表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

今日も一日平和です。

 東京都の下町。そこにある気が付かない程度の細い通路の真ん中らへんにその店はある。店主は中衛なかえ絵里えり。常連からは「なかえりちゃん」と呼ばれて親しまれている。

 店名は「どうぞ。 」だ。バイトの時、絵里がお酒を出す時に「どうぞ」と言いまくっていたのでこの名前になった。

 彼女のお酒は美味しいと口コミで評判だ。とっても上手にお酒を入れる。

 絵里はバーテンダーだ。一年前にこの店を立ち上げたら途端に人気となった。

 今日も、店は、賑やかだ。



 **

 絵里は九時に店を開け、二十三時に閉める。朝から飲む人もいるのでその人達のためだ。

 今日も定刻に開けるとすぐに入ってきた人がいる。「朝飲み」で常連の男性だ。この人は夜の仕事(本人曰く「警備員」)からの帰りに飲みたいという。

「いつものちょーだい」

 絵里は微笑み、ボトルキープのボトルからドライ・ジンを出し、グラスに入れる。そこにアンゴスチュラ・ビターズを二、三ml振りかける。

「どうぞ」

 ピンク・ジン、四一度の完成である。

「いいんですか?いつも朝からそんなに強いの飲んで」

「いーのいーの。仕事終わりだし。明日は休みだし」

「ふふっ。そうでしたね」

 彼は翌日に仕事の無い金曜日に飲みに来る。この時間帯は彼以外殆ど来ない。来るとしても月に一、二回だ。

「ねぇねぇ聞いて…… 。この間さ、深夜に産業スパイだかが入ったらしくて、情報をさ、持っていかれたんだって…… 。まぁ幸いそこまで重大な情報じゃあなかったんだけど…… 、なんで俺が怒られなくちゃならんの。その日の当番は俺じゃないのに…… 」

「え!? なすりつけられたんですか? 」

「ああ…… 。まぁ後に無実が証明されたけど、信頼は取り戻すのが難しいかもだなぁ…… 、もうやだ。給料も少なくなるかもしれん…… 」

 この人はお酒が入ると涙脆くなる。ただ、これは泣いてもよい事案だと思う。

「カシューナッツをどうぞ」

 これは無料のメニューだ。

「ありがとう、そしてさ…… 」

 愚痴を延々と垂れ流す。仕方がないので、聞きつつグラスをピカピカになるまで磨きあげる。こういうのは片手間にやっているのだ。

「…… んでさー、社長が」

 カウンターの内側、つまり絵里の側の台を隅々まで布巾で拭く。

 今日は彼にとっては飲むペースが早い。もうグラスが空だ。だが絵里は客から求められるまではお酒を勧めない。

「…… もっと強いの、無い?」

「食前ですか、食後ですか? 」

「食前」

「それだとそんなに強いのはないです」

「じゃあいいや」

 食後酒でも勧めて儲ければよかった…… 。と絵里が軽い後悔をしている間に彼はお金を払って出ていってしまった。

 十時。さっきの彼のキープがもう無いし、他の常連のも無くなりかけているので、近くの酒屋に買いに行く。この時、店は開けたままだ。

「あー、なかえりちゃん! 来たのね。」

 酒屋のおばさんが言う。

 あ、こんなのもあるのか。へー、これも。あ、新しく入荷している! これ、前から買いたくても中々買えなかったやつだ!

