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軽口を叩いて緊張でもほぐそうかと思ったが、挑発して拷問の進行速度が速まるのは困る。 そして、例え体が拘束されていても、思考だけは停止させてはならない。 だが、緊張と興奮がないまぜとなり、纏まる物も纏まらない。 断頭台に立たされている気分とはこのようなものかと頭をよぎるが、あれはものの数秒で死ぬ事が出来る。
しかし拷問となると、むしろ死なせないために工夫された技術や道具が駆使される。 人は何に対しても芸術性を求めるが、こと拷問に至ってもそれは変わらない。
願わくば、二度と味わう事が無いような奇怪な道具を―――。
「……っ」
何を挟むのか分らない器具を持った男が正面に立った時、季人の全身が一瞬にして強張った。
自分自身、痛みに対して耐性があるとは思えない。
トラヴィスとウィルの交渉が現在どのように運ばれているのか分らない。
ただ、拷問自体はその交渉が段階的に進むにつれて自分の身に行使されるはず。
もしかしたら、一度も痛みを味わうことなく解放されるかもしれない。 だが逆に、生き地獄を味わい続けることになるのかもしれない。 例えそうなったとしても、その一瞬一瞬で、現状を打破するための思考だけは、決してとめないでおく覚悟を季人は決めていた。
――PiPiPi
コール音が無音の室内に鳴り響き、拷問器具を弄っていた男が電話に出る。 一体どんな指示が下されているのか、離れた位置に居る季人には、スピーカーから漏れてくる音さえ拾えない。
「……」
微動だにせず指示を聞いているその様子は、しかし、一向に返事もしないままで、携帯も耳に添えた姿のままだった。
それほどの綿密な指示がされているのかと訝しんだ季人だったが、それにしても長すぎた。
そして、一分くらいたったころ。 流石に口でも挟もうかと思ったその時、何の前触れも無く部屋のドアが開いた。
「お待たせ……しました……っ」
現れたのは、その髪を汗で額に張り付かせ、息も切れ切れのセレンだった。
「え、ええ?」
何かの見間違いか、はたまた幻覚かと思い、目の前の彼女を凝視する。
しかしどれだけ見ても、その整った目鼻立ちは見慣れたセレンの顔そのものであり、その声も、聴き間違えようの無いどこまでも澄んだものだった。 そして、彼女の象徴とも言える道具のフルートもその手にしっかりと握られていた。
「……セ、セレン?」
だが、それでもまだあっけにとられている季人。 驚いたというよりも、気が抜けたせいもあるが予想の斜め上過ぎる展開に何を口にするべきか脳の処理が追いついていなかった。
「季人さん、ご無事ですか? 怪我とかは……」
セレンは季人の正面に来ると、手足の拘束に使われていた革ベルトを一つづつ、慣れない手つきで外していった。
「いや、大丈夫だ。 まぁ、これから怪我するところだったんだけど。 それよりセレンの方こそなんでこんなところに……」
「季人さんを助けに来ました」
簡潔に、まさに現状を説明する御伽。
「……そうか。 悪いな、危ない真似させちまって。 あの男も、セレンがやったのか?」と、季人は電話に出た姿勢のまま、未だにピクリとも動かない男に目配せをする。
「気にしないでください。 というより、頼ってもらえたことがうれしいです。 ちなみに、あちらの男性はウィルさんが通信網に介入して、私の音楽を流したんです。 中枢神経に作用するようにしたので、あの人は今、私のいう事なら何でも聞いてくれます」
何でもないことの様に言っているが、正直やっていることはとんでもない。 しかも、ウィルによってセレンの力の解明が進んでから、その応用力に磨きがかかっている。 ITという要因が加わったことにより、可能性は今も広がりを見せている。
しかし……。 出来れば巻き込みたくなかったというのも、また事実ではある。
