お風呂回
――かっぽーん。
浴場で起きる音といえば、どの国に行ってもこれだ。
お約束である。
「いい湯じゃないか」
俺は大理石で造られた大浴場に裸の体を漬からせた。
ベルドの温泉は、白濁色でほぼ無臭という泉質だった。
「あー、気持ちいい」
温泉の温かさが体と心をほぐしていく。
「王族は毎日、こういう風呂に入れていいよな」
あまりの気持ちよさに目をつぶる。
そして、意識を深く深くリラックスさせた。
これがいけなかった。
――チャプン。
左隣から湯のはねる音が聞こえた。
チャプン?
目を開けて左を向くと、よく知った顔がほほ笑んでいた。
「メル!!!! おまっ、何やってんだ!?」
銀髪の長髪を頭の上で束ねたメルが隣にいた。
「何って、お風呂に入りに来たんだよ」
くったくなく笑うその顔は、いつものようにかわいらしい。
いつもと違うのは、白い首筋ときれいな鎖骨があらわになっていることだ。
透き通るような肌が、水滴ごしに輝いている。
もっと下は……って、見ちゃだめだ!
俺は慌てて顔を右に向けた。
本当はちょっとだけ、鎖骨より下を見てしまったのだが、白濁色の温泉に漬かった部分はよく見えなかった。
「ちゃんと使用中っていうカードを表に出しておいただろ。見えなかったのかよ」
「見たけど、ご主人様ならいいかって思って、入ってきたんだよ」
そう言いながら、メルが俺の方に近づいてきたのが分かった。
俺はその分、自分の居場所を右側に移す。
「風呂っていうのは、男女で一緒に入るもんじゃないんだ。お、お互い裸だろ!」
「でも、メルはご主人様とならいいよ」
メルがまた俺の方に近づいてきたので、その分だけ右にずれた。
「もうっ! どうしてメルから離れるの!?」
「だって、くっつくのダメだろ!?」
「いつもギュッとしてるもん」
「服とか鎧越しなら、まだいいんだ!」
「メルはご主人様とならいいもん」
「お、俺がダメなんだってば!」
「じゃあ、こういうのならいい?」
少し甘ったるい声とともに、俺の左手が何かが触れた。
メルが俺の左手を自分の右手で握ったのだ。
「手と手だけでギュッとするならいいでしょ?」
メルの朗らかな声が後頭部から聞こえた。
「……あ、ああ」
と、努めて冷静に返事をした。
本当は心臓がドキドキで大変なことになっていた。
だって、メルの右手と俺の左手は指と指が1本ずつ絡み合っている。
いつものギュッよりも、もっとメルを感じる。
メルの肌はスベスベだ。
さらには、俺たちの指の隙間に温かくヌルっとした温泉が入り込んでくる。
スベスベとヌルヌルで妙にソワソワする。
手の平を通じて、メルの気持ちが俺に入り込んでくる感じがする。
「温泉って、気持ちいいね」
俺の気持ちの高ぶりなど知らないメルは、いつものように話し掛けてきた。
「メルは、人間になれて本当に幸せだよ」
「そ、そうか。良かったな」
「うん。それにね、もっと良かったことがあるよ」
「な、なんだよ」
「ご主人様とずっと一緒にいられることだよ」
「そ、そうか……」
メルの方を向いていなくても、今、メルがにこやかにほほ笑んでいることが俺には分かった。
「メルを人間にしてくれたのが、ご主人様で本当に嬉しいんだ」
「そ、そうか……」
「だから、ご主人様となら、してもいいなって思うんだ」
「えっ、何を?」
思わずメルの方を振り向いてしまった。
そして、驚いた。
俺の方を見たメルは目をつぶって、軽くあごを上げていた。
その頬は、ほんのりと朱に染まっている。
こ、これはああああああ、せ、接吻、く、口づけをせがまれているのか!?
いくら奥手の俺でも、それぐらいは分かる!
湯気のせいか、メルの形のよい唇がしっとりと濡れている。
その美しい桃色の輝きに吸い寄せられそうになる。
――だが!
――だが、しかしだ!
俺は勇者だ!
魔王を倒す前に恋愛にうつつを抜かす訳にはいかない。
人類の存亡が懸かっているんだ!
「そ、そういうのは、結婚式でやるものだ」
俺は心を鬼にして再び右を向いた。
「結婚式?」
メルがきょとんした声を上げた。
「メルと結婚したら、キスしてくれるの?」
「おう」
「いつ結婚するの?」
「魔王を倒したらな」
ここまで言って、これではプロポーズと同じではないかと気付く。
いや、気持ちは本音なのだが、こういう成り行きで言う言葉ではない。
「さ、さっきのは勇者としての一般論だから……」
急激に顔が真っ赤になるのと、
「ご主人様、大好き!」
とメルが俺に抱きついてくるのは同時だった。
「だ、だから、裸はダメなんだよ!」
「え~、いいじゃん別に」
俺は絡み付いてくるメルの手を何とか振り払い、ほうほうの体で湯船から浴室に這い上がった。
そして、腹ばいの状態から起き上がろうとして、目の前に2人の人影があることに気付いた。
立ちこめる湯煙で体全体は見えない。
しかし、顔ははっきり見えた。
クレンとキョウとだった。
「……我が君。女の子にあそこまでさせておいて、手を出さないなんてがっかりです」
クレンが無念そうにため息をついた。
「しかも、ちゃんとまとめたかと思ったら、最後に一般論とかぬかしおったな」
キョウが苛立たしげに眉根を寄せた。
「うわあああ、なんで2人がいるんだ。し、しかも裸じゃないか!」
2人の姿は湯煙でよくは見えないが、何となく裸であると分かった。
「風呂に入るのに裸なのは当たり前だ!」
湯煙の向こう側からキョウの右足が突如として現れた。
俺のあごを狙ったローキックであると分かった。
が、少々のぼせていたのと、メルに両足をしっかりと握られていたことで反応が遅れた。
――ガッ!
激しく脳が揺さぶられる感覚とともに、俺は意識を失った。




