9. Over(1)
山道を抜けると、大きな町に出た。
サマルディア出身のキリルが、鉱山の町バイヘールだと教えてくれた。
町中にはガタイの良い男達で溢れかえっている。子どもはあまり見かけず、派手な薄着の女の人も多く見かける。
「こういう所は出稼ぎの男たちが多いもんです」
横にいたラスカーが教えてくれた。
今まで見たどんな町とも雰囲気が違う。すれ違う男たちの誰もがユキに目を止める。
チラリと見る者。あからさまに眺める者。
「……この町ではユキ様は目立ちますね。キリル、急いで宿を取りましょう」
イリヤがそう言うと、キリルが頷いてどこかへ行ってしまった。
ユキは(今なら誰かに助けを求められる)と思ったが、この町の治安の悪さだけは肌で感じる事が出来た。
『誰か』が助けてくれたとしても、その『誰か』が善人とは限らない。それくらいに身の危険を感じる町だった。
戻ったキリルに付いて、宿へ入ると二人部屋が2つ用意されていた。
ユキはキリルに食ってかかった。
「この町で逃げる事なんてしないから、一人部屋にして!」
「そうは言われても……」
キリルがチラリとイリヤの顔を窺う。
「ユキ様。このような町で一人部屋は危険過ぎます。どうかお分かり下さい」
「……じゃあ、キリルと一緒に使うわ! でなければラスカーにして!」
ユキは訴えたものの、結局イリヤと同じ部屋にされてしまった。
ユキは宿の主人に頼み込み、ベッドの間に衝立を置いてもらうことにした。
ベッドに座り込んでユキは途方に暮れていた。
せっかく人の多い町まで来たのに……
これから先、逃げ出すことはできるのだろうか?
イリヤから自分の身を守るためにはどうしたらいい?
考えても答えは出てこない。
夕方キリルが夕食だと呼びに来た。
「さっきここの旦那にきいたんですけど、ステーキが有名らしいですよ」
キリルの声は明るい。
ステーキ……
大して食欲も無かったユキだったが、キリルの言葉を聞いて、一緒に食事に行く事にした。
3口も食べるとユキのお腹は満腹になった。こってりしていてボリュームも凄い。鉱山で働く男たちに人気の理由がよくわかる。
「もう食べないんですか?」
ラスカーが心配して声をかける。
「こんなに多いんじゃ、食べられないわ」
「それなら俺が食べてもいいですか?」
キリルがニコニコ顔でユキの皿に手をのばしてきた。
ユキはフォークとナイフを取り、「どうぞ」とお皿を渡した。
夜になると、ユキは早々にベッドに潜り込んだ。
イリヤとは一切話さない。
何かあれば、どうなってもいいから、大声を上げて逃げ出そう。
固く自分の手元を握り締めた。
翌朝ユキはぐったりとして目覚めた。やはり不安が付きまとい、寝ては覚めてを繰り返していたのだ。
衝立の陰でそっと身支度を済ませたが体がだるい。
額に手を当ててみると、熱いような気がした。熱が少しあるようだった。
――――無理も無かった。
〈女神の書〉の作成はユキの自覚しない所で肉体的な負荷はもちろん、精神的な負担は今まで経験した事の無い程過酷なものだったのだ。
その後、時間をおかずしての誘拐と逃亡生活は、ユキの残されていた生気をごっそりと奪いとってしまっていた。
ユキは頬をペチペチと叩いた。
彼らに気付かれたくはなかった。
このままいっそ倒れる程悪化すれば医者に見てもらえるかもしれない。逃亡の足も鈍くなる。
その方がユキにとっては都合が良かった。
「ユキ様。お目覚めですか?」
ユキは答えない。
「入ってもよろしいですか?」
返事が無いので、イリヤは衝立からそっと顔を覗かせた。
「朝食を済ませたら出発しようと思います」
ユキはイリヤの顔を見ないようにして頷いた。
イリヤがため息をつく。
「お加減でも悪いのですか?」
ユキは気づかれたのかとギクリとした。
「いいえ。そんな事はないわ」
やっとユキが口を開いたのでイリヤは少しホッとした。しかし顔を上げたユキを見て、スッと衝立のこちら側に入ってきた。
ユキが壁際に下がる。
「……何よ?」
イリヤがユキの顔を覗きこんだ。
「……具合が悪いのですか?」
ユキの白い頬が紅潮しているのだ。
「違うったら。何でも無いわ!」
そう言うのにイリヤがユキの額に手を伸ばす。顔をそむけるが、ユキの額に手を当てる。
「……少し熱がありますね。横になって下さい。何か薬を貰ってきます」
イリヤが心配そうにユキに話し掛ける。
ユキが唇を噛みしめた。
「……止めてよ!!」
イリヤを怒鳴りつける。
「私に酷い事をしてるくせに、心配なんかしないで! こんなの偽善だわ!」
ユキの感情が爆発する。
「お願いです。落ち着いてください。熱が上がってしまいますよ」
イリヤがユキを落ち着かせようと手を広げる。
「触らないでったら。ずっと言ってるでしょ? 私はあなたと一緒にいたくないのよ!」
「私はあなたと一緒にいたいんです」
「違うわ! あなたが一緒にいたいのは『女神様』よ! 私じゃない!」
「いいえ! 私は『女神』じゃなくあなたの事が…………」
イリヤが口を押える。
自分は今何を言おうとした?
ユキが耳を押さえた。
「何も聞きたくないわ……。あなたの言葉は何も聞きたくない。お願い……アルスの所に私を帰して!」
イリヤの頭にカッと血が昇った。
ユキの両手を掴むと無理矢理口づけをした。
熱のせいでユキの唇が熱いのか、自分自身が熱くなっているのか定かではなかった。
ただその熱が今にも火を放ち、自分の心を――ユキの心もろとも焼き尽くしてしまう。
わかっている。
――――そんなことは十分わかっている。
それでもイリヤは正面から捉えることができなかった。他の男の名を呼び、むせび泣くユキ見たくはなかった。
腕に力を込めてその細い手首を握りしめる。イリヤはユキの動揺と拒絶を振り払うように目を瞑った。




