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「どうやら、何か重要な事を掴んだ上でのおっしゃり様だ。 そうでなければ、恐れを抱くなんて言葉はまず出てこない。 それに、こうして顔を合わせる事もね」


 そして、それこそがこの会合の理由。


 結局はオカルトの域を出ない検証結果に対して、恐れを抱く理由が本当にトラヴィスの言う通りだとするのなら……。


 ウィルはおどける様にして言うが、その脳内は様々な可能性をいくつものタスク上でシミュレートしていた。


 一番楽観的に考えるなら、より正確な検証資料の譲渡や、共同研究の申し出だ。


 しかし、その程度の話だったらこれまでにも何度もあったし、そしてその度に、出来る事なら協力したし。無理なら丁重に、しかしはっきり断った。


 ただ、ウィルにとってこのケースは流石に初めてだった。 それは、世間一般の示した結果とは斜め上どころかZ軸上で違う結果を示した自分達と、同じ考えを持つ者がいた事にではない。


 もちろんそれも多少含まれてはいるが、ウィルが真に警戒しているのは、ギリシアの名の知れた政治家で男が本気でその件で接触を図ってきたことだ。


 この後、事態がどう転ぶのかを早めに見極めなければならない。 きな臭い話には大抵、突発的な危険が付きものだ。 知ってはいけない事を知った人間がどうなるかは、大抵映画などを通して教養レベルに浸透している。


 ウィルにとってもっとも最悪のケースは、自分が会計の時まで生きていない事であり、結果、来月から始まるファーストフード店の期間限定ジャンクフードを食べられないという事だった。


 そんなウィルの思考を特に気にするでもなく、目の前のトラヴィスは隣の席に置いていたアタッシュケースから、一つの箱を取り出し、ウィルの前に差し出した。


「……これは?」


 様々な考えを巡らせていたウィルだったが、その箱を前に一先ず思ったままを口にした。


「どうぞ、ご覧いただいて構いません」


 開けてもいいと、トラヴィスが促すのを確認してからウィルはそのケースに触れた。


 正面に見えていた金具のストッパーを外し、ゆっくりと上部の蓋を持ち上げる。


 出てきたのは、一つの機械式懐中時計だった。


 既にリューズが巻かれていたのか、ケースに収まっている時計の秒針は動き続けており、確かな時を刻んでいる。


 それを見てウィルが最初に抱いた感想は、高そうという身も蓋もない安直なものだった。


「ウィリアムさん、我々はその時計のことを、アンティキティラ・デバイスと呼んでいます」


「アンティキティラ・デバイス……?」


「この存在がなければ、我々も貴方たちと同じ結論に至ることはありませんでした」


 ウィリアムは目の前の懐中時計に改めて目を向ける。


 外周はピンクゴールドというより、ブロンズに近い色合いで纏まっている。


 ハンターケース《蓋》は無く、リューズ以外にボタンのようなものは付いていない。


 白の文字盤には銀色でローマ数字が並べられ、金の長針と短針とは別に、スモールセコンドと言う名の秒針がローマ数字のⅠVの代わりに配置されている。


 アンティキティラ・デバイスと呼ばれたそれが、トラヴィス達の言う結論へと導いたものだというが、ウィルが見る限りは普通の機械式懐中時計にしか思えなかった。


「現在、アンティキティラ島の機械は数多くの復元品が公開され、なおも研究が進められています。 ただ、この時計はその名を冠してはいますが、機構を利用したものでありながらも復元や再現したという類の物ではないのです」 


「……ならこれは、オリジナルが元になった物ではないと?」


「そうです。 このアンティキティラ・デバイスは、代々続くフランスのキャビノチェ《時計職人》が、その製法を守り続けて作り上げた代物です。 言うなれば、現在も作られ続けているオリジナルのアンティキティラ・ギアと言っていい」


 アンティキティラ島で発見された太古の機械とは別に、全く同じ技法で、同等の機能を有しているものが作り続けられてきたというのならば、確かにそれは純正レプリカと言うよりは、オリジナルとして存在していると言ってもいいだろう。


