違和感
朝日と共に太陽が昇る中、一月学園は、ある行事を行っていた。その行事とは、"予防接種"である。
【ギャリアの悲劇】から五年たった今でも、ギャリアウイルスが蔓延している可能性および、いきなり症状が現れることも少なくないため、対抗策であるワクチンを摂取する必要があった。
今では全世界に行き渡っているため感染が確認されることは少ないのだが、ワクチンの数は少なく、新たに作るにも時間と金が大きく掛かるのだ。そのため、接種を受けるには数ヶ月に一回、指定の病院で受けるという決まりとなっている。それは国民全員に課せられた義務であった。
ワクチン接種にはもちろん日本人も含まれており、意外にも治療を受ける権利は許されていた。ガルヴァス人もさすがに見捨てることはできず、そうすれば外道と見られることには間違いなかったのだ。
ワクチンによる摂取で当時と比べ、感染が確認されることは少なくなったのだが、ワクチンを摂取してもなお感染が確認されることも多数あり、まともに治療が行えることはなかった。未だに人類はその脅威に怯えたままである。他にも戦争による蹂躙という理不尽にさらされることもあったのだが諦めることはなかった。
病院の他に、一月学園でもワクチンの摂取を義務付けられており、今日がその日であった。
学園の敷地内にある体育館の中ではたくさんの人が溢れかえっていた。その中にいた数人の白衣を着た大人達はワクチン接種を担当し、向かい先の椅子に座る生徒、および職員の相手をしている。
右手にはワクチンが入った注射器が握られており、生徒達の左手に針を刺し、ワクチンを体内に入れていく。それが終わった後にはまたその後ろにいる生徒の相手をする。その繰り返しであった。その生徒の中にはエルマ・ラフィールの姿もあった。
予防接種が終了した後、生徒達は今までと変わりなく授業を受けることになっていた。接種を受けたことでまた生きることができると安心した者や感染するリスクがあるのではないかと不安がる者も少なからずいた。ただ一部には何か違和感を持つ者も少なくはなかった。その一人はというと……。
「…………」
「エルマ、エ~ル~マ!」
「!」
エルマは自分の席につき、訝しい表情のまま考えていた。今は予防接種が終わった後の休憩時間である。エルマは何か聞こえてくるようだが耳にも頭にも入れずそのまま続けた。しばらくすると自分の名前を呼ばれていたことにようやく気づく。彼女の前には例の三人であるイーリィ、カイネ、ルルがいた。
「まったく、どうしたの?」
「あ……ゴメン」
「何か考え事をしていたようだけど……もしかして予防接種?」
「大丈夫よ! 前に受けた時は何ともなかったんだから」
「そうだけど……ね」
三人は友人が何か考え事にしていることに不安となったのか、心配して声をかけたのだ。最初は声が聞こえないのかと思ったのだが、しばらく続けていると流石に彼女も気がついたらしく、反応した。しかし、エルマの顔はいずれも顔が曇ったままであった。
「ただ、妙なことがあってね……。みんなは血液を採取される際、どれだけだった?」
「どれだけっていうと……一本しかなかったけど?」
「私も」
「あたしも」
「え? 私の場合は四本も採られたけど」
エルマの質問に三人は揃えて口を開けていた。そこから出た言葉は彼女達にとっては普通と呼べるものだった。しかし、エルマの場合は……
「四本って、ちょっと採りすぎない?」
「別に貧血を起こすようなことはないと思うけど……なんか多いなと思ったのよ。実は前の予防接種でもいくつか採られたわけだし」
「ウソでしょ……。もしかして、アンタ疑われているんじゃない? 自分が"感染者"だってことに」
「そんな……いやでも、まさか、あの時から……」
「「?」」
カーリャの言葉にエルマは何か思い当たるのかまた訝しい表情をする。それを見ていたイーリィやルルも疑問を浮かべ、不思議そうに顔を横に傾ける。
血液を採取される理由は、単純にウイルスによる感染の有無を確かめることである。もちろん同時にワクチンの摂取が行われるため、通常は感染が確認されることはない。
