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制御室に居たときにラーキンが向かった先は、その方向と上部へと続いていく道筋で、艦橋へ向かっているのだと想像できた。 ただ、フィラデルフィア計画の際にテスラコイルが設置されていたのは船体後部だったと記憶していた季人は、しかしその事を重要だとは考えていなかった。
もはやここまでくると、世間で広まっていフィラデルフィア計画とその内容は大きく乖離している。 自分がこれまで見聞きしてきた情報はあてにならない。
その証拠に、本来あるはずのない、自分ではよく分らない電子部品や機材が核心部に近づくにつれて増えてきた。
『季人』
「ん、どうした?」
『多分その先は、僕の理解を超えた世界だ。 だから、的確なアドバイスが出来るか分らない』
ああ、分ってる。 その言葉を季人は口に出さず、はにかんで頷いた。
紀元前に生まれ、未来へと託された技術が多くの人々の思惑を孕みながら誕生したカルディア。
自分達はその発動を止める為にここへ来た。 トラヴィスもここに居るという事は、検証データのフラッシュメモリも、恐らくここにあるだろう。 だが、全てを回収、もしくは破壊するだけの余裕があるのか分らない。
『だから、君が何を選択しても、僕はそれを尊重するよ』
「ああ、まかせろ。 臨機応変は、俺の最も得意とするところだ」
『へはは。 違いない。 それと、今ゼリアス氏がマリアンを回収したと連絡があった。 だからそっちは安心してくれ』
「了解した。 それじゃあ、皆を引き上げさせてくれ。 なるべく遠くにな」
『うん。 僕としては、それが無駄骨になる事を切に願うよ』
「俺だってそうだよ」
最悪の事態を想定した場合、一刻も早くこの場から離れる必要がある。 この真上はERBの効果範囲が間違いなく最速で及ぶ。 それに、これ以上外部からの闖入者を気にする必要も無い。 もうセレン達に頑張ってもらう必要はない。
『じゃ、がんばってね』
「はは、軽っ」
ワールドアパートのブレーンから鼓舞というにはあまりに薄っぺらい励ましを頂戴した季人は、逆にそれで気が楽になった。
結局のところ、重苦しく考えたところで水越季人の心構えがどうこう変わる事は無いのだ。 いつも通りがもっとも柔軟さに必要な潤滑材なのだから、ウィルの激励としてはこれがベストだった。
そんな話をしているうちに、目指していたポイントである艦橋に到達した季人は、分厚い扉のハンドルを掴み、勢いをつけて手前に引いた。
足を踏み入れた時、既に予想していた先客が背中を見せながら機材を弄っていたが、その本人は季人に対して別段驚いた様子は見せなかった。
「思ったよりも早かったな」と、ラーキンは振り向かず作業を続ける。
「まるで、来ることが分っていたかのような口ぶりだな。 あんな化け物用意しておいてよ」
「分かっていたさ。 しかし、死体としてまみえると思っていた」
確かにそれは確率の高い予測だっただろう。 実際、生きていることが不思議な程の、ギリギリの綱渡りだった。 未だに全身を苛む脱力感が、よりそれを季人に実感させる。
「で、これがそうなのか?」
季人の問いに対して、ラーキンは手を止めて一歩下がり、まるで芸術品でも眺めるかのような視線をそれに向けた。
「ようやくだ。 この瞬間を、どれほど待ち望んだことか……。 これが、カルティアの本来の姿だ」
季人は改めて、それを見やる。
博物館で手にした時とは違い、土台となる機材の上に置時計の様に置かれたカルディア。 ミニッツリピーターが外れた部分にはレプリカがはめ込まれ、素人目にはそれで正常に稼働しているように見える。
これがどのようにしてERBを発生させるカギとなるのか全く予想できないが、少なくとも素人目にはハッタリの利いた設備と舞台が整っている以上、目の前の装置は間違いなく稼働するのだろう。 結果、現在と未来に甚大な影響を及ぼすことになるのだ。
だからこそ、季人はラーキンの本心が知りたかった。
「そこまでして、あんたは何がしたいんだ……。 いや、何がしたかったんだ?」
