英雄たちの後日談
「よがったじゃねーか」
ヒルダさんが俺の報告を聞いて涙声になった。
修道服からハンカチを取り出し、涙を拭き、チーンと鼻をかんだ。
魔王軍との戦闘の後、オアシス都市バクラから砂漠トカゲと馬車を乗り継いで聖都クリシュに戻った俺は早速、バクラでの出来事をヒルダさんに報告した。
死者復活の真相とバクラの人たちを襲った悲劇と、その後の奇跡、そして母と子の再会について。
ヒルダさんは、ラディンが生き返った母親と抱き合ったことを聞くと、ポロポロと涙を流して我がことのように喜んだ。
「かーちゃんが戻ってきてよかったなぁ」
そんなヒルダさんの笑顔を見て、俺は少し気になった。
「でも、死者復活は大地母神の教義に反するって言ってましたよね。本当にこれで良かったんですかね」
「細けーことはいいんだよ。一人の子どもが救われたんなら、教義なんぞクソ食らえだ」
そう言うと、ヒルダさんあっけらかんとした様子で笑った。
こういうざっくばらんとした臨機応変さがヒルダさんのいいところだな。
今、ヒルダさんの部屋にはメルとクレンはいない。
2人とも大聖堂の休憩室で、ヒルダさんが山のように焼いてくれていた菓子を食べている。
メルとクレンにとっては、長旅の疲れが吹き飛ぶこの上ないごちそうだ。
「さて、アラン。バクラの一件は片付いたから良しとして、問題はこれだ」
ヒルダさんはそう言うと、椅子に座る自分の両ひざに視線を移した。
「そう、問題はこれですよね」
俺もヒルダさんの視線の先を見つめた。
そこには軍服のような服を着た黒髪少女が鎮座していた。
ヒルダさんの膝の上にチョコンとお尻を乗せ、機嫌良くほほ笑んでいる。
そして、ヒルダさんを振り返ると、さらに口角を上げた。
「おい、さっきみたいに余をなでなでしてもよいぞ」
「はい、はい」
ヒルダさんは言われるがままに、再び前を向いた黒髪少女の後頭部を優しく何度もなでた。
「くっふふふ」
なでられるたびに、少女の顔に喜色が広がっていく。
随分とヒルダさんのことがお気に入りのようだ。
なぜにこのような事態になったのかと言うと、俺が少女をヒルダさんに紹介した時にさかのぼる。
「冥府の竪琴を擬人化したら、こんなのが出ました」
と雑に紹介したら、ヒルダさんが例の如く少女をギュッと抱き締めた。
そして、「小っちゃくて、かわいいじゃねーか」と言って頭をなでなでしたのだ。
どうやら、その行為がいたく少女の琴線に触れたらしい。
「もっと存分になでなでするがいい。言っとくけど、特別だぞ」
「はい、はい」
ヒルダさんは疲れているだろうに、ほほ笑みながら手を動かし続ける。
まさに聖母!
ヒルダさんが女の子に向ける慈愛を、少女は自分への特別な好意として受け取っているようだ。
どうやら黒髪少女は、自分に向けられた好意には好意を、敵意には敵意を返すようだった。
それも相手が向けた気持ちの100倍返しでだ。
自分を擬人化したことを敵対行為と見なした時は、全世界人類の敵ばりの敵意を抱き。
俺の「抱く」という発言を求愛と受け取った時は、己の操を差し出す決意をするほどに好意を持った。
ともに凄いのは、取っ掛かりとなった俺の言動の意味をまったく理解していないことだ。
こういう子ってツンデレって言うんだっけ?
いや違うな、もっとややこしい性格だ。
やっぱり勘違い狂犬娘だな。
「おい、アラン。まだ、この子の名前を聞いてなかったな」
ヒルダさんが黒髪少女をなでながら目を細めた。
「かわいい名前をつけてあげたのか?」
その一言に狂犬少女が嬉しげにウズウズした様子で俺を見た。
「まだヒルダに余の名前を告げていなかったのか。さあ、すぐに教えてやれ」
「はい、はい」
俺はヒルダさんに少女の名を告げる。
「キョウです」
「いい響きだな」
ヒルダさんが感心したような声を上げた。
「で、あろう! で、あろう!」
キョウが満面の笑みでヒルダさんを振り返った。
「アランが付けてくれたのだ。余はいたく気に入っている」
ちなみに、俺がキョウという名前を発表した途端、キョウの俺の呼び方は、貴様から呼び捨てに昇格した。
「それにしてもキョウって名前は珍しいな。聞いたことがない響きだ」
「えーと、東方の最果ての国の首都の名前らしいですよ」
俺はほほ笑みながら、ヒルダさんの疑問に答えた。
嘘です。本当は狂犬のきょうです。
「その最果ての国という響きも、余はいたく気に入っている。まさに冥府出身の余にふさわしい」
キョウが満足げに頷いた。
俺は再び笑みを作った。
ごめん。本当は狂犬のきょうなんだ。
そうやって優しげにほほ笑む俺を見たキョウが小さな唇を開いた。
「まったく、そんなに余を抱きたいのか?」
「はい?」
「そのように情欲に満ちた眼差しを余に向けるとは無礼千万ではあるが……と、特別に許してやってもいいぞ」
キョウは顔を真っ赤に染めると、上着のボタンを一つ、二つと外し始めた。
「ちょ、ちょっと待て! 俺はそんなつもりでキョウを見たんじゃない。どっちかというと、かわいそうな感じで見たんだぞ!」
「恥ずかしがりおって。よ、余はアランに操を捧げる決意をすでにしておるのだ」
「なんでそうなるんだよ!」
俺が壮大に突っ込むのと、どす黒い殺意が前方から湧き上がるのは同時だった。
「おい、てめー、アラン」
ヒルダさんはキョウを抱きかかえてベッドに置くと、代わりにメイスを持って俺に向き合った。
体が怒りで震えている。
「まさか、こんな幼女に手を出すとはな。死刑だな。八つ裂きになってから、わびろや」
「八つ裂きにされたら謝罪できませんが……」
「なら、細切れになれや!」
俺の頭を目がけてうなるメイス!
