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金魚風船  作者: 鈴藤美咲
3/13

林檎大道芸

 道化師のチャグリング、熊の球乗り、獅子の輪潜りーー。



 ***



 わたしは、サーカスを観た。

 球体の形をしている大きな檻の中でオートバイを操縦しているお兄さん、一輪車に何人も乗っているお姉さんたち、ロープの上を竿を持ってバランスをとりながら歩く髭が長いおじさん。


 お客さんたちは、息をのみながら曲芸を見守っていた。わたしも一緒に拍手をした。


「ひーちゃん、みてみて」

 わたしが座っている客席の隣にはおばちゃんがいた。おばちゃんは登場してきたプードル、ポメラニアン、マルチーズといった小さい犬が整列をしてちょこちょこと歩く様子に、はしゃいでいた。

 会場の床に並ぶハードルを犬たちが次々に飛び越えていく曲芸になると、おばちゃんは「可愛い、可愛い」と、犬たちに声を掛けた。


「陽菜里より夢中になってどうするのよ」

「私は素直に楽しんでいるだけよ、お姉ちゃん」


 わたしを間にしてお母さんとおばちゃんは言い合った。

 喧嘩をしているわけではないけれど、どっちもサーカスを楽しんでいる。お母さんなんて空中ブランコが始まると、掌を拳にして口をぽかりと開いて仰いでいたをわたしは見逃さなかった。


『それでは、会場のお客さんに参加をしてもらいます』

 サーカスのメンバーであるお姉さんがスポットライトを浴びながらマイクと1個の林檎を握り締めていた。お姉さんは隣で後方宙返りをしていた道化師のお兄さんを呼び止め、林檎を渡した。


『ピエロさんは、手にしている林檎をお客さんのどなたかに投げつけます』


 お姉さんのいうことに会場のお客さんたちは、一斉にざわめいた。


『違いました。ピエロさんに林檎をある道具で受け取って貰います』


 今度はお客さんたちの笑い声がした。


 わたしは、道化師のお兄さんが身に纏う繋ぎの服からフォークが取り出されたのが見えていた。

 右手に林檎、左手にフォーク。

 わたしは何が始まるのかと、想像をした。


 フォークに林檎を刺す。林檎をフォークで刺して受け取る。それとも、フォークに刺した林檎を道化師のお兄さんがーー。


『はい、前から二列目の右から五人目の紫のカーディガンを羽織っているお客さん』


 わたしは、お姉さんの声で考えごとをやめた。そして、隣に座っているおばちゃんを見た。


 おばちゃんにスポットライトとお客さんたちの視線が眩しく、あつく集まっていた。


 おばちゃんは、当然困った様子だった。


「食べないでね」と、道化師のお兄さんはおばちゃんにいいながら林檎を差し出した。

 ちょっと躊躇っていたみたいだったけれど、おばちゃんは林檎を受け取った。


 おばちゃんはフォークの持ち手を口に咥えている道化師のお兄さんから林檎の投げ方を身ぶり手振りで教わった。そのあと、お姉さんから『合図をしますので、待っててくださいね』と、いうことに首をたてに振った。


 おばちゃん、顔がかちこちになっている。と、言いたかったけれど、もしもおばちゃんがびっくりして林檎を落としたら大変だとおもい、黙っておばちゃんを見ることにした。


『さん、に、いち』


 お姉さんの合図でお客さんたちがカウントダウンをしてくれた。

『はい』と、お姉さんがおばちゃんに林檎を投げるようにと促すと、おばちゃんは道化師のお兄さんが咥えるフォークの先端を目掛けて林檎を手から離した。

 林檎は空中で玄を描き、道化師のお兄さんの左肩を掠めて会場の床にごとりと、落ちてしまったーー。



 ***


 わたしは自宅の部屋に敷いた布団の上で横になっていた。


 わたしは思い出した。

 小学生になる前の3月のおわりにおばちゃんとお母さんと一緒に観にいったサーカスの思い出を、思い出した。


 おばちゃんが投げた林檎がそのあとどうなったのか。道化師さんがフォークで刺しそびれた林檎は、他のお客さんが投げて刺してくれた。


 おばちゃんは、悪くない。

 道化師さんは、おばちゃんが投げた林檎をちゃんと刺してくれなかった。


 ーーひーちゃん、林檎が落ちてしまったことには、かわらないのよ。


 あのとき、おばちゃんが言ったことが今になってわかった。

 おばちゃんは、道化師さんの所為とか自分がいけなかったなどはいわなかった。


 林檎は落ちた、林檎が落ちてしまった。

 失敗した、失敗してしまった。より、結果的にはこんなことになった。と、おばちゃんは受け止めた。


「陽菜里、林檎をむいたから食べよう」


 お母さんが、わたしを呼んだーー。



 ***



 6才の陽菜里と観たサーカスは、本当に心が踊りました。たぶん、陽菜里よりはしゃいでいたのでしょう。一緒にいた私の姉が、呆れながら口を突いたことを覚えています。


 面白かったのは、観客が参加する演目でした。

 内容は、投げた林檎をピエロさんに受け取ってもらう。しかも、私が林檎を投げることになったのです。

 ただ投げるをするのではなくて、ピエロさんが咥えているフォークの先端に林檎を刺す。

 練習なんてありません。頭の中で、ひたすら投げ方をおもいえがくだけでした。


 演目が終わって陽菜里は「ピエロさん、林檎を刺せなかったね」と、口を尖らせていました。


 でも、私は陽菜里にこう、言いました。


 林檎が落ちてしまったことには、かわらない。


 そのときの陽菜里は、私が言ったことについて難しそうに考えている様子でした。


 林檎は、落ちちゃった。

 ただ、それだけですけどね。


 得したか、損したか。

 ぶっきらぼうな言い方になりますが、そんなことはどうでもいいのです。


 陽菜里と観たサーカスの思い出は、あたたかい。

 私をあたためてくれた陽菜里との思い出で、十分ですからーー。




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