 このお店に来ると色んなお酒を買ってしまう。今日も三五〇〇〇円の出費となった。

 ボトルを買い、店に戻る。この時間帯は本当に来ない。そもそも場所が分かりづらいので人がいても来ないのだ。

 仕方がないから新しいカクテルの発明でもしてみる。これをこうステアして、これを入れて…… 。あー駄目だ。色が汚い。しかも不味い。

 じゃあ、ビールをベースにこうしてだな…… 。

 出来た! もしかしてこれは肴があると美味しいのでは。

 隣のお店は日本料理店。バーから出てそちらへ向かう。

「すまん、枝豆ある? 」

「おー、あるよあるよ! どのくらい欲しい? 」

「五〇〇グラム」

「食べ過ぎでしょ…… 。ほい」

「サンキュー」

 一年くらい前からの友達なので枝豆は無料である。タメ口の仲だ。

「ねー、この時間帯どーよ? 人来る? 」

「私のところは来るよー、今日も団体予約あるし。後一〇分かなー 」

「うわ羨ま。私のとこなんて全然来ないし」

 この日本料理店はバーよりも広く、一〇〇人程が入れる。

 バーに戻り枝豆を肴にお酒飲んでいると人が来た。珍しい。

「いらっしゃいませー」

「えっと…… 、団体予約した佐藤ですが…… ?」

「あーお客様、日本料理店サクマでしたら右隣ですよ。ここはバーです」

 慌てて出ていってしまった。ちぇっ、期待したじゃん。

 そして昼間は大体掃除で潰れる。曲は朝、昼、晩の三回変える。今日の昼はこのレコードにしよう。客からのリクエストも受ける。

 そういえば、と絵里は思う。よく初来店客は「バーテンダーってあれですよね、なんかシェイクしているんですよね。見せてください」なんていうリクエストを受けるがそれはお酒によるし、見せてと言われても「ああそうですか」としか思わない。見たいのなら見れば良い。シェイクするお酒を頼んでから。

 一七時。ようやくちらほら客が入って来る。この人は絶対にビール、彼は何か食べて来るから食後酒のウイスキー・フロート、彼女はお酒が駄目だからペリエ…… 。常連なら覚えてしまった方が早い。

 で、恐らく。月の一番初め、つまり一日にはあの客が絶対…… 。

「今月のやつをください」

 来たー! その名も、「月のカクテル女」。月一でバーに来て、その月のカクテルを頼むのだ。今月は八月。だったら「シー・ブリーズ」かな?

 これはウオツカをベースとした一三度のお酒だ。そこにグレープフルーツ・ジュースとクランベリー・ジュースを入れれば…… 。

「どうぞ。シー・ブリーズです」

「うわぁ…… 、綺麗な瑪瑙色…… !」

 そう、それらを混ぜれば瑪瑙色になる。ごくごくそれを飲み干すと恐らく彼女は…… 。

「檸檬ありますか? 」

 彼女は半分に切った檸檬をスプーンでくり抜いて食べるのだ。「酸っぱい酸っぱい」と言いながら完食する。

 多分彼女は檸檬が好きすぎて、梶井基次郎の『檸檬』も読んでいるだろう。

 ここでは常連によるトークショーが始まることがある。

「はーい、売れないスタンドアップコメディのかささぎでーす! あまりにも売れなくて一五年。 コンビニのバイトで何とかやりくりしていまーす! 今日はですねー、きゅうりにまつわるお話をします。実はきゅうりってあまりにも栄養が無くてギネスに載っているらしいですよー! 知っていたかなー? だけど、昔はフランスとかできゅうり畑を持っている人はかなりのお金持ちと見なされたみたいですよ。最高のサンドウィッチはきゅうりをスライスしたのを沢山挟んだだけ! 一回家でやってみたんですけどねー、味がしませんでした!ああ我らのかささぎぼーうけーんたーーい」

 最後の科白が少し謎だが、試しにその「きゅうりサンドウィッチ」とやらを作ってみる。

「どうぞー! きゅうりサンドウィッチでーす! あげますよー! 」

 皆が喜んでいる。

「味が無いのはちょっと…… 」

「まあまあいいですから」

 そういう客もいるが食べさせてみる。すると。

「…… 美味しい〜! 塩味だ! 」

「塩漬けにしていたきゅうりです。味無しはキツいでしょうからね」

「ホントなかえりちゃんのこういうところ好きー」月のカクテル女が言う。

 今日も平和に閉店出来そうだ。


 ───

【ピンク・ジン】

 黄色みが掛かった淡いピンクのカクテルです。殆どジンをストレートで飲むようなものです。四十一度。

 俳優のピーター・オトゥールが好んで飲んでいたと言われています。

 材料はこちら。

  ********


 ドライ・ジン: 60ml

 アンゴスチュラ・ビターズ: 2~3dash

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