ここに来てまで、ラーキンの目的がERB発現でお終いとは流石に思っていない。 実験の先に見ているものこそ、執念という燃料で自信を動かしてきた行動原理のはずなのだ。
「私は、奪われた未来を取り戻す」
「奪われた……?」
返ってくるとは思っていなかった季人の問い。 だが予想に反して、ガーランドは滔々と語りだした。
「あの日、私はエルドリッジ艦内で歴史的大実験を控えていた。 同席していた科学者や将校。 そして、キャビノチェの一人であり、カルディアの設計主任だったヘンリー・ロズベルグも、そこにいた。 知っているだろう。 今はロズベルグ財閥などと呼ばれているが、その時はまだそれほど名の知れない一技師だった。 それも当然だ。 元々キャビノチェはその名の通り、屋根裏で時計を作る事を生業にしているような者達だからな。 それが、気付けば軍に取り入って財を成したのだ。 こそこそと立ち回るその様は、まさに屋根裏の住人と呼ぶにふさわしい」
嘲笑と蔑み、そして苛立ちを感じられるラーキンの声色は季人へではなく、話に出てくるヘンリーという男に向けられているように聞こえた。 その人物が、最初に行われたフィラデルフィア計画で失敗へと繋がる何かをしたと博物館でラーキンが言っていたのを季人は思い出した。
「奴等の時間に対する取り組み方は病的だ。 時というものを崇拝していると言ってもいい。 特にアンティキティラの技法を守ってきたキャビノチェ達に関してはそれがより顕著だった。 そんな奴らだ、軍事実験の一環としてアンティキティラ・デバイスを用い時を支配する……さらには次元すら思いのままにコントロールするという事に奴等は否定的だった。 それも当然だろう。 奴らにとって、あの実験はまさに神に対する冒涜に等しいものだからな」
季人はロズベルグ邸でカバーリが話してくれたことを思い出す。
太古の人々が未来に起こりうる人類史の危機に際して使われるべくそれは誕生し、これまでその技術が受け継がれてきたのだと。 故に、戦争目的で使われるという事に対して代々守り続けてきたキャビノチェ達が否定的な意思表示をするのは当たり前の反応であり、十分理解できる。
しかし、だからこそある疑問が浮かび上がった。
「なら、どうして……」
協力したのか、と。 そして皆まで言わずとも、ラーキンはその理由を語った。
「このプロジェクトは大がかりだった。 そして、決して失敗は許されない。 その為に、軍は装置の設計に関わった者達には……いや、関わらせた者たちには、人道に外れた方法で仕事をさせたようだ。 まぁ、私には与り知らぬことだがな。 実際ヘンリーがどうだったかは分らないが、十中八九そうだろう。 そうでもしなければ、秘匿し守り続けてきた技術を、人目にさらすような事は無いはずだからな。 仮にヘンリーが断ったとしても、他のキャビノチェに矛先が向いたことだろう」
人道を外れた方法というのがどの様なものなのかは当事者でもなければ分らない。 だが脅しというカテゴリーにおいて人質という、人の情を利用する手法というのは非常に効果的だ。 自身の手の届かないところで大切な者に害意が及ぶというのは、どれだけ屈強な精神、高潔な信念をもってしても物理的にどうにもならない。 加えて、人質が身内ともなれば、その強制力はそうそう抗えるものではないはずだ。
「だから、他の者に手が伸びないよう、奴は一手で全てが片付く方法をとったのだ」
「……そういうことか」
「ふん、察しがいいな。 奴は意図的にあの実験を失敗させるため、実験中だった装置を暴走させ、関係者達を一手で葬ろうとしたのだ」
季人自身には、それがどのような方法かは分らない。 だが、従順なふりをしながらも抗えるタイミングがあるとしたなら、それは最終フェーズにしかチャンスは無い。 始まったら止められない、そして実行すれば全てを消し去れる方法。 それが、世に知られているフィラデルフィア計画の末路だのだ。
「結果は概ね奴のもくろみ通り。 乗組員の大半は無残な死を遂げ、計画推進派だった者たちはその危険性に尻込みをして、以降計画は白紙となり、関係者はを噤んだ。 しかし私はそんな臆病風に吹かれた者どもとは違う。 そもそもあれはヘンリーという人間の介入があったからこそ失敗した。 いや、あれは失敗などですらない。 人為的に引き起こされたエラーなど、到底納得できない」
