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住居に対するセキュリティー対策というのはその国や地域で大きく変わる。 田舎では鍵を閉めずに外出するのが当たり前と思っている場所もあれば、アナログやデジタルを問わず厳重な防犯対策を施すことが当然という場所もある。
その中でも高級マンションというのはその部分を評価項目として売りにしており、安心という日常生活を送る事に置いて不可欠な物を提供する分野にはどの不動産業も力を入れている。
そして、特に厳重なセキュリティーが敷かれている都会のマンションの一室に、現在三人の若者が食卓を囲むために集っていた。
「おはようございます、御伽さん」
自室からリビングへと移った銀髪の少女、セレン・レイノルズがキッチンでフライパンを返している黒髪の少女に声をかける。
「おはよう、セレン。 もう少しで朝食の用意が出来るから、座って待っててね」
横目にセレンを確認しながら菜箸を動かす草薙御伽。 家を草薙神社に持つ女子高生である。
そして、その様子を椅子にもたれ掛りながらずっと訝しげに見ていた青年、水越季人が幼少のころから付き合いのある御伽に視線を投げかけた。 付き合いがあるとは言っても、歳は季人と八つ離れており、幼き日の八歳差と、それなりの成長を遂げた八歳差と言うのは男女の接し方において多少なり変化があってしかるべきなのだが、二人の間にそんな青春群像劇チックな出来事は微塵も無く、その関係性は今でも手のかかる年上のダメ人間と、真面目が取り柄の世話焼きというものだった。
「……なぁ、今日はお前の家に俺とセレンが行く日じゃなかったか?」
少し前まで、季人は御伽の家に毎朝朝食を食べに出向いていた。 しかし、ひょんなことからセレンの保護者のような役割をする事となり、現在のマンションで同居する事になってから、その数年続いていたヘビーローテーションが変化した。
当初、生真面目な御伽がセレンとの同居をすんなりと許容するはずも無く、草薙家当主である御伽の父親も含めて一悶着あったのだが、とりあえずこれまでの習慣であった朝食の席を囲むことを継続するという事で一応の着地点を得た。
その際、セレンの養子縁組をしようかと御伽の父親は申し出てくれたが、セレンの生い立ちや素性は秘匿せざるを得ず、また本人もそれを望んでいるため、現在も事情を知っている季人が保護者のような役割を担っている。
セレン・レイノルズという少女は、現在では解体されたサウンドメディカルという医療会社に秘匿されていた超能力者であり、彼女の奏でる音楽は人の身体に大きな影響を与えるという特異な存在から長年軟禁されていた。
それを紆余曲折の後に、季人とウィルが身柄を保護したという過去を持っていた。
「いいでしょ別に。 それとも、私が来たら何かまずい事でもあったのかしら」
ジトっとした視線が御伽から季人へと向けられる。
「まずい事なんて一つもないが、奇跡的なタイミングが重なった瞬間に、目撃者が何を思うかまでは推し量ることは出来ないからな」
ラッキースケベなんていう、これまで生きてきた中でも一回あるかないかの現象の際、それを第三者がどう解釈するかはその人の人柄や人間関係に大きく左右される。
しかし、現状自分とセレンという組み合わせの下で起こったそれを御伽に目撃された場合、大方自分にとって不利益の割合が大きい事は自明の理だということを季人は十分理解していた。
「奇跡って起こすものなんでしょ。 なら、それを断ち切るのが私の役目よ」と、包丁の刃を季人に見せつけながら言い切る御伽。
「チンピラも真っ青の理論だ。 ヘッドでも務めてみては?」と、武力で物事を解決しようとするのは、神社を実家に持ち、神に仕える者としていかがなものだろうかと季人は思った。
本当に容姿端麗な黒髪の巫女がそんな事になったら知名度抜群の不良集団が誕生することは間違いない。
ただ、もしそうなった場合、草薙家神主による娘への教育的指導によって一日もたたずにその集団は消滅するだろう……。
「いつもありがとうございます御伽さん。 私が早く料理を覚える事が出来たらいいのですが……」
「いいのよ、人間得手不得手があるんだから。 料理の一つくらいできなくても、こんな奴にはパンの耳でも食べさせておけばいいんだって」
そんな御伽の暴論に対して、しかし自分は大人であると、争いごとを避ける為に季人は黙秘を貫く。
「でも……」とそれでも言いよどんだセレンに対して、御伽はあっけらかんとした調子で料理を皿に盛っていく。
「いいんだってセレン。 それに、いつ理性のタガが外れてもおかしくない獣から、目を離すわけにもいかないからね。 いうなれば、これは私の義務みたいなものよ」
自信満々に己の責務をセレンに話している御伽に、季人は一応、あたりさわりのない反論を試みる。
「俺はそんな可能性の獣じゃねぇ」
「どうだか……悠希が言ってたわよ。 Barで美人を見かけるたびに粉かけてるって」
「ちょっと! バーテンダーは客の情報おいそれとしゃべっちゃいけねぇんだぞ!! それをやっていいのはRPGの酒場だけ!!」
酒場が情報の集まる場所として映画などでよく話に出てくるのは、人の交流が多くアルコールの力が秘密と言う錠前を開けやすくするからだ。 それにBarともなれば、秘密の溶け込む光量を落とした照明、視線を合わせずに済む向かい合わないカウンター席、外に会話の漏れない厚い出入り口の扉と、秘密はその空間だけでやり取りされる安心感と演出効果。 その場に唯一同席を許されるのが、バーテンダーと言う職業だ。
「だって、悠稀がそれを教えてくれた時は女子学生だったし」
「なんという詭弁……」
どうやら、まだ高校生である悠稀にはその本文と言うものが身についてはいなかったらしい。 ちなみに悠稀とは御伽が普段から仲良くしている女友達の一人。 ボーイッシュな性格と容姿のせいか、カウンターに立つ姿はとても様になっている季人もよく知る女子高生だ。
本来は良しとされていないそういった場所でのアルバイトも、どういった手を使ったのか今では学校側にも容認されている。 その点に首を突っ込もうとすると露骨に話題を逸らそうとするので、今ではもう誰も触れようとはしない。
「ほらほら、いつまでも喋ってないで、冷めないうちに食べちゃいなさい。 今日はアメリカンにベーコンエッグとサラダ、トーストに……」
運ばれてきた彩りのいい朝食のラインナップ。 季人はそのうちの一つから、目が離せなかった。
「スクランブルエッグよ」
それは、卵料理を苦手とする季人にとって、苦戦を強いられる強敵だった。