 それを聞いたウィルは一つ気になった事があった。


「……人が時間という概念を観測し始めたのは、それこそ紀元前から太陽や星の位置などを利用して方角を調べていたころと同時期と言ってもいい。 しかし、本格的な機械式時計というものが誕生したのは、確かここ四、五百年位前の事だったはず。 あなたの言う代々とは、いつのころからの物なのですか?」


 歴史上、古くは紀元前から人にとって時間と言う概念は密接な関係を持っていた。 人は時を知るために、様々な工夫を凝らして観測を試みた。 原始的な物で言えば日時計や、水時計、砂時計などがある。


 時代が進むにつれ、そこに科学の力を用いるようになった。 幾人もの職人や技術者、科学者が知恵を絞り、その結果として水流を使い、錘を使い、振り子を使い、そして……ゼンマイが発明された。


 だからこそ、ウィルは気になってしまう。 本来あるべき技術の成り立ち、時計が誕生するルートの外を進んできた存在が、いつ誕生したのかを。


「そのキャビノチェが言うには、最低でも数十代前から、この製法が守られていると……」


 ウィルの表情は変わらない。 なぜなら、それは想定通りの答えだったからだ。


 アンティキティラ島の機械は紀元前の代物だ。 ならば当然、関係性を持つこの時計が、ここ数百年で生まれたものであるとは考えにくい。


「しかし、どうやってアンティキティラの機構が組み込まれたこの時計の事を?」


 ウィルもアンティキティラの歯車の件で関係のありそうな資料はあらかた目を通したうえで件の検証結果を公表したが、今目の前にあるアンティキティラ・デバイスの事は一度も目に触れる事は無かった。


「発見された機械の中には、その使い方を記した文字が掘られたものが少数存在したのはご存じかと思いますが、それとは別に、アンティキティラ・デバイスの管理、整備に関する事が記述された鉄板が発見されたのです。 そこに記された技師の姓名や、それと紐付きそうな土地を解読するのに三年。 関連事項に合致する人を探し出すのに五年かかりました」


「“屋根裏部屋”《キャビネット》の時計職人というくらいですからね」


「ええ、正直甘く見ていた部分はありました」


 今だからこそおどける様にして話すトラヴィスだったが、その裏には想像もできないほどの苦労があっただろうことはウィルにも理解できた。


 自分でさえも見つけられなかった……恐らく周到に秘匿されていた存在を発見した。 二千年以上表舞台に姿を現すことが無かったそれを探り当てたのだ。 それもたった八年で。 ……十年もかからずだ。


「凄い執念というか、この件に関する力の掛け方は僕たち以上だ」


「それは仕方がありません。 あなた方ワールドアパートが出来てからまだ一年未満。 加えて資金力もマンパワーも違うのですから。 ですが、それで私達と同じ位の研究結果を出した……。 正直なところ、舌を巻きましたよ」


 そう言いながら身を乗り出すトラヴィス。 その眼に自信を漲らせながら、言葉をつづける。


「いや、だからこそワールドアパートの手に、より確信に近づく第三のマテリアルがあれば、さらに明確な検証が出来るというもの。 我々には出来ない発見を、あなた方なら見せてくれるはず」


