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交渉決裂

 悩ましげに眉をひそめていると、ケイオスが話し掛けてきた。

 その瞳は、相変わらず俺の目を食い入るように見つめている。

「だからよ、アランたんにお願いがあって来てもらったぜ」

 

 そう言えば、最初にそう言っていたな。

「どんなお願いだよ」

「このまま撤退してくれねーかな」


「撤退?」

「このいくさ、魔族が勝つにしても、この面子めんつの人類や竜族とガチでやりあったら相当の死者が出る」


「そうだな……人類側も壊滅的な被害が出るだろうな」

「だからさ」

 ケイオスはさらりと言ってのける。

「引き分けってことで、このまま撤退してくれねーかな」

 

 素直に驚いた。

 常に俺と人類に好戦的だった剣魔将軍ケイオスとは思えない行動だ。

 なんだ?

 策略か何かか?


「魔王がそう言っているのか?」

 俺はいぶかしげに尋ねた。

 しかし、ケイオスは首を振った。

「これは俺の独断だ」


 ケイオスによると、魔王どころか、他の魔将軍や3邪賢者たちの同意も得ていないという。

 魔王軍の幹部たちは、むしろ好戦的で一刻も早く連合軍と刃を交えたがっているらしい。

 そして、ケイオスは、連合軍に会戦の時刻を告げる使者になると幹部たちに嘘をつき、この場所にいるのだという。


 ケイオスどうした?

 お前にしては真っ当な行動じゃないか。 

 それに、お前は自他共に認める魔族一の戦闘狂いだろ?


「戦闘を避けたがるなんて、ケイオスらしくないと言えば変かな?」

 その問いに、ケイオスは少し恥ずかしそうに頭をかいた。

「俺が戦いで死ぬのはかまわねーんだが……レイアスが死んだら不憫だと思ってな」

「そうか……」


 俺はケイオスによく似た青い髪の美しい少女の姿を思い出した。

 吸血の魔剣が擬人化したレイアスちゃんは、ケイオスを兄と慕っている。

 レイアスちゃんと一緒に時を過ごすうちに、戦いの喜びしか知らなかったケイオスの心に新しい感情が芽生えたのだろう。

 それは、きっと愛情という名の温かな心だ。


「勇者で大将軍のアランたんなら連合軍を撤退させられるよな」

「……できる、と言いたいところだが、即答はできない」

 俺は連合軍を率いる大将軍を務めているが、それはあくまでも名目上のものだ。


 各部隊の直接の指揮権は、それぞれの諸国にある。

 そして、魔王軍と同様に、連合軍内には魔王軍撃破に燃え、血気にはやる諸侯が多い。

 だが、ケイオスの提案に乗らなければ壊滅的な被害をこうむると分かった以上は、撤退を進言するのが最善だ。


「撤退するように説得してみるよ」

 俺はケイオスに頷いて見せた。

「おう、任せたぜ」

 ケイオスは安心したように笑った。


 その笑顔を見て、俺の胸中に込み上げてきた感情があった。

 ――もし、ケイオスが魔族じゃなかったら、いい友達になれたかもしれないな。

 こいつは、底抜けにバカだが、決して悪人ではないことは、何度も刃を交えた俺が一番知っている。 

 

