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アルチュール・ランボー あるいは足の長い放浪者  ランボーの沈黙  アビシニアの武器商人 私のランボー試論

作者: 舜風人



いきなりですが、、、、、、、、、、、、、


「太陽と月に背いて」という映画をご存知だろうか?



レオナルド・デカプリオのファンの方なら恐らく見たかもしれない。


この映画はあの、「地獄の季節」「イリュミナシオン」という二つの詩的爆弾をディレッタントたちに投げつけて、その後、、、あっという間に。。


そのまま、「俺にとって詩はもうおわった」


と、うそぶき、ほどなくして、、はるかアフリカ(エチオピア)の灼熱の地に放浪して、

武器商人?として首長たちにまみえて、やがて癌にかかり、、フランスに強制送還?されて

果てた

あのランボーの伝記映画である。


以下引用

ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(フランス語: Jean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀のフランスの詩人、貿易商人。19世紀フランスの代表的な詩人である。ランボオとも表記される。主な作品に散文詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』など。 引用終わり



ここでデカプリオは若々しいランボーそのもののような破天荒な少年ランボーを演じている。


フランスのベルギー国境に近い片田舎の中流農家に生まれたランボー少年は


友達から「足の長い男」とあだ名されるほど生来の放浪癖があったようだ。


いつもどっかに放浪してしまう


いつも家にはいない


革命下の巴里まで出奔して保護されたこともあるし、



あるときは曲馬団に入り込んで東欧、ロシアまで行っていたこともあるという。


そんな彼の趣味?が詩だった。


少年ランボーの詩が残っている。世の中への抗議に満ちた詩である。


やがて彼は巴里で盛名の詩人ベルレーヌに自作の詩を送る。


その詩を見たベルレーヌは驚いて「来たれ、若き詩人よ」という有名な手紙をランボーに送る。


ランボーは早速ベルレーヌの下へ出向く。


コーンパイプをふかして粗末なジャケットをはおって、ドタ靴を履いて、、、、。


ベルレーヌ亭での生活は異常だった。


彼には妻も子もいたが、この若い破天荒な詩人ランボーに、

魅されてしまったのだ。


つまり禁断の愛にはまってしまったわけだ。


そんな異常な生活がどうにもならなくなったとき二人はイギリスへ出奔してしまう。

そこでの同棲生活は、、、

ハシーシェ(麻薬)と、酒と詩作の荒れた日々が続く。


だがそれも当然のようにやがて破綻、

ベルレーヌは嫉妬に狂ってランボーをピストルで撃って仕舞うのだ。


幸い弾は外れて、彼らの仲も終焉する。「地獄の季節」はこうした二人の地獄の逃避行の経験が元になっているのであろうか?


こうした

修羅場の経験を経て

ランボーはあの「地獄の季節」を


あるいは「イルミナシオン」を創作する。


それらの詩で全てをやり終わったと悟った?

ランボーは「俺はもう詩ではやり終わった」と言って詩を放棄してしまう。


詩との決別である。


詩を作ることを辞め、


詩人であることを辞めて




やがて生来の放浪癖からヨーロッパ各地を、さ迷い歩くことになる

更に、、

ギリシャ、トルコを経てアフリカのアビシニア(エチオピア)のハラールへとたどり着く。


そこでフランス人の貿易商人に雇われ、、、その後独立して、、


現地の首長を相手に様々な商品を売りさばく。


その中には銃もあったという。よく言えば貿易商人


いわゆる「武器商人」である。


商人として一応の成功を収めつつあった頃、、、


だが熱砂の国での生活は、次第に彼の体を蝕み始める。


ある日、膝に激痛を訴えた彼は土民たちによって戸板に乗せられて


砂漠を横断して、エチオピアの港から船でマルセーユまで送りかえされる。


病名は膝の骨肉腫(癌)だった、しかも全身にもう転移していた。


彼は妹と母に付き添われて手術を受ける。

片足切断、しかし、それも気休めでしかなかった。


全身に転移した癌は次第に猛威をふるい、やがて、、彼は亡くなるのである。


まだ36歳だった。



病床に横たわっているのは、、

アフリカの日差しに焼かれた浅黒い武器商人

それが今のランボーだった。



ランボー末期の妹への手紙が残っている。


それは自分の苦境を呪い、絶望の吐露の文章である。


病院から妹へ出した手紙は切々と苦しみを訴えている。


そして、その手紙の末尾はこうなっている。


「人生とはなんと、悲惨なのだ。そうだ。人生とはかぎりなく悲惨なのだ」



人生を呪い


自己の運命を呪い


妹に切々と訴える

哀れなランボーしかそこにはもういない。


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、



 見つかったよ


 何が?


 永遠が


 それは太陽にとけた海だったのさ


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、



かってそう歌った詩人ランボーは、、、もう、、そこには、、いない。







もっとランボーについて詳しく知りたい方はこちらをどうぞ



ランボーの生涯 (筑摩叢書 194) 単行本 – 1972/1

マタラッソー (著), プティフィス (著), 粟津 則雄 (翻訳)




ランボーの沈黙 (1970年) (紀伊国屋新書) 新書 – 古書, 1970

竹内 健 (著)


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