 トラヴィスの目は確信にも近い力強さを持っていた。


 そして、ウィルは手元にある時計の受け渡しが、今回の顔合わせの目的であることをこの時点で察した。


「この時計、具体的にはどのような関係が? アンティキティラ・デバイスと言うくらいですから、何か関係があるわけですよね?」


 ウィルの問いに、トラヴィスは傍らに用意してあった書類封筒をテーブルに置いた。


「こちらに詳細を記しておきました。 こちらの依頼を了承していただけるのであれば、お受け取りになって後程ご確認ください」


 ここから先は契約を結んでから初めて情報を共有するというトラヴィス。 それをウィルは上手い交渉の立ち回りだと思った。


 相手にとって十分に興味を引かれる事柄を並べ立て、話しが佳境に迫り、核心部分に至る直前でさらに興味を吊り上げる。


 宝の山を見せ付けて、そしてさらにその中にある宝石箱をチラつかせ、鍵が欲しかったら話を聞けというのだ。


「なるほど。 まぁ、僕としては一度この案件を持ち帰ってから考慮したいと思っていたんだけど、一応今日の事は全面的に一任されていますから、受け取ろうかな」


 ウィルは人房伸びた前髪を弄りながら「きっとウチリーダーもそうしろっていうと思いますしね」と書類封筒を受け取った。


「すみません。 こういった形で残しておかないと、デジタルデータとして保存していた場合、いつ流出してしまうか分りませんから。 特に、ウィザード級のブラックハットハッカーなどはどれだけ対策をしようと、それを上回る腕を持っていた場合には簡単に侵入されてしまいますから……」


 それは、単なる予防線に対する話ではなく、一抹の可能性を言っているのではない事はウィルにもわかった。 その説明と視線から、その警戒が自分に対して言われているのだという事くらい、よほど鈍感でもなければ分かる。 何しろ、自分自身はそれに該当する過去を持っているのだから。


 警戒の色がウィルから発せられているのが感じ取れたのか、トラヴィスは緊張をほぐすように務めて明るくふるまった。


「はっはっ……。 こちらも相手の素性くらいは調べてあります。 そして、期待値が高かったからこそ自分たち以外の機関へ託し、依頼するわけです。 契約するにあたっての信頼度を下調べすることなど、どの業界でもやっていることですよ」


 契約とは、互いの信頼関係の上で気付かれるべきもの。 その為の詳細を調べ上げることは、何ら不思議なことではない。 だが、それはあくまで互いに情報を交換できてこそ生まれるものだ。 一方的に片方の情報を探ることは、保たれるべきプライバシーの境界を犯す行為と思われても仕方が無い。


 ゆっくりと顔を上げるウィル。 その眼は、光が反射した眼鏡によって見る事は出来ない。 ただ、口元が笑っていない事が見て取れたトラヴィスは、しかし怯むことなくその顔を見返した。


「ウィリアム・フレイザー。 ミルウォーキー414。 中でも鬼才と呼ばれた9番目の方だ。 期待しない方がおかしいというもの」


 トラヴィスの言うミルウォーキー414。 それは、もっとも古いハッカー集団が名乗っていたグループの名前だ。


 1983年、若干十五歳から二十歳前後の少年達が起こしたコンピューター犯罪として良く知られているこの事件で、延べ六十社以上にハッキングを仕掛け、社会的なインターネットに対する危機管理の問題性を浮き彫りにした。


 現在、その少年たちのグループである414は、12名からなる少数精鋭の集団だったと記録されている。


 13人目と言う情報は、何処にも出回っていない。


 しかし、それをウィルは否定する事は無かった。 その行為が無意味な物だと理解しているからだ。


「……その名で呼ばれたのは久しぶりだ。 どうやら、古物の取り扱い以外にも専門分野はありそうですね」


「いえいえ、少なくともキャビノチェを見つけるのよりは簡単でした。 誤解しないでいただきたいのは、悪戯に興味本位で調べたわけではないということです」


 恐らく、嘘はついていないだろう。


 自分の過去など、一国の政治家であるトラヴィスにしてみたら、本棚からブックカバーの付いた目当ての本を見つけ出すくらい簡単のはずだとウィルは嘆息する。


 きっと、その事実を盾にするようなことも無い。 ただ、その名で呼ばれていた過去が技術の裏付けがあるからこそ、技術的な信頼を持って接してきたと考えられた。


「しかし、ワールドアパートとはあなたがリーダーとして運営しているとばかり思っていたのですが……」


 トラヴィスの言うそれは、ウィルの事高く評価していたからこその言葉であった。


「いやいや、それはあなたの考え違いというものです」


 しかし、言われた方のウィルは苦笑しながら手を仰いだ。


「僕の履歴なんてもう知っているでしょうけど、趣味と実益を兼ねてやっていた事が……この場合はプログラムを組み上げたり解体したりすることですが、まぁ、ウンザリしてしまった時期がありましてね。 所謂燃え尽き症候群ってやつです」