 ――ケイオスと友になるには、これが最後の機会かもしれない。

 そう思った途端、とっさに言葉が出ていた。


「なあ、ケイオス。連合軍が撤退した暁には、俺のパーティーに合流しないか」

「うん? どういう意味だ?」


「剣魔将軍なんて辞めて、レイアスちゃんと2人で俺の仲間になってくれ」

「魔王様を裏切れってことか?」


「そうだ。裏切った上に魔王と戦えとまでは言わない。レイアスちゃんと2人で森の奥にでも隠遁して、静かに暮らせばいい。2人の安全は俺が守る」

「へえ、アランたんが守ってくれるのか。それは安心だ。そっちの方が、レイアスは幸せに暮らせそうだな」


 だが、そんな肯定的な言葉とは裏腹にケイオスは悲しげに笑って見せた。

「でも、無理だな。俺たちは魔王様を裏切れない」

「どうして?」


「さっき言った血の契約……」

「魔族の先祖が魔王と結んだっていうやつか」


 ケイオスはこくりと頷いた。

「俺たち魔族は魔王様から強力な力を得る代わりに、血の支配を受け入れた。俺の血を継いでいるレイアスもその支配を受けている」

「血の支配ってのはなんだ?」


 ケイオスは淡々と言葉を続ける。

「魔王様を裏切った魔族には死よりも重い罪が待っている。肉体は死に絶え、その魂は永遠に煉獄をさまよい続ける」

 

 煉獄は天上界と冥府の中間にあるとされる世界だ。

 その世界は浄化の炎によって満ちているとされる。

 浄化の炎を浴び続けるのは、魔王の血を継ぐ魔族にとってはまさに地獄の苦しみだろう。


「俺の魂が煉獄に行くのはかまわねーんだが。レイアスが行くのはかわいそうだろ?」

 ケイオスはわざとらしく明るく言ってみせた。


「……そうか」

 俺は自然と伏し目がちになった。

 それほどの宿命が待っているのならば、魔王を裏切ることなどできるはずはない。

 魔族が魔王に絶対服従する理由を初めて知った。


「何も知らずに、簡単に裏切れとか言って悪かったな」

 ケイオスは、俺の言葉を聞いて笑顔を浮かべた。

「全然、気にしてないぜ。それよりも、仲間に誘ってくれてありがとうよ。嬉しかったぜ」

 その笑顔はとても清々しくて、魔族の凶悪さなど微塵も感じられなかった。


「こっちこそありがとうなケイオス。魔王軍の力が3倍になっている事実を教えてくれて」

 俺もケイオスに礼を言った。

 魔王軍の力が3倍になっている情報を俺に伝えたのは、魔王軍の幹部としては褒められたものではない。


「その情報がなきゃ、諸侯を説得できねーだろ」

「確かにな」


 ケイオスは笑みを止め、再び真顔に戻った。

「魔王軍が決めた開戦の時刻は、明日の日の出から1時間後だ」

「それまでに撤退しろってことだな」


「そういうことだ」

 ケイオスは頷いた後、くるりと反転した。

「じゃあな、アランたん。頼んだぜ」


「任せておけ」

 俺はケイオスの黒い甲冑かっちゅうの背に声を掛けた。

 ケイオスはその声に答えるかのように右手を上げた。


「任せた。だが、もし、戦いが避けられねーんなら、そん時は正々堂々とやり合おうぜ」

「ふっ、俺が任せろと言った以上は、そうはならん」

「期待してるぜ」


 ケイオスはゆっくりと自軍に向かって歩き出した。

 俺は、ケイオスが自分の陣地に無事にたどり着いた様子を確認してから魔王軍に背を向けた。

 連合軍の陣に歩を進めつつ、俺の心は勇んでいた。


 ――この大戦を必ず止めてみせる!


 俺はさっそく諸侯を招集した。

 そして、居並ぶ列強の王族や将軍たちを前に名誉ある撤退を提言し、大いに促した。

 

 俺は戦闘力が3倍になった魔王軍と正面からぶつかり合う愚かさを指摘。

 大きな被害が生じる前に陣を引き払う勇断を求めた。

 リューイやヒルダさん、ミアサら「希望の7人」も俺の提案に賛同してくれた。


 だが……俺の説得は失敗した。

 魔王軍撃破に燃える諸侯たちを止められなかった。

 それどころか、諸侯から雨あられの弾劾を受けた。

 曰く「勇者殿は魔王軍と内通したのか」「みすみす策略に乗る必要はない」「開戦の時刻など知ったことか。夜討ちを仕掛けるべし!」などなど。


 一度火がついた戦争の発端は、神にすら止められぬとさえ思えた。

 俺ができたことは、後世に卑怯者の汚名を残さぬように、魔王軍が指定した開戦の時刻を守るという言質を得ることだけだった。

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