魔王と人間
「俺がアイテム……?」
自分がこの世に生を受けた理由に愕然とした。
母さんや父さんと過ごした貧しくも平穏な日々が瓦解していく。
俺が家族の愛を感じて過ごした時間は、奴にとっては器を育てる手間でしかなかったのか?
魔王は冷徹な瞳で俺を見続ける。
「私が4年前に魔王として再び世に出たのは、器を完成させるためだ。魔王が復活して人間の脅威になれば、お前が勇者になるために心身を鍛え成長することは分かっていた」
奴の冷たい瞳が醜くゆがんだ。
「父さんの期待によく応えてくれた。うれしいぞ」
俺が勇者になったのも奴の思い通りだというのか?
今までの努力や情熱は、魔王の器になるための過程にすぎなかったのか?
人類を救いたくて勇者になったことは、全ては奴に仕組まれたことだったのか?
俺の人生や未来は全て魔王に宿命づけられていたのか。
それじゃあ、それじゃあ……。
「いったい、俺は何者なんだ!?」
体の震えが止まらず、ついには手にしていた剣を落としてしまう。
「俺はどうすればいいいだ!?」
惨めにもその場にうずくまる。
すると、震える背に誰かがそっと手を置いた。
「ご主人様はご主人様だよ」
メルだった。
「ご主人様は人間で勇者で、優しくて強くて、少し自信過剰でおっちょこちょいだけど、そのままでいいんだよ」
メルは俺の隣で片膝をついた。
顔を横に向けると、メルの優しい顔があった。
「だからメルは大切なご主人様を魔王なんかにあげないよ」
メルはそう言うと、にっこりとほほ笑んだ。
その笑顔を俺に残すと、メルは立ち上がって魔王と向き合う。
「ご主人様を悲しませる人は許さない!」
メルは拳を握った。
「その一言に尽きますわ。さすがメルさんです」
メルの隣にクレンが歩を進め、魔王に右手をかざした。
「こういう毒親は即刻、排除すべきだな」
クレンの横に、黒いツインテールの少女が立ち並ぶ。
「なんかもう我慢の限界って感じだよね~」
ライナがキョウの隣で金色のオーラを発した。
横一列に並んだ4人の向こう側には、漆黒の障気を放つ魔王がいる。
「ふむ。この雰囲気は過去に感じたことがあるな」
魔王は値踏みするように4人を見比べた。
「なるほど、聖剣に禁忌の魔道書、それに冥府の竪琴と竜王の逆鱗が人と化したか。いや、元の姿に戻ったというべきか。よかろう。相手になってやる」
突如として魔王の頭に雄羊の大きな角が生じた。
そして、大きく避けた口には鋭い牙が生えそろう。
瞳の色は真っ赤に染まり、爪は黒色に変化した。
人間らしい姿は消え去った。
まさしく悪魔そのものの姿だ。
これこそが奴の本性なのだろう。
だが、メルたちはひるまない。
「最初から全力で行くよ!」
メルが魔王に突進した。
その身は一瞬にして魔王のそばへと躍り出て、手刀が疾風の如く魔王の首に振り下ろされる。
が、魔王は首の動きだけで、メルの手刀をかわしてしまう。
「いかに強力な攻撃といえども、当たらなければ無意味だ」
メルの無防備の腹に、奴の強烈な蹴りが炸裂した。
悲鳴を上げる間もなく、メルの体が吹き飛ばされる。
銀色の身が凄まじい速度で俺の頭上を通り越した。
そして、はるか後方で大きな衝撃音が生じた。
「メル!」
助けなきゃ!
ようやく立ち上がった俺の横で、クレンが魔法を完成させていた。
「創造と破壊の主よ。全てを飲み干せ!」
クレンが両手を魔王に向けた。
その途端、魔王の頭上に大きな暗黒の球体が出現した。
球体が唸り出すと、魔王城全体が巨大地震を受けたごとく震えだした。
「星すら吸い込む時空のゆがみです!」
クレンが勝ち誇って言った。
だが、魔王は平然としている。
「よい魔法だが。私相手には相性が悪い」
魔王はニヤリと顔をゆがませると、人さし指を立てた。
奴の指先に小さな白い球体が出現した。
その白い球体が指から離れ、黒い球体に触れる。
途端、黒い球体は音もなく消え去った。
「なっ!?」
驚くクレンの前には、いつの間にか魔王が放っていた別の白い球体があった。
「危ない!」
俺はクレンに向かって手を伸ばす。
だが、その手は空を切ってしまう。
俺の手がクレンに届く寸前に、白い球体がクレンの体に衝突した。
クレンの体は、電撃に弾かれたように跳び上がると、そのまま床に倒れ込んだ。
「クレン!」
慌てて駆け寄る俺のそばで、キョウとライナが同時に言葉を発した。
「冥府の王よ! 万物の穢れを引き受けろ!」
「我は竜王! 青き空に君臨する金色の守護者なり!」
キョウの前の床に、巨大な右腕が出現した。
肌はただれ、その肉はどろどろに腐敗している。
冥王の右腕だ!
