格闘家の神髄
いや、それよりも驚いたのは、ディアさんが正気だということだ。
あと、俺の魔法による根の呪縛をどうやって解いたんだ?
「ディアさん。ゾンビになったんじゃ?」
「冥府の竪琴による死者復活には3段階があります」
ディアさんはポチ将軍から目をそらさないまま俺に告げた。
ポチ将軍はディアさんを警戒して動けないでいる。
「第1段階は死者の目覚め。これは死体がそのまま動いているようなもの。生前の記憶はあいまいで、体は死体のままです」
なるほど、最初に街に入った時に出会った人たちはその状態か。
「第2段階は体の蘇生。身体が再び活性化し、能力を取り戻しますが、意識は低下して竪琴の支配下に置かれます」
これが俺たちを襲ったゾンビ状態のようだ。
「第3段階は完全なる復活。身体、意識ともに生前の状態を取り戻します」
今のディアさんは、その第3段階なのだろう。
「つまり、今の私ならば勇者様のお役に立てるということです!」
ディアさんがポチ将軍に向かって疾風の如く襲いかかった。
「……おのれ!」
ポチ将軍が片手を突き出し、水属性の防御魔法を発動させる。
奴の前に分厚い水の壁が出現した。
さっき、俺の攻撃を防いだ中位魔法だ。
しかし、ディアさんは構わずに右の拳を水の壁に叩き込んだ。
その拳が触れると、水の壁は一瞬で霧散して消えた。
「ラディンを離しなさい!」
水の壁を突破したディアさんの右拳をポチが左手で受け止めようとした瞬間、ポチの体がくの字にゆがんだ。
ポチ将軍の腹にディアさんの右蹴りが食い込んでいた!
防御魔法突破をおとりにした見事なフェイントだ!
「ギャン!」
犬の悲鳴を上げポチ将軍が激しく床に叩きつけられた。
その勢いで放り出されたラディンと冥府の竪琴をディアさんが難なく受け止める。
ディアさんはラディンと竪琴を抱えたまま、大きく飛び退き、瞬時に俺の横まで戻ってきた。
「勇者様。ラディンと竪琴をお願いします」
「あっ、はい」
俺は気を失ったままのラディンと竪琴を受け取る。
そばにいるディアさんの体から闘気が溢れ出ているのを感じた。
すがすがしいほど爽やかで、かつ研ぎ澄まされて触れれば斬れる風のような闘気だ。
こんなに素晴らしい闘気を感じたことはない。
思わずスキル「能力値開示」でディアさんの戦闘力を測ってしまう。
――戦闘力4888。
化け物クラスじゃないか。
これは本物の漸撃のディアに違いない。
俺の束縛の呪文を自力で脱したのも納得だわ。
「……2千年前の英雄、斬撃のディアか……よかろう、相手に不足はない」
ポチ将軍が腹に手をやりながら起き上がった。
「……次の策を用いる」
ポチ将軍が懐からキラリと輝く何かを出した。
それは、朱色の腕輪だった。
「……雷炎の腕輪を使う」
ポチ将軍がその腕輪を右手にはめた。
その途端、奴の全身から炎のごとき闘気が放たれた!
それだけではなく、ポチの筋肉がぐんぐんと盛り上がっていく。
「……素晴らしい。これが伝説のアイテムの力か」
ポチ将軍がに恍惚に満ちた瞳をディアさんに向けた。
腰を落とし、足を開き、両拳を握るポチ。
その武術の構えからは、これまでにない覇気を感じる。
なんか急に強くなった感が……。
もしかして……。
スキル「能力値開示」でポチの戦闘力を測る。
――戦闘力5004!
戦闘力2倍だと!?
おい、もしかして雷炎の腕輪とやらの効力じゃないのか?
「ポチ公! その腕輪は何だ!」
俺が叫ぶと、ポチは視線をディアさんからそらさずに答えた。
「……魔王様より賜りし腕輪なり。格闘家の能力を2倍にする効果がある」
「卑怯だぞ! 己の肉体しか信用しないから、アイテムは使用しない主義って言ったくせに!」
「……主義主張を曲げてでも勝たねばならぬ相手がいるのだ。外野はすっこんでおれ!」
わー、勇者なのに外野って言われた。
俺を相手にした時は、全くアイテムを使う気なかったくせに。
ディアさんの方が相手に相応しいってか!?
悔しい!
「人狼族の猛者よ。それで良いのですね?」
「……無論」
ディアさんが問うと、ポチが小さく頷いた。
天下無二の武人2人が真っ向から向かい合った。
風と炎の闘気がぶつかり合い、熱風が周囲に巻き上がる。
「ディアさん。気を付けてください。今の奴は、ディアさんより強い!」
「心配ご無用!」
ディアさんが楽しそうに口の端を上げたのと同時に、ポチが咆哮した。
それを合図に、2人の格闘家が雷のごとき初速と加速力で一直線にぶつかり合った!
――ドガンッ!
