成果
これで第二章の四分の三が終わりました。長かった……。
太陽が天高く昇る正午を過ぎ、夕暮れに差し掛かっていた東京では、何一つトラブルも事故も起きることなく、ただ時だけが過ぎていた。
街中は仕事を終え、帰宅しようと徒歩で駅まで向かう大人もチラチラと確認できる。今日も彼らにとって当たり前の1日が終わろうとしているのだ。
もちろん休日を満喫していた学生らも例外ではなく、日が沈む前に帰ろうとする者がいる。帰る先は当然、親が待つ一軒家、見ず知らずの人と共に一つの建物で暮らすマンション、あるいは進学するために生まれた土地を離れてきた生徒のために用意された学生寮である。
休日に学園を離れ、東京の街中に赴いていたエルマ達一行も帰路につき始めた。
「いやー、良いものとか見つかったね!」
「うん。ちょうど買いたいものがあったよ」
「いい休暇になったよ、ホント」
イーリィ達三人はそれぞれよい休日を楽しめたことに喜びを噛み締めていた。本来は友人を元気づけるために外に出向いたのだが、なぜか自分達が楽しんでしまったことに誰も気づいていなかった。
(あんなにはしゃいじゃって……ま、いいか)
彼らの友人であるエルマはその事に気づきながらもあえて口を閉ざした。外に出歩く頃と比べれば、何も変わらなかったわけでなく元気を貰ったのだと実感した。
ただ、彼女らの後ろで感じる視線に気づきつつも、三人に悟らせなかったことを除けば。
「…………」
エルマは振り向かない。イーリィ達と前に進みながらも意識を後ろに向けて警戒する。誰かが自分達の後を尾けていることを彼女は完全に把握していた。
(……どこの誰なの? まさか……ストーカー?)
前を向きながら周囲を警戒し続けるエルマは、後ろで視線を向けている相手が何者なのか考えをフルに巡らせる。もしストーカーだったら、本当に嫌な気分になるだろう。
一方、建物の影でエルマを監視していたストーカーの正体は……もちろんルーヴェと茜だった。あれからずっと彼女達の動向を監視していたのだが、まったく変わったことは何も掴めず、ただ傍観し続けていただけであった。
「特に何もないわね……いたって普通の女子高生って感じよ」
「でも、何も起こらなかった方がいい時もあるよ。まだ気づいていないってこともあるし」
「確かにね。……一応、顔写真も撮ったし、戻ったらすぐに身元を彼らに調べさせましょうか」
彼女達に秘められた証拠を確認するための顔写真を手にした茜の要望にルーヴェは無言のままコクリと頷く。ちなみに茜がスマホで撮ったエルマ達四人の写真に「誰?」と尋ねてみるとルーヴェはオレンジ色の髪を持つエルマに指を指していた。信じられないと茜は唖然とする。
彼女が"適合者"であることは確証がないのだが、調べれば何か分かるかもしれないと茜は納得した。そして目的を果たした二人はエルマ達に背を向けてどこかへと去っていった。
「わかった。彼女達のことはすぐに調べておくわ。あなた達も、確認が取れるまでそこで待機してちょうだい」
「了解」
ハルディの指示に茜は頷くとスマホで繋いでいた通信を切る。彼女の近くにはルーヴェと、その後ろにクロウとクリムゾンが揃って片膝をついていた。さらにその空間は明かりすらついておらず、割れた窓ガラスから夜空に浮かぶ月の光に照らされていただけであった。
彼らが今いる場所は、シュナイダーを匿えるほどの大きさを持った廃墟の中。そして、外は当然廃墟だけが囲まれており、人一人もいない。まさにもぬけの殻だ。
それもそのはず、そこはかつてレジスタンスが匿っていた廃墟と同じ地区だったからだ。
レジスタンスとガルヴァス軍との戦闘で一度そこに踏み込んだことがあったのだが、整備も設備も機能されていないことから、あれからガルヴァス軍が立ち入ることはなかった。そのためルーヴェ達もそれを利用して、ここに匿うことにした。
彼らがここにいるのは、ハルディからあることを頼まれたからである。それはエルマが自分達と同じ"適合者"であることを照らし合わせようと、茜が送ったエルマ達の顔写真から身元などを調べるため結果が出るまで彼女達の監視を続けることが通知されたのだ。
つまり、ここで待機するように命じられたルーヴェと茜は、このまま一晩を過ごすことになったわけである。
東京に留まることに茜は溜息を吐いた。そこにルーヴェが声をかける。
