以外の人とは自然に別れていました。でも今回はもう私の方からお願いしにきたんです。」
浩二の妻は清楚で物腰の柔らかい人だった。
時々テレビ局に顔を出すこともあり、夫を立てて皆にお土産や手料理を振る舞ってくれる妻の鏡のような人だった。
しかし今日の彼女は、子供を守る雌鳥のような強い目をしている。
そして不倫相手の私に、ずっと彼女が抱えていた夫婦の問題を私に語った。
「私は不妊症があり、長年の妊活で心を病んでしまいました。しかし夫はそんな私を支えてきてくれました。私は夫が他の若い女に癒しを求めるのは仕方がないことだと思っていました。しかしやっと、15年待って子供が授かってくれたんです。あの人にはちゃんと立派な父親になってほしいんです。」
まるで自分のせいで不倫をさせていたと、浩二の妻は言葉の最後に声を震わせていた。
一方で妻は本当の愛情は自分にしか向いていないと自信を持っていると私は思った。
私は彼の甘い誘惑に乗り、まるで好意を持たれ不倫を拒絶できない自分を被害者のように感じていたことに気付いた。
妻の気持ちなど一切考えず、悲劇のヒロインぶっていた自分に強い嫌悪感を持った。
私が言うべきことは一つ、それはことが終わってからじゃあまりに無意味でちっぽけな言葉だった。
「本当に申し訳ありませんでした。」
私はテーブルに額をつけて、深く腰を曲げて頭を下げた。
浩二の妻はその時、ガタッと椅子の席から立った。
そして私の隣に立ち、静かに言った。
「夫と別れてくれればそれだけでいいんです。慰謝料もいりません。あなたの方から別れを告げてもらえますか?」
「はい。」
「よろしくお願いします。」
そして私は浩二の妻の顔を見ることなく、彼女は去って行った。
きっとこれから平然と幸せなクリスマスイブを夫と過ごすだろう彼女に、私は一生敵わないと思った。