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金魚風船  作者: 鈴藤美咲
8/13

空にあしあとが付いている

 おばちゃん、見えているかな。

 空に浮かぶ雲が足跡みたいに見えているよ。

 ならんで、点々と。

 まるで、おばちゃんとわたしが一緒に歩いて地面に足型をつけたようだよ。


 おばちゃん、今日は夏祭りがあるよ。

 金魚すくいに行こうよ。

 林檎飴はわたしがおばちゃんの分まで買うよ。

 晩ご飯は屋台のお好み焼きでお腹いっぱいにしようね。


 おばちゃん、今度はわたしが列車に乗せてあげる。山の原っぱでわたしが作ったお弁当を一緒に食べようね。


 だから、おばちゃん。

 おばちゃん、起きてよーー。



 ***



 おばちゃんが入院して1週間が過ぎた頃だった。


 ーー陽菜里、おばちゃんが目を開けない……。


 会社の昼休み時間、わたしはスマートフォンに入っていた留守録の音声を再生した。


 声はお母さんだった。


 とても弱々しくて、普段のお母さんとはまるっきり違う声。

 わたしはすぐにお母さんへと、折り返し電話をした。


 おばちゃんの癌治療は、緩和療法に切り替わっていた。おばちゃんは自宅で過ごすことを望んでいたけれど何かあったら大変だからとお医者様に説得を受けたと、お母さんが言っていたことを覚えていた。


 癌の痛みを和らげるのみ。


 おばちゃんが受けていた治療は、まさにそれだった。ただし、病院に入院できる期間は2週間と決められていた。だから、緩和療法を取り組んでいる専門医療機関の施設に入るまでは病院で治療を受ける筈だった。


 施設の部屋に空きが出たと、連絡が入った矢先におばちゃんの容態が急変してしまった。

 お母さんは、泣きながら電話越しで話しをしてくれた。


 わたしは部署の上司におばちゃんの件について話しをした。

 最初は渋渋とした顔を見せていた上司だった。でも、同じ部署の先輩が上司に食って掛かった。勿論、同じ職場の人たちも圧倒されてしまうほど、先輩はきつい言い方をしていた。


「行って傍についてあげなさい。大丈夫、仕事はなんとかなるわ」


 先輩は優しく言ってくれた。

 わたしは「ありがとうございます」と、深くお辞儀をすると、デスクの上に乗せているお弁当箱の蓋を閉めて、保冷バックにしまう。鞄には手帳等の筆記用具を詰め込んで、スマートフォンでタクシー会社に通話をした。


 おばちゃん、まだだよ。

 だから、待っててよーー。


 わたしはおばちゃんがいる病院に行くために乗ったタクシーの中で何度も心で呟いた。


 会社から病院までタクシーに乗った時間はおよそ20分。

 タクシーは病院の正面玄関前で停まり、わたしは料金を支払うと車内から飛び出すように降りて駆け足で自動ドアを潜った。


 病院のロビーには外来の診察を待つ患者さん、または付き添いのご家族だろう。沢山の人がいる場所をわたしは掻き分けるようにしてさらに駆けていった。


 着いた場所は、入院病棟へと行く為のエレベーター前。わたしは受付のカウンターで手続きを済ませ、エレベーターに乗っておばちゃんがいる病棟の部屋へと向かった。


 おばちゃんがいる部屋は個室でナースステーションが真っ正面にあるとお母さんから教えて貰ったにもかかわらず、廊下で迷ったので看護師さんに案内をしてもらい、部屋に入ることができた。


「陽菜里」

 部屋に置いてある長椅子に腰掛けて、泣顔をしているお母さんと目を合わせた。


「うん」

 わたしは頷くのがやっとだった。

 呼吸を調えて、ようやくおばちゃんをみる。


 おばちゃん、おばちゃん。

 わたし、来たよ。


 ベッドで横になって、口をぽかりとあけて、おばちゃんは呼吸をしていた。


 まだ、おばちゃんはいる。

 痛いとか、苦しいとか。

 おばちゃんはちっともいわない、いわなかった。


 おばちゃん、おばちゃん、おばちゃん。


 わたしはおばちゃんの耳元でおばちゃんのことをたくさん呼んだ、手を握ったもした。掛け布団からはみ出ていた両足のふくらはぎ、足の裏を擦ったもした。


 起きて、起きておばちゃん。

 目を、目をあけておばちゃん。


「あ」と、わたしはたまらず声を出した。


 おばちゃんは目をうっすらとあけて、自分でベッドから起き上がった。


 ところがーー。


 嬉しさは、僅かだった。

 おばちゃんはしばらく座る姿勢でいたけれど、おばちゃんの目蓋は綴じられてしまい、またベッドで仰向けになってしまった。


 病室から見る窓の外を見ると、夏の夕暮れで景色が茜色に染まっていたーー。



 ***



 わたしはお母さんと一緒におばちゃんの傍にいた。

 どれくらいの、どれだけの時間が経ったのだろうかと思うことなんてなかった。


「陽菜里、少し寝なさい」


 病棟は消灯時間になっていた。

 だから、おばちゃんの部屋で蛍光灯は灯されていなかった。灯されていたのは、橙色の間接照明。お母さんを照らしていた間接照明のおかげでわたしはお母さんを見ることができた。勿論、ベッドでずっと横になったままのおばちゃんも見ることができた。


「さっき、寝たから。お母さんが寝ていいよ」


 わたしは少し前に、病棟内にある仮眠室で横になっていた。その間でもお母さんはおばちゃんの傍にいた。うたた寝もしていなかっただろうと、思ってのわたしの言葉だった。


「眠たくはないけれど、ちょっとーー」


 お母さんは長椅子から腰をあげて、部屋に備えてあるトイレへと向かった。


 わたしは静かに息を吹くおばちゃんを見た。

 ずっと起きないおばちゃんを見て、ちょっとだけ長椅子に横になるつもりでいた。


 しかし、だった。

 本当に、お母さんと本当にいれかわるようにだった。


 お母さんが、トイレに入ってほんの僅かだったと思う程の時だった。



「心臓が止まりました」


 部屋に入ってきた看護師さんが、わたしに声を掛けた。


 おばちゃんの身体には色々な管が繋がっていたのはわかっていた。

 おばちゃんの心拍、色々な数値をナースステーションで看護師さんが確認をしていた。


 色々考えても、おばちゃんはもう、動かない。


 おばちゃんがいなくなると、わかったときからこっそりと泣いていた。


 涙は、十分に溢した。


「おばちゃん、頑張ったね」


 静かに、穏やかに寝ているおばちゃんに、わたしは声を掛けたーー。



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