しかし、それでも感染が確認される場合は病院で検査することが推奨されている。本来は一本だけで事足りるのだが、なぜかエルマだけは四本と多かった。しかも、前回の予防接種でも数本は採られているようであり、明らかに普通ではなかったのだ。カーリャの言うとおり、ウイルスの感染が疑われてもおかしくない。しかし、それとは別におかしな点もいくつか残っていた。もっとも、それは口にすることが難しいほど簡単な問題ではなかった。
「一度検査受けたほうがいいんじゃない? 何かヤバそうだし……」
「そうかもしれない……。……わかった、一回病院に診てもらうことにするよ」
「その方がいいよ。それにエルマ、いろいろあるみたいだし……全部解決させてもらってよ!」
「わかった!」
「…………」
三人の励ましにエルマもずっと暗いままだった表情から笑顔が浮かぶ。今まで悩んでいたことを解決できることに喜んでいることが分かる。だが、彼女の頭の中は今でも疑問を浮かべており、それを悟られないように笑顔を繕っていただけであった。イーリィ達も笑顔を浮かべる中、カイネはエルマの表情を見逃さなかった。
彼女達の後ろでそのやり取りを見つめる二人の人物。それは彼女達の中で広げていた話題に対してのものか、それとも……。やり取りが終わるとササッと教室を後にした。
昼休み。学園内には食堂が存在しており、学生達は食堂にいる栄養士から昼食を作っていた。生徒達はお金を出し、昼食を口に入れる。それもまた学園の風景であった。もちろん昼食が終わった後は食堂を後にし、教室に足を踏み入れる学生もいた。中には仲良く話題に盛り上がっている者もいくつか確認できる。
だがまったく浮かない顔をする者が学園の屋上にいた。その人物とはもちろん、エルマであった。
「……ハァ」
彼女が浮かない顔をする理由はもちろん、自身の体の変化であった。その変化は実は数年前からあったそうだが、それを伝えようにも学園内はおろか、親にも切り出せなかった。そのことを罪悪感に苛まれたのか、深い溜息を付いた。
彼女の後ろにあるドアが付いた小さな建物の内側である、屋上へつなぐ場所に設置されている階段から音がしていた。それはカツン、カツンと二つの足音がして、段々と高い場所へ音が伝わっていく。その足音の持ち主は二人組であった。その二人は今、屋上へ繋がるドアに手をかけた。
ガチャ!
ドアが開かれる音がするとエルマはその方向へ顔を向けた。その視線の先には彼女と同じ制服を着た二人がいた。その二人とは彼女の祖国が占領したこの国を故郷に持つ日本人の、赤峰 刀牙とその幼馴染である木原佳奈であった。
「あなたは……」
「…………」
不意にエルマが声を漏らすが、刀牙は無言のまま見つめていた。そして、彼の後を付いていた佳奈がドアを通ると刀牙はドアを静かに閉め、また彼女へ視線を向けた。
「珍しいな、アンタがここにいるなんて」
「そういう貴方こそ、どうしてここに?」
「暇だったから……というのは単なる建前だ。アンタに話があってここに来たんだ」
「私に?」
刀牙はエルマに何やら話があることを伝えに来たのだ。もしかしたらあの時に、話を聞かれたのかとエルマが訝しむ中、佳奈が口を開いた。
「エルマさん……貴女、何か変な出来事はありませんでしたか?」
「え?」
「例えば、急に力が強くなったり、頭が良くなったりなど……」
「…………!」
佳奈からいきなり妙な質問をされたことに気が抜けたのか、ピリピリとした空気をブチ壊すようなマヌケな声を漏らした。だがその後に続いた質問にはすぐに思い当たった。いや、当たってしまった。
「どうやら、心当たりがあるようだな。話してくれ」
「どういう事? 意味がわからないのだけど……ちょっと教えてくれない?」
「質問しているのはこっちです! 貴女はそれに答えてください!」
「えぇ――!?」
刀牙はその変化を見逃さず、警察の取り調べのようにエルマを追い詰めていく。状況が分からないエルマは説明を求めるのだが、佳奈にバッサリ切られてしまう。今この場には彼女の味方はどこにもいなかった。その後、エルマは諦めたようにガクッと顔を下に向けてしまった。目の下に涙が出てしまう程に。
「わかった、話すわ。……数年前にそういうことが起きたの。いきなり眼が良くなってね」
「「!?」」
