ばいばい、またね《5》
前震。
聞いたことなんて、なかった。
余震に注意をするは、わかっていた。
自宅にいても何度も揺れていた、小さな揺れでも身が縮まるような。つまり、気が休まることはなかった。
本震。
聞きなれない言葉だった。
この前だってあんなに強い揺れだったのに、真夜中に発生した地震は、さらにもっと強い揺れだった。
仕事。
こんなときなのに、考えることは仕事のことばかり。
仕事のことを考えて、気を落ち着かせたかったーー。
***
『前震』から、日が過ぎた。
『本震』の日を過ごし終えて、次の日がやっと来た。
仕事に行く、行きたい。
行くために、会社のかつての上司が自宅近くまで公用車で迎えに来てくれることになった。
道路情況は、物凄く安定していなかった。
道路は隆起して、アスファルトに亀裂が入っている、交通機関は運休。
それでも、仕事の為に不安定な道路を公用車は走行した。
車のラジオ番組は勿論、地震関連ばかりだった。
困った事態になってしまった。
高速道路は地震の影響で一部の区間は通行止めになっているのはわかるけれど、もっと大変なことになっていた。
インターチェンジを通過するための架橋を通ることが出来ない。しかも、架橋の支柱が地震の為に崩れてしまった。
復旧工事はいつまで続くのかさえもわからない。幸いに、2区間先のインターチェンジは通過出来るということなので、其所までは一般道路を走行しての移動、そして高速道路走行となった。
いつ、着くのだろう。
道路は一般車両、或いは運送車両がいくつも並んでいて渋滞の真っ只中。
反対車線も同じくだった。
災害復旧の為に現地へと向かうのだろう。
自衛隊の車両が、公用車の中から見えた。車両の側面を見て県外から来たと、はっきりした。
少しずつだけど、公用車は一般道路を走行した。かつての上司はずっとハンドルを握りしめていた。
助手席に座っているだけのわたしは、考え事をしていた。
支店に到着する時刻は、仕事の進捗状況は。日曜日を挟んだとはいえ、2日分出勤をすることが出来なかった。
システムエンジニアの業務の他にも資材の発注作業も兼ねていた。
備品の在庫確認をして各部署から頼まれた備品を届ける、足りなければ注文を掛ける。
腕で抱えて持ち運ぶはまだ良い方だ。
自分の背丈を軽く超える、重量感が半端ではない。色々な備品を、種類が豊富な備品を発注するにも、届けるにするにも気を抜くことは出来なかった。
「ひーさん、もうすぐ着くよ」
公用車を運転するかつての上司が助手席で居眠りをしているわたしの右腕に左肘で突いた。
「お腹、空いてます」
わたしがぽつりと言ったことに、かつての上司は吹き出し笑いをした。
あと少しで支店から近いインターチェンジだったが、手前にあるサービスエリアに寄ることになった。
「旨いか」
「はい、美味しいです」
売店で買った具がたっぷり詰まったおにぎりを、かつての上司のおごりだったが、おもいっきり頬張った。
「飲料水が品不足。特に水がなかった」
かつての上司は、おにぎりの他にも売店の陳列棚に僅かに残っていた5百ミリリットル入りペットボトルの飲み物を手にとって会計を済ませた。
品不足、品切れの理由ははっきりとしていた。
地震の影響で食糧、飲料水を県外にまで買い出しーー。わたしが経験した地震は、暮らす人々の日常さえも脅かした。
揺れている最中でも、それでもーー。
わたしがおにぎりを食べ終えるのを待っていたかつての上司が、公用車のエンジンを作動させあと少しで到着する支店へと向けてアクセルを踏んだ。
***
会社、支店に着いた。
「あ、ひーさん。ご無事でしたか」
支店には、生産をするための工場が設備されていた。
公用車を降りて支店の建物の中に入るところのわたしに声をかけたのは、生産現場の主任だった。
「え、ええ。ぴんぴんしてますよ」
わたしより歳が10下。小柄で短髪、黒縁眼鏡が印象的な男の人。工場内をちょこまかと動いている主任に訊かれたことは、地震に関係しているは解った。
でも、本当にわたしはかすり傷ひとつさえもこさえていなかった。だから、正直に言った。
「加藤、訊きたいことは休憩時間にしろ」
わたしの後ろにいたかつての上司と目を合わせた主任は、一度背筋を伸ばして素早く行ってしまった。
「現場へ顔を出しに行きます」
わたしは主任の後をついていくように、現場の入り口へと向かって行った。
扉の取っ手を握りしめて外側へと開き、足を一歩入れる。
中に入って現場で作業中の人々に、ひとりひとりに顔を、目を、手を合わせた。
ーーひーさん。
ーーひーちゃん。
ーーーー。
わたしは、いる。
今、わたしはいる。
生きている。
生きていると、はっきりとしたーー。
***
ともに生きてよかった。と、おもえること。
陽菜里は知っていたのですね。
目指すことに疲れて立ち止まり、でも、まっすぐと立ってまた歩く。
陽菜里が強くいる理由を、私は知った。
もう、私が陽菜里を見守ることは出来ない。とっくに出来なかったのに、名残惜しんでいたのは私だった。
ひーちゃん。あなたは、あたたかかった。
私は、おばちゃんは、あなたに、あたためられていた。
あなたがあたたかいと、わかってくれる人があなたに付いてくれる。
ひーちゃん、ありがとう。
もう、十分です。
だからーー。
ーーばいばい、またね…………。