だが、余裕でかわす俺!
その行為がさらにヒルダさんを怒らせる。
「てめーは、いつもいつも余裕こきやがって……」
「なんか、さーせん」
「チッ、お前に鉄拳制裁を与えられる奴がいればいいのに……」
ヒルダさんが怒りにまかせてつぶやくと、ベッドの上から自信満々な声が上がった。
「そんなこと、余なら簡単だ!」
キョウはそう言うと、右手をかざし、とんでもない事をのたまった。
「冥府に眠る英雄豪傑に告ぐ、余の前にいにしえの姿を現せ!」
途端、「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおお」という臓腑を振るわせる大音量が地の底から湧き上がってきた。
そして、部屋が真っ白な光に包まれた。
次の瞬間には、信じ難い光景が目の前に広がっていた。
部屋の中にディアさんがいた。
それだけではない。
ディアさんの両脇には、人間の戦士や魔法使い、エルフやドワーフなど合わせて7人が並んでいる。
みんな目をつぶっていた。
ディアさんだけは目を開いていて、俺を見つけると驚いたように片手を上げた。
「あら? アラン殿。確かにお別れしたはずですよね。もしかして、魔王にやられて、死んだのですか?」
「いや、ディアさんがまたよみがえっているんです……」
「あら? どうしてかしら……えっ? あなたたちは」
慌てて周囲を見回したディアさんの表情が驚愕と歓喜に満ちていった。
「2千年ぶりね! 元気だった?」
ディアさんがそう呼び掛けると、戦士たちはハッと我に返ったように目を開いた。
そして8人は、口々に再会を喜び合う言葉と抱擁を繰り返した。
「あの……ディアさん、その方々たちは」
「仲間です。2千年前に勇者様と一緒に戦った仲間です!」
ディアさんが美しい顔をほころばせた。
おい、ということは、目の前にいる8人は……。
「2千年前に勇者の仲間だった8英雄!?」
俺の声にヒルダさんも「マジかよ!」と驚く。
8人ともが伝説どころか神話の世界の人たちだ。
その神のごとき人たちに向かって、キョウは再びとんでもない事をのたまった。
「おい、そこの8人。余の意のままにせよ」
キョウの言葉が終わった途端、ディアさんたち8英雄が俺の方を向いた。
あろうことか、ディアさんは戦闘態勢を取り、戦士は刀を構え、魔法使いは杖をかざした。
「あの……ディアさん?」
「ごめんなさい。体が勝手に……」
ディアさんも困惑している。
「キョウ! ディアさんたちに何をした。何かしていい人たちじゃないんだぞ」
「うん? なでなでしてくれたお礼に、ヒルダの願いを叶えてやろう思ってな」
「叶えるって、どうやって?」
「簡単だ。死者は余の命令に絶対に逆らえぬ」
「へえ、そうなんだ……」
これからの展開が予想できた俺の背筋に冷や汗が流れた。
一方で、ヒルダさんの顔は喜びに満ちていく。
「アラン殿なら大丈夫ですよ」
ディアさんは仕方がないから許してねという感じで笑った。
おい、その笑顔、超怖いんですけど。
冷や汗が顔面にだくだくと流れる。
それを見たキョウが得意げに言った。
「8英雄よ。勇者アランに鉄拳制裁を食らわせろ!」
キョウが右手を振り下ろすと同時に英雄8人が俺に総攻撃をかけてきた。
俺にできることはただ一つだけだった。
逃げることだ!
全速力で部屋を出て、全身全霊で大聖堂の廊下を駆けた。
「待て勇者!」
「お手合わせ願おう!」
「現代っ子は根性が足りんな」
「つーか、2千年ぶりに走るって、楽しいんですけど!」
「ということで、もっと走れ現代勇者!」
必死に逃げる俺の背中に英雄達の楽しげな声が降り掛かった。




