堕ちた理由
「おはようございます。咲良さん今日の原稿です。」
「いつもありがとう。」
「ファンレターもどうぞ。」
日も明けぬ時間に、職場のテレビ局に出勤する。
私は早朝ニュースのメインアナウンサーをしていた。
ニュースの後はラジオ番組、休日も日中の地方向けバラエティ番組を担当し、局外でイベントに参加することも多い。
私は所謂、売れっ子アナウンサーだった。
別にアナウンサーになりたくてなったわけでもないし、そこそこ一人で生活できれば十分だと思っていた。
「咲良、おはよう。今日も綺麗だね。」
「局長。恥ずかしいです。」
局長ー浩二は、私の不倫相手である。
彼は私の顔がドスライクタイプだったようで、入局時からアプローチというか贔屓を受けていた。
特に有名でもない大学から私がテレビ局に入局できたこと自体、彼のおかげだろう。
そして彼は私の耳元で囁くように言った。
「今日はお金受け取ってくれた?」
「一応受け取りましたけど、私はお金に困ってませんからね。」
「それは心配してないよ。いつまでも咲良には綺麗でいて欲しいから、自分に使ってね。」
そう突っぱねても浩二は動じずに、私の頬に手をつけ周りに隠すようにキスをして出て行った。
ー職場でなんて堂々と不倫をしているのだろう、このバカ親父は。
私と浩二の不倫関係は隠さずとも局内で皆が知っていて、暗黙の了解である。
私はこの男の気持ちに応えて抱かれることで仕事をもらい、今の立場へと上り詰めた。
どうして私がこうなってしまったのかーそのきっかけは入局2年目の夏に遡る。
私は入局後、小さな努力を重ねながらも目立たない地味なアナウンサーだった。
局長のあからさまな贔屓で先輩方に嫌われないように必死でもあった。
しかしその日、私は体調が悪くなった先輩の代わりに初めて朝のニュース番組を担当することになった。
ニュース番組は順調に進んでいたが、終わり際に緊急ニュースが入り、私は原稿を読んだ。
『今朝方、K市内の工場裏で男性1人が重症の状態で発見され、暴行を行った同僚が現行犯逮捕されました。犯人は土木作業の会社員、青山泰人。犯行を認めています。』
私は目の前が真っ暗になった。
最後の文章は声を震わせながら読んでいた。
彼は私が5才の時に別れ、実父に引き取られた双子の弟だったからだ。
実夫が死んだ時に、大企業の跡取りとして厳しく育てられた彼は高校卒業後に失踪したと聞いていた。
しかし大好きな弟はどこかで自由に幸せに生きているとだろうと私は祈ってやまなかった。
番組が終わった後、私は人目を気にせず溢れる涙を流した。
『頑張ったね、咲良ちゃん。お疲れ様。』
そんな私を抱きしめたのは、局長だった。
きっと緊張が解れて泣いたのだと思ったのだろう。
私は彼に慰められ甘い誘惑に乗り、その日から不倫関係は始まった。
私が犯人の双子の姉だということは、誰にも知られなかったし言うこともなかった。
実家から毎日大量に電話が来ていたが、しばらく連絡に応じず私は独り闇に堕ちていった。