その隣には、金色のドラゴンへと変化したライナがいた。
無数の金色の牙をむき出しにしたまま、金色のドラゴンが翼をはためかせ猛進する。
竜王の牙が魔王の右半身を襲った!
それと同時に、冥王の右腕が魔王の左半身に殴りかかった。
冥王と竜王の同時攻撃。
「ぬるい」
魔王は両腕を広げた。
――ガッ!
魔王の右手の先で、ライナの牙が止まった。
そして、魔王の左手は冥王の拳を難なく受け止める。
よく見れば、竜王の牙と冥王の拳をそれぞれ指1本で抑え込んでいる!
「嘆かわしい。2千年の間に竜王も冥王もここまで弱くなったか」
魔王はわざとらしく吐息した。
「息子との儀式を邪魔しないでもらおうか」
奴が右腕を振り上げると、ライナの巨躯が弾かれた矢のごとく天井に叩きつけられた。
その衝撃でライナの体が人間の姿に戻る。
ライナはそのまま床に落下すると、動かなくなった。
「この汚らわしい腕は返すぞ」
魔王が左腕を振るう。
すると、冥王の右腕は抵抗すらできずに吹き飛ばされた。
その巨大な腕が弾き飛んで来る軌道の先には、キョウがいた!
「キョウ!」
俺はキョウに飛び付いて助けようとしたが、間に合わない!
冥王の巨大な腕は、小さなキョウにぶつかってしまう。
その途端に冥王の腕は消え失せる。
その場には、床にうつぶせになって倒れるキョウだけが残った。
「キョウ! しっかりしろ!」
慌てて駆け寄って抱き起こすが、意識がない。
「クレン! 大丈夫か!?」
そばで倒れているクレンに声を掛けるが、返事はない。
「ライナ! 動けるか!?」
前方に横たわるライナに向かって叫ぶが、動かない。
「メル! 聞こえるか!?」
はるか後方に向かってすがるように声を発した。
俺は、自分がいつの間にか涙声になっていることに気付いた。
そして、いつものメルの朗らかな声は聞こえてこなかった……。
「みんな、すまない……」
出発前に母さんが「5人一緒に戦いなさい」と助言してくれたのに、俺が不甲斐ないばかりにまとまって攻撃ができなかった。
いや、たとえ5人一斉に攻撃したとしても、見せつけられた魔王の力を打ち破れるとは思えなかった。
俺はスキル「能力値開示」で魔王の戦闘力を測る。
――33万3333。
まさに圧倒的だ。
不死身の二つ名にふさわしい。
その体が朽ちかけているというのが本当ならば、万全の状態ならば神々すらも凌駕するだろう。
俺には到底、勝ち目はない。
だが、それでも……。
――メルとクレン、キョウとライナを守る。
俺はキョウをそっと床に寝かせると、涙をぬぐって立ち上がった。
そんな俺に向かって魔王は哀れみの表情を浮かべた。
「息子よ。無駄なあがきは醜いだけだぞ」
俺は魔王の醜悪な顔を真っすぐに見つめ返す。
「勝てないのは分かっている。だが、メルたちが逃げる時間をかせぐ」
「逃げる? すでに4人とも手遅れだ」
奴の顔が嬉しそうにゆがんだ。
恐ろしい言葉に魂が凍り付きそうになる。
だが、懸命に魂を振るわせて、その冷酷な悪魔の声を振り払う。
「まだ生きている。俺が死なせない!」
俺は床に落ちた剣を拾うと、その切っ先を再び魔王に向けた。
そして、ありったけの攻撃と守備、魔法系のスキルを全開にした。
身体強化、千里眼、跳躍、雷耐性、武威、速度強化、魔力増強、カウンター、炎耐性、解毒……。
「おぉおおおお!!!!」
自分の内側から爆発的に力が解放されていくのが分かった。
俺の中に、まだこれほどの力が眠っていた事実に驚かされる。
だが、これではまだ足りない!
もっと強く!
もっと、もっと強くなるんだ!
力だ!