 様々な形で定義されてはいるが、ウィルの言う燃え尽き症候群、別名バーンアウト症候群とは、これまで注力していた事に対して無気力となってしまう精神疾患の事を云う。


 何も手に付かない、活力が湧いてこない、手段と目的の優先順位さえおぼろげとなり、今まで頑張っていた事が苦痛となり、体が拒否反応を起こす。


「今まで楽しんでやっていたはずなのに、それが急に無意味なものに感じてしまって……気付けば、手元にあったのは朝から晩まで時間さえあれば打っていたキーボードではなく、ろくに飲めもしない常温のスタウトビールだった。 いや、その、カウンセラーに云われましてね」


 医者曰く、「何もしない時間を設ける事が、今のあなたに最も必要な事です」とのことだった。 事実それは正しい診断結果と療法だった。


 外部からの重圧と干渉を立ち、一人だけの時間を作ることは心身の安定を保つ上で重要なことであり、それが燃え尽き症候群に対して有効な対処療法ということは良く知られている。


「そんな事もあってか、結局療養なのか自棄酒なのか自分でも分らず日々酒を飲んでいた。 だけど、不思議と記憶を失うという事は無かった。 そんな時です、彼と出会ったのは。 没頭する事に対して唐突に飽いてしまった私にとって、彼はまさにまっさらな設計図だった。 なんというか、プロデュースのしがいがあるというのが、多分一番的を得た言い方なんでしょうね」


「プロデュース……ですか」


「ええ。 なんというか彼は、何をするのか予想がつかないのに、何かを期待させてくれる、アルゴリズムもへったくれもない人間なんですよ。 ウチのリーダーは自分の性分に対して、引き下がるという文字が頭の中にはない。 九つの命を持つ猫すら命を落とす好奇心に対して真摯……いや、それはよく言い過ぎだな。 こらえ性が無いんですよね。 馬鹿正直と言ってもいい。 しかし、だからこそ共に進める。 自分に正直だという一点に信頼がおけるのなら、疑う必要が皆無な時点で、僕にとっては最良のパートナーだ」


 まるで自分の事の様に誇らしく語ったウィルの説明に笑顔を向けたトラヴィスはそれに感嘆し、納得するかのように頷いた。 


「なるほど。 あなたほどの人と組めるリーダーさんが羨ましいですね。 本当はあなたをスカウトする目的もあったのですが、望みは薄そうだ」


 トラヴィスの言った事は本心だった。 特別な技能を持った技術者というのはそれだけで貴重な財産だ。 初めから育成しようとしても時間と金がかかるし、その後望むポテンシャルを満たす人間になるかは分らない。 であれば、既に高いレベルで完成された人間を勧誘した方が効率的だ。


 しかし、ウィルの語り調を聞くに、どうやらそれは難しそうだという結論に至った。


「どうかな……。 僕も彼に似て、自分の好きな事以外はやりたくないダメ人間なので。 きっとあなた方が望む様な結果は生み出せないと思いますよ」


 型には嵌りたくないというウィルの性分を理解しつつも、トラヴィスはそれを謙遜と受け取った。


「必要とされ、需要がある以上、少なくともあなたはその筋のスペシャリストだ。 だからこそ、こうしてお会いしていただいたのです」


 事実、ウィリアム・フレイザーの力を知る者は誰もが彼の者を鬼才、天才、時には悪魔と畏怖を込めて称する場合が多い。 過去を振り返ればその自覚が多少ウィルにもあったが、それはあくまで過去の話。 今ではインドア派の少しITに強い中年というのが自己分析の結果だった。 しかし、それらをひっくるめて今の自分への評価がこうして依頼を引き寄せたのだと思えば悪い気もしない。


「なら、期待に応えられるように最善を尽くさせてもらいましょう」


「ありがとうございます。 報酬は先日お伝えした通り。 期限は一週間。 良い調査結果を期待しております」


 最後にもう一度二人は握手を交わし。 互いに席を立った。 世間話に花を咲かせるような間柄でも無い二人にとって、これ以上の会合は意味が無いものと共通の判断を下したのだ。

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