今日も賑やかな一日が始まります。
もうすぐ閉店間際なので、「どうぞ。」の店主、中衛 絵里、通称なかえりちゃんがお店の掃除をしていると、ドアが勢いよく開き、そこに付けたベルがいつもよりも大きい音をたてる。
この時間帯には殆ど人は来ない。どうしたのだろう、となかえりがドアの方を振り向くと、そこには赤いサリーのようなドレスを纏い、赤いヒールの靴を履いた女性が立っている。そして、明らかに泣いているのが、人の顔と店内がギリギリ見えるくらいの暗いお店の証明でも分かる。
なかえりは掃除を辞め、カウンターの中に戻る。
女性は暫く顔を手で覆って泣いていたが、「何かすぐ、ぐっすり眠れるカクテルはない? 」としゃくりあげながら言う。
「ええ。ありますよ。すぐにお作りします」
なかえりは微笑みながらカクテルを作っていく。
暫くは店内を無言が支配していたが、カクテルを出して、飲み終わってからその女性は話し始めた。
「…… 好きだったのぉ! 彼が! だけどなんで私じゃあなくてあいつなのぉ! 納得いかない! 好きだったから色々していたのにさぁ…… ! 」
その後も脈絡のない話が続くが、すごく簡単にまとめると、長年付き合ってきた彼氏に振られた、ということらしい。そりゃあ悲しくなるわよね、となかえりは心の中で言った。因みになかえりにはそういう経験はない。そこまでの人に出会ったことがないからである。
「あら、貴方、それの正しい飲み方を知っていたのですね」
「……うん。良く飲んだから」
そして、数十秒経った後、女性は眠りに着いた。
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翌日。なかえりは昨日の女性が結局起きなかったので、カウンターに寝かせたままにしておいた。
因みになかえりの家はこのお店の二階にある。なかえりが朝の五時に起きた時には既にその女性は起きていた。
「あら、起きたんですね。おはようございます」
「ん、あれ…… ? 寝てた…… ? 」
「はい。ぐっすりと」
女性は「ごめんなさいね、寝てしまって。これ、お勘定。一日借りたに等しいから、この位払うわ」
なかえりはそんなつもりはなかった。寧ろ失恋してしまったのだから、カクテルを飲んで寝てもらっても構わない。
丁寧に上乗せされた勘定を断りし、女性はカクテルの代金だけを払って外に出て行こうとした…… が、
「…… 気持ち悪いわ。吐きそう」
と言い、女性トイレに向かった。二日酔いね、と心の中で呟き、開店する。それと同時に常連の男性がやってきた。早速男性トイレに籠る。
男性はすぐに終わったらしく、ドアを開けて出てきた。しかしなかえりはそれを見て大変なことに気が付いた。
「あれ? 僕まだ頼んでいないよ? 」
「…… この代金は受け取りません。とにかく飲んでください」
「どうしたの? 」
「…… そんなに気になるのであれば、トイレに行ってもう一度自分の姿を確認してみてください! 」
男性がトイレに行くと丁度女性が出てきた。とてもすっきりとした顔おしている。
「ありがと。これからも元気で生きていく勇気が出たわ」
女性はにこっ、と微笑んだ。
そう、なかえりはこの笑顔が見たかった。満足してお店から出ていくその笑顔が。
「なかえりちゃん、今良いー? 」
「はい。もちろんです! 」
今日は常連客も、一般客も含め、沢山の人が朝から入ってくる。
今日も賑やかな一日が始まる。
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【ニコラシカ】
ブランデー・ベースの四十度のカクテルです。スタンダード・カクテルの中では最も度数が高いです。
飲み方はレモンの上に山盛りになっている砂糖を包んで口に入れ、二~三度噛んでからブランデーを流し込みます。
材料はこちら。
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ブランデー :三十ml
砂糖 :一tsp(ティースプーン一杯分)
スライス・レモン :一枚
まず、リキュール・グラスにブランデーを注ぎ、グラスに蓋をするようにスライス・レモンを乗せ、その上に山盛りに砂糖を盛り付けます。
【X.Y.Z(エックス・ワイ・ジー)】
ラム・ベースの二十七度のカクテルです。やや甘めのラムに、爽やかなレモンジュースの酸味と、甘く苦いコアントローが溶け合う飲み口の良さで人気があります。
ネーミングの由来は、アルファベットのX、Y、Z、つまり、これ以上最高のものはない、という意味なのですが、これにはもう一つ、スラングで「貴方のチャック(社会の窓)が開いていますよ」(eXamine Your Zipper )という意味があります。これを知れば、なかえりが何で男性に「トイレに行って」と言ったかが分かりますよね?
材料はこちら。
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ライト・ラム :四十ml
コアントロー :十ml
レモンジュース :十ml
これらをシェークして、カクテル・グラスに注いでください。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。この作品は連載作品としては自身初の完結済み小説です。
この他にも色々書いていますのでよかったら読んでいってください。読んでくれると嬉しいです。