甘い罠
「……今日は冥府の竪琴いただきに来たのみ」
ポチ将軍はそう言うと、ラディンの頭を指でツンッとつついた。
途端に気を失うラディン。
ポチは、ラディンごと冥府の竪琴を片腕に抱えた。
「ワンコ君。そう簡単に渡すと思っているのか」
俺は不敵な笑みをポチ将軍に向けた。
「……むろん簡単とは思ってはおらぬ。だが、策はある」
「ほう。面白い、見せてみな」
俺は超余裕をぶっこいた。
だって、聖剣メルと、禁忌の魔道書クレン、なによりも俺こと勇者アランがいるのに負けるはずがないのだ。
相手が魔将軍なら、さっきの人間の死者たちと違って遠慮せずに攻撃できるしな。
「……まずはメル殿の相手を用意した」
ポチが「ワオーン!」と遠ぼえをした。
それを合図にしたかのように、神殿前の広場に大きな魔方陣が出現し、輝きだした。
この魔方陣には見覚えがある。
召魔将軍ベイルーナの陣だ!
あの露出狂ダークエルフ女もこの街に来ているのか!
案の定、水着みたいな服にコートを羽織ったベイルーナが魔方陣の横に姿を見せた。
この前と同様に、手に鞭を持っている。
「久しぶりねアホ勇者! さあ、メル様に相応しい相手を召喚するわよ!」
メルに相応しい相手だと?
戦闘力4057の炎の巨人すら瞬殺したメルにタメをはれる奴がこの世にいるのか?
いや、魔王とか魔神クラスなら確かにメルと戦えるかも。
もしかして……。
その時、魔方陣の輝きが広場を覆うほどに強くなった。
「出でよ、魔界最強の技をみせつけろ!」
ベイルーナが鞭で大地を叩く音が聞こえた。
輝きが来てた広場を凝視すると、魔方陣が消失した場所にかっぷくのよい一人の魔族が立っていた。
褐色の肌に白いひげをたくわえている。
いや、ひげだけじゃない。
着ている服も白い。
あと、妙に縦に細長い帽子をかぶっている。
つまりは……コックさんだった。
そのコックが威厳に満ちた声で話しだした。
「我こそは魔界最高のパティシエ、オールケンなり」
あっ、パティシエだそうです。
どっちでもいいけど。
「本日は、聖剣メル殿に至高のスイーツをご提供にまいった」
そう言うと、オールケンは高らかに両手を打ち鳴らした。
再び広場にベイルーナの魔方陣が出現したかと思うと、テーブルと椅子が現れた。
そのテーブルの上には、はたから見てもおいしそうな焼き菓子や果物が整然と美しく並んでいる。
「さあ、メル様。ご自由にご堪能くださいませ」
ベイルーナがメルに向かってほほ笑んだ。
あっ、これはヤバい。
そう思って、メルの腕をつかもうとしたが、すでに遅かった。
ついさっきまでメルがいた場所で、俺の右手が空を切った。
「いただきま~す!」
その明るい声の方を見ると、メルが広場の椅子に座って大量の菓子を前に手を合わせていた。
「戻ってこい! これから戦闘だぞ! ていうか、毒が入ってたらどうすんだ!」
しかし、俺の心配をよそにメルはパクパクと菓子を口に放り込んで行く。
「おいしいっ!!!!」
目を輝かせるメル。
毒は入っていないようで、少し安心する。
すると、メルの隣に寄ってきたベイルーナが「さあさあ、もっと食べてくださいませ」と嬉しそうに勧めた。
メルは「わ~い。もっと食べる~!」とオールケンに菓子を催促した。
「ウィ、メル!」
オールケンが意味不明な返事をすると、ベイルーナが新しい魔方陣を続々と出現させ、新しい菓子をどしどしと出してきた。
「わ~い!」
メルのパクパクが止まらない。
ベイルーナは、そんなメルの両肩に手を置いて満足げにほほ笑んでいる。
……ダメだこれ。
もうメルは使い物にならないわ。
「おのれ! 恐ろしい罠を仕掛けやがって!」
ポチに向かってわざとらしく悔しがってみせた。
「……ふん」
言葉少ない反応だったが、尻尾は大きく揺れた。
だが、いい気になっていられるのは今だけだぜ!
「しかし、俺にはまだクレンがいる! さあ、禁忌の魔道書のエグさを見せつけてやれ!」
俺は笑顔でクレンの肩をたたいた。
いや、たたこうとしたのだが、その手も空を切った。
あれ?
クレンがいない。
どこに行った?
「ちょっと、メルさんに気安く触らないでもらえますぅ!?」
クレンの苛立った声が聞こえてきた。
おい、まさか。
クレンの声が上がった方を見ると、メルを挟んでベイルーナと対峙していた。
「ふんっ、小娘が。メル様を喜ばせられるのは私だけなのよ! すっこんでなさい!」
「すっこみません! あと、メルさんを喜ばせられるのは私と我が君だけですぅ!」
クレンが意地になって反論すると、ベイルーナが「じゃあ、スイーツを作ってみなさいよ」と言って調理道具と材料、机を召喚した。
「望むところですわ!」
クレンは机に調理道具と材料を並べると、一心不乱に料理を始めた。
何かをかき混ぜるそのボウルの中からは、どす黒い障気がモクモクと立ち上がっている。
わー、絶対に食べちゃ駄目なやつを作ってる。
「あの、クレンさん。戦闘は?」
念のために聞いてみると、「そんなの後回しです!」と想像通りの返答があった。
そうね。
君たちを戦力にカウントしていた俺が間違っていた。
まあ、いいさ。
「なぜならば、俺1人でも十分だからだ!」
俺は抜刀をして、切っ先をポチ将軍に向けた。
そんな俺に向かってポチがわざとらしく両肩をすくめた。
まるで小馬鹿にするように。
「おい、ワンコ野郎。その仕草、後悔することになるぞ」
俺が忠告すると、ポチはニヤリと口をゆがませた。
「……勇者殿。その右腕はどうされた?」
「右腕?」
まじまじと自分の右腕を見て驚いた。
右手が紫色に変色していた。
「何だ、これは?」
毒か?
いや、毒ならばスキル「解毒」で瞬時に消え去るはずだ。
「……拙者、この街に来て以来、勇者殿と同じ症状の人間を多数見ましたぞ」
「症状だと?」
「……勇者殿は、ゾンビの誰かに噛まれましたな?」
確かにディアさんに右手を噛まれたが、それがどうしたって言うんだ。
「……ゾンビはゾンビを生む」
「どういう意味だ?」
「……その症状を発症した者は」
ポチ将軍のつぶらな瞳が俺を見据えた。
「……ことごとくゾンビになりもうした」
――ゾクッ。
背筋が凍るという感覚を初めて体感した。