季人自身、それは勝手な言い分だという自覚はある。 こうなったのは、自分がプランの進行を捻じ曲げ、性分を貫いた結果起こった事なのだ。
自分でまいた種。 そのツケを他人に払わせるような真似をしたくないから、セレンに何も話さなかったのに、これでは本末転倒だ。 反省する事が多すぎるなと、改めて季人は溜息を吐いた。
「大丈夫か? 怪我とかは……」
「私は全く問題ありません。 少し、力を使いすぎて倦怠感はありますが」
恐らく、この部屋に来るまでにも障害はあっただろう。 それを、彼女はフルート一本で突破してきたのだとしたら……。 というより、事実そうなのだろう。 部屋に入ってきた時の息切れは、それが原因のはずだ。
「セレン一人か? 他に誰か……」
「マリアンさんとゼリアスさんが周辺の安全確保をして下さってます。 急いで出ましょう」
あの二人を最後に見たのは上野の科学博物館だった。 こちらの都合で迷惑をかけたというのに、まさか来てくれているとは……。 そう感じ入った季人は心の中で溜息と共に頭を下げた。
「……結局、自分のケツを拭かれてちゃ意味ねぇよな……」
「え、お尻?」
「何でもねぇ。 よし、二人と合流しよう」
部屋から出ただけで普段味わえない奇妙な解放感を味わったのは、恐らく拘束されていた事と、これから拷問が始まろうかという時に離脱できたことによる心理的な物だろう。
セレンと共に通路を歩きながら季人は建物の内装から今いる場所を想像してみたが、倉庫の様に開けている空間もあり、実際その通りなのかもしれないと思った。
屋外に出た時、周囲はまだ暗いままだった。 秋が終わりつつある夜風は季人の気を引き締める温度で迎えてくれた。
そして、マリアンとゼリアスも黒塗りの車の前で季人を出迎えてくれた。
「御無事でしたか水越様」
「ああ、済まないなゼリアスさん」
と、申し訳ないという顔で手を挙げた季人に、瞬歩で間を詰めたゼリアス。
「何をおっしゃいます。 水越様はお嬢様を身を挺して守ってくださいました。 その恩に報いたまでのことです」
若干頬をひきつらせながら熱の入ったゼリアスの誠意を受けた季人。 そこへ、マリアンも一歩近づいた。
「そうですわ。 わたくしが水越様をお助けするのは当然の事。 何しろ、あの時水越様を置いてあの場を離れた私にこそ、非はあるのですから」
「いや、そんな重苦しく考えなくても……」
まさか、咎められこそすれ、自分から起こしたことなのに罪悪感を感じさせてしまっていたのかと、むしろ季人の方が罪悪感を感じてしまう。
やはり多少は……気持ち……身勝手な行動は慎もう……と、努力しよう。
そんな反省しているのか、そうでないのか曖昧な心境を振り払うように、まずは何よりも口にしなければならない事があった。
「とにかく、助かったよ。 ありがとう」
そこに、スマ―トフォンを持ったセレンが着信を示し続けるそれを手渡してくる。
見知った名前が表示されているのを確認して、通話に出た。
「よう相棒」
『どうだった、一等客室の住み心地は?』
ウィルの言う冗談めかしたその軽口が、それほど時間が経っていないはずなのにひどく懐かしく感じた。
「ああ、もう少し調度品に気を配った方が良いなあれは。 流石に殺風景すぎる。 あと椅子が固い」
『まったく……。 まぁ無事で何より。 間に合ってよかったよ』
「……どうしてここが?」
『忘れたのかい? セッテピエゲの高性能発信機』
「あ~あったなそういうの」
今にして思えば、何かを調べたかったのか、それとも拷問によってセッテピエゲの事も聞き出そうとしていたのか。
一件ただのゼロハリバートンのバッグだが、一度あの変形機構を見た手前、トラヴィス達の立場からしたら、その中身が気になるところだったのかもしれない。 まさに不幸中の幸いと言える。
「まぁ、マジで助かったよ。 あともう少しでハードなルームサービスを受けるところだった。
『へはは。 なら、支配人に文句を言いに行かなくちゃね』
「まったくだ」




