6. 愛と嘘と(4)
4の鐘(11時頃)が鳴り響く頃、同盟の調印式が行われた。
大広間に置かれた、大きな一枚板の重厚な机には、中央にサマルディア皇帝のサロールと向い合せにベルサド王ムスタファ、各々にアルスやサマルディアの大臣のダマクス、ベルサドの大臣達が並んでいる。
進行役のググンが、同盟の条項を読み上げる。
ベルサドからの進行役もベルサド語で読み上げた。
いざ調印と言う時、ベルサド王のムスタファが片手を上げた。
「少しよろしいですか?」
一同はギョッとしてムスタファに視線が集中する。
「この条項の変更を提案したい。ベルサドへの金銭的協力は予定額の3分の1として、名目は結納金に変更。つまり娘のパリールを皇子の正妃として迎えていただきたい。そして月の女神であるユキ様を是非ベルサドにお迎えしたい。その場合〈女神の書〉は我が国ではなく、まずサマルディア語で作られる事にする」
ムスタファがニタリと笑む。
「我が娘のパリールが、アルス皇太子殿下の聡明さに惹かれまして。是非妃になりたいと申しております。当初そのような話もあったことですし。……それに女神の崇拝者である私としては、ユキ様は大変得難い方だと、お会いして益々その気持ちが募りました。是非ともご検討いただきたいのです。サマルディアにとっても負担が減りますし、いかがでしょうか?」
場内が騒然とする。
ベルサド王の横に座る大臣は、聞いていなかったのか血の気が引いている。
アルスの頭は怒りでいっぱいだった。
この期に及んでまだユキを諦めていないのか?
ざわめく場内でスッと手を挙げる者がいた。
サマルディア皇帝のサロールだ。波が引くように場内が静まり返る。
「私たちはこの提案を受け入れる事はできません。婚姻のお話は既に白紙となっています。新たにお話する必要もないでしょう。そして、女神ユキはサマルディアを照らす光です。他国にお譲りする気など微塵もありません。もしもこの同盟の条項に不満がおありでしたら、この場で白紙に戻しましょう。わが国は防衛の砦をベルサド王国との国境に築くまでです」
いつもは穏やかなサロールが決然と言い放った。大国の威厳を感じ、ベルサド国側が慌てふためく。
ムスタファの顔にもビッシリと脂汗が浮いている。
横にいる大臣が大急ぎでムスタファに耳打ちすると、憮然とした表情で発言した。
「……あくまでも提案ですので、予定通り当初の案で締結いたしましょう」
最後にはひきつった笑みを浮かべた。
調印式場から出た、アルスが父王の後を追った。
「父上。ユキの事をありがとうございます」
周囲にいたダマクスを始めとする大臣達が、お辞儀をしてその場を後にする。
サロールがアルスに向かい合うといつもの柔和な微笑みをたたえる。
「今日はユキさんは?」
「暁の宮殿におります」
「そうか。明日にはベルサド王もサマルディアを立たれる。ユキさんには明日も一日宮殿でのんびり過ごされるように伝えなさい」
サロールはにこりとした。
明日はユキもベルサド王の見送りに立ち会う予定になっていた。サロールはそれに『来なくていい』と言っているのだ。
アルスが面喰ってサロールを見た。
「私もユキさんをあの男に会わせるのは真っ平だ」
普段は温和で優しい父親の言葉にアルスは可笑しくなった。こう見えて好き嫌いはハッキリとした気性なのだ。
「お心遣いありがとうございます」
アルスは溢れんばかりの笑顔で答えた。
嵐のようなサマルディアとベルサドの同盟調印式を終え、暁の宮殿には静けさが戻っていた。本当は今日ユキも見送りに立ち会う予定だったのに、急きょ宮殿に残るようにアルスに言われたのだ。
ググンからその理由を聞きユキはゾッとした。ムスタファの脂ぎった笑い顔を思い出す。
ベルサドに行ったらどんな目に遭うのかと想像もしたくない。
そして、ググンがジェスチャーを交えながら、そのムスタファへ浴びせた陛下の言葉を再現するのを聞いていた。
優しい笑顔のサロールを頭に思い浮かべる。
断固としてユキをかばってくれたサロール陛下はやはり優しい方だと思った。