俺に力をよこせ!!!!!!!
気付くと全身が黒いオーラに包まれていた。
ひどく気分が悪い一方で、体はこれまでになく軽い。
まるで、何かの封印が解けたかのようだ。
「ど、どこまで強くなれた……?」
俺はスキル「能力値開示」で自分の戦闘力を測る。
――2万4933。
3倍だ。
元の戦闘力8311から3倍になった。
まだまだ魔王の戦闘力の足元にも及ばないが、あがらうぐらいはできる。
いや……まて……。
……3倍?
俺の脳内で、あの時のケイオスの声が響く。
――魔族には魔王様の血が流れている。この血の力によって、俺たち魔族は魔王様から巨大な恩恵を受けている。
――魔王様の障気の力によって、俺たち魔族の力は今、通常の3倍になっている。
魔王の血の力で能力が上がる……。
今の俺は、まさにその状態ではないのか?
俺は、自分の中の魔王の血を目覚めさせてしまったのではないのか?
その時、魔王の顔に歓喜が広がったのが分かった。
「さすが我が息子だ。私が魔の力を解放する前に、自ら解放するとはな」
魔王の口から長く赤い舌が出てきて、チロリと口元を舐めた。
「これで魂を移す儀式の準備はできた」
全身に悪寒が走った。
それと同時に、心臓を鷲づかみにされたような激痛を感じる。
加えて、さっきまで軽かった体が一気に重くなる。
気分はさらに悪くなり、臓腑が裏返るかのような吐き気が襲ってきた。
何よりも体が思うように動かない。
俺はその場で崩れ落ちるように、両膝を床につけてしまう。
……立てない。
まるで自分の体じゃないみたいだ。
再びケイオスの言葉を思い出す。
――俺たち魔族は魔王様から強力な力を得る代わりに、血の支配を受け入れた。
支配……。
もしや、魔王の意志に俺の体が、いや俺の血が反応しているのだろうか。
「さあ、儀式を始めよう」
魔王の声が下腹に響いた。
俺はせめて顔を上げようとするが、それすらも叶わない。
「や、やめろ……」
僅かに口を動かせるだけだ。
「心配するなすぐに終わる」
奴の足音が近づいてくる。
「私の魂がお前の体に入った途端、お前の魂は消滅するが、安心しろ痛みはない」
魔王が俺の直前まで来た。
腕が動くのならば、まさに手が届く範囲だ。
「新しい体を手に入れたら、人間はすぐに皆殺しにしてやる」
魔王は喜々とした声を上げた。
「都合よく諸国の精鋭がそろっていて手間が省ける」
人類の連合軍が魔王城近くまで進軍できたのは、やはり魔王の意志だったのだ。
俺は魔王の声を聞きながら絶望を感じる。
やはり、魔王の器になるという宿命からは逃れられないのだろうか。
魔王は冗舌に語り続ける。
「これで勇者は死に。すでに聖剣もない。残るは、しぶといだけが取り柄の人間のカスどもだけだ」
――人間ども。
奴のこの言葉だけが妙に頭に響いた。
そして、母さんの声を思い出す。
――アラン。いいわね、お母さんの子として、人の子として必ず戻ってきなさい。
そうだ。
俺は母さんの子だ。
人の子だ。
魔族なんかじゃない。
俺は人間だ。
俺は再び口を開く。
「貴様の思い通りにはさせない……」
「まだ話す余力があるのか。感心だが、もう終わりにしよう」
魔王の右腕が俺の胸ぐらをつかんだ。
圧倒的な力によって体が引き上げられる。
すぐ目の前に、魔王の顔があった。
その口は裂け、黒い毛に覆われ、巨大な角が生えていた。
やっぱり、悪魔に似ている。
しかし、その赤い瞳と高い鼻に父さんの面影を感じた。
ああ、やはり、俺は魔王の子なんだと実感する。
俺の体内には、魔王の呪われた血が流れている。
でも……消してやる!
残る力を振り絞って叫ぶ。
「スキル『擬人化』!!!!」
俺は、自分自身にスキル「擬人化」をかけた!
途端、俺の体が七色に光り輝く。
「こ、この光は!?」
魔王は戸惑う声を発した。
俺はその声を聞きながら、自分の体からありとあらゆる力が抜け落ちていくのを感じた。
攻撃力、守備力、素早さ、運、スキル……。
これまで積み上げてきた全ての力が俺から離れていく。
だが、これでいい。
俺は普通の人間になるんだ。
それは、俺が「魔王の器」ではなくなることを意味していた。