「茜は嬉しくないの? せっかく故郷に戻ってこれたことに」
「こんな成れ果てた街を見て、嬉しいわけないでしょ」
故郷の現在の様子を思い出したのか、嫌そうな顔をする茜。
パンデミックや侵攻でビルや建物が廃れていることから、茜が見たかったのはおそらく活気づいた街並みかもしれない。彼女達が匿っているこの場所がそれを証明している。いかにこの平和に秘められた表と裏がくっきりと浮き彫りになっていることもまた、その一因なのだ。
「……そうかもね。でも、会いたい人とかいるんじゃない?」
「そりゃあ、私だっているけど……今は会いたくない……かな」
「?」
まるで自分に友達がいないといわれていることに茜はムッと頬を膨らませる。彼女だって大切にしてくれる家族がいるし、友達だっている。そう言い返したくなったのだが、口を閉じてしまった。やはり離れ離れになっていたことが彼女の胸を締め付けているのだろう。
彼女の頭に去来するのは、主に家族と、幼い頃に一緒に遊んでくれた二人の親友であった。
「……会いたいにしろ、会いたくないにしろ、どのみち会えることには間違いないんじゃないかな?」
「え?」
「君のお父さんは、今東京にはいないんだろうけど……きっとこの国を取り戻すための準備を整えているはずだよ。ハルディから聞いたじゃないか。プロフェッサーが手を貸してるって話」
「プロフェッサー・ラヴェリア……」
いきなり気遣うような言葉をかけるルーヴェに父親に会えるとはどういうことか疑問を浮かべる茜。
ルーヴェの言う通り、茜の父親は東京にはいない。レイヴンイエーガーズの情報網から別の地区で準備をしていることだそうだが、今のところは動きを見せていない。ラヴェリアが接触しているとのことだが、詳細は明らかになっていないのである。
「日本軍も準備を進めているってさ。そろそろ、こちらからアプローチをかけてみるのもいいんじゃないかな?」
「……それもそうね。もしかしたら、あいつらも……」
「…………」
日本軍とのコンタクトを提案するルーヴェに茜はそれもアリだと一応納得する。
ルーヴェ達レイヴンイエーガーズには味方がいないのだが、ガルヴァス帝国には敵が多い。ならばその敵をこちらに引き込めばよいと言うわけだ。敵の敵は味方と例えられるが、案外間違いではないかもしれない。実際、ガルヴァス帝国の敵はレイヴンイエーガーズだけではないのだ。
その証拠に世界中にはテロリストによる抗争が未だに続いており、その中で銃を取り続けている者だって少なくない。今まではシュナイダーによる激しい弾圧に苦しめられていたのだが、四機のアルティメスが出現したことでその弾圧が少なくなり、勢力図にも変化が起きていた。
アルティメスの襲撃による軍事基地の破棄が続き、ガルヴァス軍は戦線を維持することすら難しくなっていった。弾薬やシュナイダーといったテロリストを弾圧する余力すら残らなくなり、その地にいたガルヴァス軍は手を引く羽目になっていったのだ。
日本に陣取る中枢たる聖寮を攻め込むとしたら、ここが好機だろうと日本軍は睨んでいるのだ。これが成功すればさらに戦火は激化するだろう。これを確実にするためにはやはり、ガルヴァス帝国と互角に立ち向かえるレイヴンイエーガーズとのコンタクトを取るべきなのだと言える。
「なんにしても身元を割り出すにも時間がかかるだろうし、僕達も休息をとろう。ここのところ、働きっぱなしだ」
「賛成。リンド達も軍事プラントの破壊に成功したし、今のうちに休むべきだわ」
この一日を含めて溜まっていた疲れを取ろうと睡眠を促すルーヴェの提案に茜は反対するそぶりも見せずに賛同した。この二か月間、ルーヴェ達四人は世界各地を渡り、戦闘に介入し続けていた反動で疲労が溜まっていたのだ。
疲れを見せることのない"機械"の巨人たるアルティメスとは異なり、ルーヴェ達は"人間"だ。物を食べることもできるし、自由に体を動かすことだってある。もちろん感情だってあるし、疲れて寝ることもある。彼らも人間である立派な証明だ。
もっとも、彼らはとある影響が及んでいるためか、それが表面化すれば"人間"に思われなくなるだろう。あくまで一般人としての見解ではあるが。
それでも彼らは"人間"としてではなく"カラス"と名乗っているのも普通の人間に思われないことを避けるためのカモフラージュかもしれない。"適合者"という言葉もそれが由来だろう。
