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トラヴィスが施設最上階の扉を開けたとき、空を覆っていた雨雲は厚さをさらに増し、風雨は髪が激しく乱れる程度に激しくなっていた。
しかし降雨が屋上を激しく穿つ音以上に、着陸態勢に入った黒い民間用ヘリコプターのローター音が空気を激しく掻き見出し、その場を満たす全ての音を吹き飛ばしていた。
その影響で下から地吹雪の様に巻き上がる雨から視界を守るために、トラヴィスは腕を顔の前に掲げながら屋外に飛び出した。
それを確認したヘリコプターのパイロットはゆっくりと機体を下ろし、トラヴィスは乗降用ステップに足を掛け、キャビンスライドドアを開け放った。
「よし、出してくれ!」
大声でパイロットに告げたトラヴィスはシートに着くなり、ベルトを装着して機内用インカムを頭に装着した。 指示を受けたパイロットは徐々に機体を上昇させ、施設屋上から離脱していく。 それを窓から眺めつつ、背もたれに体を預けて一息ついたトラヴィスは、胸元にしまってある貴重なデータが入ったフラッシュメモリを取り出す。
「これから忙しくなるな」
実地での検証は済んだ。 カルディアの設計データも用意してある。 あとは権謀術数の世界で此度の成果をもとにして立ち回り、軍需産業の業界と協力してカルディアの改良と量産を進めていく。 そこで得た情報と資金を祖国の復興の為に運用し、尽力する。
ここまで来るのにトラヴィスは多くの修羅場を潜ってきたが、今度は政界での戦いが待っている。 だが、そこはむしろトラヴィスにとってのホームグラウンド。 門外漢に近かった技術的な分野が占めていた今までよりもずっと自分なりの立ち回りが出来る。
トラヴィスにはそれだけの事を運べる確かな手腕と自信があった。 そして休む間のないであろう戦乱渦巻く政の世界にこれから挑もうとしている自身が、むしろその事に高揚し、武者震いしていることに気付く事は無かった。
「サルバトーレ大臣、あなた宛てに通信が入っています」
「何、誰からだ?」
そんな思いにふけっていると、パイロットからの声がインカムを通して聞こえてきた。 しかし本計画はトラヴィスが秘密裏に進めていたものであり、外部からの干渉は本来ありえないものだった。
故に、計画に無い通信などは極力排されるようにしており、それは協力者にも徹底してある。 だから、このタイミングで通信をしてくるという相手に、何一つ心当たりが無かったのである。
「相手はミルウォーキー414と名乗っています。 何かの暗号でしょうか?」
「何だと? ……繋げ」
パイロットは「了解」とだけ告げ、通信をトラヴィスのインカムへと繋いだ。 そして、聞こえてきた声は心当たりのある者と同一人物だった。
『望んでいた成果は得られたようだね、トラヴィス・サルバトーレ』
「ああ、これも貴方が協力してくれた功績が大きい。 ウィリアム・フレイザー」
それは、数日前の喫茶店以来、互いに会話を交えていなかった二人の思惑や目的が久しぶりに交錯した瞬間だった。
『クライアントに喜んでもらえて僕もうれしいよ。 何だかんだで報酬も払ってもらったし、関係者が皆WINWINなのはいい事だよね』
「その通りだ。 臨んだ者が、望んでいた物を手に入れた。 今回はそうやって各々着地点を得た。 これが大団円というものだ。 これ以上を欲するのはそれこそ強欲というもの。 何事にも引き際がある。 それを見極めてこそ、次につなげる事が出来る。 ところでどうかな、新たなプロジェクトを始めるにあたって、私に協力してはくれないだろうか? もちろん、相応の謝礼は約束しよう。 私と君だけの特別な約定だ。 他の者を巻き込むことなどしない」
それはトラヴィスの本心だった。 どのような形で合っても、優秀なブレインはいくつあっても足りない。 それに現在は研究を主導していたラーキンが存在しないのだ。 であれば、それに見合うだけのスキルを持った人間が必要なのだ。 その点に関していえば、ウィルはこれ以上ないほどの適任であり、誰もが認める技術を持っている。
『へはは。 確かにERBの研究というのは興味はある。 それにアンティキティラ・デバイスに対して造詣もあるから、直ぐに立ち回れるだろうね』
