逃げるが勝ち?
慌ててスキル「飛翔」で飛ぶ方向を冒険者ギルドの屋上へ変更。
そこでじっと幽魔軍の軍勢を見つめていたラディンを抱きかかえ、神殿前の広場に戻った。
「敵だったの?」
メルがあくまでものんびりとした口調で話した。
いつも動じないのは立派だが、今回はもっと焦ってほしい。
幽魔軍が再び細菌魔法を使うと、ラディンの命が危ない。
「メル。急いでこの街から脱出するぞ! スキル『飛翔』で一気にヒルダさんが居る聖都まで戻る。付いて来い」
聖都は大地母神エルネの加護が強い土地なので、アンデッドモンスターが主力の幽魔軍は近づけない。
あそこほど安全な逃げ場所はない。
「それはいいけど、ラディン君は飛べないよ?」
「俺が抱えていく!」
「僕は行かない!」
右腕に抱えたラディンが急にジタバタと暴れ出した。
「放してよ! お母さんと街のみんなの敵討ちをするんだ!」
少年の顔は憤怒と恨みに満ちていた。
いかんな。
8英雄のディアさんに教わったことをさっそくに忘れている。
本当に強い心を持った者は、一時の感情に行動を支配されないのだぞ。
「放してよ!」
「駄目だ!」
「放せって!」
「駄目ったら駄目!」
「放せよ、アホ勇者!」
「だあ、聞き分けろよ!」
ここは強引にでも大人しくさせるしかない。
俺は睡眠の魔法をラディンに向かって唱えた。
ラディンの力が途端に抜け、すぐに寝息を立て始めた。
よし、問題は片付いた!
「メル、行くぞ! これからクレンの呪縛魔法を解くから、メルが抱えてやれ」
「もう1人はどうするの?」
メルが指さした方向には、呪縛されたままの前髪パッツン、黒髪少女がいた。
相変わらず俺に激しいメンチを切っている。
正直、あの子はここに置いていきたい。
だって、一緒に連れて行っても確実に俺に危害を加えそうだもの。
しかし、このままにしておくと、幽魔軍が擬人化した冥府の竪琴を手に入れることになる。
それは避けなければ。
「あの子は俺が抱く」
そう言って決意を込めて少女を見ると、急に頬を真っ赤に染めて必死に首を振った。
なんだ?
空を飛ぶのが怖いのか?
「安心しろ。怖かったり痛かったりはしないから」
俺は優しくほほ笑んでから、黒髪少女の呪縛魔法を解いてやった。
そして、彼女を抱きかかえようと歩を進めると、少女は尻もちを付いたまま後ずさりをした。
こちらが進むと、その分だけ後ずさりするので、距離が縮まらない。
「なんで逃げるんだよ!」
すると、少女は思いがけない言葉を返してきた。
「ち、近づくな変態! 余を手ごめにしようとは、この不届き者め!」
顔を赤らめ、恥ずかしそうに俺から視線をそらす少女。
どうしてこうなった?
「えーと、あれか、抱くっていうのはそういう意味じゃないから」
「だ、騙されんぞ! 抱くと言えば、男女の間ではそういう意味だと余は知っておるのだぞ!」
キツい言葉とは裏腹に、両手を頬に当ててまんざらでもなさそうに頷いている。
「……い、いきなりの告白で驚いたが……いいだろう。余の操、貴様にくれてやってもよいぞ!」
自分の言葉が恥ずかしいのか、「キャー」って言って顔を膝に埋める少女。
どうしてこうなった?
「我が君、ズルいですよ! 操を差し上げるのは私からですっ!」
後頭部に重く柔らかい物体を感じた。
そして「ハア、ハア……」という艶めかしい息遣いも。
確認するまでもなく、クレンがその巨乳を俺の頭に押し付けている。
こいつ、俺が呪縛魔法を解いていないのに自由になっていやがる。
ということは、いつでも俺の魔法ぐらい無効化できた訳か。
そうしなかったのは、呪縛プレイとして楽しんでいたからに違いない!
前方に勘違い狂犬少女、後方に性欲MAX変態女。
どちらにも身動きが取れない。
そんな俺にメルが相変わらずにのほほん口調で話し掛けてきた。
「ねえ、ご主人様。今、思い出したんだけどね」
「……何だ?」
「ほら、この街までトカゲ君に乗ってきたじゃない?」
「……そうだな」
「それって、スキル『飛翔』で遠くに行く場合は、クレンを連れて来れなかったからでしょ?」
「……」
「だから、みんなを連れて聖都まで飛ぶのは絶対に無理だと思うよ」
「確かにそうですね!」
俺が落胆とともに絶叫した時には、広場の周囲は最悪の状況に変化していた。
幽魔軍の兵士たちが、俺たち5人を完全に包囲していたのだ。
その数はやはり5千体近い。
兵士たちはみなスケルトンだった。
それぞれに黒い甲冑を着けている。
スケルトンは1体1体が強力なモンスターだ。
しかし、こいつらからは普通のスケルトン以上の魔力を感じた。
とっさにスキル「能力値開示」で1体の戦闘力を測る。
――戦闘力99。
なんと普通のスケルトンの3倍の戦闘力を有していた。
魔王軍の中でもかなりの精鋭部隊に違いない。
戦闘力99のモンスターが5千体ということは、軍勢全体の戦闘力は約50万ということになる。
圧倒的にヤバい状態だ。
勝つことは超絶に厳しい。
どうする俺?
脂汗が額に浮かんできた。
そして、頭が重い。
いや、これはクレンのあれの影響か……。
いい加減にどいてくれないかな……。
あと、黒髪少女が俺を潤んだ瞳で見つめてくるんですけど……。
ここに来て好意全開なんですけど……。
でも誤解を解いたら、最初よりもっと凶暴になりそう……。
そんな悩みを抱え、立ちすくむしかない俺。
すると、
「カッカッカッ!」
という乾いた笑い声が広場に響いた。
クレンをおんぶした状態のまま、その声の方向を見た。
スケルトン兵の中から黒いローブを身にまとったスケルトンが進み出てきた。
そいつが、「カッカッカッ」と笑いながら、フードの奥でむき出しの頭蓋骨を揺らしている。
「お粗末ですね、勇者アラン」
骸骨野郎が俺を嘲笑してきた。
「ケイオスからは歴戦の勇士と聞いていましたが、奴らしい間抜けな見込み違いでしたね」
再び乾いた笑い声。
ほお、俺を愚弄するだけでなく、仲間を見下すのか。
気にくわないね。
「あなたは誰なの?」
いつの間にか俺の左隣に陣取ったメルが小首を傾げながら聞いた。
「これは失礼を。名乗りがまだでしたね」
骸骨野郎はメルに向かって軽く会釈した。
「我こそは幽魔将軍ジーク。いや、もうすぐ死にゆくあなたたちには、名乗りなど不要でしたね」
奴の頭蓋骨がまた揺れた。
嫌みったらしい言動がいちいち鼻につく。
こいつが細菌魔法を使って、街の人を全滅させたのも納得がいった。
よし、決めた。
聖都に逃げるのはもう止めだ。
ラディンに変わって、俺が幽魔将軍ジークを倒してやる!