2人の拳が交わった瞬間、空気の弾ける音が街中に響き渡った。
見ると、ポチ将軍の右拳をディアさんは両手で受け止めている。
やはり形勢は不利か!
「……ふっ、この程度か」
ポチ将軍が余裕の笑みを浮かべる。
しかし、ディアさんは動じない。
「人狼族の猛者よ、敗れたり!」
突然、ディアさんが両手でポチ将軍の右拳を跳ね上げた。
「……なっ!?」
渾身の力を込めていたポチ将軍の体は拳につられて僅かに泳いだ。
その隙を、そのがら空きの胴を漸撃のディアが見逃すはずがなかった!
ディアさんの両手の掌拳が天翔る風のようにポチ公の腹を襲う!
「天馬坑空!!」
巨大な闘気の塊が爆裂したのが見えた。
「……ギャン!」
ポチ将軍の体が再びくの字に曲がり、さらに激しく打ち震えた。
ディアさんがゆっくりと両手を引くと、ポチ将軍の巨躯が音もなくその場に突っ伏した。
奴は全く動かない。
完全に意識を失っているようだ。
「ディアさん、すごい!」
「己の心身以外に頼った時点で、その格闘家に勝ち目はありません」
俺が拍手をすると、ディアさんはポチを哀れむように見た。
なるほど、チートアイテム使って慢心した時点でポチ公の負け決定だったわけだ。
戦闘力の差を埋めるのは、技術と経験、精神力という訳ですね。
柔よく剛を制す!
勉強になりました!
「わー、凄い。ディアさん強いんだね!」
もはや懐かしい朗らかな声が背後から聞こえてきた。
「メル! お前、今さら助けに来たって遅いんだからな!」
大いに怒っている感じにして振り返ると、巨大な爬虫類の瞳と目が合った。
「ギャア!」
思わずのけぞって見上げると、巨大な砂トカゲの頭が目の前にあった。
「ご主人様、びっくりしてる。かわいいっ!」
「全然、かわいくないわ!」
メルは砂トカゲの頭の上にチョコンと正座していた。
砂トカゲは前脚を冒険者ギルドの屋上に掛け、首を出してメルを俺に近づけていた。
「な、なんで砂トカゲがここにいるんだ!?」
こいつは確か街の入り口で砂に潜って寝ているんじゃなかったっけ?
「メルたちを助けに来てくれたんだよ。ねっ、トカゲさん」
「グエッ!」
メルが砂トカゲの頭を撫でると、気持ちよさそうな返事が返ってきた。
「助けに?」
メルによると、お菓子を食べていたら、クレンが「完璧。自信作ですわ」と言って手作り菓子を出してきた。
その菓子の匂いを嗅いだ魔族のパティシエ・オールケンが卒倒。
菓子を食べさせられそうになったベイルーナが恐怖におののいて巨大なサンドワームの大群を召喚。オールケンを抱えて逃げた。
残ったサンドワームの大群が街中で暴れ狂ったのだが、そこに砂トカゲの大群が現れてサンドワームに噛みついて瞬く間に退治したのだという。
そんな大騒ぎになっていたとは気付かなかった。
ディアさんとポチの激闘に魅せられていたからか。
いや、きっと能力がオールEになった俺には、周囲の危険予測や状況判断ができなかったのだろう。
「メルはちゃんと闘って街を守ったんだよ。エラいでしょ!」
砂トカゲの頭上で胸を張るメル。
サラサラの銀髪が砂漠の陽光をはね返して神々しく光っている。
いや、闘ったのは砂トカゲたちだよね。
改めて砂トカゲを見ると、完全にメルのペットという感じた。
コイツはメルがピンチだと思ったから、仲間を呼んで助けに来たのだろう。
俺やクレンがサンドワームに襲われても、助けに来なかったに違いない。
「そういや、クレンはどうした?」
「水分を抜いてるよ」
「はい?」
聞けば、砂トカゲたちが倒したサンドワームの体内から水分と体液を抜く魔法を喜々として唱えているという。
そうか、砂漠の商人たちが砂トカゲに与えている飯って、サンドワームの干物だったな。
クレンは、相手をカラッカラにする魔法を唱えられた上に、そのサンドワーム干物料理を砂トカゲたちにおしいく食べてもらって上機嫌だろう。
良かった、良かった。
俺は突っ伏してピクリともしないポチと、自分の右手に抱えた冥府の竪琴を見た。
改めて竪琴を見ると、色は漆黒で、所々に赤い筋模様が入っている。
その禍々(まがまが)しさが、いかにも冥府って感じ。
よし、敵を倒し、冥府の竪琴も手に入った。
「大団円だな! さすが俺、ガハハハハハッ!」
気持ちよく大笑する余裕のある俺、偉い、凄い!
すると、メルが「ねえ、そう言えば……」と興味津々という感じで俺の顔をのぞき込んで聞いてきた。
「ご主人様は、どうしてそんなに顔が紫色なの?」
「あっ……」
忘れてた。
俺、ゾンビになったんだった。
どうすれば元に戻るんだ!?