それは事実だ。 今この世界でラーキンの後を継げる者がいるとすれば、独自の検証結果をもとにトラヴィス達の研究班並みの結果をだしたウィル以外に存在しない。
『けど、それは君達とじゃない』
ウィルのその返答はトラヴィスにとって十分予想できるものだった。
「良い返事は期待していなかったさ。 それなら、私のコネクションを使って、よりよい人材を集めるだけだ」
『まぁ、実際のところ餌は上等な物だから、名のある技術者達にしてみれば喉から手が出るほどの研究課題だ。 例え無名であっても、腕に自信があるなら足の甲を舐めてでも関わりたいと思うだろうね。 そして、関わった者たちは後に救国の技術者として名を上げるんだろう。 トラヴィス・サルバトーレを筆頭としてね』
「そうなると思うか?」
その問いに、ウィルは「くっくっ……」と鼻で笑った。
『国益の為に……祖国を救済する為にあらゆる万難を廃し、障害を乗り越え、己が信念に準じた君はまさしく、救国の英雄と湛えられるに相応しい。 例えその裏で何をやっていたとしても、人々は結局のところ表の顔しか見る事は無いし、自分に利する事が多ければ、影の不遜には目を塞ぐ。 それは非難される事では無く、社会というシステムに身を置く者にとっては当然の権利だ。 唯でさえ未曾有うの財政危機に陥っているのだから、自分達を、そして国を守ってくれた救世主に対して誇らしく称賛を掲げるのは何もおかしくは無い。 僕だって、ここまでの功績を残した君の事を素直に認めるよ。 まさに、時の人ってやつさ』
「確かに、民衆は個人として考えるより、集団としてとらえた方がその動向は読みやすい。 それを鑑みれば、今は政府に対する民意の信頼は底辺に位置すると言っても過言ではない。 それを悲観して土地を離れる者も少なくは無いが、多くの国民は自らが育った愛着があり、実際のところ自国の文化を愛している。 だがこれからは、より土着による民衆の幸福を育んでいかなければならない。 その為に早急に事を運んで行かなければ、国に対して更なる不満が募り、再び民意は政府に対して失望する一途を辿るだろう」
『ああ、だからこそ残念に思うよ。 ギリシア国民の得られるべき幸福な未来が失われてしまう事を』
トラヴィスにはその言葉の含んでいた意味が分らなかった。 だから率直に「どういう意味だ?」と問い返した。
『言葉通りの意味さ。 英雄がこの国から出ることはない』
ウィルがそう告げた瞬間、突然機体に衝撃が奔り、機内には警告音が鳴り響く。
ガタガタと断続的な振動を感じながら「何が起こった!?」とトラヴィスはパイロットに叫んだ。
「分りません!! 突然冷却用ルーバーに異常が……いえ、これはローターシャフトに……っ!?」
安定性を無くしたヘリコプターは蛇行しつつも、その速度は目に見えて低下し、徐々に高度を落としていく。
パイロットは計器類を素早く確認しながら操縦桿と格闘をしていた。 大雨の中とはいえ、落雷の様子も無かった航行中に何が起こったのか理解できずにいた。
だが、ウィリアムの言葉の真意が頭の中にちらついたトラヴィスは、万が一にも原因がその通話相手にあるのではないかと至った
「まさか、貴様なのか?」
トラヴィスの疑問には、しかしウィルは肯定も否定もしなかった。 ただ、その理由だけを答えとして告げた。
『面だった大義があるとすれば、一国を救うために世を戦乱へと導くような男が、死の商人となる前に手を打たせてもらうってところかな』
「何を……したんだ……?」
このヘリコプターに初めから細工をしてあったとは考えにくい。 しかし、地上からはるか上空を飛んでいる本機に干渉する方法など、今のトラヴィスには考えられなかった。
『僕は何も。 ただ、ロズベルグ家の抱える執事は重火器に精通しているみたいでね。 そのトランクには対物ライフルまであるっていうから、目標の座標を教えてあげたに過ぎないよ』
「ば、馬鹿な……。 この大雨の中でだと? それに、どうやってこの場所が……」
この際、ロズベルグの人間がそのような武装を所持していることには驚かない。 しかし、日も出ておらず、この悪天候という視界の中、居場所も明確に分からないものを正確に狙えるはずがないとトラヴィスは混乱の極みにあった。