そして、数十年の時を経て今、その執念は再びラーキンをこの場へと到達させた。
どのような手法、思惑があったにしろ、男がこれと決めた事を一度たりとも曲げずに生涯をささげてたどり着いた結果に、季人は素直に心の中で称賛した。 その一点だけは、同じ男として共感できるものがあった。
「手段の用意は出来た。 だが、あんたをここまで動かした目的は何だったんだよ? 奪われた未来ってのは、どういう意味なんだ? 前の実験はERBを発生させることが主題だったんだろうけど、今回はあんた自身に何か目的があったから何十年かかっても頑張ってこれたんだろ?」
故に、そこまでして果たしたかったことが何なのかが、季人は心底気になった。
人間とはどんなことにも慣れる生き物だ。 それは感情面でも同様。 正確にはある方向性に向いていた熱意が薄れていくと言った方が正しい。 それを継続していくには、常に興奮状態を心身に供給しなければならない。 ホルモンの影響だったり、ドーパミンの分泌量だったりと生物学的な因果関係があることも論じられているが、それが数十年ともなれば該当するものはかなり限定的な話となる。
現にそれを行える者は純粋な思いを持ち続けた者か、もしくは狂気に陥ったものだけだ。
だから、ラーキンを支えてきたモノが何なのかが、季人は知りたかった。 それは、これからの自分にも、決して関係のないことではないからだ。
「目的か……。 私は、本来あるべき姿へと……歴史を修正する。 それが、歴史を取り戻すということだ」
「歴史の、修正?」
「この装置は今、西暦1943年10月25日へと繋がるERBを発現させるよう調整されている」
季人はその年月日に引っ掛かりを感じ、それが脳内にストックしてあった情報と即座に照らしあわされ、一つの回答へと導かれた。
「フィラデルフィア計画の三日前か」
「ああ。 これであの日、あの瞬間へと向かい、実験を成功へと導くのだ」
どうやって……? と聞くまでも無い。 時を遡って本来あるべきだった未来へと過去を修正するというラーキンの話を考えれば、自ずと答えにたどり着く。
「分かるだろう? ヘンリー・ロズベルグを実験に参加させなければ、全て丸く収まる。 その為の手段など幾らでも講じる事が出来る。 何も殺そうと言っているのではない。 計画関係者が殺害などされたら、それだけで実験への影響があるかもしれんからな。 ならばどうするか? 簡単な話だ。 奴だけ船に居ない様にすればいいのだ」
問題の原因を取り除くというのは、エラーに対する初歩的で単純な、それでいて正常な工程作業だ。
この場合、ラーキンにとって計画進行に対するバグは実験失敗の元凶であるヘンリーという事になる。
「どうやってだよ。 極秘プロジェクトに、なんら関係のない一般人が介入出来るはずがないだろ。 それか電報でも送ろうってのかよ。 どうやったって接触できるわけがない」
過去に行ったからといって、その実験に関与できるとは言い難い。 同一人物である若かりしラーキンがその時代に居たとしても、遡るのは時を越えてきた老体だ。 まさにERBの実験をしていたとは言っても、関係者達に未来から来たのだと説明したところでそう簡単にことが運ぶとは思えない。 当時の人間からしてみたら、未来から遡ってきたラーキンはただの一般人でしかないのだから。
だが、当然そんな事はラーキン自身も承知していた。
「私はこの年になっても耄碌とは縁が無い。 確かに私は研究室に入り浸ってはいたが、それでも外に出る事はあった。 息抜きというよりも、考えをまとめる為や、新たな発想を得るために。 時を経た今となっても、そのルートは覚えている。 どこで食事をし、誰と会い、何を見たのかも。 そして当時の私なら、過去を渡った私だと理解するだろう。 二つとないこの装置を手に会いまみえればな。 その後は若かりし私が上手く立ち回る事だろう」