「それに重いものを一人で持てるようにもなってるし、何がどうなってるのか分からなかったの。私の体に何が起きているのか……調べることが怖くて……」
「そのことを家族には?」
「ううん、話してない。なんか怖くて」
「そうか……わかった。まさか、他にも……」
「え?」
エルマの話に刀牙達は納得したように頷く。そのことが彼女を苦しめていた原因であることを理解する。刀牙の表情は張り詰めた感じであり、ポロッと言葉を漏らした。そのことにエルマが気付く。
「今の……もしかして、何か知っているの? 質問の時だって、やけに具体的だったし……答えて」
刀牙の言葉を逃さなかったエルマは、今度は刀牙と佳奈を追い詰めていく。二人も隠す必要もなかったのか、彼女の質問に答える形で口を開いた。それは彼女の変化に大きく関わることでもあった。
「実はな……アンタのように何かが変わったのは、俺も同じなのさ」
「え!?」
「いきなり握力が強くなっちまってな……。どういうことなのか分からなかったんだよ。母さんにも言ったんだけど、どうすりゃ良かったのか未だにわからなくてな……。まさか一人じゃなかったんだなと安心したよ」
刀牙の言葉に衝撃を受けたエルマは口を塞ぐことができなかった。まさか自分と同じ苦しみを持った人がいたなんてことは思いもしなかったのだ。しかも、憎まれるはずだった日本人でもあるにも関わらずに、だ。どこか親近感がある。
「まさか、あなたもなんて……。いや、もしかしたら、あの子も……」
「まだ思い当たるのがあるのか?」
刀牙の言葉にエルマはコクリと頷いた。もしかしたらなにか聞けるかもしれないと思いつつ刀牙達を信じ、エルマはあることを口にした。
「昔、聞いた話なんだけど……ある一人の少女がいてね……その子、何でも歩くことがままならない様子でベッドに座りっきりの生活だったんだけど、いきなり足を動かすことができるようになったの」
「「!!」」
「それでなんだけど、その後、あの子がいきなり姿をくらましてね……行方がわからなくなってしまったのよ。両親も探すことを依頼したんだけど――結局は見つかることは出来なかったって話なのよ」
「それって……まさか"神隠し"か?」
「! まさか、あなた達も……?」
エルマの話では、その少女は生まれた頃から半身不随だったらしく、寝たきりの生活を強いられていたのだが、いきなり体を動かすことができたことにすごく喜んだらしい。しかし、彼女に何が起きたのかはわからなかったのだが、これは奇跡なのだと信じた。
ところが、それが起きた後にはいきなり姿がいなくなったことに両親は必死に探したのだが見つかることはなかったそうだ。その後、残された彼女の両親は少なくとも亡くなったと聞いているらしい……。それは奇跡と絶望が同時に起きた出来事であった。
彼女の話を神妙に聞いていた刀牙達はある出来事に思い当たり、いきなり表情を強ばらせる。それは彼らにも関わるものであることを、エルマは自分と無関係ではない話だと察し、それに気付いた二人は静かに頷いた。
「こっちも、親友がいきなり姿をくらましてな……。一体、何が起きてんのかわからねえんだ。もしかしたら、俺達に起きていることと関係しているんじゃねえかってな……」
「それって、いつ……?」
「……数年前だけど……?」
「もしかして、【ギャリアの悲劇】が起きた後……?」
「「!!」」
「やっぱり……。実はその話も"悲劇"が起きた後の話なの」
「マジかよ……」
刀牙の頭を巣食う疑問にエルマは少しずつ切り口を入れていき、ある一言でついに確信を持つことができた。神隠しが起こったのは、その"悲劇"が起きた後に起こったものらしい。エルマの話もその時期に起きたものであり、確信を得るには十分であった。
あらゆる生物、食物に死を呼ぶギャリアウイルスによってたくさんもの骸が築く中、反比例するように生きた人間が次々と姿を消していった。中にはウイルスに感染したことを隠すために自ら姿を消したものだと噂されていたのだが、どれが真実かは全く判明されてもいなかった。これは単なる都市伝説ではなく、偶然とは言えなかった。
学園の話を描きました。何やら不穏な感じが出ていますが、物語はさらに加速していくでしょう。