それでも彼らは死に塗れたこの世界を救うために戦い続ける。"適合者"たる資格を持つカラス達が羽ばたくその先には、どんな結末が待っているのだろうか。
それぞれの人間がそれぞれの大地で動き出す中、また一人動き出そうとした者がいた。その者は今、故郷の中心部に位置する大きな建物の中にいた。
その建物とは、その国に住まう人達にとって羨望、畏怖といった感情を一心に向けられることすらある場所。しかも、国を支配、いや今では世界を手中に収めんとする程の経済力と軍事力を兼ね備えた国家——ガルヴァス帝国である。
帝国を支配する皇帝とその皇族が住まう場所とは、ガルヴァス皇宮だ。その動き出そうとする者とは当然、皇帝の血を引くガルヴァス皇族であった。
その皇族が住まう部屋にコンコン、とドアの外からノックの音が聞こえる。
「お入りください」
「失礼します」
少女のような若く美しい声がドアの外に聞こえるとノックをした人物がドアを開け、足を踏み入れる。皇族は部屋の窓に手をつきながら窓に映る緑豊かな風景を眺めていた。
白いドレスに銀色の髪。一目見ただけでも一目惚れしそうな美しさ。まるで月の輝きが浮き出るような美しさを持った少女がそこにいた。
部屋に入り、静かにドアを閉めた軍服の"少女"ことノーティス・カルディッドは声の主たる皇女に一礼をする。そして、
「申し上げます。ヴェルジュ皇女殿下からご伝言がありました」
「! お義姉様から連絡が?」
ノーティスは窓の近くに佇む皇女に伝言を預かってきたと伝える。それを聞いた皇女は自身に使える騎士であるノーティスに顔を向ける。
「はい。それをお伝えに来ました」
「そうですか。その内容は?」
同じ皇族にして義姉であるヴェルジュから連絡してきたことに彼女は息を飲み、その内容を問おうとする。その矛先を向けられたノーティスはこう伝えた。
「"カラス達の巣をつつけ"……と」
「……そうですか。他には?」
「"奴らの製造元も割り出せ"……だそうです」
ノーティスから伝えられた内容とは、レイヴンイエーガーズに関することだった。カラス達の巣、すなわちレイヴンイエーガーズの本拠地を割り出すこと、そして、背後にいる者を探し出すことである。どれも一筋にはいかない内容だ。
「…………」
皇女は口を閉ざしたまま黙る。自身に与えられた仕事がこんな難度の高いものなのかと迷ってしまっただろう。彼女にとって実はこれが皇族としての初仕事でもあり、悩むのは当然である。皇女の表情に陰りが見え始める。その助け舟として、ノーティスは助言する。
「いかがなさいますか。これは別の方に任せても……」
「いえ、受けましょう。皇族たるこの私がこのようなことをなさらずに前には進めません。それに少々気にかかっていたこともあります……」
ところが、皇女はその頼みを引き入れる。その姿勢にノーティスは目を見開く。それは皇族として恥ずかしくない態度をとるためと言いたいんだろうが、当の本人には目的が別にあった。だが今はこの荷が重い仕事を片付けることが先だと皇女は意識を高める。
「では……」
「すぐに準備を進めてください。これは我々に課せられた使命でもあるのです!」
「イエス ハイネス!」
ノーティスは皇女の指示に従って皇女の部屋を後にし、すぐに準備に取り掛かり始める。
一方、部屋に残った皇女はまた窓に映る景色を一望する。だが、彼女はその光景を見ているわけではない。彼女が見ようとしているのは、もっと別のものだった。
ガルヴァス帝国の都市部は、あまり人が少ない。いや、ほとんどが見かけられない。なぜなら、ここにはいないのだからだ。その都市部の異変の主な原因がこの巨大な壁である。
それは世界から隔絶するように敷き詰められた大きな壁。何かを隠すような、いかにも怪しい雰囲気を持つ壁の内側に広がるのは文字通り別世界といっても過言ではない。
壁の内側はいかなる権力も届かない魔の領域。たとえ足を踏み入れたとしても、最後は命を散らしてしまう。皇族も一般人もその壁の前では等しいただの人間なのだ。
さらに動物達も足を入れることも許されない。それは彼らも本能で分かり切っているからだ。
なぜなら、そこはかつて大量の命を瞬く間に消滅させた、惨劇を引き起こした忌まわしき土地なのだから……。
最後に新キャラが出ましたが、イメージではまだこの段階で顔は出さない予定です。