本当にそんなに上手くいくだろうかとも思ったが、ラーキンには若かりし自分をしっかりと言い含められるだけの理論武装もしっかりしているだろう。 その手にカルディアを持っていれば、説得材料としても申し分ないほどの信憑性がある。
加えて、驚愕すべきはその記憶力だ。 何十年も前の行動内容を覚えているなど、常軌を逸していると言っても過言ではない。 季人としてはどんな脳トレがおすすめかレクチャーしてもらいたいところだが、しかし、ここまでの話を聞いていてラーキンの計画以上に一つ、気になる事があった。
SFやオカルトに携わる者にとって、時を遡るという事は鉄板中の鉄板。 もっともポピュラーな題材であり、それに纏わる問題などもセットで記憶されているものなのだ。 そして、そんな問題の中で比較的有名な障害がある――。
「なるほどな。 記憶力のいいアンタだからこそ出来る計画だな。 常人ならまず真似できないだろうさ。 だが、波動関数の収束は考えているのか?」
タイムパラドックスに並ぶ、時空問題のド定番が、まさにそれだ。
例え過去を変えようとしても、未来へと時が進むにつれて本来あった出来事に近づくように時が流れていく。 ヒトラー幼くして死んだとしても、別のヒトラーに似た指導者が現れ、歴史は似たような道筋を辿る。 それが、波動関数の収束だ。
「因果律の不一致を許さない歴史の修正力か。 確かに脅威ではある。 だが、それを実際に行った者はいない。 あくまでそれは理論だ。 実証からの検証結果ではない。 机上の空論も結構だが、実際にやってみなければ真実には到達できん」
「そうだな、もし仮に過去へと向かったつもりが、全く別の良く似通った世界へと到達してしまったとしても……だ」
そう。 システムが完全に制御下に置かれているのなら問題ないだろうが、もし万が一、時間の壁では無く原子よりも薄い次元の壁を越えて別の時空へと移動してしまう可能性だってある。
季人口にしたのは、その事を示唆した皮肉ではあったが、ラーキンは特別意に返さなかった。
「私は、それでも一向に構わない。 仮にもしそうだったとしたら、せめて実験だけは成功するように奔走するだろう。 過去に一矢報いるために。 どの道、本来の目的通り歴史を変えたとしても、私はその影響でどのような変化が起こるか予測は出来ない。 確定しているのは、実験は成功し、その事実をもって世界は時間を進めていくだろうということだけだ。 もしかしたら、私は科学者を続けていくかもしれない。 転職して塗装工になっているかもしれん。 いや、実験の二日後には階段から足を踏み外して植物状態になるかもしれない。 しかし、それで構わないのだ。 私にとって、これが最後の挑戦。 この先は無い。 ならば、自分の掲げてきた信念を貫くだけだ。 過去に向かった時、何が起こるのか……未来がどうなるのかは、誰にも分らない」
ラーキンがカルディアの土台となっていた機材の横に設えてあったボタンを押すと、鼓動を刻むようにカルディアを構成する三つの懐中時計が各々動き出す。
ミニッツ・リピーターは時を告げる鐘を鳴らし、パーペチュアル・カレンダーはムーンフェイスと日時を示す針が延々と回転し続け、トゥールビョンは組み込まれた脱進機が重力からの解放を求めて歯車を回し始める。
そのカルディアの様相はまさに、一つのグランドコンプリケーションといえるものだった。
「おぉ……」
感嘆の声が自然と季人の口から洩れる。 もとい、この光景に興奮を覚えない男などいるのかと誰ともなく問いたくなる。
ポカンと口を開けて見惚れている間に、ラーキンは季人の方へ向き直り、気付けばその手には銃が握られていた。
季人は無抵抗を両手を上げることによって示してみたが、銃口が外される事は無い。
「下がっていろ少年。 ここから先は誰一人装置には近づけん。 あの時の二の前は御免だからな」
「どうせ装置が発動したら、この辺りは次元転移の反動で吹っ飛んじまうだろうが。 ちなみに、ヘンリーはどうやって実験を阻止したんだ?」
「あの男は装置が発動する瞬間に小型の榴弾投射器を持ち出してな。 周囲の者たちが止める間もなく、カルディアに向けて撃ち放ったのだ」
その時代に存在し、隠し持てるサイズの榴弾投射機は、ワルサーのカンプピストルが該当するだろう。