『この国には不法な電波利用を探知するDEURASシステムっていうのが色んな場所に設置してあるんだよ。 それをちょっと細工して利用すれば、通話相手がどこにいるかなんて直ぐに分かる』
総務省によって管理されている電波監視システム――通称DEURASシステム。 認可されていない電波発信局を突き止めるために設置されたそのシステムは、電波塔や高層ビルの上、そして電波監視車両など、様々な場所に設置され、不法に行われている電波の利用を監視し、その範囲は日本中とその近海にまで達している。
それをウィルが間借りして独自のプログラムを通して利用する事により、通話相手が発している電波を元に居どこを特定したというわけだ。
ただ、トラヴィスのいう事にもウィルは一点頷けた。 まさか飛行中の目標に、特別な観測器も付けず己の感覚だけで風速やコリオリを把握して命中させるとは、半分信じられなかった。
だが、道を極めた者の手腕というのは、どのような分野でも素人からしてみたら何もかもが神業に見えるものなのかもしれない。
「こ、このような事をして、外交問題になるぞ……っ!!」
『なぜ? 君は秘密裏に動いていたんだろう? その件もこっちでは裏付けがとれてる。 このプロジェクトも成功すればもろ手を挙げて喜ばれただろうが、その結果が報告されないまま責任者が死んでしまったら? それなりに後ろ暗い事もやってきたんだから、事が公になるのは避けたいはずだ。 なら、ここで君が死んでも、ギリシア政府は一切の関与を否定するだろう。 民間ヘリコプターの墜落というニュースは全国に放送されるだろうが、そこに君の名は出てこない。 結果、君は行方不明という事になり、一月後にはトラヴィス・サルバトーレの名を口にする者はいなくなるだろう』
「馬鹿な!! このような事、あっていいはずがない!! これからなんだぞ。 これからが私の戦場なのだ。 このようなところで終わっていいはずがないっ。 私は国を……ギリシアを……っ」
激高させて叫ぶトラヴィスの声は、もはやウィル自身にではなく、自らに言い聞かせて現実から逃れようとしているかのように聞こえた。
『それに、どうやら君と関わったらかなりしつこく付きまとってくるそうじゃないか。 僕としてはそういうの御免こうむる』
対して、ウィルは務めて冷静に、抑揚なく思っていた事を聞いているかも分らないマイク越しの相手に伝えた。
煙を吹きながらふらつくヘリコプターが大学の立ち並ぶセントラルパークに差し掛かった時、ヘリコプターが離陸した地点で匍匐姿勢を取っていたロズベルグ家の執事、ゼリアスによって二発目が発射された。
アンツィオアイアンワークス社製のアンチマテリアルライフル。 全体重量約六十キロ。 一メートル以上のバレルから放たれるのは、20ミリという破格の弾丸。 マガジン装弾数は3発。 有効射程は四千五百メートルという、超長距離用の対物ライフルの弾丸は、降りしきる雨と吹き荒れる空気を切り裂きながら、まるで吸い込まれるようにヘリコプターのローターシャフトを直撃し、揚力を生み出していたメインローターは勢いをつけた竹とんぼの如く機体から吹き飛んで行った。
そして、当然揚力の失った機体は万有引力の法則には逆らえず、降りしきる雨と同じように、緑生い茂る芝生へと吸い込まれていった。
自室でパソコンの前に座っていたウィルの耳には、通話が途切れた後の無音しか残されていない。 トラヴィスが何かを訴えていたかもしれないが、それが意味を成していたかはもう分らないし、確かめようがない。
「さようなら、トラヴィス・サルバトーレ。 人には過ぎたテクノロジーを求め、国益の為と我欲を優先した傲慢さを抱きながら、ギリシアの英雄イカロスの様に墜落死することが、君にはとてもよく似合っているよ」
そして、トラヴィスの存在と功績は、彼の英雄が身に着けていた蝋の翼の様に、ゆっくりと、しかし跡形もなく消えていくことだろう。
ウィルは席を立ち、身支度を整えてから親友が運び込まれたであろう病院へと出かけるために身支度を整え、静まり返った自分の部屋を後にした。