単発装填ではあるが、まさに榴弾が装填できる以上、向けられた対象物は銃弾以上に無事では済まない。
それが精密機器の類ならばなおさら致命的だ。 しかも撃ちこまれのが榴弾だというのだから、原型など保っていられなかっただろう。
「そりゃ暴走しても仕方が無いな。 で、今回は本当に大丈夫なのか? また前みたいに、体が燃え出したり壁に埋め込まれたりなんてことにはならないだろうな……」と半分本気、半分冗談を込めた季人は言った
。
「当然だ。 それに、どうやら一点だけお前は勘違いしている」
「勘違い?」
ここまでの流れで、何か見落としがあっただろうかと、記憶を振り返ってみた季人だったが、ぱっと思い当たることが一つも無かった。
だから、続けてラーキンが口にしたことは意表を突きすぎていて開いた口が塞がらなかった。
「一体誰が、広範囲のERB発現が起こると口にした?」
「……え?」
「今回の実験は局所的な時空転移を目的として設計してある。 あくまでエルドリッジは当時を再現し、より成功率を上げるためのハードウェアでしかない。 考えてもみろ、こんな駆逐艦が突然現れたら、それこそ大ごとだ。 歴史を変える前に実験の進行そのものがどうなるか分かったものではない。 遡るのは、いうなればこの部屋に存在する物だけだ。 過去へと時空転移するのは誤差を含めても、この区画だけだ」
ラーキンの言うことはもっともだった。 例えエルドリッジが実験場より離れた場所へと転移したとしても、これだけ巨大な物が一切人目につかないなどありえない。 そんな物が現れたら、情報は風よりも早く駆け巡り、直ぐにフィラデルフィア計画を準備している者達に知れ渡り、事態を収拾しきることは難しいだろう。 しかし季人としてはその様な説明を理解する以前に、「ちょっとまてよ」と納得できない思いが強かった。
「いや、だって制御室で……」
「私は一度も、今回の実験の事を語ったつもりはない。 お前が聞いてきたのは、前回の実験の事だったろう」
「……」
思考がフリーズしかけた季人。
確かに、ウィルを中継してラーキンに聞いたことは、“当時”のという言葉を着けていたかもしれない。 しかしそれにしても、少し意地が悪いんじゃないかと季人は嘆息しつつ、ラーキンへジトッとした視線を向けた。
「マジかよ、そういう事はもっと早く聞かせてほしかったな」
ラーキンがの言うことが本当なら、少なくともこのエルドリッジを中心とした広範囲の時空転移は起こらないという事になる。 それは、地盤沈下やそれに伴う混乱やインフラの崩壊は気にする必要が無いという事だ
「何だ、そんな事にも思い至らなかったのか?」
「いやいや、昔の実験内容をなぞっていると考えたら、こっちは“今回”もそうなんだろうって思うのが普通だろ。 それに、局所的の転移だって……こっちはそんな細かな芸当が出来るとは思ってなかったんだよ」
加えて「悪かったな」と捨て鉢の様に言った後、「それに本当にそれが成功するのかどうかも、まだわからねぇしな」とラーキンを挑発するように続けた。
「まだ心配か? ならば祈れ、キャビノチェが信仰していた、時の神にな」
ボタンの横に会ったレバーにラーキンの手が伸びる。 素人目に見てもそれを引くことが起動用の最終プロセスだと言うことが分る。
レバーを引かれたら終わりだ。 だが今銃を向けられている。 視線も外される気配はない。 それだけ季人を警戒しているという事であり、ガーランドがいない今、同じ過ちを犯さないようにするための手段として銃を選択したのだろう。
ラーキンはこの区画ごと転移すると言った。 現在の自分が含まれていることは何となく想像に難くない。 だが、五体満足でという保証が自分に適用されているかどうかは怪しいものだ。
撃たれても起動されても死が待っているのであれば、腹の据わっている人間がとる行動は決まっている。
ワイヤーを撃っても制止させることは出来ないだろう。 正中線を防ぎながら突っ込めば、最悪致命傷にはならないはずと、行動プランが季人の脳内で即決され、体の重心が僅かに前方へと傾いだ瞬間。
――パァン!!
乾いた銃声が艦橋に響いた。